表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜桜は散るか、朽ちるか、狂い咲くか  作者: 漣輪
2-2 平安陰陽学会
53/80

腹違いの兄君

 京都市東山区(ひがしやまく)。清水寺近くの山の麓に、その屋敷は厳格な佇まいで建っていた。


平安陰陽学会へいあんおんみょうがっかい》の御三家の一つ、三大門派の一つを統べる京天門きょうてんもん一族。そして、現在の《平安会》の首席、京天門きょうてんもん國彦くにひこの居城、京天門邸。


 12月26日の朝。今日この屋敷で開かれる《平安会》の総会に招待された四人の学生は、その立派な屋敷の門構えに圧倒されていた。


 静夜と舞桜は一度見たことがあるため、改めて感嘆する程度だが、お金に糸目をつけない巨大な屋敷の規模に栞と妖花は開いた口が塞がらないといった様子だ。


 そこで、栞が表札の『京天門』の文字を見てふと気付く。


「あれ? 総会って、舞桜ちゃんのご実家やないの?」


 どうやら勘違いがあるらしい。質問には静夜が答える。


「総会は《平安会》のトップ、首席の人が住むお屋敷で執り行うのが仕来りなんだ。今の首席は京天門家の当主、京天門國彦氏だから……。……ちなみに栞さんは京天門病院って知ってる?」


「……う~ん、ごめん、分からへん」


「京都にある病院なんだけど、政治家とか芸能人御用達のVIP専門の病院だから、一般人は普通知らないよね……。京天門一族は代々、陰陽術や祈祷で病を治す術を得意としていて、現代では病院という形でそれをビジネスとして提供しているんだ。國彦氏はそこの医院長も務めていて、政界や財界に広く顔の利く御仁でもある」


 科学の進んだ現代において、陰陽師という職業は一般的な社会において信用されない。平安の時代ほど加持祈禱かじきとうが信じられなくなっている以上、陰陽師が社会的地位を獲得するためには妖を祓うこと以外に、目に見える社会的な貢献が必要となってくるのだ。

 そういう意味で、京天門一族の病院経営という手法は一つの成功例と言えるだろう。


「だから、あの爺は前回の首席選挙でも圧勝した。家の連中は、陰陽師としての実力ではなく、権力が背景にあることを快く思っていなかったらしいがな」


 舞桜は自身を破門にした竜道院一門に皮肉を吐き捨てる。竜道院一門は《平安会》の中でも特に歴史と伝統を重んじるため、京天門家のやり方は肌に合わないのだろう。


「確か、京天門國彦はこれで四期連続だったよね? 四年に一度の首席選挙。……前回が三年前で、残る任期はあと一年。そろそろお年だし、隠居して、次は息子で副医院長の政継まさつぐ氏に当主の座を譲るんじゃないかな?」


「どうだろうな……。私はあの爺以外の首席を知らないから何とも言えないが、奴の前任は蒼炎寺家の当主だったようだし、次こそは竜道院家に首席の座を、と家の者たちは躍起になっている」


「でも、これから先の50年は、竜道院一門の時代だって専らの噂だよ?」


「……アイツがいるからな」


「……」「……?」


 静夜と舞桜のやり取りに、妖花は何かを察して沈黙し、栞は訳が分からず首を傾げる。


 そんな時、唐突に門が開いた。巨大なそれは内側へ向けてゆっくりと、かつ厳かに、風格を保って開けられる。

 門の向こうには屋敷へ延びる石畳の道があり、そこには三人の女性が頭を下げて控えていた。この年末の寒空に割烹着と草履を履いた家政婦たちは、寒いだろうに震えることもなく綺麗なお辞儀をして、見事な笑顔で来客を出迎える。


「お待ちしておりました。三葉栞様、月宮妖花様、月宮静夜様、そして、竜道院舞桜様でいらっしゃいますね。我々が皆様をご案内いたします」


 名前を呼ぶ順番に何かの含みを感じつつも、静夜は黙って一礼し、招かれるまま大仰な門をくぐった。栞はペコペコと恐縮そうに会釈をしながら、舞桜はそのまま不遜な態度で、そして最後に妖花が、京天門邸の敷居をまたぐ。が、


