最後の奥の手
「アハハハハ! やっぱりあの娘に、この暴走を止めるなんて無理なのよ! 身の丈に合わないことをするから、こうして無様に破滅するの! ……さぁ皆さん、反撃がこれ以上激しくなる前に、もう一度、四神法陣をお見舞いしましょう! 静夜様はそこで大人しくしていて下さい」
舞桜の方に就いていた陰陽師たちが、一斉に呪符を掲げ、再び四神法陣の詠唱を始める。
「「「「――青龍・白虎・朱雀・玄武!」」」」
美春は、妖犬たちを盾にして高みの見物を決め込み、舞桜は球体の中でもがき続けている。桜色の妖力は、舞桜を離さないまま、陰陽師たちへの攻撃を続けるが、詠唱が乱れることはない。
「「「「――天高く舞い、地を猛く蹴り、数多の心憂きを赦し給え」」」」
法陣は展開され、法力の光が舞桜を包む。
「舞桜!」
静夜は詠唱を止めようと動くが、立ちはだかる陰陽師たちに隙は無く、たとえ今から突破できたとしても、もう間に合わない。
「「「「彼の御心は鬼神に通じ、其の御魂を天地に納め給え」」」」
法陣の完成が近付く。
満月の下、桜色の球体の中に閉じ込められた少女は、最後まで必死に足掻き、もがき、そして、――遂に抵抗を諦め、その動きを止めてしまった。
「ッ! 舞桜!」
それを見て、静夜は驚き、非難するような声で少女の名を叫んだ。君が諦めてどうする、と。
しかし、高まる法力の光の中、為す術なく項垂れた少女は、その鮮やかだった朱色の瞳を微かに濁らせ、静夜を見下ろした。
舞桜は何かを悟って、震える唇で言葉を紡ぐ。少女の声は鮮明に、静夜の頭の中に響き渡った。
『――……お前も、何も出来ないなら、何もするな』
その言葉を聞いた途端、淀んでいた静夜の心は、腐り切っていた彼の魂は、怒りに震えて、音を立てた。
「……君が、それを言おうなんて、少なくとも五年は早い!」
「「「「――〈四神方位霊祭符〉、急々如律――――――」」」」
止めを刺さんと法陣が猛威を振るうその寸前。
静夜は独り、己に打たれたとある楔に、三年ぶりに手を掛けた。
「――我、月宮静夜が、我が師、月宮第81代当主、月宮兎角の名を借りて、今宵、汝の封を解き放つ!」
左手を前に。彼はただ告げるのみ。
巻き起こる風は北風を押しのけ、放たれる光は暗い夜空を照らし出す。
「――大地を創りし左の霊剣よ、我に力を恵み給え!」
静夜が求めたもの、それは力。欲しかったもの、それは力。
この世界の不条理に、この社会の理不尽に、黙ったまま押し潰されないための、せめてもの力を。
「ッ! 今すぐ、今すぐ静夜様を止めなさい! 速く!」
直感し、美春が慌てる。光に目を細め、顔を覆った陰陽師たちは、ハッとなって動き出す。
「――月宮流陰陽剣術、八の型・〈破月〉!」
全ての術法を破る一太刀が、眩く光る四神法陣を斬り裂く。
法力の光は消え失せ、静寂の平安神宮は、満月の光と、静夜の持つ剣の輝きによって明るく照らされる。
その光景は、空中から静夜を見下ろす舞桜の瞳から淀みを祓い、清めていった。
「そ、それはまさか、〈護心剣〉⁉ 〈覇妖剣〉と対をなす、月宮一族のもう一振りの霊剣⁉」
美春は驚愕し、静夜の左手の白く光り輝く剣を指差す。
刃の左には月、白虎と玄武、そして、北斗七星の紋様。霊気は白く、鋭く光った。
「……少々事情がありまして、父と妹からは、くれぐれもこの刀を身体から抜くなと言われているのですが、封印を解いた以上、もう後には引けません。ここからは僕も命懸けで、この無謀を押し通させて頂きます」
護心剣に呪詛を込める。呪われた霊剣はその神性を強め、刀身はさらなる輝きを放つ。
「と、止めなさい! あの月宮静夜を何としても排除なさい!」
陰陽師たちが一斉に静夜を向いた。指揮官の動揺が伝播したのか彼らの空気は張り詰めている。
静夜は護心剣を振り上げた。
「――月宮流陰陽剣術、六の型・〈水薙月〉!」
大上段からの一太刀は天地鳴動の衝撃波を生み、有象無象の群れを割る。静夜は道の開けた中央を走り抜けようとするが、それを阻もうと前に出たのは、若いが貫禄のある陰陽師。彼の構える錫杖にはなかなかに強力な術が施されていた。
静夜は護心剣で打突をいなし、返す太刀には呪詛を込める。
「――月宮流陰陽剣術、一の型・〈夢月〉!」
刃先は彼の肩を掠めた。傷は浅く、男は気にせず右背後へ回って再び錫杖を打とうとする。だが、その意識は突然、夢に堕ちた。
虚ろな目を開いたまま倒れる彼の姿に、周りの陰陽師たちは動揺する。
月宮流陰陽剣術は、陰陽術の中でも〈呪術〉という種類に分類される。刀身を呪うことで切れ味や耐久性を高め、さらに「型」によって特異な斬撃や呪詛による攻撃を行う、陰陽師の剣術。
月宮流陰陽剣術において、「型」とは剣の運びや斬り方ではなく、刀や敵の呪い方を指すのだ。
「「「――〈鉄鎖呪縛符〉、急々如律令!」」」
複数の陰陽師たちが離れた位置から呪符を飛ばす。
「――二の型・〈気更着〉!」
護心剣に宿った呪いは、斬った術を跳ね返す。
呪符に込められた念の力は術者へ返され、それを撃った陰陽師たちは金縛りになり倒れ伏した。
それならば、と今度は数人の陰陽師が静夜を囲んで法陣を展開させる。静夜はこれによって動きを制限されるが、「――八の型・〈破月〉」と唱えて刃を翻せば、術は破られ、いかなる法陣も紙切れの如く斬り裂かれる。
「何をしているの! 敵はたった一人よ! 数で押し切りなさい!」
檄を飛ばす美春に対し、静夜と対峙する陰陽師たちは月宮流陰陽剣術に全く対応できていなかった。攻めあぐね、浮足立つ彼らを斬り伏せるのは、あまりにも容易い。
「――七の型・〈踏月〉」斬撃が掠めただけの傷口は、呪いによって一気に広がり、相手は激痛に襲われる。
「――五の型・〈鎖月〉」この呪詛を持って手足を切れば、呪われたその部位は感覚を失い、自分の意志では動かせなくなる。
「――九の型・〈永月〉」身体に刻まれた斬撃の傷は、如何なる術でも決して治せない。
静夜が振るう護心剣の、その軌跡の後に残るのは、呪いに苦しむ怨嗟のうめき声と、生き地獄を転がる愚者の屍。
残りの者たちはその光景に恐れ戦き、最後の一太刀によって完全に退けられる。
「――月宮流陰陽剣術、六の型・〈水薙月〉!」
横薙ぎの一閃、呪詛は空気を伝い、旋風の衝撃となって彼らをまとめて吹き飛ばす。
遂に道が開け、舞桜を目前にした直後、静夜の動きを捉えた桜色の塊がキラリと光った。