三章第12話 『286975346』
――誰かが言った。
今でこそ邪悪な彼女も、昔は、清らかな美しい女だったと、誰かが。
彼女は『神』だった。
絶大な力をもった『神』の一柱。
それが美しき彼女に与えられた立場であり、人々は彼女を崇め、敬い、そして、恐れた。
心優しき慈愛に満ちた彼女。
だが、そんな彼女にも『試練』はやってくる。
「何故だ! 何故、お前が私達の命を狙う!? ――――『覇龍』!!」
輝く宝石のように煌めく瞳で見つめる先に、猛々しく覇気を纏いし男が一人。
彼は唐突に『神』の前に現れ、そして、終わりを告げる。
「死ぬがいい。人間に愛されし神よ」
その男は、『覇龍』と呼ばれる存在であった。
神をも恐れぬその男は、圧倒的な力を持って、その神を殺そうとした。
彼女も全てを守るために抵抗し、この『試練』は、激しさを増す。
地は割れ、天は荒れ、そして――、
「……終わりだな」
――男が神の首を落とした。
結果は、神の惨敗だった。
男は無傷で神を殺したのだ。
が、しかし、話はこれで終わりではない。
そう、その男の手が、神の腹の中にいた子供にまで伸びようとした時だった。
「――――ッ! 馬鹿な! そんなことをすれば、貴様は……」
「構わない。この娘を守れるのならば」
人々に愛され、溢れんばかりの優しさを持っていた彼女は――――それはそれは醜い、憎悪をもった悪の神へと成った。
その後やがて、彼女は『覇龍』を退けるも、力を暴走させてしまう。
人々に恵愛を齎していた心優しき美しい彼女は、破壊を齎す邪悪な神へと変わってしまったのだ。
故に、『覇龍』との戦いで消耗していた彼女は、果てには守るべき筈だった人間達に、他の神の協力を得た者達の手によって、封印されていったのだった。
※※※※※※※※※※
「えっと、つまり……今私達は、後ろから絶望と幽鬼に追われてて、その上、地下から『邪神』が這い上がって来てるってこと?」
「うむ」
「…………っはぁぁぁぁ」
この状況、まさに絶体絶命じゃないか。
クロの斬撃とウィルの罠のお陰で、『熱愛の絶望』の花――『カーネーション』と、もう一人のエリファの『咎人の剣』はギリギリのところで凌げている。
しかし、それに『邪神』という存在の力が加わったら話は違う。
ただでさえ逃げ場の少ない、地下空間なのだ。
「……下手したら、ここで全員ゲームオーバー」
それも決して低い可能性ではないバッドエンドだ。
追ってきている二人はともかく、『邪神』の力は未知数すぎる。
未知とはいえ『神』などと呼ばれるくらいだから、強力な存在であることには違いない。
「幸い、私達が入ってきた出入口はそう遠くない。……このまま逃げ切ろう」
「そこまで上手く行けばいいがな」
「……うん、確かに、気配がどんどん濃くなってる」
予想していたよりも、足元から伝わる悪寒のような気配が近づいてくるスピードが速い。
なんとしても、『邪神』がエリファ達を捉えるまでに、この地下空間を脱出しなければ。
地上に出られれば、少しはこちらにも勝機はあるはずだ。
しかし、
「――切り裂け!」
一刻も早くこの地下空間抜け出したいエリファ達を追跡者が許さない。
クロの放つ斬撃から逃れた一つの円形ノコギリが、通路の壁を破壊しながら、エリファ達の進路に回り込み、シリアルが抱えている重症を負ったウィルへと向かう。
それを、シリアルはこの狭い地下通路で器用に半身を翻し避ける。
「怪我人狙うなんて、ひきょーだよぉ!」
「知ったことか! ほら、まだまだいくぞ」
「そうはさせん、斬ッ!」
行動不能となっているウィルを狙ったその攻撃に、汚い悪意を感じるが、そんなことはお構い無しに、『熱愛の絶望』リーベはノコギリを投げつける。
が、今度は全てをクロの斬撃に防がれてしまう。
「チィッ!」
「……『咎人の剣』」
「――! 『咎人の剣』!!」
その円形ノコギリと斬撃のぶつかり合いの合間を縫うようにして、飛来する二本の黒い剣。
