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夜桜は散るか、朽ちるか、狂い咲くか  作者: 漣輪
2-5 夜空に輝くは月か星か
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嫉妬の大罪

 言の葉の呪詛が左手に握られた小太刀を犯す。刀身を包む夜色の霞はその藍を深くし、星の光を閉ざして塗りつぶす。

 刹那、静夜はしみじみと持論を語る星明の懐に飛び込んだ。

 不意を突かれた星明は咄嗟に錫杖で防御し、飛び退く。


 決闘の最中だ。ここで卑怯と静夜を罵るのは愚かな事。星明は冷静な錫杖捌きで静夜の攻撃を受け流す。涼しい顔でそれを続けながら、彼にはまだ、口を利くだけの余裕があった。


「……嫌い、とは君らしくないな。君は結果にこだわる人間だと思っていたけど、そうじゃないのかい?」


「結果にこだわるのは当然です。この世の中、結果がすべてですから。成果をあげられなければ意味がない。そこに価値はない!」


「そう思うなら――」


「でも納得できない! その言葉が、その考え方が!」


 努力は必ず報われる。報われない努力は、まだ努力とは呼べない。


 言っていることは分かる。その通りだと理解も出来る。


 しかし、


 初めてその言葉を耳にした時、静夜の心はそれに賛同できなかった。心の中にある何かが、受け入れることを拒んだのだ。


「欲しいと思ったものが手に入らないなら、いくら頑張ったってそれは無意味だ。全て無価値で、無駄になる。……でも、何もしなかったわけじゃない! それまでの必死の抵抗が、費やして来た時間のすべてが、努力じゃないならいったい何だ⁉ ……それを努力とすら呼ばせてもらえないのなら、僕の人生はいったい何なんだ⁉」


 三年前、静夜は守りたいと思った妹を《陰陽師協会》から守り切ることが出来なかった。


 でも、戦わなかったわけではない。最初からあきらめて、何もしなかったわけではない。必死に戦って、欲しいと思ったものに手を伸ばして、それでも届かなかった。努力が足りなかった。ただ、それだけ。


 結果を見て、やって来たことが無意味だったと、無価値だったと、評価を下されるのはまだ分かる。


 それなのに、それは努力ですらないと、結果が出せないのなら、それは何もしていないのと変わらないのだと、全てを否定され、積み重ねてきたものをゼロと同じに扱われるのは、それだけはどうしても我慢ならない。


 次第に静夜の言葉から溢れる呪詛は濃く深く、禍々しくなっていく。


 星明はその迫力に思わず後退しながらキレを増していく剣術を受け流す。額には冷や汗が滲んでいた。


「僕も、そしてあの人も、そんなつもりでその言葉を言っているわけじゃない! ただ、結果を出すまで頑張り続ければ、必ず報われるってそれを伝えたいんだ!」


「そんなこと、今の僕にはとても信じられない。それはあなたや、あのスポーツ選手が、結果を出せたから言えるだけで、みんなが必ずそうなるとは限らない!」


 正直な話、静夜はその名言を残した選手の事をよく知らない。活躍したのが少し昔の話だから、そのスポーツ選手がどんな人間で、どれほどの苦労をした人物なのか、よく知らないのだ。


 それでも、その選手が何を成したのかよく知っている。調べなくても知ってしまう。彼の残した結果は記録に、活躍は人々の記憶に刻み込まれて、一つの歴史となっているから。


 おそらく、彼の掴んだ栄光には血の滲むような努力があったのだろう。努力が無ければ成し得なかったことだろう。それはもちろん偉大な事であるし、尊敬に値することだ。誰にでも真似の出来ることではない。


 そして、彼の言葉に誰かを貶める意図が無いことも事実なのだろう。あの言葉はただ努力を推奨し、人間の可能性を示し、彼の歴史の後に続く誰かに希望を与えるための言葉なのだろう。


 だが静夜は、その言葉に傷ついた。その言葉に胸を抉られた。


 所詮、成功者の言葉だ。


「……天才と努力家に違いなんてありません。それはどちらも同じ、成功者です。結果を出して初めて、その人は『天才』とか『努力家』とか、そんな耳障りのいい言葉で讃えられて、全てを肯定される。成功者だから、何を言っても認められる。……その一方で僕みたいな、結果を出せなかった人間は、全てを否定され、何を言っても認められない」


 もし口を開いて何かを言おうものなら、それはすべて負け犬の遠吠えとして嘲笑される。


 自分は頑張ったと主張しても、結果が無ければただの言い訳。

 アイツは運が良かっただけだと愚痴をこぼしても、結果が無ければただの僻み。

 自分をさらに貶め、惨めにするだけの愚かな行為。


 故に、静夜は結果にこだわるのだ。結果が全てではないと思っていても、それだけで全てを判断されたくないと思っていても、結果が無ければ、何も言えない。


 ただ現実の不条理に、黙ったまま呑み込まれ、押し潰されるだけ。


 星明は、そんな静夜の言葉と念を受けて、不愉快そうに表情を歪めた。錫杖を大きく振り払い、肉薄する静夜を下がらせる。闘技場を漂う空気は、濁った念と淀んだ呪詛で汚染されていた。


「……それが分かっているなら、なぜ君は僕に挑んでくる? 君が今、一番に戦わなくちゃいけないのは、僕じゃなくて君自身だ。君は、不貞腐れてしまった自分自身と戦って、それに勝たなくちゃいけない。それを乗り越えられないと、君はいつまで経ってもその醜態を晒し続けて、僕に勝つことだってできない!」


