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夜桜は散るか、朽ちるか、狂い咲くか  作者: 漣輪
1-7 北野天満宮の戦い
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強襲、再び

 静夜たちは脇道から順路に戻って本殿に駆け込む。右の道からは更に境内の奥へ走り抜けようとするが、やはり人の足では犬の素早さには敵わない。一匹が人間には決して真似できない跳躍で前方へ回り込むと、もう一匹は背後を取って退路を塞ぐ。挟まれた。

 静夜は道をこじ開けるべく、50口径のリボルバーを抜き撃つ。容量の限界まで法力を溜め、閃光と共に撃ち出された凶弾は、前方に立ち塞がった妖犬の額を穿つ。しかし、


「……これでもダメかッ⁉」


 一瞬、妖犬の像は歪んでようにも見えたが、収束する妖気は風穴を即座に修復し、妖犬の姿を現世に留める。根本的に、静夜の法力だけでは足りないのだ。


「静夜、後ろからも来るぞ!」


 舞桜が叫ぶ。前後からの挟撃に、二人は互いに背中を預けて迎撃するが、舞桜の弾丸は奴らにとって豆鉄砲。躱すこともなく一直線に走り、風を切る。


 静夜は再び弾丸にいつも以上の法力を込めて撃つが、連射速度が落ちるこの撃ち方では簡単に躱されてしまう。さらに弾を打ち尽くしても、リロードをしている時間はなかった。


 妖犬たちは獲物を間合いに捉え、低い姿勢からそれぞれの利き腕を狙って獰猛な牙を突き立てる。


 静夜は咄嗟に左手で舞桜の右手を掴み、身を翻す。妖犬たちに背を向け、足元に手榴弾を落とした。直後に爆発。穢れを清める力を至近距離で受けて妖犬たちは堪らず飛び退く。


 爆発の煙と巻きあげられた粉塵に紛れ、静夜は舞桜の手を引き、反対側の道から脱出を図る。だが妖犬たちは、二人の横腹に頭突きを加えて逃がさない。

 重い衝撃を受け、吹き飛ばされた二人は、境内の隅に追いやられ、逃げ場を完全に失ってしまった。


「――我が名に集え、我が身を満たせ、我が魂を犯して喰らえ。されば汝の儚き威光、我が宿命を以って世に示さん! 開門!」


 舞桜が歯を食いしばって妖を呼ぶ。夜空の月はまだ煌々と輝いて彼女を見下ろしているが、例の妖は答えてくれなかった。


「――我が名に集え、我が身を満たせ――」


「やめろ、舞桜!」


 妖が降りて来ない事を悟ったのか、警戒していた妖犬は恐れることなく再び攻勢に転じる。


 ――バン! と、静夜は重い銃声を響かせる。舞桜の集中を邪魔することも厭わない。

 弾は妖犬の額に命中するが、今度はその影が揺らぐこともなく、当然、妖犬たちの足が止まることもない。


 少女は未だに月を睨んで叫び続けていた。


「舞桜、今は出来ないことを無理に試している場合じゃない。それより、手遅れになる前に今できることを――、」


「今、アレを相手に出来ることなんて、私たちには何もないだろ⁉」


「ッ!」


 正論を突き返されて、静夜は言葉に詰まった。


「それでも私は諦めたくない! お前は、何も出来ないと分かれば、そこで何もかも投げ出して、何もしないのか? それで納得して引き下がるのか? ……私は嫌だ! 私は、逃げたくない!」


 昨夜と同じように、少女は堂々と言い放つ。まるで、子供向けのヒーロー番組のように、あるいは少年漫画の主人公のように、諦めなければ夢は必ず叶う、と。


 身の毛がよだつほどの寒気を感じた。


 それは、あまりにも滑稽な台詞だ。傲慢で愚かで、哀れな妄言だ。


 現実を見ればすぐに分かる。それは嘘だと。世の中はそんなに甘くないと。


 それなのに、――


 朱色の瞳は、揺れていた。


 今までずっと、その瞳は真っ直ぐに何かを睨み付け、硬い意志を示してきたのに、今は湖面に浮かぶ月の如く、さざ波に震えて、頼りなく揺らめいている。


 それは何かを疑うように、それでも何かを祈るように。


「――我が名に集え、我が身を満たせ、我が魂を犯して喰らえ! されば汝の儚き威光、我が宿命を以って世に示さん! 開門!」


 少女は、手を伸ばす。妖はやはり、応えない。訴える声には、涙が滲んだ。


「言い訳はいい! 私の言う事を聞け!」


 それでもなお、歯を食いしばる。


 少女の姿は、あまりにも滑稽で、どうしようもなく哀れで、――


 ――その姿は、いつかの自分にそっくりだった。


 一層冷たい北風が、枯れた梅の木を揺らす。砂利を蹴る音も風音に掻き消され、舞桜の叫びも攫われた。二匹の妖犬は、月の影から忍び寄る。月明かりを見上げていた少女は、自らの危機に一瞬、気付くのが遅れた。


「舞桜!」


 静夜が咄嗟に飛び出し庇おうとしたが、砂利で滑って、膝と両手をついてしまう。その出遅れは致命的だった。


 二つの影が少女を捕らえる。もう間に合わない。悲劇を確信した、その刹那、


「あかん!」


 鈴の音が鳴る。三葉栞が、舞桜を押しのけて現れたのだ。


「え?」


「――栞さん!」


 叫んだところで、悲劇は変わらない。


 鮮血が、飛び散った。


 栞は肩と太ももを深く咬まれ、そのまま意識を失い、崩れ落ちる。

 茫然とした顔で静夜を見つめ、膝を着き、倒れ伏すまでの一瞬は、まるでスローモーションのように止まって見えた。


「栞さん! 栞さん!」


 足を滑らせながら彼女に駆け寄り、その身体を抱え起こす。静夜は懸命にその名前を呼び続けるが、彼女は力なく目を閉ざしたまま、動かなかった。

 手足が震え、唇の色が紫へと染まっていく。


 絶望と後悔が慌てて静夜を追いかけて来た。


 音を失い、呼吸も忘れる。何も聞こえない静寂の中、栞の簪に付いた厄除けの鈴は、チリンチリンと夜空に嘆きを響かせる。

 音色は涙のように、彼女へ落ちて、そして弾けた。

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