秋の雪解け
爽やかな秋晴れの空。美しい中庭。そんな風景には似合わない重い沈黙。ディアーナに促され、マリアもシャルルも腰かけたが、その口は開けないでいた。
「私のせいだわ」
ディアーナが放ったこの一言に良い返事を見つけられないのだ。トーレスもまた、違う、とは言い切れないだけに戸惑いの表情を浮かべていた。
「私が、トーレス王子との婚約をお断りしてしまったからね。ごめんなさい……」
ディアーナの顔は青ざめている。もともと、正義感の強い性格だ。謝っても、謝りきれない。トーレスの話を聞いたとなれば、そう思うのも無理はなかった。ディアーナは小さな両手をぎゅっと握りしめる。その手は震えており、マリアは思わず声をかけた。
「ディアーナ王女……」
だが、気の利いた言葉は、やはり出てこなかった。
「私が破談になどせず、もし、トーレス王子と婚約していたら……きっと今頃、トーレス王子はご家族からのひどい仕打ちを受けることもなく、自らの命を危険におかす、そんな真似もせずに済んだのでしょう。王族の暮らしだけでなく、国を捨てることもなくて……。幸せに暮らしていたはずです」
ディアーナの悲痛な声が、三人の胸に突き刺さる。ディアーナにとっても、西の国との関係が悪くなるかもしれない、とは考えていたが、まさかトーレスを追い詰めることになるとは思ってもみなかったのだ。
やがてディアーナの美しいブルーの瞳が濡れ、かわいらしいドレスの上に、ポタポタと染みを作った。せっかくのドレスも、美しい顔も台無しだ。マリアも、なんと声をかけるべきか迷い、結局は、小さな肩を揺らして静かに涙を流すディアーナの背中を優しくなでることくらいしかできなかった。
しばらくして、トーレスが何かを決意したように顔を上げた。
「ディアーナ王女」
トーレスの声に、ディアーナはゆっくりと視線を上げる。泣き顔を見られるのは恥ずかしいが、話をするときは、相手を見るのがマナーだ。その顔をまじまじと見るのは、会食の時以来だった。
美しいヘーゼルアイ。赤みがかった鮮やかな髪。すべてが特別な、西の国の王子。そんな彼が、口を開く。
「謝らなければならないのは、私の方なのです」
トーレスは、苦々しくつぶやいた。
「私は、ディアーナ王女のことを、親や兄弟を見返すためだけに利用していました。婚約者として、あなたのことを何ひとつ知ろうともせず、愛そうともしなかった……。周りの他の候補者を、身分の違いだけで見下して……」
弱々しい、震える声は、まるであの会食の時の傲慢な王子と同じものとは思えなかった。
「あなたは、いつも、何事にも真剣に向き合おうとしていたのに、私は……。婚約を破談にされるのも当然です。私は、ただ慢心していた。そして、何もかもがなくなって……初めて気づいたのです。私には、何もない。初めから私は、何も持っていなかったのだ、と」
トーレスは、ゆっくりと、そして、丁寧に頭を下げた。
「だから、これ以上思いつめないでください。私のために、その美しい心を痛めないでください」
マリアも、シャルルも、そして当然ディアーナも。トーレスの態度には驚きを隠せなかった。特にディアーナは、マリアの伝言に一つとして嘘がなかったことを改めて思い知った。
「……顔を上げてください。トーレス王子」
トーレスの瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。
「私も謝りたいの。あなたとの婚約を破談にしてしまったことはもちろんだけど……それ以上に、私も、本当のあなたのことを、今の今まで、何も知ろうとしなかった……。ごめんなさい」
ディアーナはそっとトーレスの顔を覗き込むと、トーレスと同じように、深く頭を下げた。
二人は、やがて互いにその綺麗な瞳を重ね、それから、反対の方向へ視線を逸らした。一方は未来を見つめ、もう一方は過去を振り返る。二人は交わることはなく、けれど、よく似ていた。
「……私たち、きっといいお友達になれるわ」
ディアーナがようやく柔らかに微笑む。
「……友達?」
今まで、友達と呼べるものなどいなかったトーレスは、逡巡した。その視界に、美しいディアーナの笑みが映った。
「えぇ。どうかしら?」
――答えは、決まっている。
ディアーナとトーレスが互いに手を取り合うと、マリアとシャルルも顔を見合わせて笑みを浮かべた。一安心だ。
「マリアちゃんの言う通りだね。自分の言葉で伝えるべき、か……」
「あぁ、そうだな。マリア、感謝する」
シャルルの言葉にトーレスが頷くと、マリアは思わず照れてしまう。出すぎた真似だと思っていたが、こうして自分の一言が誰かと誰かをつなぐきっかけになったのだ。嬉しい気持ちが胸にあふれた。
「それで……トーレス王子は、これからどうなさるの?」
ディアーナはあくまでも自然に話を切り出した。トーレスも、少し気持ちが和らいだのか、こわばっていた体を楽にして答える。
「血族破棄を考えています」
「血族破棄?」
「……王族としての地位も、名も、血もすべて捨てるということです。結婚はもちろん、子供をなすことはできません」
首を傾げたディアーナにシャルルがそっと耳打ちすると、ディアーナは口をつぐんだ。
「私が選んだことなのです。ディアーナ王女が気に病むことはありません。こんな私を、この国が受け入れてくれるというだけでも、ありがたいのです」
トーレスが慌てて付け加えると、
「そうね。お父様とお母様もきっと、それを望んでいるわ。もちろん、私だって」
と、ディアーナは少し安心したように言った。
「それじゃぁ、これからは同じ国の者として、いつでも会えるわね」
冗談めかしてディアーナが笑う。トーレスは、この国が豊かで、自由で、そして美しい理由を垣間見た気がした。
「トーレス王子が決めたことだもの。私も出来る限りのことをするわ」
ディアーナは憑き物が落ちたように、すっきりとした笑顔を浮かべた。ふわりと吹く秋の風が、四人を優しく包む。トーレス王子の新たな門出を祝福するかのようだ。トーレスも自然な笑みを浮かべて、穏やかに言う。
「これからが、俺の本当の人生の始まりなのだな……」
トーレスの気取らない本音が、三人の心をじんわりと温めた。
ディアーナ王女に勉強の時間がやってきて、四人は解散することとなった。
「ずいぶんと、付き合わせてしまったわね。それに、みっともない姿まで……」
ディアーナはイスから立ち上がり、申し訳なさそうに呟く。それでも、トーレス達が首を振ると、柔らかな笑みを浮かべた。
「また落ち着いたら遊びにいらして、トーレス王子」
トーレスは答えなかった。もう、王族ではなくなる。ディアーナは、友達に、と言ったが、もうこれ以上関わることなどないだろう。代わりに、トーレスは、三人を見送るディアーナに最後まで手を振り続けた。感謝の気持ちを精一杯に込めて。
青く、高く、どこまでも透き通る空に、トーレスの鮮やかな赤髪が映える。
「本当に、また、遊びにいらしてね」
ディアーナは祈るように、小さく呟いた。
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ディアーナとトーレスの二人に、皆様が何か少しでも感じていただけていたら幸いです。
西の国編はまだまだ続きます。最後までお付き合いのほど、何卒よろしくお願いします。
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