竜道院の姫君
「なッ!」
ゆっくりと立ち上がった舞桜は静夜を見下ろして宣言する。会場は騒然となった。
「え? ……え? それって、つまりどういうことなん?」
「保護要請を取り消すということは、協会の力は借りないということです。私たちはつまり、用済みということ」
唇をかみしめながら、妖花が栞に解説する。
しかし分からない。先程、紫安と庭先で話していた時は、実家に戻る誘いをキッパリと断っていたのに、なぜ今になって突然、その態度を覆したのか。
「……と、いうことですが、如何しましょうか、《陰陽師協会》の方々?」
静夜が振り向くと、竜道院星明は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。視線がぶつかり、悪寒が走る。
「舞桜、こっちに来て座りなさい。……よろしいですね、父上」
「……ああ。破門したとはいえ、血を分けた娘だ。生まれ育った家に帰りたいと願うなら、それを受け入れるのもまた、親の情けだ」
水を向けられた才次郎氏は落ち着いた態度のまま、またふざけたことを宣い始める。昼前の態度とは一変、まるで最初から根回しは済んでいたかのようだ。
「に、兄さん……」
「いや、分かってる。あの時だ。星明さんが舞桜の肩に手を置いた時、何かをして舞桜を取り込んだんだ」
ざわめく総会。舞桜は高座に上がり、竜道院家の席の紫安の隣に着座する。
静夜は真っ直ぐに舞桜を見つめた。朱色の瞳にははっきりと彼女自身の意志を感じることが出来、おそらく暗示や幻覚などの術は掛けられていない。すると星明は、単純な言葉や伝言のみで舞桜を丸め込んだということになる。
「他家の皆さんもよろしいですね? 竜道院舞桜の身柄は、今後も竜道院の家で保護いたします。掟を破ったことへの処罰や細かい対応はまた日を改めてご相談ということで……。それで、協会の皆さんは、それでも京都支部を作る必要があるとお考えですか?」
いつの間にか総会の主導権を握った星明は畳みかける。妖花は必至に食い下がった。
「……た、たとえ舞桜さんがいなくても、今回の騒動を見過ごすわけには参りません。京都の守護を《平安会》の皆さんにお任せしても良いのか、その疑念が拭えたわけではないのですから」
「それは確かにおっしゃる通りです。しかし、我々|《平安会》はあなた方、協会と違って、まとまった一つの組織ではないのです。《平安陰陽学会》とはその昔、京都に住まう陰陽師たちが定期的に集まり、陰陽術に関する知識や研究成果などを交流する勉強会が始まりだったとか。今の《平安会》も複数の家、一族、そして複数の一門が互いに協力し合い、時には競い合うことで、勉強を重ねて学び、高め合っている、いわゆる同盟関係の集団として続いています。時には相手を非難し、時には自らを省みて組織を正していく。失敗を次に生かすための自浄作用を我々は備えているのです。……もう既に、協会の出る幕ではありません。お引き取り下さい」
ここからは自分たちの領分だと、協会の介入は一切認めないのだと、そんな視線が圧力となって妖花の口を封じる。広間の中心を取り囲むすべての陰陽師たちは、暗黙の内に星明の言うことに賛同し、ここから出て行けと告げていた。
「せ、静夜君……」
栞はその圧に耐え兼ねて、隣に座る彼の袖を摘まむ。静夜も背中に冷や汗を滲ませた。
こうなった以上はやむを得ない。
決死の思いで賭けに出る。静夜は星明を見据えたまま初めて総会で口を開いた。
「……お話は、よく分かりました。ですが私たち協会は、星明さんがおっしゃる自浄作用というものを信用出来ません。……少なくとも、協会が関与した今回の事件は、協会も独自に捜査して、真相を明らかにする必要があると考えます。よって、京都支部の設立とは別に、本件の重要参考人として、竜道院舞桜と竜道院美春両名の身柄の引き渡しを、《平安陰陽学会》に要求したいと思います」
「に、兄さん?」
突然の提案に、妖花は面食らい、舞桜は目を見開く。
「……その要求に従う理由はないのでは? 妹からは今日までに散々情報を聞き出せたでしょうし、美春さんに至っては話を聞くこともままならない状態だ」
「そんなことは分かっています。しかし、協会による正式な聞き取り調査を行うまでは我々も納得して京都から手を引くということは出来ません。美春さんが目を醒ますまで、竜道院のお屋敷で療養させるというのは結構なお話ですが、星明さんの言う自浄作用とやらで、こちらに何の断りもなく、本件の責任を追及して処刑されるということになっては困ります」
