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調香師は時を売る  作者: 安井優
はじまり編

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懐かしい記憶

 ミュシャが『パルフ・メリエ』に来るのはずいぶんと久しぶりだった。最後に訪れたのはまだマリアの祖母が健在だったころだ。


 馬車を下りて、村を抜け、森に入ってそのログハウスが見える頃には、ミュシャはゼェゼェと荒い呼吸を繰り返すので限界だった。マリアの両親に持たされた小麦と野菜、それからお菓子と自らの着替え。普段からあまり運動しないミュシャにとって、大荷物で森の舗装されていない道を数キロほど歩くというのは苦行に他ならない。それでも途中で音を上げずに来たのは、マリアに会いたいという一心だ。なんとも健気な男である。


「……マリアのおばあ様……?」

 マリアの店であり、かつてはその祖母の店であった『パルフ・メリエ』の前で、ミュシャはなんとも懐かしい香りに顔をあげた。


(ライラックの香りか……)

 マリアの祖母が良く身にまとっていた香りだった。そして、マリアが一番好きな香り。

(そう言えば、電話でマリアが裏の森に咲いたと言っていたっけ)

 風に乗って、花の香りがここまで届いているのだろうか。ミュシャはそんなことを考えながら、『定休日』と書かれたログハウスの扉をノックした。


「ミュシャ?!」

 驚いたのはマリアだ。大きな荷物を抱えたミュシャが、まさか店先に立っているとは思わなかった。昨晩の電話では、しぶしぶとは言え納得した様子だったからだ。身だしなみもそこそこに朝から実験をしていたマリアは、慌てて髪を整える。


「たまには僕だって、森ぐらい来れるんだから」

 ミュシャはどっかりと大きな荷物を床へ下ろして、ふぅ、と息を吐く。幼いころから虫が苦手なミュシャは、森を極力避けて生きてきた。もちろん、マリアはそれをよく知っているので、ミュシャの強がりに思わず微笑んでしまう。


「ありがとう、ミュシャ」

 クスクスと微笑んでミュシャの頭をなでれば

「ちょっと……!」

 顔を真っ赤にしたミュシャは猫のように威嚇する。そして、マリアのあたたかな手の感触はしっかりと堪能したくせに、ぷい、と顔をそむけた。


「まったく、本当に感謝してよね」

「うん。ありがとう、ミュシャ」

 にっこりと微笑んだマリアの顔にミュシャは弱い。それ以上は何も言わず、うん、と小さくうなずいて、ミュシャは近くにあった椅子に腰かけた。


「それで、実験って?」

「そう! そうよ! ミュシャ、ごめんね、二階が少し散らかっていて……。ちょっとだけ、待っててくれる?」

「それはいいけど……」

「片付けてくるね! あ、そこにあるフルーツウォーターは好きに飲んでいいから!」


 何かを思い出したように、マリアはミュシャが言葉を発する前にバタバタと二階へ駆けあがっていく。取り残されたミュシャは、お言葉に甘えて、とウォーターボトルから水を汲んだ。レモンとグレープフルーツ、オレンジが漬け込まれたそれは、爽やかな香りと甘みがついていて美味しい。重労働の後であればなおさらだ。


(……それにしても)

 ミュシャは店内を見まわす。商品のラインナップはともかく、レイアウトや店内の香りは昔のままだ。香りを生業にしているというのに、店内はほとんど木の香りしかしない。今は少しライラックの香りがするが、それもマリアの祖母がいたころを思い出すようで懐かしい。


 店の奥に置かれたジュークボックスも、金属製の円盤がはめこまれている様子も、そのディスクのタイトルでさえ昔と同じだ。鳴らす人も少ないであろうに、丁寧に磨かれているところも。


 ミュシャはポケットに入っていたコインを取り出し、ジュークボックスの右側に作られた精巧な鍵穴のような場所にそれを差し込んだ。


『光る星に あなたの夢を……』

 ゆっくりと回り始めた円盤は、聞きなれた曲を再生する。むろん、金属の円盤に掘られた突起を、金属の板——コームが弾いているだけなので、歌詞こそ聞こえない。オルゴールとは思えないほど重厚なサウンドがガラス扉一枚隔てて、木製の箱の中で響いている。それでも、ミュシャには、マリアの祖母が歌う声がしっかりと耳に残っている。


 どこからか香るライラックの香りが、一層、昔のことを思い出させた。


「懐かしいね」

 曲が止まるころ、いつの間に戻ってきていたのか、マリアがそう言った。

「うん。マリアのおばあ様がよく歌ってた」

「私、この曲大好きなの」

「僕も」

 ミュシャの隣に腰かけたマリアからは、懐かしい香りがする。


「おばあ様と同じ、ライラックの香りだ」

 ミュシャの言葉にマリアはうなずいた。

「そう。今ね、ライラックの香りを取り出す実験中なの」

 そういうマリアは、優しい瞳でどこか遠くを見つめていた。きっと、祖母のことを思い出しているのだろう、とミュシャは思う。


「うまくいきそうなの?」

「どうかしら。でも、きっとうまくいくわ」

 マリアはにこりと微笑む。ミュシャにはその顔が、天使のような、聖女のような、そういう美しくて、尊いものに見えた。


「だって、ほら。おばあちゃんもよく言っていたでしょう。祈ればきっと叶うって」

 きっと、優しい声が聞こえているに違いない。

 ミュシャはうなずいて、そうだね、と笑った。


「しばらく会えないけど、僕も、その……応援してるよ」

 ミュシャの言葉に、嘘や偽りはなかった。もちろん、マリアに会いたいという気持ちはあるものの、それ以上にマリアの気持ちが痛い程分かるのだ。

(僕も、マリアのおばあ様は大好きだったから)

 マリアの祖母は、誰にでも優しく、あたたかい、陽だまりのような人だった。

 ミュシャとマリアは、木漏れ日の差す店内で、互いに微笑んだ。


「ねぇ、もう一度かけない?」

「そうだね」

 マリアの提案にミュシャがうなずけば、マリアは嬉しそうに笑う。そして、オルゴールの音色に合わせて口ずさんだ。

『光る星に あなたの夢を 祈ればきっと叶うでしょう』


※作中の曲は「星に願いを」をもとに創作させていただいております。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

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20/6/6 改行、段落を修正しました。

20/6/21 段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] さて。 そのミュシャ君である。 ていねいに今回の彼の言動を読み込むと、まるで17歳くらいの少年が話しているように感じる。 もちろん、ほんとうは19~27歳くらいだろうと思う。 でも、彼…
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