三章第13話 エリファ
――最初は僅かな違和感だった。
自分という存在への認識。そのちょっとした、しこりのようなもの。森で目覚めたばかりの頃は、気にならない程度の大きさだったが。
その頃は、私には名前がなかった。
あるのは魂に焼き付いた『目的』、『存在理由』、ただ、それだけ。
――『幽鬼の力を世界に示す』。
身体、あるいは魂、あるいは魔力核の内側から聞こえるその声に従い、行動を開始した。
しかし、とある村に立ち寄り、名を問われた時、途端に何かざわつきのようなものが駆け巡り、不意に口を衝いて出た言葉が、
『エリファ』
その名前だった。
それからというもの、私はエリファを自称し、他の存在にもそう認めさせてきた。
暫くして、胸のざわめきも忘れそうになった頃。突然に私の前に現れたのは『絶望』を名乗る少女だった。
この出会いが、次に違和感を覚えた出来事。これを境に、私は自分という存在の在り方を疑い始める。
そして、謎の影のようなものとの接触。あれに触れられた時に私を内側から食い破った何か。
それに続くようにやってきた、もう一つの『絶望』との出会い。
不可思議な存在と出会う度に、比例して大きくなっていった、疑心、不安感、そして記憶と力。
膨れ上がっていたそれらは、ある時、思わぬ第三者の介入によって分離、明瞭化した。
それが、今の私。
それが――。
※※※※※※※※※※
「――っつ。暫く意識を失ってた……?」
ウィルの自爆に巻き込まれた後、エリファはゆっくりと目を覚まし、身体を起き上がらせる。
辺りを見渡せば、見るも無惨な瓦礫の山と、そこら中で空へと上っていく黒煙。見るからに、状況は悪化している。
「皆は……いない、か」
察するに、爆発に巻き込まれた一行はバラバラに吹き飛び、街の各所に散らばった、と言ったところか。
そのまま、邪神達が命ごと吹き飛んでくれれば問題はないのだが、同じく飛ばされたエリファが無事だということは、そういうことなのだろう。
それに、
「あの瞬間。邪神が障壁を展開してた」
爆ぜる光に視界を奪われる直前。邪神が半透明なバリアを貼るのが見えた。恐らく、そのせいで、吹き飛んでさえいないだろう。
しかしまあ、あの場からの脱出という目的は果たされた。結果は上々だ。
この状況でバラバラになってしまったことを除けば、だが。
「はぐれたのが、私だけ……というのならいいんだけど」
そう上手くはいかないだろう。
なんせ、エリファは運がない。
「さて、と」
意気込み、エリファは状況の詳細を確認する。
まずは、辺りから絶えず聞こえる悲鳴と、怒声から。エリファ達が聖堂に入る前は、この街は平和そのものだったはずだが、それがどうしてこのような地獄絵図になったのか。
その答えは、エリファの視界の縁で授けられる。
「やめて、やめてください!!」
「ひひ、ひひひ、ひゃっひゃっはひひひ!! 時は来たッ! 邪神様の贄となれる、喜べ。喜べぇッ!!!」
「かはっ、うぁ……ぁ」
「……ああ、なるほど」
そこには、泣き叫ぶ一人の女性を、狂ったように刃物で斬りつける男の姿。そして、女性が涙を流しながら絶命する様子を冷たい目で見て、エリファは理解する。
「邪神の信者か。生贄と言っているあたり、住民を根こそぎ……かな。わかりやすい答えをありがとう」
贄、とは『熱愛の絶望』リーベも口にしていたなとエリファは思い出す。
「つまりは、邪神が完全に復活するまでには、生贄が必要。時間がかかる」
あれほどの力を持ってなお、完全体では無いというのだからとんでもない。贄が必要数に達し完全体になる前に止めなければ、もはや手の打ちようがない。
しかし、裏を返せば、奴を仕留めるには今がギリギリのチャンスということだ。
「ああそうだ。セイラも探さなきゃ」
あの邪神の姿。最高司祭の娘――セイラ・ヴェーラの姿をしていたが、あれは恐らく仮の姿、偽物だろう。一瞬、セイラが邪神だったのかと驚きはしたが、あれからはセイラの気配を感じなかった。