「ァウッ⁉」


 妖花だけが、何か見えない壁のようなものにその歩みを阻まれた。


「? どうかなさいましたか?」


 家政婦の一人がふと尋ねる。静夜はその時になってようやくソレに気付き、思わず苦笑いを浮かべた。


「……あの、もしかして、対妖用の結界が張られていますか?」


 すると、家政婦はさも当然というように、「はい」と答える。


 言われてみれば当然だ。ここは京都を統べる《平安会》の、それも首席の住まう京天門一族のお屋敷。妖を拒む結界が施されていないわけがない。

 それにしても、静夜はともかく、妖花にすらその存在を気付かれない結界とは、さすが京天門一族の陰陽師といったところか。静夜は少し感心する。


 一方、文字通りの門前払いを喰らった妖花は、赤くなった額を抑え、結界をきつく睨んでいた。


「ぐぬぬ……、栞さんの鈴といい、この結界といい、つくづく京都という街は妖に厳しいですね。……兄さん、この結界、斬ってもいいですか?」


「待て待て待て、おもむろに覇妖剣を抜こうとするな! 今の妖花は《陰陽師協会》の代表として来てるんだから、ちゃんと弁えなさい」


「……はい、兄さん」


 不服そうなため息を吐き出すも、聞き分けのいい妹は覇妖剣を竹刀袋に戻す。

 静夜は恐縮そうに家政婦たちの方へ振る返った。


「あのぉ、申し訳ないんですけど、結界の術者の方に、ちょっとだけ結界を解いてもらうように言って頂けないでしょうか? うちの上司が門をくぐる間だけでいいので……」


 すると、家政婦の女性たちは困惑した様子で、「じゃ、じゃあ奥様に」「え? でも、ここの結界を解いたら妖が入って来るんじゃ……」と、小声で慌てている。これも当然の反応だろう。


 舞桜はもたもたしている彼女たちに徐々に苛立ち、痺れを切らす。


「いいからさっさと、京天門の陰陽師を誰でもいいから呼んで来い。私たちを案内するのがお前たちの仕事だろう? 敷居を跨げないのでは話にならない。それともアレか、客人を結界で締め出すのが、この家なりのもてなしなのか?」


「ちょ、舞桜……」


 静夜が彼女を制そうと肩に手を置いたその時、


「――俺の妹から、離れろおおぉおお!」


 燃え滾る炎のような熱い声と共に、鋭い槍の一撃が青年と少女の間に割って入った。


 突然の奇襲。静夜は咄嗟に栞を背後に庇い飛び退く。槍を手にした敵は、返す二手目で静夜の首元を狙い、静夜は腰に差した小太刀、夜鳴丸を逆手で抜いてこれを受け止めた。

 ――ガキーン、と鋼のぶつかる音が周りの庭園にこだまする。交錯する刃の向こう、問答無用で襲い掛かって来た相手の顔を見て、静夜は驚き、舞桜は叫んだ。


「し、紫安しあん兄上!」


 竜道院りんどういん紫安しあん。舞桜の腹違いの兄。竜道院りんどういん才次郎(さいじろう)氏の次男。


「てめぇが月宮静夜だな。このッ! よくも俺の可愛い妹をぉ!」


 熱い。紫安の殺意は何だか熱くて鬱陶しい。


「舞桜! 大丈夫か? このゲス野郎に襲われたりしなかったか? お兄ちゃんが来たからもう安心だぞ? お前のことはお兄ちゃんがちゃんと守ってやるからなッ!」


 そしてキモイ。舞桜に向けられる兄の視線は、非常に気味が悪かった。


「兄さん!」


 妖花が叫び、また竹刀袋に手を掛ける。


「妖花待った! 栞さんも離れて。舞桜も、……動くな」


「どうしててめぇが俺の妹に命令してんだ!」


 槍に込められる力が突然強くなった。紫安は夜鳴丸を弾くと、素早い刺突を繰り出す。静夜は身体をひねって何とか躱し、懐に入り込むと喉元目掛けて突きを放つ。横に躱され、紫安はすれ違いざまに槍を薙ぐ。静夜が屈んで躱すと、さらに紫安は前に踏み込み、追撃の唐竹割りを振り下ろす。

