恋の攻防戦
「ごめんね。サインは出来ないんだ」
シャルルは、ジャンヌから差し出された紙を柔和な笑顔できっぱりと断った。
「代わりと言ってはなんだけど、このバッジで許してくれるかい?」
シャルルは胸元のポケットから小さなバッジを取り出す。騎士団の紋章が刻まれていた。
「わぁ! いいんですか?」
「もちろん。収穫祭の時期だけ、こうして遊びに来てくれた人たちに配っているものだけど。それで良ければね」
「嬉しいです! 夫も喜びます!」
ジャンヌはまるで子供のように大はしゃぎし、大切そうにバッジをしまった。
「そうだ。紹介がまだだったね。こちらはマリアさん」
流れるように突然シャルルに紹介されたマリアは慌てて頭を下げる。
「初めまして。パルフ・メリエで調香師をしています、マリアです」
「パルフ・メリエ……。マリア……」
ジャンヌは口の中でもごもごとその言葉を何度か繰り返すと、突如目を見開いた。
「もしかして! お兄ちゃんが……」
何かを言いかけたジャンヌの口を必死の形相でケイが抑え込む。そして、珍しく焦ったように、なんでもない、と言い張った。
「兄がいつもお世話になってます」
ジャンヌはとびきりの笑顔をマリアに向ける。そこには様々な意味が込められているのだが、気づいたのはシャルルだけだった。シャルルとしては、ご丁寧にその意味を教えるつもりなど毛頭ないので、黙ってそのやり取りを見つめる。案の定、マリアはそんなことはつゆ知らず、こちらこそ、と柔らかな笑みを浮かべた。
(お兄ちゃんってば、女の子に興味がないような顔をしてたくせに。こんなに可愛い子がお気に入りとはね)
ジャンヌはニヤニヤとケイを見つめ、ケイはその視線に素知らぬ振りをした。何を考えているのか、心が透けて見えるようだ。
(お前は、余計なことを言うな)
そんな思いを込めて無言でジャンヌをにらみつけたが、ジャンヌもまた、ケイの視線には素知らぬ振りをした。
「そうだ! マリアちゃん、以前はお兄ちゃんの代わりにプレゼントを選んでくれてありがとう」
ジャンヌはパンと手を打つと、マリアに微笑みかけた。
「マリアちゃんの香水も、石鹸も、本当に良い香りで……。私、大ファンなの!」
「わぁっ! 嬉しいです! ありがとうございます!」
そういえば、とマリアはずいぶんと前の記憶を引っ張りだす。確か、ケイが妹と母親にプレゼントすると言っていくつか商品を買って行ったことがあったはずだ。まだケイに出会ったばかりのころだったのではないか。その時はまさか、その妹に会えるとはマリアも思っていなかった。
「私は普段仕事があるし、そうでなくても、パルフ・メリエって遠いんでしょう? 村から気軽に行ける距離じゃないから、私はお店にはいけないけど、その分お兄ちゃんにまた買ってきてもらうね」
ケイの返事など聞かずに、ジャンヌはパチンとウィンクをしてみせる。もちろん、これはジャンヌからのちょっとした兄への恩返しだ。奥手な兄は、これくらいの言い訳が無ければ、満足にマリアを誘うことも出来ないはず。ジャンヌがケイへ視線を投げかけると、ケイは苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んだ。
「……ところで、どうしてマリアが」
居心地が悪いのか、ケイが言葉を発する。先ほどから気になっていたのだ。
「それは……」
マリアが口を開きかけたところで、その体はぐいと後方へ引き寄せられた。
「ひぁっ?!」
マリアの体を後ろから抱きしめるようにしてシャルルがにっこりと微笑む。
「僕が招待したんだよ。話したいこともあったしね」
マリアは突然のことに顔を真っ赤にした。今にも頭から煙が上がりそうだ。シャルルはそんなマリアを気にも留めずに優しくマリアの華奢な体を抱きしめる。
シャルルにちらりと投げかけられた視線に、ケイはゆらりと瞳の色を変えた。しかし、相手は上司。それも、超が付くほど優秀な騎士団団長だ。カッと頭に血が上りそうになるのをなんとかこらえて、ケイはシャルルを見据える。
