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調香師は時を売る  作者: 安井優
収穫祭編

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最終日前夜

 ミュシャは、マリアからもらったキャンドルを見つめる。使ってしまうのが惜しいくらいだが、いつまでも手元に置いていては、ミュシャの気持ちにも踏ん切りがつかない。

(それに……)

 ミュシャは、マリアのことを考える。使ってくれた方が嬉しい、と少し困り顔で言うマリアがミュシャの脳内に浮かび上がった。


 マリアへの想いは、断ち切らなければならない。いつまでも引きずっていては、お互いに前には進めないということはわかっていた。少なくとも、嫌われたわけではなさそうだし、家族みたいな愛情は感じてもらっている。それが分かっただけでも十分だ。

 ミュシャはキャンドルにそっと火をともす。

「これが消えたら……」

 小さな炎が柔らかく、チラチラと揺れた。


 次第に、キャンドルに混ぜられた精油の香りがふわりとあたりに広がった。オレンジだろうか。甘い柑橘系の香りが心地よい。それに、フレッシュなハーブとどこかスパイシーな香りが混ざっている。収穫祭のような、どこか楽し気な雰囲気を思い起こさせた。

 良い香りと、静かに揺れる炎。いつまでも見ていられるような気がする。ミュシャは、机にうつぶせになると、自らの腕に頭を預け、キャンドルを見つめた。ミュシャは自然と、マリアとの出来事を思い出していた。


 記憶の最後に残るのは、あの東都での夜のことだ。きっと、一生忘れることはない。他に好きな人が出来ても、結婚をしたとしても……。相手には悪いが、あの日の夜のことは心の中に残り続けるだろう。

 マリアの美しい横顔も、驚いた顔も、戸惑った顔も。そして、家族のように思っているといったあの声も。覚悟はしていたはずなのに、泣いてしまったことが悔しい。ミュシャは一人ムッと顔をしかめる。

(あれは……花火があまりにも綺麗だったから、ということにしておこう)


 香りは変化し、優しい花の甘さが漂っていた。この香りは分かる。ラベンダーだ。ミュシャはたっぷりとその香りを堪能する。キャンドルの中にも、乾燥したラベンダーが閉じ込められていて、濃い紫が美しかった。ドライハーブの緑に良く映えている。リンネとカントスがもらっていたキャンドルには違うものが入っていたはずだ。これは、ミュシャのためにマリアが特別に作ってくれたものだろう。


「こういうところが、男を勘違いさせるって、わかってないのかな。マリア」

 彼女の将来を案じて、ミュシャは深いため息をついた。

(僕はもう、今までみたいに守ってあげられないんだから……)

 一人暮らしを始める娘を見守る親の気持ちが分かった気がする、とミュシャは眉をひそめた。マリアによく、母親みたいだ、と言われていたが、こういう意味か。だからと言って、今更どうにか出来るわけもなく

(僕にとっても、マリアは家族みたいなものだしね……)

 と苦笑を浮かべた。


(突然出ていくっていったら、マリアはどんな顔をするんだろう……)

 困らせたい訳ではない。前々から考えていたことなのだ。むしろ、独り立ちをして会えなくなる前に、という気持ちが大きかったのだから。何も告白したことや、それでマリアに振られたことが原因なわけではない。

(どうせ、笑って、ミュシャの幸せが一番、とか言うに決まってる)

 しかし、そう思えば、やはり少し悔しい。ミュシャは最後くらい何かできないか、と顔を上げた。


 思いつくまま、ノートへペンを走らせる。マリアに伝えなければならないこと、異性に対しての接し方、何かあった時の自衛方法。それから、サプライズ。ほとんどが、マリアに変な虫がつかないように、というものだったが、ミュシャにはそれでよかった。