 静夜は夜鳴丸を構えると、夜空色の霞が刀身を覆い、揺らめいた。


「――月宮流陰陽剣術、四の型・〈兎月うづき〉!」


 一閃。刃は槍の鋼を斬り裂き、弾き跳んだ刃の根元から先は石畳の道に落ちて突き刺さる。


「なッ、つ、月宮流陰陽剣術だと……⁉」


「四の型・兎月は、空間そのものを両断する防御不能の呪いです。……まずはその気色悪い殺意を収めてください、竜道院紫安君」


 確か歳は舞桜の三つ上で高校三年生だったか。年下とは言え、自分と一つしか変わらないとは思えないほど血の気が多くて静夜は辟易する。いや、彼は只のシスコンか。


 夜鳴丸を鞘に納める。刃毀れはなく、昨夜手にしたばかりとは思えないほど静夜の手に馴染む使い心地だ。妖花からのクリスマスプレゼントとして贈られた小太刀は、やはり並みの業物ではなく、鍛冶師の腕には脱帽するばかりだ。


「……な、なあ、あれって舞桜ちゃんのお兄さんなん?」


「……いや、違う……」


「え、でもさっき兄上って……」


「……」


 舞桜は腹違いの兄から目を逸らす。家政婦たちはいきなり始まった真剣勝負に恐れ戦き震えている。


 得物を壊され、蹲ってしまったシスコン兄上はしかし、


「俺の妹を汚しやがって俺の妹を汚しやがって俺の妹を汚しやがって……」


 と、狂気じみた呪詛を並べたてる。すると、切断された槍の刃は成長する枝木のように伸びて元の刃を取り戻す。光を弾く凶器の鋭さが完全に復活すると、静夜も驚いた。

 その槍は、どうやらただの槍ではなかったらしい。


「俺の妹を返せぇええ!」


 槍と殺意を取り戻した紫安は立ち上がり、雄叫びを上げて、再び静夜に襲い掛かる。不意を突かれた静夜の反応は一瞬遅れた。


「――やめろ、紫安! 京天門の屋敷で、横着が過ぎる」


 その声は、静夜の後ろ、お屋敷の玄関口から鋭く響いて、荒ぶる紫安の動きを完全に止めてしまう。


 草履を擦って歩くような足音が近付くと、紫安の顔は青ざめ、素早く背筋を伸ばし、手の指先までまっすぐに張り詰める。

 後ろにいた舞桜も、肩に力を入れて居住まいを正した。


 この二人の態度の変わりように、静夜は背後に佇むその人の正体を悟る。

 振り返ると、少し見上げるくらいの高さに、彼の爽やかな顔立ちがあった。


「……」


「……」


 しばしの沈黙。二人の青年は互いに黙ったまま対峙する。

 先に笑いかけ、挨拶をしたのは、歩み寄って来た彼の方だった。


「初めまして、月宮静夜君。僕は竜道院りんどういん星明せいめい。竜道院才次郎の長男で、紫安の兄だ。先程は愚弟が失礼をした。兄として、お詫びを申し上げる」


 弟を叱りつけるのとは違う、和やかな声で青年は謝り、頭を下げる。


 乱れなく着こなした和服と流れる黒髪は、弟の紫安と似ているようで、纏っている雰囲気は全く異なる。隙が無く、余裕があり、外連味が無く、迫力がある。洗練されて優雅な佇まいであった。


