ささやかなクリスマスプレゼント
「お疲れ様、二人共」
「舞桜ちゃん、大丈夫?」
張り詰めた緊張の糸が切れて、静夜は二人の少女に労いの言葉をかける。栞は舞桜の刺し傷を心配して駆け寄るが、舞桜は彼女を制し、呪符を取り出すと傷口に当て、唱えた。
「――〈治癒快々符〉、急々如律令」
すると血は止まり、怪我はみるみるうちに治っていく。穴の開いた服まで綺麗に復元されると、栞はその光景に「わぁ、すごい!」と声を上げて驚いていた。
「兄さん」
「ん? ……何?」
「もしかして、舞桜さんに稽古をつけましたか?」
覇妖剣を鞘に納めて、妖花は笑顔で兄の顔を見上げた。心なしかいつもより嬉しそうに見える。静夜はなんとなくそっぽを向いた。
「いや、別に稽古ってほどじゃないけど……。僕は少しアドバイスをしただけで……」
「ですが、あの最後の隠形の結界からの銃撃は、兄さんが昔よく使った手ですよね?」
「……」
その通りなので、何も言えない。
妖花はさらににやにやと笑みを深めて下から兄の顔を覗き込む。
静夜は何かを諦めたようにため息をつくと、妹から逃げ出すように舞桜の方へ歩み寄った。
「……〈治癒快々符〉は傷だけを治す術。法力に余計な念を混ぜて純度を下げるのは、良くないって言わなかったっけ?」
「……別にいいだろう? これくらいのアレンジ」
「いや良くない。アレンジは基本が出来て初めてアレンジと呼べるんだ。折角、憑霊術のおかげで〈法力の最大値〉が上がってるんだから、まずは術に適した純度の高い法力を練れるようにならないと、力任せの術ばかり乱発していたらまたすぐに憑霊術が切れて、いざという時に困るよ?」
「……何だいきなり、偉そうに……」
小言を垂れる静夜を、舞桜は忌々しそうな目で見上げる。指摘に納得がいかない様子だ。
「なあなあ妖花ちゃん、〈法力の最大値〉って何なん?」
二人の後ろで栞が聞き慣れない用語について妖花に尋ねる。
妖花は得意気な顔で人差し指を立て、解説を始めた。
「〈法力の最大値〉と言うのは、陰陽師が一度に作り出せる法力の限界値のことです。そもそも法力という力は、人の中にある〈念〉が元になっていて、陰陽師は術を繰り出す際に毎回イチから〈念〉を練り上げ、法力を生成しているんですが、術者が一度に作れる法力の量には個人差があり、それぞれに限界となる力の大きさは決まっています。それを私たちの間では〈法力の最大値〉と呼んでいるんです」
法力の源となる〈念〉は全ての人が内に秘めている想いや思念、意識の事である。流派によってはこれを〈気〉や〈波動〉などと呼ぶらしいが、〈念〉からどれだけのエネルギーを生み出せるかは、個人の研鑽以上に、持って生まれた才覚によるところが大きいと言われている。
「舞桜の最大値は、憑霊術を使っていない状態だと現代陰陽術をギリギリ使えるくらいだけど、憑霊術を使って妖の力を纏うと、その最大値が極端に高くなる。本来なら四人掛かりで作る法陣を一人で作れるくらいに」
「へぇ、すごいんやね」
静夜の補足に栞は嘆息する。
「ですが、法力はただ大きければいいというわけでもありません。そのエネルギーをどれだけ無駄にせず、効率よく術に変換できるか、それが最も重要になります」
「法力を無駄にせず、効率よく術に変換するコツは二つ。一つは法力の変換効率の良い法具を使うこと。用途を絞った現代陰陽術の法具なら、そもそも少ない法力で術が発動できるし、呪符を使う場合よりも簡単に強い効果や威力が得られる。そしてもう一つのコツは、術者本人が純度の高い法力を練り上げることだ」
「力の……、純度?」
「法力の元となる〈念〉に術とは関係ない雑念が混ざっていると、法力の一部は術に変換されずどこかへ抜けていきます。不純物を多く含んだ法力だと、そもそも術が発動しなかったり、思ってもみない副作用が出たりと、様々な失敗を引き起こすので、陰陽師には術に適した〈念〉だけを用いて綺麗な法力を作り出すことが求められるんです」
「特に舞桜の場合は、言霊を使う時に無駄になっている法力が多すぎる。言葉に念を乗せるだけという術の特性上、ある程度は仕方ないとしても、呪符を使った方が狙いがつけやすいって言うなら、呪符本来の使い方をした方がよっぽど効率的だ。力を節約するためにも、日頃から気を付けるべきだよ」
法力を作るにはそれなりの集中力が必要となるのだが、ふとしたことで注意が逸れたり、疲労などの要因で精神が乱れたりすると、法力の最大値はぐっと下がり、法力が一切練れなくなることもある。舞桜の場合は憑霊術を維持する必要もあるため、強すぎる力を連続で使用するのは危険なのだ。
まだ憑霊術の扱いに不慣れを残す舞桜は、その事も十分に分かっている。栞にとってはどれも初めて聞く話だが、舞桜にとっては耳に胼胝ができるほど聞かされた話であり、繰り返し同じことを指摘されては余計に不快だろう。