こちらへと向かってくる黒い剣、それに、全く同じ形をした黒い剣がぶつけられ、勢いは相殺される。
この黒い剣は見た目に惑わされてはならない。
見た目以上、いや、見た目からは想像を絶するほどの質量をもったのがこの剣、『咎人の剣』なのだ。
まるで背負った罪の重さを忘れさせないように、刻み込むように現出するその仕組みはエリファ自身がよく知っている。
「本当に、正気じゃない。私に何があったっていうの……」
「今は考えていてもしょうがない類の問題だ。……エリファよ、こっちだ!」
「……わかった」
血走った眼でこちらを、主にエリファを獲物を見つけた蛇の如く睨みつけるもう一人のエリファ。
審判の扉に触れ、分離して、その後に何があったというのか。
ここまで『エリファ』を狂わせる、何が。
しかし、その答えは当然ながら出てこない。
分離した方の記憶は、共有されてはいない。
お互いに、『自分』自身のことしか認知は出来ない。
クロに呼ばれ、キリのない思考を放棄して、曲がり角を曲がるエリファ。
すると見覚えのある梯子が、目の前に現れる。
――出口だ。
それを登り、地上に出ることが出来れば、取り敢えず、体勢を立て直すことが出来るし、全滅は免れるはずだ。
「ふぅ、やっとこのジメジメした気持ち悪いところから出れ――わわっ!」
梯子を見つけるや否や、それに触れ、登り始めるシリアル。
そのシリアルが天井の差し込む光に、息を吐きながら手を伸ばそうとした、その時だった。
「……あら、どこへ行こうと言うのかしら」
ピシピシという不快な音とともに、亀裂が入ったかと思うと、次の瞬間、嫌な悪寒が空気を満たすと同時に、派手な音をたて、天井が崩れだした。
梯子の下にいたクロはウィルを抱えたまま素早く距離を取り、エリファは身体を『完全幽体』の効果で霧散させ、瓦礫を防いでみせる。
「『呪いの鎖』!」
エリファはその上で、瓦礫と一緒に落ちてくるシリアルに向けて、急遽生成した鎖を投げつける。
「捕まって」
「捕まえたよぉ!」
「それじゃ、引っ張るよ」
黒い鎖を空中で掴んだシリアルを、エリファは瓦礫の無いルートで勢いよく引っ張り、その身体を抱き寄せる。
その際に、右肩に鈍い痛みが生じるが、シリアルが無事なら関係ない。
しかし、この状況は、いささか穏やかでは無い。
出口は塞がれた。
いや、天井が崩れ落ちただけならまだよかった。
それだけならば、まだこじ開ければ脱出できる。
だが、そこにはいたのだ。
奴が。
「あら、どうしたの? 皆して、目を丸くして」
「…………ああ、なるほど。……行方不明だって聞いて心配してたんだけど」
白の生地に紫の幾何学模様が入った修道服。
金の髪を揺らし、空中に揺らめき漂う、瞳に狂気を宿した少女の姿。
――セイラ・ヴェーラ。その少女は数刻前、エリファ達に自分を最高司祭の娘と名乗った少女に違いなかった。それが、今、エリファ達の唯一の退路を塞いでいる。
「ふふ、ああ、この姿だからかしら。まあいいわ……だってやっと会えたんだもの」
「――――」
セイラの姿をした『何か』は、そう言うなりエリファを熱っぽい視線で見詰める。
これが――そう、こいつがそうなのか。
「ねえ? ――――――『我が娘』よ」
「『邪神』……!」
そう、それは紛れもなく――『邪神』だった。
そして、同時にエリファの母親でもある。
エリファの中に混ぜこまれた四つの魂。その内の一つの魂は、この目の前の『邪神』という存在と大きな繋がりを持っている。
「ああ……愛しの女神よ……」
エリファ達に追いつき『邪神』の姿を見るなり、頭を垂れて跪く『熱愛の絶望』リーベと、それに続く『善』のエリファ。
あそこまで周りが見えていない様子だった『善』のエリファが、そうやって跪くのは意外だったが、そんなことに驚いている余裕はない。
「ふふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ、エリファ。貴方さえ私に着いてきてくれるのであれば、他の者達は見逃してあげるわ」
