伝言
ディアーナをふわりと包んだのは、爽やかなベルガモットとレモンの香りだった。
(あら……)
てっきり、フローラルな香りがすると思っていたのだ。ディアーナは少し意外そうに、その香りを楽しむ。もちろん、フルーティーな香りも好きなので、文句はない。何より、エトワールが気に入ってくれそうだ、とディアーナの胸は弾む。
スッキリとした瑞々しさがあり、自然と緊張がほぐれる香り。マリアはディアーナの表情にほっと胸をなでおろした。
マリアも、最初はディアーナらしい花の香りにしようかと悩んだのだが、考えた末に、スッキリとした柑橘系の香りを選んだ。誕生日パーティーの当日、主役に最初に会うのは、家族を除いて、エトワールではないだろうか、と思ったのだ。この香りなら、間違いなくエトワールは気に入るし……きっと、緊張していても、自然と口をついて誉め言葉が出るはず。
自分への恋心には鈍いマリアでも、他人のことには敏いのだ。
そして、爽やかで少し苦みの混ざった香りが、ほんのりとした甘さをより引き立てる。
「なんの香りかしら。ハーブにしては甘みが……」
「ミドルノートは、ゼラニウムとジュニパーベリーです」
マリアが答えると、ディアーナは手元にあった紙へペンを走らせた。もうレッスンはとっくに終わったというのに、勉強熱心なのは相変わらずだ。
最後はローズとミモザ、そしてパチュリの香り。大人っぽい甘さと華やかな香りで最後を飾る。夜遅くまで続くパーティーで、ディアーナを最後まで華やかに飾り立てるように、とマリアが選び抜いたものだ。
さなぎが蝶へと成長し、美しい羽根を広げるように。その香りは、時間経過とともに、より濃厚に、そしてきらびやかに変化する。
「本当に……マリアの香りは素晴らしいわ」
ディアーナはうっとりと瞳を閉じ、瓶のフタを丁寧に閉めた。まるで宝物を扱うのように、ディアーナはそっと机へと置く。
「ありがとう、マリア。素敵な誕生日になりそう!」
ディアーナは美しい笑みを浮かべた。
(喜んでいただけて良かった……)
マリアも安堵から、思わず顔をほころばせた。
「そういえば、マリア。あなた……」
ディアーナは言いかけて、少し困ったように眉を下げた。マリアがキョトンと首をかしげると、ディアーナは、えぇい! と勢いよく声を張り上げる。
「トーレス王子のこと!」
「え?」
「西の国から、いなくなられたと聞いて……。詳しいことは、お父様も、お母様も、教えてはくれなかったけれど……、昨日、あなたのもとにいると聞いたのよ」
ディアーナは戸惑いの表情を隠さずに、マリアを見つめた。
「トーレス王子は、私の婚約者候補の一人だったの。結局、お断りすることになってしまったけれど……・西の国でのことも聞いたわ」
ディアーナは、胸を痛めていた。先ほどまでとは打って変わって、顔は暗く、マリアは慌てて口を開く。
「今は、体調もずいぶん回復されましたし……それに、今は、シャルルさんやケイさんが、トーレス王子を助けようとしてくださっていらっしゃいますから」
マリアの言葉に、ディアーナはようやく顔を上げた。
マリアは、そうだ、と声を上げる。
「そういえば、そのトーレス王子から、ディアーナ王女に伝言をお預かりしているんです」
「伝言?」
自分を振った相手に伝言とは……。悪口か何かだとしか思えない。だが、マリアがわざわざその言葉を代弁するのだ。悪いことではない、はず。ディアーナは恐々とマリアを見る。だが、マリアはいつも通り、柔らかな笑みを浮かべただけだった。
「トーレス王子が、ディアーナ王女に、すまなかったと伝えてほしい、と。ディアーナ王女に、きちんと向き合っていなかった、とおっしゃっていました」
マリアがスルリと事も無げに言うので、ディアーナは、え、と思わず目を見開いた。聞き間違えたのでは、と思うが、そんなはずはない。
「どうして……トーレス王子が私に……」