「静夜……」
美春の身の安全に言及した一瞬、舞桜の表情が和らぐ。星明は相手を試すような好奇心を消して、真摯に静夜を見返した。
どうやら、正解を引けたようだ。
舞桜を突き動かしたものが、暗示でも幻覚でも、紫安のような説得でもないとすると、彼女に吹き込む呪文はこれしかない。
『……こっちに戻って来ないなら、母親に騒動の責任をすべて押し付けて処刑する』
彼ならきっと、義理の母を人質にした恐喝という手段を取ると、静夜は考えたのだ。
故に、その一手を潰さない限り、静夜たちに勝機はない。
ここで引き下がるわけにはいかない、と静夜は改めて竜道院星明と向かい合った。
「もう一度言います。舞桜と美春さんの身柄を引き渡してください。出来ない事情があるとおっしゃるなら、せめて二人の身の安全を保障して頂きたい」
「……」「……」
対峙する両者の鬼気迫る剣幕に、周囲の喧騒は次第に収まってゆく。
互いに一歩も譲らない睨み合いは、張り詰めた静寂を生み、会場にひしめく人たちを硬直させた。
「――そそるのぉ……」
その時、得体の知れない恐ろしさと迫力を併せ持った少女の声が、総会にのしかかる重い沈黙を打ち破る。
総会の入り口に目を向けると、その場にいた陰陽師は全員、驚嘆と恐怖に身を凍らせた。
「……なかなか、面白いことになっておるではないか。童も混ぜよ」
現れたのは齢十歳の女の子。間違いなくこの会場の中で最年少のはずだが、艶やかな着物に身を包んだ彼女の纏う雰囲気は、この中で最も強大に見えた。
広間の真ん中を堂々と歩いてきた少女は、妖花を見つけると楽しそうに微笑む。
「……ほお、お主、半妖か。こんなところでまみえるとは、なんとも奇怪な運命じゃ。……それに、面白いのがもう一人おるのぉ……」
咄嗟に、静夜は栞の前に出て庇う。この少女だけは、本当に不味い。
あからさまな警戒を示されても、少女は喜々として笑う。
「よい、構えるな。何もとって喰おうと思っているわけではないぞ?」
少女は冗談で言っているようだが、静夜にはとてもそれがただの悪ふざけには聞こえない。
これが、竜道院羽衣。
「羽衣様。お待ちしておりました」
実の父である竜道院功一郎が頭を垂れて彼女を迎える。
異様なはずのその光景に、疑問を抱く者は一人もいない。羽衣はその扱いを当然のものとして頷き、高座へと登った。
「うむ。ちとのんびりしすぎたな。気まぐれに来てみたのじゃが、なかなかにそそる話し合いになっておるではないか」
恍惚とした表情を浮かべる彼女の振る舞いは、傲岸不遜の一言に尽きる。
「……羽衣」「なぜアイツが……」
呪詛が湧いたのは京天門と蒼炎寺の席から。少女はそれをまた楽しそうに見返すと、
「おお、そうじゃった。……どうじゃ、京天門の長女と紅庵寺のぼんくらは仲良くやっとるか?」
「……」「……」
無言の怒りが両一門から漂って来る。その怨念は尋常でないほど禍々しい。
「……兄さん、もしかして、アレが?」
「うん。アレが竜道院羽衣。竜道院家のお姫様だ」
羽衣は才次郎氏と星明の間に腰を下ろす。髪を結った綺麗な飾りが音を鳴らした。
星明も隣に来た従妹を一瞥する。
「……珍しいですね、羽衣様がこのような俗な場所においでになるなんて」
「なんじゃ、不満か? 星明」
「いえ、とんでもございません」
深く頭を下げる彼の態度は、他の誰に対してよりも一段と丁寧で柔らかく、嫌味がない。
「して、いかがいたしますか? 羽衣様」
功一郎氏が問う。「うむ……」と考え込む羽衣に主催者の京天門は誰一人といて口を挟まない。いや、挟めないのだ。
「星明が策を練っておると言っておったからな、童は任せておったのじゃが、そう簡単にいく相手でもなかったようじゃな」
「面目次第もございません」
「よい。お主に不満があるわけではない。童はそなたの献身に満足しておる。じゃがそうじゃのぉ、このままではいつまで経っても決着がつかぬ。煩わしいのは嫌いじゃ」
竜道院羽衣の登場から一分と少し。長期化すると思われた《陰陽師協会》と《平安陰陽学会》の話し合いは、彼女の鶴の一声で全てが決まることとなった。
「……しからば、ここは手っ取り早く、一対一の決闘で話を付けようではないか」




