一章第8話 『平穏な日』
「ユウ兄! その料理、こっちにも!」
「了解だよ、セレマ」
長い茶髪に青い目の少女――セレマは木のお盆を片手に乗せるようにして持ち、厨房にいる、黒髪の青年――ユウマに客の注文を伝える。
その兄妹が営む、小さい村で唯一の飲食店、『ベラマティーナ』は今日も朝から大賑わいだった。
あの、自らを王国騎士団の二番隊隊長だと言った、ヴェルラという名前の男が率いる集団が起こした、事件から今日でちょうど一週間というところだ。
村人の怪我や、壊れた村の建造物など、まだまだ元通りとはいってはいない、いや、全て元通りにいくことはないだろうが、村の活気はすっかり以前のものを取り戻していた。
むしろ、あの夜を乗り越えて、結束力が高まったとも言える。
勿論、取り返しのつかないこともあるが、この村が、王国騎士団なんてものを敵に回して、これだけの人数生き残れたのは奇跡だ。
それもこれも、この村に偶然訪れた、火の玉を連れた、少女のおかげだ。
彼女が、この村にいなかったら、あの夜に、村は滅んでいただろう。
彼女への恩は計り知れない。
そんな事を料理を作りながら、ユウマが思っていると、噂をすればなんとやら、少し紫がかった艶やかな黒の長い髪を二つ結びにして、フリルの付いた白と黒を基調としたドレスの様なものを見に纏ったその少女――エリファは、その使い魔、いや、よく分からない紫の火の玉――ザガを連れて、店に入ってくる。
「エリー! おはよう! 今日もゆっくりしていってね!」
そのやってきた一人と一匹の姿を確認するなり、セレマは、ぱぁっと明るい表情を浮かべ、嬉しそうに跳ねながら近づいて声をかける。
「……うん、おはよう」
「ザガちゃんも、おはよう!」
「おう、思う存分くつろぐぜ。姫も、起きた時から『今日のメニューは何かな? 何かな?』って、ヨダレ垂らしてたぞ」
「そんな事言ってないし、垂らしてもない。……ザガ、あまりふざけたこと言ってると引き千切るよ?」
「引き千切る!?」
「ふふ」
いつもの様に調子に乗るザガを、両手で掴み、左右にものすごい勢いで引っ張るエリファ。
そんな光景に、セレマは思わず笑いが込み上げる。
「ぎゃああああ! 嬢ちゃんも笑ってないで、姫を止めてくれ! このままだと、延びる! 延びるから!!」
「延びるんだ」
ザガの絶叫を聞いて、その安否よりも、好奇心が勝ったのか、セレマは目を輝かせる。
「おい! なに、キラキラしてんだ!」
「――セレマちゃん! 俺らにも、飲み物持ってきてくんねえか?」
「はーい、ただいま!」
「待って! 行かないでくれ! な? 頼むぜ、俺ら友達だろ?」
ザガの必死の訴えも虚しく、セレマは他の客に呼ばれ、そっちへ行ってしまう。
「あはは。エリファさん、空けておいたので、こちらの席にお座り下さい」
「兄ちゃん! 助かったぜ!」
ユウマが厨房から、その厨房の前のカウンターの席を示す。その席は、エリファ達が初めてこの店に来た時に座った席と同じだ。
エリファはユウマに言われるがまま、ザガを引っ張る行為を中止し、賑わう店内を進む。
席につくと、厨房の中から、リズム良く軽快に弾むパチパチという焼ける音が、同時に、香ばしい香りがエリファの食欲を刺激する。
「兄ちゃん。気になってたんだけど三日くらい前から厨房に立ってっけどよ、もう身体大丈夫なのか?」
「……料理が出来るくらいには、なんとかね。今も身体中に包帯を巻いているよ、ほら」
ユウマが服を捲ると、その肢体には夥しい量の包帯が巻かれていた。
「……よく立っていられるね」
「あはは。身体に影響するような魔法が得意でね。治癒魔法とか、痛みを抑える魔法とか、色々と使って、紛らわしているんだよ」
「おいおい、仕事も解るがあんま無茶すんじゃねえぞ?」
「大丈夫だよ。好きな事をしている方が落ち着くんだ」
「そういうもんか?」
「そういうものなんだよ」
それでも、ユウマはあの夜、男のナイフを四、五本、刺されたはずだ。
普通なら死んでもおかしくない状態から、約四日で動ける様になるのは驚異的だ。
ユウマに留まった話ではない。
この村の人々の回復の速さには、目を見張るものがある。
やはり、それほどまでに、魔力の質が高いのだろうか。
原因は不明であるが。
驚異的で不明といえば、事件当時、村の人々全員の命に関わる箇所にだけ、微弱な魔力の保護膜を張っていた魔法、いや、あるいは魔術か、いずれにせよそれも、誰が、いつ発動させたのか分からない。
あれだけ器用に、それも、村人全員に作用する程の技術力と魔力、並大抵の者には出来やしないものだ。
少なくとも、エリファが宿泊小屋に入る前まではそんな様子は無かったが――、
「はい、出来ました。今日も、熱いうちにどうぞ」
そう言って、出された料理を、口に運ぶ。
「やっぱりおいしい」
「この魚は、村の近くの湖で今朝、釣れたものなので新鮮なんですよ」
