決着
「君は、これで僕に勝ったつもりか?」
呪いに抗い、痛みに耐え、星明は体を起こし、立ち上がる。
――ダン! と、驚いた静夜は咄嗟にリボルバーを抜き撃つ。弾は右のふくらはぎを穿つが、星明はそれにも耐えて踏み止まる。法衣の中に左手を入れ、何かを取り出そうとするのを、静夜は呪詛を送って止めようとするが、星明は断固とした意思で反呪いに抗い、左手の指先がそれに届いた。
「――我が身を包め、〈金剛符〉!」
星明が唱えると、法衣の中から黄金の呪符が輝きを放ち、現れる。
静夜は、――ダン! と、更なる一発を撃ち込むが、星明を包む黄金の光は弾を固い何かで弾き、防いだ。
「――荘厳かつ壮大な力を以って我に堅牢なる器を与え給え」
詠唱が続く。呪符から光る糸のようなものが伸びて、それが星明を包み、術が紡がれる。
静夜は銃の弾を交換し、さらに強い法力を込めて発砲する。今度は光の壁を突き抜け、50口径の弾頭が星明の右肩に当たって身体を仰け反らせ、痛みで表情を歪ませる。それでも星明の集中と念は途切れることなく、術は淀みない法力で丁寧に、かつ精巧に組み上げられていった。
「――五行より『金』の恵みを我に貸し与え給え、〈金剛四肢〉、急々如律令!」
結びの言葉と共に黄金の光は星明を包む鎧と化す。滴る血は止まり、力強く錫杖を振り回すしなやかな両腕は、十一の型・〈志喪月〉の呪いを完全に打ち払っていた。静夜が彼の動きを操って止めようとして念を送るも、鎧に守れた星明にはそれが一切届かず、効果を発揮しないのだ。
静夜の頬が引き攣った。
「……それが、五行の術の力、というわけですか……?」
「その通りだよ、静夜君。君もこの術を見るのは初めてかい?」
「……」
星明の着るその鎧は、ただの陰陽術によって作られた代物ではない。
五行とは、この世の全ては、火、水、木、金、土の五つの要素で成り立っているとする考え方である。この思想の元、自然の力を借りて発動した五行の陰陽術は、一般的な陰陽術とは比較にならないほど強力なものになるのだ。
「……でも、五行の術にはそれぞれの属性に対する適性と、それを実戦で使いこなすだけの高い技術が求められるはずです。満身創痍で痛みと呪いに耐えながら、それだけの術を発動させるなんて……」
静夜には信じられなかった。
普通の陰陽師なら、あの状態では集中して法力を作り上げることだって不可能だ。それを彼は、拳銃に撃たれながらの状態で、『金』の力を借りた鎧を完成させた。いくら『金』の属性に対する高い適性があったとしても尋常な精神力ではない。
星明は錫杖を正眼に構え、その先を真っ直ぐ静夜へと向けた。
「決闘の最初に、僕たちは互いに早九字をぶつけあったね? 速さも威力も同等ということは、つまり僕と君が生まれながらに持っている〈法力の最大値〉は同じであるということ。それなのに、僕は君の月宮流陰陽剣術の呪いに勝って、五行の術を発動できた。何故だか分かるかい?」
「……」
「これが研鑽の差だ。生まれ持った才能で決まる〈法力の最大値〉と違い、〈法力の純度〉は、後から修行次第でどこまでも高めることが出来る。〈法力の純度〉は術の完成度や威力に直結する。僕は、どんな状況、どんな状態でも、常に純度の高い法力が作れるように修行を積んで来た。今ここに至るまでに自分が費やした時間や労力は、ここにいる誰にも負けないと自負している。……だから僕は、君より強い!」