ディアーナが困惑するのも無理はない。婚約者候補としてのトーレスは、とてもそんな人物には思えなかったのだ。
まさか、マリアがウソをついているとは思えない。だが、それ以上にあの、トーレス王子が謝るなどと……。ディアーナの心中にはその思いがぐるぐると渦巻いた。
「ディアーナ王女?」
マリアがディアーナ王女の様子に心配して声をかけると、ディアーナはガバリと立ち上がった。
「マリア! トーレス王子はどちらに?!」
「えぇっと……。こちらまで一緒に来たので、まだ城内にいらっしゃるかと……」
ディアーナの強い瞳に気圧され、マリアがおずおずと口を開けば、ディアーナはその瞳をすぐさま扉に向けた。
「行きましょう、マリア! 私、トーレス王子ときちんとお話をしなくては」
マリアが返事をする前に、ディアーナはマリアの手を取って駆け出す。勢いよく扉を開ければ、外にいたメイドがビクリと肩を揺らした。
「トーレス王子のところへ案内してちょうだい」
ディアーナの一声に、メイドも困惑の表情を浮かべるばかりだ。
「ディアーナ王女?!」
マリアの声も聞こえていないようで、ディアーナは続けざまに、別の者へと声をかけた。
謁見の間。まさか、再びここへ来ることになろうとは。マリアは目の前の大きな扉に姿勢を正す。
(こんなことになるなら、きちんとした服を着てくればよかった……)
今着ている服も決して安物ではないし、見た目も良いが、マリアとしては緊張と不安が混ざり合い、気分が悪くなってしまいそうだった。
「お父様、お母様。私です、ディアーナです」
ディアーナはそんなマリアの気持ちなどつゆ知らず、外にいた騎士団の人間に、その扉を開けさせた。
「ディアーナ王女……」
真っ先に彼女の名を呼んだのはシャルルで、ディアーナのお目当ての人物はその隣に立っていた。王様と王妃様は、ディアーナの隣にいたマリアに目を向け、何を察したか、なるほど、とうなずいて見せた。マリアは膝をつき、頭を下げる。
「お話の最中に、このような振る舞いを、大変申し訳ありません」
ディアーナも丁寧に頭を下げた後、顔を上げ、その視線をトーレスへと向けた。
「良い。もう、あらかた話は済んだ。ディアーナも、思うところがあってきたのだろう」
王様が口を開く。一国の王である前に、ディアーナの父親。娘の言動は良く理解していた。王妃様も柔らかな笑みを浮かべて、シャルルとトーレスに言葉をかける。
「事情は分かりました。私たちも、出来る限りのことはいたしましょう。トーレス王子、そしてシャルル。ディアーナの話を聞いてやってくれるかしら」
国王と王妃からの依頼を断れるわけがない。トーレスもシャルルも、その言葉に従い、ディアーナ達と一緒に謁見の間を離れる。トーレスは、目の前をずんずんと歩いていくディアーナに、どんな顔をすればよいのかわからないまま、その後を追った。
ディアーナが立ち止まったのは中庭の一角。テーブルと、人数分のイスが置かれ、綺麗に手入れされている。秋の訪れを告げる花々が咲き誇り、花と草木の爽やかな香りがした。
「どうぞ、お座りになって。トーレス王子」
ディアーナの凛とした声に、トーレスは戸惑いながらも、そっと席に着いた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
ブクマ100件達成&新たな評価、そして久しぶりのジャンル別日間ランキング 51位掲載いただき、本当に感謝感激です。
いつもお読みくださっている皆様に、心よりお礼申し上げます!
久しぶりのマリアの香りはお楽しみいただけましたでしょうか。
香りの詳細は、活動報告に記載しております。よろしければぜひ、そちらもご覧ください。
そして、ディアーナとトーレスの二人の行く末は、次回をお楽しみに……。
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!