故に、セイラは何処かに囚われている可能性が高い。既に殺されていたら、話は別だが、姿を真似るくらいには利用価値があると思われているはずだ。
「はぁ……やることがいっぱいだ」
だが、状況は掴んだ。不明な点も多いが、エリファがやるべき事はハッキリとした輪郭を帯びている。
「ウィル・シリアル・クロとの合流。加えて、行方不明のセイラの捜索、保護。『熱愛の絶望』も押さえて……ケジメ、もう一人の私も何とかしなきゃいけない。それに、母、『邪神』も復活を遂げる前に封じなきなきゃ」
自分で言っていて、おかしくなりそうな情報量だ。
けれども、もう一人のエリファとの分離を自覚したからか、力、いや、記憶もかなり明瞭だ。
今なら、覚悟もある。問題なく力を振るうことが出来る、はずだ。
「まあ、でもまずは――」
やるべきことを一思いに並べたエリファは、決意の表情を浮かべ、辺りの様子を再確認する。
先程までとは違い、いくつもの気配がエリファの周りを囲んでいた。
生体センサーにもバッチリと数え切れないくらいの生体反応がある。
「皆様よくお集まりで。何か用?」
「……邪神様は貴方を求めている。抵抗しないのならば痛い目に遭うことも無いが」
「それは……丁寧にどうも」
囲んでいるのは言うまでなく、邪神の信徒達だ。全員が刃物を見せこちらを脅している。
だが、生憎と、エリファには従うつもりが微塵もない。
「でも、断らせてもらう」
「そうか。では、我々も穏便に済ませることを止めよう」
エリファが拒絶すると、途端に代表者のような男は殺気を放つ。続けて、辺りの信徒達も一斉にエリファへと殺意と刃の先端を向けた。
常人では発狂してもおかしくは無い程の、数え切れない殺気を向けられたエリファは、それでも尚、顔色を変えずに静かに目を閉じ佇む。
「――やれ」
エリファのそんな態度を挑発の一種と受け取ったのか、代表格の男は攻撃の指示を出す。
すると、大きな波のような人数の信徒達が同時にエリファ目掛けて動き出した。
「…………」
エリファは落ち着き払い、俯き、脳裏に思い浮かべる。あの香りと、あの姿を。
次の瞬間、
「うわぁっ!? なんだこれは……ぐぁっ」
エリファの足元から、黒い茨が伸び、飛びかかってきた信徒達の身体の中心を深々と貫いていく。
――『黒薔薇』。
それがこの力の名前だ。
この『花』の名前だ。
突如現れた『黒薔薇』に、怯んだ信徒達は、エリファから距離を置き、息を呑んだ。
静寂の中、エリファはただ風にドレスと黒紫のツインテールを靡かせ揺蕩う。
――私は思い出した。
私は四つの存在が混ざって出来た一つの存在。
今は、半分で二つの存在で構築されているが、逆に分かたれたことによって、複雑さが緩和され、確かな輪郭を得た。
そしてその風が止んだ時、エリファは片手を胸に置き――、
怖かった。自分が自分で無くなるのが。
でもそれは、ただただ、受け入れ難い自分の要素から逃げているだけだった。私は、もっと早く、向き合わなければいけなかったのに。
それこそ、ザガにでも聞けばよかった。教えてくれないかもしれない。けど、今までのエリファは聞くことすらしなかったのだ。
でももう、エリファは覚悟を決めた。全てと向き合う覚悟を。
だからまずは今まで拒絶してきた、自分の中の得体の知れない何かを認めるところから始めようか。
――今一度、新しい自分の誕生を世界に証明するように、名乗りを上げる。
「――私はエリファ。貴方達が求める『邪神』の娘であり……『束縛の絶望』エリファ・フィレール!」
俯いていた顔を上げ、閉じていた青い瞳を開く。
これが私だ。
二度と、目を逸らすことは無い。
さあ、花弁を散らせ、心ゆくまで舞うとしよう。
「解かれることの無い縛りをもって――望みを絶つ!!」
――――絶望の、花が咲く。