「どおりで、香りから味まで良いわけだ」
なんにせよ、『友達』のセレマと、関係する人達を守れたという結果があれば、過程はそこまで関係も興味もない。
――最初は、全く助ける意志はさらさらなかった。
だけど、『友達』であるセレマの横を通り過ぎようとした時、何故か、突然、助けなければ行けない気がしたのだ。
『友達』は守らなければいけない、そんな気が。
気付けばエリファは男を睨みつけ、「見逃せない」と放っていた。
その時は、心の底に『怒り』の様なものを感じていた気がする。
ともあれ、今回の出来事は分からないことだらけだった。
「――エリファ、本当に今日で、この村を出て行っちゃうの?」
仕事に一段落着いたのか、エリファの隣の席に座り、悲しそうな表情をこちらに見せ、セレマは呟く。
「……うん、この料理を食べたらね」
「ごめんな。嬢ちゃん、寂しいのは分かるが、俺らには成すことがあるんでな」
「えっと、幽鬼は弱くて虐められてるから、その力を世界に知らしめてやる、だっけ?」
「まあ、そんなとこだな。んでもって、このプリティーガールは、『幽鬼の姫』っていう、まあなんだ、幽鬼の秘密兵器っつうか、ボスっつうか、ええと、そんな感じだ」
「……ザガ、適当すぎ」
「許せ、姫。姫の魅力を伝えるには、俺のボキャブラリーパワーでは足りてねえんだ」
そう、私達にはやることがある、だからこの村に、何時までも留まっている訳にはいかない。
ちなみに、エリファは村人の生死を確認するなり直ぐにでも王都に向かうつもりでいたが、セレマに少しでもお礼がしたいと必死に抗議された。
それでも、そそくさと出ていこうとするエリファに、セレマは「ユウ兄の作る料理が食べられるよ!?」と言い、エリファもそれに一週間という条件付きで乗っかった。
実はすでに、エリファはユウマの作るご飯の虜である。
それに気づき、そこを突くとは、セレマは中々の観察眼の持ち主なのかもしれない。
そんなこんなで一週間がたち、今日、予定通りにこの村を出発するつもりだ。
「でも、そっか……。ううん、もうワガママ言わない。何だか、エリーとはまた直ぐに会える気がするもの」
実際のところ、お礼がしたい、というよりはセレマ自身、唯一の友達であるエリファと別れたくない、というのが本意だろう。そう考えると、可愛いものである。
「そういえば、嬢ちゃん。いや、この村の奴ら全員に言えることだけど、俺はともかく、姫が幽鬼だって聞いても驚かねえのな」
「ううん、ちゃんと驚いたよ! けど、エリーの見た目ってほんとに可愛い同年代の女の子にしか見えないし」
見た目のことはかなり気にしていた事項である。
セレマの発言を聞くあたり、問題にはなってないようだが。
「それに、この村を守ってくれたもの! 怖がったりする方が間違ってるわ! あと、幽鬼に対する見方も大分変わったよ?」
「その通りだ!」
「あんたらは救世主だよ」
「感謝してもしきれねえ」
「幽鬼の嬢ちゃん、結婚してくれ!」
「おう。もっと褒めろ褒めろ! あと、どさくさに紛れて、姫に求婚した奴出てこい!! 許さん!」
「……お前は親か」
セレマの言葉に次々に賛同する周囲の村人達。
変わった村人の言葉にツッこむザガも、こころなしか楽しそうだ。
セレマの言葉通りなら、エリファ達の目的は、小さな村の中だけであるが、達成出来たみたいだ。
次第に騒ぎが大きくなり、祭りのようになる村の勢いに巻き込まれながら、エリファは少し希望を抱くのであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村長であるバズラは、その家の中で、一人、とある女性の事を思い出していた。
事件前、バズラの元にやってきて王国騎士団が村を狙っている事を教えてくれた謎の女性。
その女性は、真っ白な髪と肌をしていて、赤い、太陽の様な目をしていた。
初めて出会った時は、
「しばらくして、この村に、珍しく旅人がやってくる。少女と、火の玉が一人と一匹、その者達を怪しがらずに泊めてやりなさい」
と、そう言い残し消えていった。
「他言するな」
とも、言い添えて。
そして、その女性はヴェルラと名乗る男がやってくる直前にまたバズラの前に現れ、『魔力柩』という、魔法や魔術を閉じ込めておく箱のような物を渡し、
「この『魔力柩』には、自身の姿を消す魔術と、村の者、皆の命を守る魔術が入っている。あまりに大人数の姿を消すと、気づかれて、魔術を解除される可能性があるから、姿を消すのは貴方だけ。今夜使いなさい」
と言うなり、またも消えた。
その女性が、言った通り、エリファという少女とザガという火の玉を村に泊めた。
すると、この村は救われた。
この魔力柩と、かの者達によって。
――――あの女性は一体、何者だったのだろうか?
次回、村を出発します。