「……うわぁ、すっごいイケメンや。康君とはまた違った感じの……。あの人も、舞桜ちゃんのお兄さんなん?」


「あ、ああ……」


 栞は彼の美しさに声を漏らし、隣で固まっている舞桜は息を呑む。

 頭を上げた星明は、静夜を少し上から見下ろすと、右手を差し出し、穏やかに笑った。


「君の噂は聞いているよ。今日はどうぞよろしく」


 対する静夜は表情を変えないまま、差し出された右手を見つめて、ゆっくりとそれを握り返した。


「……こちらこそ。改めまして、月宮静夜です。弟さんのことならお気になさらず。……酒呑童子討伐の英雄から直々にご挨拶頂けて光栄です」


 歳は栞と同じで、今は京都大学の法学部に通う二回生。年上とは言え、自分と一つしか変わらないとは思えないほどに風格がある。これも彼の実力と自信のなせる業だろうか。


「英雄だなんてとんでもない。今でも勉強の毎日だよ。……舞桜も、君のところで迷惑をかけているんじゃないか?」


「いえいえ、とんでもない。よく食べ、よく寝る、いい子ですよ、妹さんは。兄上様のご教育の賜物ですね」


「あはは。お世辞がうまいね」


 握り合う右手に力が入る。凍てつく年の瀬の風が二人の間を吹き抜けた。


「……あの二人って、知り合いなん?」


「いや? 初対面のはずだが?」


 握手を終えると、静夜は門の方を振り返り、未だ覇妖剣の柄に手を掛けている妖花を示した。


「星明さん、お騒がせして大変恐縮なのですが、この家の方にお願いして、結界を少しの間解いて頂くことは出来ませんか? 私の上司には少し特殊な事情がありまして、どうやらこの対妖用の結界を通り抜けられないようなんです」


 紫安が素早く脇に退き、星明が門の向こうを覗き込むと、妖花を捕らえたその目は大きく見開かれる。


「……これは驚いた。信じていなかったが、《陰陽師協会》が半妖を飼っているという噂は本当だったのか……。しかも、あの銀髪は噂に聞く月宮兎角の後継者じゃないか。……これはもしかしてアレかな? 《陰陽師協会》から、僕たち《平安陰陽学会》に対する牽制なのかな?」


「さあ? 下っ端の僕には分かりかねます」


 おどけて笑う星明の問い掛けを、静夜は愛想笑いではぐらかす。

 その喰えない答えに、星明は深く追求することなく、こくりと頷いた。


「分かった。じゃあ、彼女の事は僕が何とかしよう」


 そう言うと星明は門の方へと足を向ける。石畳の上を歩いて行くと、途中ですれ違う栞に丁寧な挨拶をし、舞桜には「元気そうだね」とだけ声を掛けた。


「星明兄上こそ、お元気そうで何よりです」


 舞桜も返礼するが、交わされる二人の言葉と視線に、おおよそ兄妹らしい親しさなどはなかった。舞桜は警戒心を隠すことなく朱色の瞳で兄を睨んでいる。そして当の兄は、それを涼しい顔で受け流し、すれ違って行った。


 門の前まで来た星明は呪符を一枚取り出すと、それを空中に張り付け、左手で虚空を斬り裂くように、上から下へと腕を振り下ろした。


「――ばつ!」


 すると、結界の見えない壁が無理矢理引き裂かれて割れ、門の部分だけ結界に穴が開けられる。

 家政婦たちはその事態に慌て困惑したが、星明は「大丈夫です」と自信のある笑顔を見せた。


絹江きぬえさんには僕から話をしますし、この穴もすぐに元に戻りますから。それに、彼女を一目見ればみんな驚いて、僕のしたことにも納得してくれると思います」


 そして星明は妖花に手を差し出し、「さあ、どうぞ」と迎え入れる。女性の手を取りエスコートする様は流麗で、半妖の妖花に対しても戸惑うことなく余裕を見せる。


 これが、竜道院星明。いずれ竜道院家の当主になる、はずだった男。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