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調香師は時を売る  作者: 安井優
西の国編

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最大のヒント

 ケイが案内されたのは、マリアの調香部屋だった。マリアの居住スペースで、ケイがまだ足を踏み入れていない部屋。

「散らかっていてすみません。それに、香りも……」

 マリアは少し恥ずかしそうに視線を落とす。ガチャン、と扉を開けた先に広がっていた光景に、ケイは目を見開いた。


 大量の精油瓶が、所せましと並べられている。植物図鑑や、調香のための本、マリアが使っているのであろうレシピのノートがぎっしりと本棚には詰め込まれている。紙とペンは、机の上には広げっぱなしになっており、マリアの丁寧な文字がこまかに整列している。空の小瓶が入ったカゴ、何に使うのかわからない道具。鍋。乾燥させた植物の束。まるで、物語に登場する魔法使いの部屋のようにも見えた。


「すごいな……」

 その圧倒されるような情報量に、ケイは思わず呟く。マリアの努力の跡が幾重(いくえ)にも見えるようで、息を飲んだ。

「いつもはもう少し綺麗なんですよ! 今は、調香の最中で、こんな感じですけど!」

 マリアが慌てて弁明すると、ケイは首を横に振った。

「いや、違うんだ! 汚いといっているわけじゃない。ただ……俺は、もしかすると、心のどこかで、もっと単純なものだと思っていたのかもしれないな。香りを作ることの難しさみたいなものが、今、ようやくわかった気がする」

 ケイは真剣な瞳で、調香部屋をぐるりと見まわした。


 マリアが最初に言った通り、香りもより強烈なものになった。

(なるほど。これは香りが残るな……)

 その濃厚な香りは、まさに情報屋と出会った娼館と同じように甘ったるい。ケイも、娼館に行った帰りは、宿でシャワーを念入りに浴びてようやく香りを落としたものだ。マリアが今朝から調香をしていたのなら、髪や服に香りが移るのも当然と言えよう。


 だが、ケイはそれでもなお、この香りは上品だ、と感じる。何が違うのか。まったくそれはわからないが、ケイの知っている娼館の香りに比べれば、なんてことはない。

「どうでしょうか……」

 マリアが不安そうにケイを見つめる。ケイは少し眉を下げて、小さく首を横に振った。

「似ているが……マリアの香りの方が上品だ。うまくは言えないが……」

 ケイの言葉に、マリアはあからさまにシュンと視線を下げた。

「まだ、上品……ですか……」

 トーレスにも、もっと下品な香りだ、と言われたらしい。ケイはふむ、と腕を組んだ。


 マリアはもともと、質の良い香りを作るのに()けている。だからこそ、王妃からの調香依頼を今までもこなしてきたのだし、王女の専属の調香師として認められたのだ。下品な香り、と言われてピンとこないのも当たり前だった。

 作れない香りなどない。そんなおごりはマリアにはないが、それでも、ここまでどうすれば良いのかわからないのは初めてだ。


「参考になるかはわからないが……」

 マリアの眉間にしわが寄っているのを見つめ、ケイがおずおずと口を開く。素人意見を当てにしないでくれ、というケイの思いは届かない。マリアからすれば、少しでもヒントが欲しいところだった。キラキラとした瞳で見つめられ、ケイは、う、と良心が痛む。

「その……香りには(うと)くて、頓珍漢(とんちんかん)なことを言うかもしれないんだ! それでも、いいか?」

「もちろんです!」

 マリアの勢いに負け、ケイは、わかった、とうなずいた。


「娼館は、もっと……煙臭いんだ」

「煙臭い?」

「あぁ。娼館の女の中には、タバコや煙管(キセル)を好む者も多いらしい。その香りが混ざっているのか……それとも、そういう、煙臭さを無理やり甘い香りで隠そうとしているのか。とにかく、そういう香り、とでも言うべきか」

 ケイは、情報屋と出会った時のことを思い出して、その香りを記憶からたどる。不思議なものだ。香りから、鮮明に記憶をよみがえらせることは出来るのに、記憶から香りを思い出すのがこんなにも難しいとは。


 マリアは、ケイの言葉を一言一句()らさぬよう、サラサラとメモを取る。

「煙臭さを、消すための甘い香り……」

(タバコの香りを消す……)

 マリアは思考を巡らせ、ハッと顔を上げた。

「そうだわ! 確か、パーキンさんが、柑橘系の香りはタバコの香りを消すと……」

 キャンドルを作った日だ。マリアは慌ててペンを走らせる。

「ケイさん、煙臭さを、無理やり消そうとしているっておっしゃいましたよね」

「あぁ……」

 ケイがうなずけば、マリアはさらにペンを走らせる。


「それじゃぁ、柑橘系は使われていないんだわ。それに……」

 煙臭さを無理やり消そうとして、匂いが混ざっているということは、結果的に、煙の香りが残っているということなのだ。(くす)ぶったような、タバコの独特の香りが。

「試しにやってみる価値はありそう……!」

 マリアが顔を上げると、ケイは不思議そうに首を傾げた。


「ケイさん! 香りを作ったら、確認してもらえませんか? 私は、娼館の香を知りませんし……ケイさんが、もしよければ、ですが」

 マリアのかわいらしい顔がずいっとケイの方へ近づく。ケイは反射的に後ろへと体を()らした。

(近い……)

 当の本人は全く気にする様子も見せず、ケイの鼓動だけが早まっていた。


 意識している女性からこんな風に頼られて、断れる男がいるだろうか。

「もちろん……俺は、かまわないが……」

 ケイが(うなず)けば、マリアがパッと顔を明るく輝かせた。

「ありがとうございます!」

 にっこりと満面の笑みを浮かべられて、ケイの鼓動はますます激しく高鳴る。ケイは自らの心臓に、静まれ、静まれ、と何度も繰り返すのだった。


 まさか、自分がマリアの役に立てる日が来るとは思ってもみなかったケイは、どこか(ほう)け顔でマリアの店を後にした。

 一方、マリアは瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、早速調香部屋へと向かう。さすがにタバコは持っていないので、すぐに考えたことを実証することは出来ないが、煙臭さを無理やりに消す、という甘い香りを作り直すことは出来そうだった。今までは、ただ、濃厚な、甘い香りを作ってきたが、そうではない。

「煙臭さを、無理やり隠す……」

 それこそが、最大のヒントだった。


 マリアが今までに作った香りは、濃厚な花の香りを集めたものと、トンカビーンズやバニラといった後に残るような甘い香りを集めたもの。そして、その二種類の精油を混ぜたものだ。だが、娼館は、もっといろいろな女性が住み込みで働き、それぞれが工夫してタバコ臭さを隠そうとしているはずなのだ。となれば、香りは複数種類が混ざり合っていると考えられる。

「柑橘系とハーブ系を除いたとしても、スパイス、オリエンタル、バルサム……この辺は使っていてもおかしくはないわ……」

 マリアはさっそくそれらの中でもとりわけ甘い香りのするものをピックアップし、調香を再開するのであった。


 もはや、トーレスのために、という思い半分、自分自身が新たな香りを追求したいという思い半分である。マリアは何度も何度も、調香の量や香りの変化を確認しながら、机に向かい続けた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回は、ケイを巻き込んでの調香回になりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。

果たしてマリアは無事に香りを作りだすことが出来るのか? これからをお楽しみに。


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