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調香師は時を売る  作者: 安井優
はじまり編

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11/232

夜のお茶会

 ライラックの香りを取り出す実験、という名の作業はミュシャにとって過酷なものだった。

 そもそも、慣れない運動をしてマリアの元までやってきている時点で、ミュシャの体はもうすでに限界だったのだが。


「ミュシャ、そっちの花はもう取り換えてくれる?」

 マリアの指示に従い、ガラス板の上に並んだ花弁を一枚ずつ丁寧にはがして取り、そして新しい花びらをカゴから取っては丁寧に並べる。これだけであればもともと手先の器用なミュシャからすればなんてことのない作業だが、ガラス板と花弁の間には熱せられた油脂が塗られているため花弁がちぎれてしまわぬよう慎重に行わなければならないし、油脂を温めているせいか部屋は蒸し暑く、さらにはライラックのむせるほどの香りに鼻がやられそうだった。


「マリア、終わったよ……」

「ありがとう。それじゃあ、片付けをして終わりにしよっか」

 マリアの言葉に、ミュシャは安堵(あんど)のため息をついた。こんなことを一日中、それもこれから一か月近く続けるというのだからマリアには頭があがらない。疲れも見せず片づけをするマリアを見ながら、ミュシャは自らも頑張らなくては、と一人思うのであった。


 ミュシャが風呂からあがると、パジャマ姿のマリアが何やらノートに向かってペンを走らせているところだった。

「マリア?」

 声をかけると、マリアはようやくミュシャに気づいたのか、ペンを置いてぱっと顔をあげる。

「ミュシャ。お風呂、どうだった?」

「カモミールのアロマが入ってるの? すごくいい匂いだった。まだライラックの香りが残ってる気がするけど」

 スンスン、とミュシャが自らの腕に鼻を近づけると、マリアはクスクスと笑った。

「ふふ。大丈夫よ」


「マリア、何書いてるの?」

「実験の途中結果よ。日記のついでに書いてるの。うまくいったら、来年以降も作りたいし」

「あの作業を毎年するって思うだけで、僕なら気が滅入っちゃいそう……」

「あら、残念。ミュシャがお手伝いに来てくれたらとっても助かるのに」

「呼んでくれれば、いつでも手伝うけどさ……」

 もごもごとミュシャがそういうと、マリアはにっこりと微笑んだ。


 シュンシュン、と音がしてミュシャが振り返ると、ポットから湯気が立ち上がっている。マリアは立ち上がってポットに手をかけると、何か思い浮かんだのか

「そうだわ!」

 と嬉しそうに両手をうった。

「ミュシャが持ってきてくれたお菓子で、お茶会しましょうよ!」


(こんな時間にお茶会?)

 ミュシャは首をかしげたが、マリアは楽しそうに歌を口ずさみながら着々と準備を進めていく。ティーカップにお茶を注ぎ入れ、ミュシャの持ってきたお菓子を皿に並べた。

「さ、行きましょ」


 どこへ、とは言わず、マリアははしごを上り、天井に取り付けられていた取っ手をぐっと押し上げた。外の少し冷たい空気が部屋の中に入り込んでくる。

(屋上があったのか)


 ミュシャは真四角に切り抜かれた天井を見上げた。その正方形から顔をのぞかせたマリアがちょいちょいと手招きをする。

「お茶とお菓子を持っていくから待ってて」

 ミュシャはティーカップとお菓子がのった皿をトレーにのせる。トレーを器用に片手で持ち上げると、ミュシャはゆっくりとはしごを上った。


「うわ……」

 屋上から空を見上げて、ミュシャは思わず声をあげた。

 街では見ることのできない数の星が、夜空を(おお)いつくしている。天の川が白くたなびいているのもわかる。


 マリアはトレーをミュシャから受け取って、テーブルの上へ置く。

「ね。夜のお茶会も悪くないでしょ?」

 マリアは椅子を引き、ミュシャに座るよう促す。ミュシャはマリアの言葉に何度も首を縦に振って、椅子へ腰かけた。

「うん。すごいよ」

「気に入ってもらえて良かった。私も大好きなの」


 マリアとミュシャはティーカップに口をつける。ママレードのほのかな甘みが、カモミールの優しい香りと相まって、二人は自然と口元を緩める。涼しい夜風に、お茶のあたたかさがちょうどよい。マリアはマドレーヌへと手を伸ばし、ミュシャはブラウニーを手に取った。


「これ、うちに持ってきたカモミールティーと違うんだね」

「そうなの。これはママレードが入ってるから」

「へぇ。これも売ればいいのに」

「まだ改良中だから。ライラックの実験で、あまり試作できてなくって」

「そっか。でも、これもすごく美味しい。焼き菓子にぴったりだね」

「ふふ、ミュシャが言うなら間違いなしだね。でも、もう少しやってみるわ」

「うん、楽しみにしてる」

 マリアは口いっぱいに広がるマドレーヌのバターの香りを堪能(たんのう)しながら、満天の星空を眺めた。ミュシャも、同じように空を仰ぐ。柔らかな春の風が、森の香りを連れて二人の頬をなでた。


「あ、流れ星」

 マリアは、星空に流れる光の線をなぞる。ミュシャもその線を見つめていた。


 しばらくして、マリアはミュシャの方へ視線をやった。

「お願い事した?」

 マリアは子供のようにいたずらな笑みを浮かべる。

「うん。マリアは?」

「したよ。ライラックの香りが上手に取り出せますようにってお願いした!」

「いいね」

「ミュシャは? 何をお願いしたの?」

「内緒」

 今度はミュシャがそう言っていたずらっぽく笑うと、マリアは

「え~」

 と声をあげる。


(こんな時間がずっと続きますように)

 そんなことを願ったなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない、とミュシャはティーカップに口をつけてごまかした。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

もし少しでも気に入っていただけましたら、ブクマ・評価(下の☆をぽちっと押してください)・Twitterへの感想などいただけますと大変励みになります。

10話を超え、11話目もおしまいですが、マリア達の物語はまだまだ続きますので、これからもぜひ読んでいただけますと嬉しいです。


20/6/21 段落を修正しました。

20/6/6 改行、段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 夜のお茶会。 銀河を見上げ、ハーブの香りを楽しみながら。 (以下、若干ネタバレ内容あり。お気をつけてくださいませ) なんか、これだけでも、もう違うお話のタネにもなれそうなくらいに、素敵…
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