10話 嵐は去るも。
桜子と美緒の不仲がどういう経緯で始まったかは知らない。噂なら聞いたことがあるが、その噂の種類が多すぎて。
いちばん過激な噂だと、桜子と美緒が同じ男を取り合ったとか。ついでにその噂では桜子は非処女になってしまうので、オレは断じて信じていない。
桜子が処女であることは、オレが童貞であることと同じく確実だ。
こんなときにスマホに着信があって、妹の沙耶からだった。
「沙耶。これから取り込むから後にしてくれ」
〔え、お兄ちゃん、どうかしたの?〕
「桜子と古崎美緒が対峙しようとしている。何事も起きなければいいが。じゃ、切るぞ」
〔あ、お兄ちゃん待って。沙耶も2人の会話聞きたいから、スピーカー通話にしてよ〕
「お前なぁ……」
沙耶との付き合いは今朝からだが、この妹にはずっと手を焼かされてきたことだろう。しかし、だからこそ可愛いといえるわけで。妹について語る時ではなかったか。
「分かったから、静かにしていろよ」
〔聞いておきたいだけだよ。桜子ちゃんの敵は、沙耶の敵でもあるからね〕
女同士の結束という奴か。沙耶も朝食の世話になっているしな。オレはスピーカー通話にしたスマホを、そっと膝の上にのせた。
美緒が桜子の前に立ち、挨拶。
「桜子、今週は初めて会うわね」
桜子も答える。
「ええそうね、美緒」
表面的には、2人からは敵意は感じられない。表面の奥は知らんが。きっとドロドロだろう。
美緒がオレに微笑みかけてきた。
「川元くんとは、さっき会ったわよね」
これは不意打ちだ。おっぱいの件、根に持っているのかね。
桜子が意外そうな顔をした。
「え、そうなんだ遼くん」
そうなんだよ、女子トイレで誘惑されたんだよ。
とは言えない。全面的にオレは悪くないのに、なぜか桜子を裏切ったように思えるので。こういうことは男に責任が発生するものなのだろう、知らんけど。
「そうかと問われれば、そうなんだが──保健室で偶然、会ったんだ」
オレは先手を打つことにした。先んじて嘘話を使う手だ。嘘の上塗りになってしまうが、これも桜子を守るため。もちろん我が身のこともある。
桜子はとりあえず納得してくれた様子だ。オレが一時間目の休み時間に保健室へ行ったことは、承知済みだからな。
「そうだったんだ。けど遼くん、話してくれなかったよね?」
「だってほら──」
オレは美緒に片手を差し出して、言葉が詰まった。だってほら、なんだ?
意外なことに美緒が助け船を出してくれた。
「あたし達、そんな知り合いというほどでもないし?」
「そう。そうだよな」
「まだね」
美緒が不穏な言葉を付け足した。
それから美緒は桜子と少し会話し、綾香を連れて歩いて去った。
おお、意外なことに何事も起こらなかった。平和が一番。
桜子とも昼食を終え、教室に戻る。その途中、スピーカー通話のままだったのを思い出した。
「沙耶、まだいるのか?」
〔聞いているよ、お兄ちゃん。大変なことになったね〕
「大変なこと? 桜子も美緒も喧嘩することなく終わったじゃないか」
〔いい大人なんだから、分かりやすい喧嘩なんてしないでしょ〕
高校生がいい大人に当てはまるかはともかく、確かに桜子はそんな性格ではないか。
〔古崎美緒はお兄ちゃんに唾をつけたんだよ〕
「それは暗喩の『唾』か?」
〔当たり前でしょ。そして桜子ちゃんも、それに気づいた。あれは古崎美緒の、お兄ちゃんを寝取る、という宣戦布告だったんだからね〕
それは深読みしすぎでは?
ただ美緒はオレに明言していたか、寝取るとは。
「……小学生が寝取るとか言ってはいけないな、沙耶」
ひとまず兄としての仕事を全うした。