「……ふざけるな、エリファは渡さない」
エリファを渡せばそちらに危害は加えないという『邪神』の提案に、猛抗議するのは、依然クロに担がれたままのウィルだ。
そんなウィルを見て、『邪神』は笑みを浮かべ、
「あらあら、とは言っても貴方もう満身創痍じゃない? 身体も震えちゃって……貴方とっても臆病ね」
「五月蝿いな……! 僕だって好きで臆病してる訳じゃないんだよ。とにかく! お前の提案は却下だ」
「あなた達にとって悪くない提案だと思ったのだけれど」
「どこが。エリファを持っていかれる時点で良い点なんて存在しないよ」
「……はあ」
精一杯強がってみせるウィルの態度に、『邪神』は心底呆れたように息を吐く。しかし、それでもウィルはその強がりを決してやめようとしない。
それを見て、ウィルの説得は無理だと思ったのか、『邪神』は提案をする対象を変更する。
「なら、他の貴方達はどうかしら、この提案を受けてみる気は無い?」
「……ん? ああ、我達か?」
「他に誰がいるというの?」
提案を飲むのか飲まないのかを再び問う『邪神』。
対するクロとウィルは少しの間の後、お互いの顔を見合って「ぷっ」と吹き出したかと思えば、今度は邪神の方を向き、そして言い放つ。
「――貴様、さては馬鹿か?」
「――あなた、さては馬鹿ぁ?」
「なに……?」
「聞くまでもない、そんな提案は却下だ。生憎と我は愚か者、損得で物事を決められんタチでな」
「そうだそうだぁ! あなたみたいな陰気なのはぁ、さっさと帰って今まで通り土の中で、ミミズよろしく引きこもりでもしてたらぁ?」
しんと静まり返る空間。
その静寂を破ったのは、一つの笑い声だった。
「ぶっはははは!! ほらみたか! お前の提案を受け入れる奴なんて居ないんだよ! ……よし、エリファ、それとシリアル。僕の傍にくるんだ」
クロとシリアルの煽るような言葉に、笑いをこらえきれなくなり『邪神』を指差しながら大爆笑するウィル。よく見れば彼の身体の震えは無くなっている。
ウィルの言う通り、彼の傍へと直ぐに移動するエリファとシリアル。その命令が、どういう意図なのかをエリファが彼に問おうとすると、その頭上で何か大きな力が弾ける。
「――殺す。お前ら全員殺してやるッ!!!」
その力の発生源は『邪神』だ。
『絶望』三人衆に煽られたのが、気に食わなかったらしい。叫んだ声は、ただならぬ怒りを孕んでいる。
先程までとは違い、明確な殺意を向ける『邪神』。
そして『邪神』は、一点に邪悪なる力を集め、凝縮していく。
「これは使いたくなかったが、状況が状況だ……緊急脱出用プラン、実行だ!!」
「ちょっとぉ! 私達どうするのぉ!? あれ当たったらやばいんだけどぉ!」
「任せてくれ、後のことは君達次第だが、君達なら大丈夫なはずだ!」
「だからなに……」
「――殺す。殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す、コロスッッ!!!」
「おい臆病、くるぞ!!」
絶体絶命な状況に、さっきまでの威勢は何処へやら。クロとシリアルは『邪神』の一挙手一投足の挙動にビビりまくり、慌てふためいている。
しかし無理もない、遂に、『邪神』から全ての光を吸収する黒の凝縮された力の弾が飛ばされたのだから。
あと、数秒後にはエリファ達はそれに巻き込まれ、跡形もなく消滅してしまうことだろう。
「これは……不味い……!!」
そして、ジリ、ジリ、と空間を飲み込みながら近づいてくる黒の力の塊が、エリファ達をも押し潰そうとした、その時だった。
「おい、臆病!?」
「よし、いくぞ。緊急脱出用プランNO.286975346――――『自爆』!!!」
鋭く白い閃光が、黒き力に対抗するように、放たれ、
「……ぇ? じば――――」
エリファが言葉を言い切る前に、地鳴りのような音を響かせながら、そのプランは効果を発揮し、
――膨大な熱と光が地下空間諸共、全てを吹き飛ばしていった。