 闘技場を包む嘲笑は大きくなっている。まるでボロボロに痛めつけられた剣闘士を蔑むような陰気な笑い声。中心でそれを受ける青年の姿はあまりにも滑稽で、無様だ。


 確かにその通り。彼の言うことはすべて正しい。

 万夫不当の大妖怪、酒呑童子を若くして討ち倒し、今では京都の英雄と讃えられる竜道院星明の言葉は、誰もが羨む美しき理想そのものだ。


 成し得たことは何もなく、大した誇りも、大義すら持たない静夜には、本来口を開くことすら許されない。その発言はすべて、敗北者の妬み嫉みで、僻みやっかみ。耳障りなノイズ。聞くに堪えない負け犬の遠吠え。取るに足らない醜い主張。


 それでも、

 いや、だからこそ、


 静夜は星明を睨んで、殺意を向けていた。


「気に入らないからだ」


「……は?」


「僕は、ずっとあなたの事が嫌いでした。それ以外に、あなたを討つ理由はありません」


 シンプルかつ、単純な理由。


「……たったそれだけで、君は僕に勝つと?」


 さすがの星明も困惑する。

 静夜はゆっくりと頷いた。


「ええ、そうです。天才を羨む凡人の嫉妬。僕はこの大罪の呪いであなたを倒す」


 呪詛は濃紺の霞となり、夜鳴丸の刃を呑む。刹那、凡人は天才に迫った。


 夜の静寂を支配する。


「――月宮流陰陽剣術、十一の型・〈志喪月しもつき〉!」


 最速の斬撃。星明は錫杖を盾にするが、呪詛を帯びた刃は彼の右手の甲を斬り裂き鮮血が散る。さらに静夜は一歩を踏み込み、低い姿勢から脇腹を突く。咄嗟に身をひねるが、刃は掠め法衣が赤く滲む。星明は大きく飛び退いて間合いから脱した。


 静夜は追撃せず、夜鳴丸についた血を払う。

 星明から滴る血を見て、観戦していた《平安会》の陰陽師たちに動揺が走る。だが、かすり傷程度であることが分かると安堵し胸をなでおろした。まだ慌てるような時間ではない。


「……これは、兄さんの勝ちですね」


 一方で妖花は、静夜の勝利を確信して、少し悲しそうに表情を曇らせた。


 星明は傷口の様子を確認する。右の手の甲と右の脇腹。どちらも傷は浅く、出血はあるが大した量でもない。そこから何かの呪詛が広がって来るという感覚もない。呪いが上手く発動しなかったのかと訝しむが、向かい合う静夜が更に小太刀を構えるので、星明は反撃すべく錫杖を構えて距離を詰めた。


 小太刀の間合いの外から大きく錫杖を振り下ろす。


「――〈猛御雷〉!」


 さらに念を込め錫杖の威力を強化する。しかし、星明の狙いは逸れ、錫杖は静夜の手前の地面を粉砕する。それを静夜は、微動だにすることなく見送っていた。


 まるで、攻撃が当たらないことを最初から分かっていたように。


「何?」


 星明も驚きに声を上げる。わざと外したわけではない。認識が誤っていたわけでもない。星明の腕は彼の意思に反して、静夜に当たらないように錫杖を振るったのだ。


「――月宮流陰陽剣術、五の型・〈鎖月さつき〉」


 静夜のカウンターが右の肩を斬り裂く。呪詛は傷口から先の腕を汚染し、その機能と感覚は失われる。手には力が入らなくなり、星明は左手だけで静夜を追い払いのけようと錫杖を振るった。


 だが、このひと振りも大きく外れて、静夜の頭上の虚空を切っていく。静夜はこれをしゃがんで容易く躱し、夜鳴丸の刃を星明の左の太ももに突き立てた。

 月宮流陰陽剣術によって強度と鋭さを増している刃は骨にまで届き、肉を抉る。


「ぐう!」


 星明からは声にならない悲鳴が漏れた。堪らず後退し、さらに距離を取るため大きく飛び下がろうとしたその時、彼の足は、またしても彼の意思に反して前に出た。

 左手は錫杖を構え、訳も分からないまま星明は静夜に真正面からの無謀な突進を仕掛ける。


 安直な攻めを静夜はゆっくりと姿勢を整えて待ち構え、夜鳴丸の付き技に呪詛を加えた。


「――月宮流陰陽剣術、三の型・〈矢宵〉」


 切先の向こうにあるもの全てを貫くその刺突は、星明の左肩を穿ち、血を噴かせる。

 錫杖は力を失くした手から滑り落ち、星明は動きを止める。膝をつき両手をついた彼を蹴り上げれば、その身体は地面に転がり天を仰いだ。


 あまりにも不自然な星明の動き。そして、簡単に決まっていく静夜のカウンター。先程までとは打って変わって一方的な展開に、誰もが眉を顰める。

 星明自身は、自分の身に何が起こったのかを、ようやく理解した。


「……なるほど。十一の型は、斬った相手の動きを操ることが出来るのか」


「理解が早いですね。ですが、あなたは既に僕の操り人形です。最初のアレが手を掠めた時点ですでに手遅れです。降参して下さい」


 静夜は倒れた星明に銃口を突き付ける。

 形勢は完全に静夜の有利となっていた。星明は身体の自由が利かないのに加え、右腕の機能は奪われ、左肩と左太ももには深い刺し傷がある。既に力は入らず、立ち上がる事さえ難しい。


 しかし、星明は笑って静夜を見上げていた。

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