自信と確信を持った勝利宣言。静夜の引き攣った顔は更に歪み、淀んだ感情は左手の夜鳴丸に注がれて、夜色の霞が渦を巻く。
星明はそれを、憐れむような瞳で見つめていた。
「君の言う通りだったね。僕と君は全く似ていない。……正直、君にはがっかりしたよ」
反発するように目を剥き、静夜は宿敵を睨む。嫉妬に燃えた衝動に駆られて、心臓の拍動と共に地を蹴った彼は、夜鳴丸を構えて星明の懐に飛び込んだ。
「――月宮流陰陽剣術、四の型・〈兎月〉!」
本気の殺意を込めて放つ。それはすべてを両断する刀。逆袈裟懸けの軌跡。星明の身体は左の腰から右の肩にかけて二つに斬り裂かれる、はずだった。
刀に込められた禍々しい呪詛の闇は、黄金の光に掻き消され、刃はその鎧に傷をつけることすら叶わず、止められてしまった。
驚愕と絶望が、静夜の表情を染める。
直後に、みぞおちを抉り、突き上げる衝撃。下から静夜をすくいあげるような錫杖の打突がその身体を空中へと放り投げる。
静夜はすぐに〈禹歩〉を使って体勢を整えようするが、星明も〈禹歩〉を使って宙を駆け上がり、追撃を肩に打ち込んで静夜を地上に叩き落した。
「グハッ!」と、肺がつぶれて空気と血が噴き出す。闘技場は軽く凹み、錫杖を撃ち込まれた腹と肩には激痛が、背中には鈍痛が滲むように広がった。
それでも、まだ意識は保っている。
静夜は仰向けのまま頭上に拳銃を向け、空中に漂う星明を狙った。鎧に覆われていない顔面、銃弾で穿てば人は即死する眉間の一点に照準を合わせ、必殺の念を薬室に込める。
躊躇することなく、引き金を引き絞った。
夜空に鳴り響く、重い銃声が一つ。弾丸は中空を漂う星明に向かって一直線に撃ち上がる。渾身の一撃を叩き込んだ直後、相手の様子を窺っていた星明の反応は一瞬遅れ、静夜は命中を確信する。
その諦めの悪さに、星明は短くため息をついた。
星空に銃口を向けて寝そべる彼を見る目に、憐憫の色がさらに濃くなる。
星明の〈禹歩〉は、静夜を追い、一撃を放ってもなお、数歩の余裕が残されていたから。
虚空を蹴って身を翻し、直線にしか進めない哀れな弾丸を難なく躱す。星明りの間に溶けて消えた一発の遺志を見送って、星明は上空から数枚の呪符をばらまいた。
「……もう終わりだ。大人しく眠れ」
呪符は夜風にあおられることもなく、静夜の周りを滞留して取り囲む。痛みの走る体に鞭を打って静夜はなんとか立ち上がろうとするが、星明はもう、何も待ってはくれなかった。
「――鏡鳴せよ、満華鏡、急々如律令!」
投げられた錫杖は、流星の如く輝きを放ち、漂う呪符の一枚を射抜く。すると空中を漂う数枚の呪符が共鳴し、その形状を光り輝く錫杖へと変化させて、鋭い先端が全方位から直進し、静夜の身体を貫いた。
「……」
呻き声を漏らすことさえない。
針の筵となった静夜は動きを止め、星明が階段を降りるように〈禹歩〉で地上に戻ると、身体に突き刺さった幻の錫杖は消え失せる。
楔から解き放たれた静夜は力なく、その場に倒れ、ひれ伏した。
決着の静寂が訪れる。
「……そこまで!」
思い出したように声を上げたのは、審判を務める蒼炎寺家の三つ子の長男、健心。
「月宮静夜、戦闘不能の為、この決闘は、竜道院星明の勝利とします!」
星明は無言で瞑目し、勝利の采配を聞き届ける。
蒼炎寺家の屋敷の中からこれを見守っていた観客たちは、身内の見事な勝利に喝采し、歓声を上げた。
敗北した月宮静夜は、頭に響くこの歓喜の騒ぎを、薄れゆく意識の中で聞いていた。