「……はあ。……はいはい、分かりましたよ、三流陰陽師」
肩をすくめる舞桜の減らず口に、静夜は思わず眉を吊り上げる。
「呪符もまともに使えない半人前に、三流とか言われたくなんだけどね」
「何だと!」
対抗した静夜の罵倒に、舞桜は更に食って掛かった。
「うふふ。静夜君、なんか活き活きしとるね。ちょっと前まではいっつもなんか退屈そうな顔しとったのに」
「……はい。私としてはちょっと、懐かしいです」
静夜と舞桜が言い合う様を後ろから眺めて、栞は笑みをこぼす。
妖花も綻ぶような笑顔を見せて栞に同意した。兄弟子がこんなにも真剣に陰陽術の話をしているのを見るのは、思えば随分と久しぶりだ。
だからこそ、やはり、これを持って来て良かったと、妹弟子はそう思った。
「そう言えば、」と妖花は弾むような声で話を変える。
「私から兄さんに、とっておきのクリスマスプレゼントがあるんです!」
「え?」「は?」「プレゼント?」
静夜、舞桜、栞の三人は、おどけた妖花に目を向ける。
唐突な発言に注目を集めた妖花は、おもむろに一枚の呪符を取り出すと、それに念を込める。淡い光を放ち始めた呪符はやがて、藍色の鞘に収まった一振りの小太刀へと変化した。
鞘から抜くと、穢れを知らない銀色の刃が月明かりを浴びて夜空を映す。長さは50センチ程度で、普通の小太刀よりも短いようだが、刀身に見る鮮やかな刃文が一目で業物であることを物語っている。美しい刀だった。
「実は以前から、とある研究室に頼んで、月宮流陰陽剣術の呪いにも耐えきれる業物の製造をお願いしていたんです。これはその試作第一号、銘は〈夜鳴丸〉です。今回は兄さんの現代陰陽術にも合うように、このような小太刀にして頂きました」
「え? もしかして、最初から僕のために?」
「……と、言いたいのですが、実はそういうわけでもないんです。過去にもたくさん試作品はあったんですが、それらは全て私の試し切りで呪詛に耐えきれず砕けてしまい、試行錯誤を繰り返す中で、普通の刀ではなく、刀身の短い小太刀にしようという話になったんです。これによって山積していた問題は解決。ようやく私の試し切りにも耐えられる、正式な試作品第一号が完成しました。このサイズなら兄さんの戦い方にピッタリだと思い、〈夜鳴丸〉の銘を与え、今年のクリスマスプレゼントにしようと持参した、というのが本当のところです。……ですが、この刀は是非、月宮流陰陽剣術の師範代でもある兄さんに使って頂きたいと思っています」
「何⁉ コイツ、師範代なのか?」
「そうですよ? 間違っても三流陰陽師などではありません」
「いや、でも、それは義父さんが妖花に覇妖剣をあげたときに、お情けでくれた資格であって、皆伝の妖花と違って、僕は十一の型までしか使えないし……」
「型の習得は重要ではありません。それに、私は月宮流陰陽剣術の基礎を一年先輩だった兄さんに教わりました。師範代の資格は兄さんに相応しいものだと、私はそう思っています。……それに、これは私からのささやかなお返しなんです。何も言わずに受け取って下さい」
夜空と同じ、濃紺の柄に納められた小太刀を差し出されて、静夜は己の無粋を恥じた。
月宮一族に伝わる霊剣〈護心剣〉は、静夜の体内に祀られ、一度は身体から離れてしまった彼の魂をこの現世に繋ぎ止めている。
先日、静夜は舞桜を助けるため、三年ぶりにその封印を解き、護心剣を身体から抜いた。魂が天に召される寸前まで戦った反動か、静夜の魂と体の結びつきはまだまだ不安定だ。またすぐに護心剣を抜いて戦おうとすれば、静夜の命は数分と持たないだろう。
しかし、並の刀では月宮流陰陽剣術の呪いに耐えきれない。
そのジレンマを憂いた妹からのプレゼントがこの小太刀〈夜鳴丸〉というわけだ。
静夜は両手でその小太刀を丁重に受け取った。鉄の刃はずっしりと重く、鮮やかな色をした柄や鞘には綺麗な装飾が施されている。
この刀には確かに、鍛えた職人の巧みな技と妖花の想いが込められていた。
「……ありがとう、妖花」
「な、何も言わずに受け取って下さい」
顔を背けて同じ言葉を繰り返す妹が、少し懐かしくて、静夜はおかしかった。
「……なるほど、そう言うことなら試し切りの相手は私が務めよう。胸を貸してやるぞ? 三流陰陽師」
「……胸を貸すのは僕の方じゃないかな? 今日まで散々模擬戦の相手をしたけど、君は一度も僕に勝ってない」
「だが、憑霊術を使った状態で相手をするなら、お前よりも私の方が強い」
「……いいだろう。日頃の鬱憤、ここで晴らしてやる」
利き手には拳銃を、もう片方の手には呪符と小太刀をそれぞれ構え、舞桜と静夜は対峙する。
クリスマスの夜はそうして更けていった。模擬戦形式の鍛錬は相手を変え、ルールを変え、結局、終電間近の時間まで続けられた。
栞は陰陽師たちが覇を競うその様を、ずっと微笑みながら、それでも真剣な表情で見守っていた。




