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夜桜は散るか、朽ちるか、狂い咲くか  作者: 漣輪
1-10 狂い咲きの舞桜
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最期の言葉

 君を見ている、と、彼はそう言った。母親にまで呪われ、挫けそうになった少女を繋ぎ止めるために、こんな自分でも、それくらいのことは出来ると決意して。


 それでも、本当に見ている事しか出来ない自分に、何も思わない彼ではない。


 感覚がなくても、静夜は右手でリボルバーを強く握った。左手でポーチを漁り、手にした弾を装填し、朦朧とする意識を人差し指と視線の先に集中する。


 せめて最期に、この想いよ届けと、そう願った。


「――……〈天、雷〉」


 一筋の光り輝く特殊弾は、狙いを外して鬼面の将の刀を粉砕する。弾はそのまま西の白虎楼を貫き、夜空へ消えた。


『何?』と、鬼面の将は声を歪ませ、銃声のした方を睨む。最悪の一手になったと静夜は悟った。


『貴様、立てぬなら黙って寝ておればよいものを、横やりを入れるとは、無粋な』


 腰には刀がもう一本。奴はそれを抜き、殺意を静夜に向けた。


「静夜、逃げろ!」


 舞桜が叫ぶも、今の静夜にそんな力は残っていない。


『死に急ぐなら手伝ってやろう。人の業を受け継ぎし者よ!』


 一瞬で、鬼面の将は静夜の眼前に立つ。刃は振り下ろされ、静夜は死を覚悟して目を閉じた。


「――静夜を守れ! 〈護心剣〉!」


 悲鳴のような叫びと共に、舞桜が桜花刈を翳したその瞬間、強固な結界の壁が、静夜を囲んで展開される。

 静夜が普段から扱う、護心剣を触媒にした結界術。素人の技であっても、護心剣の特性を生かしたその結界は、ただの刀の一振りでは破れない。


 キーン! と刃は弾かれ、鬼面の将は『何ィ!』と呻く。

 そこに生まれた僅かな隙。


 妖気の風が結界を揺らす。舞桜は桜花刈の一振りで、二匹の妖犬を同時に葬った。


『貴様!』


 振り向き、舞桜を睨んだ鬼面の将。

 それを睨み返す朱色の瞳はどこか虚ろで、悍ましく、静夜の背に悪寒が走った。


 次の瞬間、舞桜が鬼面の将へ肉薄する。

 しかし、衝動に従って振るわれた舞桜の単調な太刀筋は、鬼面の将に見切られていた。『甘い!』と躱されると、逆に背後を取られ、袈裟懸けの一太刀が舞桜の背中を深く抉る。


「カハッ!」と少女の口から血と声が漏れた。


 舞桜は身体を回し、桜花刈を横薙ぎに払うが、鬼面の将は屈んでこれを避け、さらに逆袈裟懸けに返す刀が、今度は少女の腹部を斬り裂いた。血が噴き出す。


『これで終いだ』


 とどめは心臓。鋭い一突きが舞桜の胸を刺し穿った。


 時が止まったように、静夜には思えた。


 刀がゆっくりと舞桜の身体から抜かれ、血が滴る。桜花刈は手から落ち、静夜を守った結界が消える。


 青年は少女を受け止めようと手を伸ばすが、されど届かず、舞桜はその儚い命をここに散らした。


 ――散り際の刹那。


 風が止む。流れる星も、鬼面の将の笑い声も止まって、静夜の胸からは痛みが消えた。目の前で倒れる少女の身体は、地面に触れる寸前で重力を無視して止まっている。


 突然の異変に混乱するが、静夜は思考を置き去りにして舞桜に駆け寄り、呼びかけた。


「舞桜、……舞桜! 返事をしろ! 舞桜!」


「なんだ、うるさい」


 返事は後ろから聞こえた。


「……え?」と静夜は振り返る。そこに立っていたのは、桜色の少女。傷も出血もなく、桜花刈を軽々と肩に担いで、静夜を見下ろしていた。


「……え?」と静夜が顔を戻す。そこに横たわっているのは、桜色の少女。背と腹を斬られ、心臓を刺され、死体になる直前で時間が止まっていた。


 二人の舞桜を交互に見比べ、静夜は己の正気を疑う。


「これは、……幻覚?」


「いや、違う。私の術中だ」


 静夜は、自分が舞桜と一緒に天に召されたのかと思ったが、舞桜はゆっくりと首を振って否定する。


「初めて使うから加減が分からなかったが、さすがに現世うつしよのすべてを止めるのはやりすぎだったな」


「う、現世のすべてを、止めた……?」


 容易には信じられないことを舞桜は平然と口にする。だが、それは比喩ではなく、本当に時間が停止していることは周りを見れば明らかだ。