「僕だって、マリアの幸せが一番なんだから」

 ミュシャの、決意にも似た小さな独り言は、静かな部屋に良く響いた。


 香りのせいか、揺れる炎のせいかは分からない。だんだんとミュシャは(まぶた)が重くなっていくのを感じる。もう少しこの香りを楽しもうかと思っていたが、このままでは机に突っ伏して朝を迎えることになりそうだ。ミュシャは仕方なくベッドへ潜り込む。さすがはマリアの調香した香り。リラックス効果は抜群だった。目を閉じればあっという間に夢の世界へと誘われてしまいそうだ。


 マリア。今までずっと、ありがとう。これからも……。


 ミュシャはゆっくりと息をする。規則正しい呼吸は、そのうち寝息に変わり、ミュシャは安らかな眠りにつくのだった。


 一方で、マリアもまた、ミュシャのことを考えていた。隣の部屋から漂うアロマキャンドルの香り。先日、東都からの帰りに渡したものだ。当然、あの夜のことを思い出さずにはいられなかった。

 花火の煙の香りや、祭りの香りが、マリアの記憶には染みついている。それだけではない。綺麗なオリーブ色の瞳も、どこか緊張した声も、ミュシャが流した涙も、忘れられるわけがなかった。


 自分が恋愛感情というものに至極(しごく)(うと)いことは分かっていた。だが、まさか学生時代からずっと仲良くしてきた友人が……それも、もはや家族同然の友人であるミュシャが、自らのことを異性として好きだとは思わなかった。しかし、今までのことを振り返ってみれば、確かに思い当たる節は多くある。実はミュシャを無意識のうちに傷つけていたのかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。


 これでも、ミュシャからの告白は、素直に嬉しかったのだ。しかし、ミュシャの気持ちには応えられなかった。どういう感情が恋なのか、異性としての好意なのか。知らないはずなのに。ただ、マリアには、ミュシャと同じ気持ちではないことが分かってしまったのだ。

(私の好き、とミュシャの好きは、違う……)

 何も知らなかった頃には戻れない。そう思うものの、だからと言って、では付き合おう、とはいかない。嘘をつかないことだけが、マリアにできる、ミュシャに対しての精一杯の誠意だった。


 あれ以来、友達のまま……家族のような関係のまま、とは言ったものの、どこか気まずい思いがあって、ミュシャとはうまく話せていなかった。そのことが少しだけ、マリアには気がかりだった。ミュシャを傷つけてしまったことは間違いない。けれど、その原因が自分にあるのだ。どう接するべきか、マリア自身も悩んでいた。


 ミュシャは、家族のように思ってくれているだけで嬉しい、と言ってくれた。それはマリアの気持ちを汲み取ったミュシャの心遣いだろう。マリアにもそれは痛い程伝わっている。普段はどこか落ち着いていて、ぶっきらぼうに思われたりすることも多いミュシャだが、実際にはとても優しい心を持っているのだ。一番近くでミュシャを見てきたからわかる。


 マリアは、ゆっくりと深呼吸した。

(いつまでも、ミュシャに甘えてちゃダメだよね……)

 今まで、ミュシャがずっとそばにいて、何かとマリアを守ってきてくれていたことは紛れもない事実だ。だが、これからはきっとそうもいかないのだろう。マリアにはそんな予感があった。


 翌朝、ミュシャとマリアが目を覚ました時には、ほんのりとスパイスの香りが残っているだけだった。どこか寂しいような気持ちと、それに決別しなければ、という思いが入り混じる。

 しかし、眠っている間にずいぶんと香りを堪能したのか、不思議と気持ちは穏やかだった。


「マリアに、話さなくちゃ」

 収穫祭が終わったら。そう言ったのは自分だ。ミュシャは覚悟を決める。

「ミュシャの話を、聞かなくちゃね」

 胸が妙にざわついている。だが、だからといって、逃げ出してはいけないような気がしていた。マリアは深呼吸して顔を上げる。


 でも、今日だけは。収穫祭の最終日を楽しもう。二人はそう思うのだった。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


いよいよ収穫祭も終わりに近づいてきました。

マリアとミュシャの二人を最後まで、温かく見守っていただけたら幸いです。


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