交渉
緊迫した空気を破ったのはシャルルだった。シャルルは、トーレスの前に跪き、恭しく頭を下げる。
「突然このようなご無礼を大変申し訳ありません。私は、騎士団団長、シャルルと申します。若輩者ではありますが、トーレス王子のお力になりたく、参上いたしました」
シャルルを呼び立てたのはマリアであり、かつ、トーレスもそれを了承したので、シャルルに非などあるわけがない。だが、これも礼儀である。トーレスもシャルルの礼儀正しい様子に心を落ち着かせたのか、先ほどまでの怒りは薄れていた。
シャルルはその美しい顔をトーレスに向け、再び口を開く。
「大変勝手ではありますが、すでにトーレス王子のご事情は伺っております」
「ふん。それで俺を捕まえにきた、というわけか」
トーレスが吐き捨てるように言う。シャルルは動じることなく、静かにトーレスを見つめたまま答えた。
「いえ。ご事情を伺った上で、トーレス王子を、こちらの国民としてお受入れしたく」
「え……?」
困惑した表情を見せたのは、マリアだった。
シャルルなら、トーレスが縁切りしなくても済むよう、うまくなだめてくれると思っていた。家族との関係性が悪いことはわかってはいたが、出来れば仲直りをして、円満な解決に導いてくれると思ったのだ。
マリアの表情から何を悟ったか、シャルルは苦い顔で呟く。あくまでも、トーレスに向けて。
「大変不躾なことを申し上げるようで恐縮ですが、今までのトーレス王子の環境や待遇は、決して良いものであったとは思えません。そして、それはこれからも……」
そこまで言って、シャルルは言葉を切る。見れば、トーレスも苦い顔をしていた。
「もちろん、トーレス王子が、西の国へとお戻りになるとおっしゃるのであれば、護衛をつけてお送りいたします」
シャルルはニコリといつもの笑みを浮かべ、最後にそう言った。見事な交渉術である。あくまでも寄り添うように。だが、答えは決まっている、と相手に思わせるかのような。
「一体、貴殿は何者だ……」
トーレスの口調が変わる。それは、相手を対等な交渉相手、と認めたものだった。
「貴殿の持っている情報を全て私に出せ。話はそれからだ」
トーレスの口調は、王族そのものだ。シャルルも、騎士団団長として話し始める。
「先日、西の国より王子の捜索依頼を受けました。国内を王子が逃亡中、共に捜索を、と」
シャルルは、この話に裏があると考えたことや、トーレス王子の誘拐をこちら側の騎士に押し付けようとしている、という不穏な動き……果ては、トーレス王子を見つけ次第殺害し、亡き者にしようとする西の軍部の証言まで、すべてを話した。
「ふん……。あいつらがやりそうなことだ。姑息な真似を」
トーレスはまるで他人事のようにそう言って、ティーカップに口を付けた。想像を超えた話に、マリアの顔はもはや青ざめている。
「そんな話……」
「信じられない? でも、世の中これ以上にひどいことをする人たちもいる」
シャルルの美しいブルーの瞳は切なげに揺れていた。マリアは初めて、トーレスの置かれてきた環境の、本当の恐ろしさを感じるのだった。
「ごめんなさい……。私……」
マリアは俯いた。ディアーナ王女との別荘での事件を考えれば、王族という立場のどれほど危ういことか。身をもって知っていたはずなのに。
シャルルはくしゃりとマリアの頭を優しくなでる。マリアには、その手のぬくもりが無性に落ち着いた。
「マリアちゃんが謝ることじゃない」
シャルルはどこか悔しそうに呟いた。
「……それで。私をこの国の国民として受け入れる、というのはどういうことだ」
トーレスの言葉に、シャルルは再び視線を移す。
「西の国では、血族破棄、という法があるそうですね」
「……ずいぶんと勉強熱心だな」
トーレスがピクリと眉を動かす。マリアが首をかしげると
「縁切りのようなものだ。だが、血族破棄をした者は、名を捨てるだけでなく、その血を捨てることになる。血族破棄した者の結婚はもちろん……子孫をなすことはできない。つまり、完全に血縁者からその者を切り離し、後継を打ち切るということだ」
トーレスがそう補足した。未だ西の国でもあまり例はないという。ましてや、王族など。
「もし、トーレス王子がそれを望まれるのでしたら、こちらもそれ相応の対応が出来るかと。これは、国王も王妃も望まれていることです」
シャルル達、王国側にもトーレス王子を迎え入れることで利があるのだ。トーレス王子がどれほどの不当な扱いを受けていたかを公にし、西の国民の同情をトーレス王子に向けさせる。そうすれば、国民たちは当然、現在の王族や貴族への不満を高めるだろう。そこへさらに、王国がトーレス王子を保護し、真っ当な生活を与えたとなればどうだろうか。離縁した息子とはいえ、西の国も民の不満を無視してまで王国側へ手を出すことは難しい。
国の民を無視した政治など、いずれ葬り去られるのだから。
トーレスは、自嘲気味に笑みを漏らした。今までも利用され続けた人生だった。……であれば、これからも。とことん利用されてやる。
「……ふん。頭の悪いあいつらなら、金でもちらつかせれば喜んで手を打つだろうな」
目の前の、自分たちの利益ばかり。権力におぼれ、本質から目を背け、実力すら磨かぬ。そんな怠慢が、こんなところで裏目に出ようとも知らず。トーレスはおかしくてたまらなくなる。ついに、復讐を果たす時が来たのだ、そう思った。
「いいだろう。その話に乗ってやる」
トーレスはふっと口角を上げた。交渉成立だ。
利害が一致し、ひと段落ついたらしい。政治には疎いマリアは、ただその二人が怪しげに笑うのを黙って見つめていた。ましてやこんな陰謀めいた、国を揺るがす一大事に、自分が立ち会ってしまってよかったのだろうか。
「……あの……」
おずおずとマリアが挙手すると、二人はそろって視線を向ける。
「お茶のお代わりでも、いかがですか」
マリアに出来る最大限。二人は互いに顔を見合わせ、それから破顔した。
「さすがは、マリアちゃん。そうだね、お茶をいただいても?」
「あぁ、頼む」
「シナモンティーです。夏の残りのハーブティーに、シナモンを入れただけですが……」
「うまい」
「うん、おいしいよ」
先日チョコレートを紅茶に入れた際、トーレスが提案したシナモンを入れてはどうか、という発想から試作したものだ。シナモンの香りが、ハーブのすっきりとした香りに深みを与えている。
シャルルとトーレスは一仕事終えた満足感からか、どこかリラックスしたような表情を見せた。
「では、トーレス王子。明朝、お迎えに上がります」
シャルルはそう言い残して、街の方へと戻っていった。マリアとトーレスはその後姿を見送った。リビングへ戻ろうとしたマリアの手をトーレスがつかむ。
「マリア」
「なんでしょう?」
「そ、その……今日のこと……」
何か言いにくそうにもごもごと口を動かし、視線をさまよわせるトーレスに、マリアは首をかしげるばかりだ。
「わ、悪かったな! それから……礼を、言う……」
いつもに比べるとなんと小さな声か。だが、マリアの耳にはしっかりと届いていた。
「はい!」
マリアがにっこりと笑みを浮かべると、トーレスの美しいヘーゼルアイがきらめいた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
本日は、23,000PV&4,800ユニークを超え、連日本当に感謝感謝です。
トーレスの身元と今後の国を左右する交渉を無事に締結させることが出来たシャルル。
次回は、国に戻ってきたケイも物語の真相へ……! お楽しみに。
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