思い出す痛み
突然の訪問者――ケイに、トーレスは再び警戒心をむき出しにしたが、騎士団の人間だと知ると、マリアにじとりとした視線を向けた。
「マリア……お前、本当にただの調香師か?」
当然ながら、ただの調香師などではない。王妃からの依頼をこなし、王城勤めを果たし、挙句現在の王女様専属の調香師であり……つまりは、近年まれにみるとんでもない調香師なのだ。だが、マリアにその自覚はない。
「ただの調香師、ですけど……」
マリアは困惑したように曖昧な笑みを浮かべただけだった。
やはりシャルル同様に礼儀正しい、丁寧な挨拶をしたケイが口を開く。
「トーレス王子。団長より血族破棄のお話をお聞きし、お役に立つべく参上した次第です。どうかご無礼をお許しください」
「あぁ、いい。分かっている。どうせ、そんなところだろうと思った」
他人事のように軽くあしらい、トーレスは目の前に座るケイを見つめる。シャルルと違って、無骨な男。緊張もあるだろうが、鋭い目つきがトーレスを射抜く。
(この国の騎士団は……どうやらずいぶん、精鋭を集めるのがうまいらしい)
トーレスは、そんなことを考えながらも、身の上話を始めた。
ケイが西の国にトーレスの情報をリークすると知ったからか、トーレスはより詳細に過去を語った。
これは、ある意味取材だ。西の国民の同情をひくための。そして、出来る限り円満に、西の国との水面下での攻防を終息させるための。ケイはそう思いながらも、トーレスの話には思わず顔をしかめるばかりだった。隣で聞いていたマリアも、それはまた同じらしい。マリアに至っては、つい先ほどシャルルとの話をいくらか聞いたばかりであるにも関わらず、だ。
「俺は、しょせん、使い捨てのお飾り王子だ。厄介ごとを押し付けるための汚れ役」
トーレスはさらりとそんなことを言ってのける。シリアスな小説の一文を読むがごとく、ツラツラと、とめどなく。
「あいつらは、俺がいなくなったところで、喜ぶだけだ。悲しみなどは抱かない」
トーレスはそこまで言って、ぎょっとした。目の前に座っているマリアが泣いている。マリアの隣に腰かけているケイもまた、なんと言葉をかけてよいのか悩んでいる様子だった。
「……すみません。辛いのは、トーレスさんなのに……」
マリアはその涙を一生懸命に止めようと、何度も手で目元をこする。
「なぜ、お前が泣くんだ……」
自分のことで涙を流してくれる人など、一人としていなかった。トーレスは、心がツン、と痛むのを感じる。
(あぁ……俺は……)
つらかったのか。まるで、自らの心を写し取ったようなマリアに、トーレスは少し、そんなことを思った。
「トーレス王子……。辛いことを思い出させてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、私が、必ず……必ず、トーレス王子のお気持ちを、西の国の民に、ひいては、ご家族にまで、お届けしてまいります」
ケイは悔しそうな瞳を隠すこともなく、だが、丁寧にそういって頭を下げた。そして、少し戸惑いながらも、マリアの頭にそっと手を伸ばす。
「マリア、俺たちが何とかする。だから、信じて待っていてくれ」
大きな手が、マリアの頭に触れ、そして柔らかくその髪の一束が名残惜しそうに離れていった。
ケイは、西の国へ向かう、とパルフ・メリエを後にした。そのころには、マリアもようやく泣き止んでいたが、その目は赤く腫れている。残されたトーレスは、戸惑いを隠さずにマリアを見つめた。彼女は眉を下げ、
「すみません、トーレスさん。こんなみっともないところをお見せしてしまって……。トーレスさんが、誰よりも傷ついているのに」
と取り繕う。トーレスは、そんな心の苦痛など、とうの昔に忘れ去っていたのだが。
「いや……それより、お前が……」
マリアが傷ついていることの方が、今のトーレスには酷く苦痛に思えた。
家族など、もはや復讐の対象でしかない。だが、目の前にいるマリアは、命の恩人だ。たとえ、庶民で、隣国の、ただの調香師だとしても。
「え……?」
マリアは突然、頭の上にポンと触れた体温に顔を上げた。
トーレスは、シャルルやケイがそうしていたように、ゆっくりとマリアの頭に手を置いた。誰かに優しくされたことのないトーレスは、当然、誰かに優しくしたことなどない。どうすればいいかわからないまま、その手をやや乱暴にくしゃくしゃと動かす。
「ほ、ほら! これでいいんだろう! まったく、なんで俺が……」
照れ隠しのように、ぷいと顔をそむけ、トーレスはそのままバタバタと調香の部屋に走り去る。残されたマリアは、その後姿をただ見つめた。
トーレスとともに、晩ご飯を食べることにも慣れてしまった。トーレスは、黙々と手を動かしている。やはり、その所作は美しい。初めて出会った時から不思議に思っていたが、トーレスが王族だと聞き、納得したのだ。確かな味覚と、センス。食事中に会話が少ないのも、マナーの一つだろう。
「……あの、トーレスさん」
マリアがこうして話を切り出せば、手を止め、静かにフォークを置くところも。
「なんだ」
「トーレスさんの、お気に入りの場所ってありますか?」
「なんだ、急に」
「いえ、その……。西の国へは行ったことがないので、少し気になって」
「この国の方がよっぽど綺麗だぞ」
トーレスはバツの悪そうな顔で答える。マリアが黙ってトーレスを見つめると、トーレスは折れたのか、少し考えるように視線をどこか遠くへ向けた。
「……そうだな」
トーレスの回答は意外なものだった。
「スラム街?」
マリア達の国にはない場所だ。繁華街、といえば、東都の雰囲気が近いのだろうと思うが、それも決して裏社会だとか、そういうような場所ではない。そんなものは、マリアにとってはお話の中の世界だ。
「あぁ。俺は、そういう場所での仕事ばかりだった。金も、力もないやつを骨の髄までしゃぶり、そいつが持っているもの全てを奪い取るような仕事だ」
トーレスは苦々しく言葉を紡ぐ。
「スラム街には娼館がたくさんあって……夜になると、ピンクとも、紫とも言えないほの暗い色がぼんやりと灯る。変な香が焚かれていて、下品な、馬鹿みたいな匂いに包まれるんだ。それが、空虚で、みじめで……。まるで自分を見ているようだった」
トーレスはぽつりと呟くと、ようやく視線をマリアに戻した。ヘーゼルアイが、緑に、茶色に、グレーに、揺れる。
「でも、不思議と落ち着くんだ。自分の存在が唯一許されている場所のような気がした。今思えば、そういう底辺のやつらを見て、安心していただけかもしれんがな」
自嘲気味に笑うトーレスに、マリアも決意する。
トーレスの、その記憶は……西の国での時間は、やはり簡単に忘れ去られてはいけないようなものの気がした。それは、トーレス自身のためにも、必要なことのように思えた。
「トーレスさん……」
「まだ何かあるのか」
「その、娼館のお香というのを、作ってもよろしいでしょうか」
マリアの瞳に強い光が宿る。
トーレスはその光に飲み込まれ、なぜか首を縦に振ってしまったのだった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回から、西の国編は後半へ……。
マリアもトーレスのため、調香を開始します!
ぜひぜひこれからもお楽しみにいただけましたら幸いです。
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