花火
カントスとリンネの分の飲み物を買い、二人のもとへと戻ろうとするマリアの手をミュシャが引く。
「どうしたの?」
「もうすぐ花火があるから……少しだけ見てから戻らない?」
ミュシャの瞳はどこか真剣で、マリアはきょとんと首をかしげる。
「リンネちゃんたちと合流してからじゃダメなの?」
「マリアに、話したいこともあるから……」
握られた手が熱い。マリアはミュシャの様子に、わかった、と小さくうなずいた。
ミュシャに連れられて、近くの小高い丘に登る。眼下に夜の東都が広がり、マリアは歓声をあげた。
「すごい……素敵な場所……」
赤を基調とした屋根が多く立ち並び、街に灯されたたくさんの明かりがそれをぼんやりと照らしている。カラフルな壁に反射した光が、街を一層鮮やかに引き立てる。
「マリア……。あのさ」
ミュシャは何か意を決したように、言葉を発した。
ヒュルルル……
どこからかともなく聞こえた音に、マリアとミュシャは顔を上げる。
「あ」
マリアの声に重なるように、ドォンと大きな音が空いっぱいに響くと、夜空には満開の花が開く。赤や、黄色や、緑の美しい光の花が開いては消える。
「綺麗……」
うっとりとその光を見つめる、マリアの何色にも輝く瞳を、ミュシャは見つめた。
そういえば何かを言いかけていなかったか、とマリアは思い出したように、ミュシャへ視線を移す。ミュシャもてっきり花火を見ているだろうと思っていたのに、振り返った先でそのオリーブ色の美しい瞳と視線がぶつかって、マリアは思わず目を見開いた。
「あ、その……」
驚きのあまり、マリアが思わず視線を外すと、ミュシャがマリアの手を取った。
「マリア。聞いてほしいことがあるんだ」
花火の音があんなにも大きく響いているというのに、ミュシャの声がやけにクリアに聞こえる。まるで、この空間だけが、世界から切り離されてしまったかのように。なぜか、マリアの胸は高鳴っていた。その音が自分の内側からあふれて、ミュシャにも聞こえてしまっているのではないかと錯覚するほど。ざわざわと胸のあたりがうるさい。マリアは胸のあたりをそっと手で押さえる。
ミュシャの静かな息遣いが聞こえる。ミュシャは一つ深呼吸すると、マリアの方を見据えた。
「マリア。僕は……」
花火の音。東都を吹き抜ける風の音。木々の香り。花火の、少し煙の混じった火薬の香り。マリアとミュシャを包むすべてのものが、消え去る瞬間。
「僕は、マリアのことが好きだ」
ミュシャの言葉に、マリアの頬は緩やかに熱を帯びて、握られた手からミュシャの鼓動を写し取ったように、鼓動はさらに早まった。
「えっと……その……」
「友達としてじゃない。異性としてだよ。初めてマリアに出会った日から、僕は、ずっとマリアのことが好きだ」
ミュシャの想いは、とめどなく溢れる。思えば、出会ってからもう何年と心に秘めてきたものだ。一度決壊させてしまっては、止められるわけもなかった。
二人の間に沈黙が訪れると、夏の夜が再び息を吹き返したように戻ってくる。
(ミュシャが、私を好きだなんて、考えたこともなかった……)
マリアは驚きと、戸惑いで、言葉を発することも出来なかった。ミュシャも、マリアの瞳に映る困惑の色を見て、それ以上は何も言えなかった。しばらくの沈黙の間も、花火の音が響いている。二人にはそれが少しだけありがたかった。
「ミュシャ。気持ちは、本当に嬉しいの」
空白を破ったのは、マリアだった。どこか泣きそうな、美しい笑みを浮かべて。
「でも……。私は、今までも、これからも、ずっと、ミュシャのことは家族のように思ってる。もちろん、ミュシャのことは大切よ。とても。……だけど」
異性として、好きだというミュシャの言葉には、応えられない。
マリアの消えそうな声が、ミュシャの耳に届く。それはかすかな声なのに、花火の大きな音にかき消されることはなかった。その事実が、ミュシャの胸を苦く焦がす。
「……いいんだ。そうじゃないかって、思ってたから」
伝えられただけで良かった。ミュシャは、出来る限りの笑みを浮かべた。オリーブの瞳から、美しい一筋の涙が流れても、ミュシャの心はどこかすっきりとしていた。
「マリアが、僕のことを家族みたいに思ってくれてるってだけで、本当は嬉しいんだ。僕の気持ちとは違っても。それも僕らの形だって、痛いくらいに分かる」
柔らかな秋の訪れを告げる風が、祭りの香りをふわりと運ぶ。
「二人のところに戻ろうか」
ミュシャが優しく微笑む。握られた手がほどかれ、その熱は行き場をなくして消えていく。マリアも、ミュシャも、少しだけその熱を名残惜しく感じながら、ゆっくりと丘を下る。
「ねぇ、マリア。これからもずっと、友達でいてくれる?」
前を歩くミュシャの声に、マリアは歩を止める。ミュシャが振り返ると、マリアは泣きそうな目を美しい三日月型に変えて小さくうなずいた。
「ミュシャは……優しいね」
「マリアには負けるよ。マリアは優しすぎる」
「そんなことない、と思うけど……」
「あるってば。ずっと隣にいた僕が言うんだから、間違いないでしょ」
いつもマリアに言われてきた言葉を、ミュシャが自ら冗談半分に言う。いつの間にか隣を歩いていたマリアが少しむくれた。
「それを今言うのはずるいわ」
「おーい」
丘をくだったところで、カントスの声が聞こえた。隣にはたくさんの景品をかかえたリンネが立っている。両手で荷物を抱えているせいか、手を振ることは出来ないらしい。
「リンネちゃん、すごい景品……」
「カントスさんがあおるから、頑張りすぎちゃって! ごめんね、夢中になって二人が飲み物を買いに行ってくれたことに気づかなかったの!」
「ううん。平気よ。ちょっとぬるくなっちゃったけど……」
「さ、花火でも見ようか」
「うん。マリア、行こう」
ミュシャの美しい笑みが、夜空を彩る大輪の花火に重なって輝く。マリアの隣に立っていたリンネは、今まで一度も見たことのないミュシャの笑顔に鼓動がはねた。
(あれ……私……)
立ち止まったリンネを不思議そうにマリアが見つめる。
「リンネちゃん?」
「あっ! なんでもない! 花火、どこで見よっか」
「あっちに食べ物屋があったから、私はそこで何か食べながら見たいのだが」
「えっ! カントスさん、まだ食べるんですか?」
「当たり前だろう! だいたい、リンネさんに付き合って、疲れたのだよ。私は」
「ひどい、カントスさんがあれもこれもやろうって誘ったんじゃないですか」
マリアとリンネ、そしてカントスの騒がしいやり取りを、ミュシャは優しい瞳で見つめる。
四人の前には、大輪の花が咲き誇った。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
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ついに、この日がやってきてしまった、という気持ちですが……いかがでしたでしょうか。
これからも、末永く、マリア達を見守っていただけたら嬉しいです。
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