「……お前にだけは、ちゃんと見せておこうと思って……」


 舞桜は俯きがちに言いながら、倒れた自分に桜花刈を翳す。すると、傷だらけの少女はその姿を無数の桜の花びらに変えて、大鎌の刃へ吸い込まれていった。


「これが、この〈桜花刈〉の本当の使い方だ」


 動かない鬼面の将の首と体を裂くように、舞桜は大鎌を横一文字に薙いだ。



「――〈因果桜報いんがおうほう〉」



 途端に、冷たい風が流れ出す。星空は動き出し、月明かりが再び届くと、鬼面の将は、苦しい呻き声と共に覚醒する。


『な、なん、だ、と……?』


 鬼面の将は背中を深く抉られ、腹部を斬られ、心臓には風穴が開いていた。傷口からは瘴気が止めどなく流れ出し、手は力を失い、刀を落とす。

 鬼面の将が舞桜に与えた傷の全て。それが、彼自身に返されていた。


『……こ、この秘術はッ! ……まさか、貴様が纏っている、その妖はッ!』


『狂犬を統べる鬼面の将』は背中から倒れ、力尽く。最期の言葉を言い切ることは叶わず、瘴気が晴れると、依り代だった美春の姿が戻って来た。


「母上!」


 舞桜は桜花刈を投げ捨てて駆け寄った。身体を起こすとまだ意識があるのか、苦悶の表情を浮かべながら舞桜の方へと顔を向ける。


「……ま、お……」


 母の声に、舞桜の反応は安堵と絶望が入り混じったものになる。その理由は美春の内側を覗くとすぐに分かった。


「……妖が、まだ美春さんの中に残ってる」


 静夜が呟く。

 微かだが、鬼面の将はまだ美春の中で生きていた。しかも、美春の命の陰に隠れるように潜んでいる。このまま奴を祓おうとすると、瀕死の美春の命まで奪いかねない。


「……見たところ癒着も激しい。美春さんから引き剥がそうにも、この状態で本格的な禊の儀式は……」


 静夜は思わず言葉を呑む。このままでは美春の身体が持たないのだ。かと言って、放置しておけば、いずれ鬼面の将は美春の魂を喰い尽くし、再び復活してしまう。


「……私がやる」


 静かに、舞桜が言った。


「や、やるってまさか!」


「殺すわけじゃない。……だが、殺すようなものだ」


 気丈な声もやはり暗かった。悲しみと寂しさと、おそらく、後悔。少女に渦巻く葛藤を少しだけ察して、静夜は自分に止める権利が無いことを悟った。


 桜花刈を拾い上げ、月夜に高く振り上げる。切っ先は母に。涙は瞳の奥に押し込めて。


「……ま、お」美春の口が微かに動く。舞桜は手に力を込めて、少し待った。


「……ごめんなさい。……私はあなたを、愛せなかった」


 舞桜の頬に一筋の涙が伝い堕ち、桜花刈は美春の心臓へ振り下ろされる。


 また一瞬、時が止まったような錯覚を覚えた。


 刃を抜いても出血はなく、美春は穏やかな表情で瞼をゆっくりと閉じた。すると、彼女の意識と、中で蠢く鬼面の将の気配は動きを止めた。


「……母上の時間を刈り取った。あの妖も動けないが、今の母上は心臓すらも止まっている。それでも、このまま眠り続ける」


 舞桜は母に掛けた術を簡潔に説明する。つまり、美春を刻の狭間に閉じ込めたというのだ。それは確かに、現状における最善の選択に思われたが、もしかしたら、これが母親との永遠の別れになるかもしれない。


 舞桜はそれを理解した上で、桜花刈を振るった。

 母から送られた最後の言葉を思い返すと、娘にとっては悲しい別れだ。


「……おやすみなさい、母上」


 師走の風が舞桜の桜色の髪を攫う。涙はもう乾いていた。

 無慈悲な風だと、静夜は思った。


 ドクン! とその時、心臓が爆発するように拍動する。


「うぅ……」


 静夜は胸を抑え、息苦しさにもがき、膝から崩れ落ちる。


「静夜?」


 その苦しみは思い出したように静夜を襲い、喉が閉められ息が出来なくなる。

 舞桜の術が解けて、止まっていたカウントダウンが再開したのだ。


「静夜、静夜!」


 舞桜が肩を揺する。静夜は何とか顔を上げて、引き攣る頬で笑って見せた。


「……ごめん、舞桜。……約束は、守れなさそうだ」


 魂が抜けるように、意識がこと切れる。


 満月輝く、冬の夜。

 儚くも美しい、狂い咲きの桜を最期にその眼に焼き付けて、月宮静夜はこの世を旅立った。

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