「団長。マリアが困っていますよ」
平静を装ったつもりだが、その声はいつもよりもやや低く、冷たさを含んでいた。
「おや、そうなのかい? マリアちゃん」
シャルルは意地が悪い。ケイも、マリアもそう思う。
「え、えぇっと……」
マリアはもはやショート寸前で、うまい言葉など見つかるわけがなかった。シャルルからふわりと漂う夜の香りと思われる残り香。それに意識を集中させていなければ、マリアの心臓がもたない。ナイトクイーンの濃厚な甘みが、マリアの鼻をくすぐる。見目麗しいシャルルには、それはもう似合いすぎるほどの甘美な香りだった。
「僕には、とっても可愛い、いつものマリアちゃんに見えるけど」
シャルルには、いつものマリアでないことなど分かっているのだが、可愛い、という言葉にマリアはさらに顔を赤く染める。シャルルが普段からマリアを可愛がっているのは知っているが、明らかに今までとは違う。ケイは思わず心の中で舌打ちをする。マリアもそんなシャルルの変貌ぶりにうろたえるばかりだ。
赤面しているマリアが可愛いことは否定しないが、いつも通りであるはずがない。そんな訳があるか、とケイは言ってやりたかった。もちろん、団長相手にそんなことが言えるはずもなく、結局、言葉を選んでしまう分、ケイの方が圧倒的に不利だった。
「いたずらが過ぎますよ」
ようやく絞り出した言葉にも、シャルルは笑みを浮かべるだけだ。
「そう思うかい?」
マリアの頭上で二人の視線がぶつかる。バチバチと音が聞こえそうだ。マリアを挟んでの二人の攻防をニヤニヤとジャンヌが見つめる。残念ながら、この争いを止める者などいなかった。
(誰か助けて……)
マリアは心の中で再び呟く。しかし、今度は奇跡が起こることもなく、むなしく時間だけが過ぎていくのだった。
ようやくシャルルから解放されたマリアは、仏頂面のケイと反対に上機嫌なジャンヌについて城下町を歩いていた。
「この後、マリアちゃんは何か用事があるの?」
ジャンヌが唐突にマリアへと尋ねる。
「露店で、いくつか買い物をして帰ろうかと……」
「あら、それならケイと一緒に回ればいいじゃない」
「え、でも……」
マリアが申し訳なさそうにジャンヌとケイを見比べる。ジャンヌはいたずらっ子のような笑みでウィンクを一つマリアにして見せると、ケイの手からするりと荷物を奪い取る。
「私は夫が待ってるから、そろそろ帰らなくちゃ。家に帰る鉄道もなくなっちゃうしね」
それから軽やかに身を翻すと、ジャンヌはあっという間に人混みへと消えていった。カントスのような嵐っぷりだ。マリアとケイはぽかん、とそんなジャンヌの背を見送った。
結局、ケイはマリアと収穫祭を見て回り、夕食を共にした。団長室では大敗をきっしたが、今だけを見れば勝利したに違いない。ジャンヌ様様である。目の前でおいしそうにピザを頬張るマリアに思わず目を細め、ケイはその視線を眼下の喧騒に移した。
行きかう人々は皆楽しそうに笑っており、夕暮れに染まっていく町並みは美しく輝いている。その景色はまさに、実りの秋を祝福するにふさわしい。
「綺麗ですね」
目を細めるマリアの横顔に、夕暮れの柔らかな光が反射する。
「あぁ……。綺麗だ……」
ケイの落ち着いた穏やかな声は、柔らかな風にさらわれていった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
新たに感想もいただいておりまして、読んでくださっている皆様には、本当に感謝感謝です……!
さて、今回はシャルルとケイの恋のバトル?!でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
そして、収穫祭も折り返し。最後までお祭りを楽しんでいただけましたら幸いです。
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