三章第10話 『咲かせ死に花』
広めの薄暗い部屋に満ちた鉄の匂いと、甘ったるい花の香り。
二つは絡み合うように混ざって、香りを嗅ぐ者の精神を削り取っていくことだろう。
だが、エリファは至って冷静だった。
噎せ返るほどの異臭を嗅いでも、足元に広がる血の海を見ても、天井から吊るされた血みどろの腐った死体を見ても、何かをそこから感じることは無かった。
こうしてエリファは改めて、『審判の扉』に触れた時から自分の身に起こった変化の激しさを実感する。
「――これは貴方が?」
「……そうだ、私がやった」
「そう」
血海の中心に佇んだ、花の香りを漂わせている男にエリファが問うと、その男は短く答える。答えた男の表情からは感情を知ることは難しい。
その男は黒いロングコートを肩から羽織っていた。やや細めの薄い緑の瞳に、色素の薄いクリーム色の短い髪の細身の男。
その口元は、ロングコートの特徴的な大きいサイズの立襟で隠されている。
そんな風変わりな男はエリファの様子を見て、揶揄うような声色で話し出す。
「なんだ? 怒っているのかい?」
「…………何も」
前までのエリファなら、ここで怒りという感情が現れていたに違いないが、残念なことに、これだけの死体の山を見てもエリファの心には波一つさえたっていなかった。
エリファの返答に男はそれまでの興味が冷めたような、はたまた呆れたように肩を竦める。
「ふはっ、あーあ。だよね。お前にそんな感情は無いか。お前はいつだって冷たかった、そうやって、無表情で、無関心で、物事を見つめて、それでいて……人をお前という存在に縛り付けていくんだ」
「……君なんかに、エリファの何がわかるって言うんだ」
この男も例に漏れず、エリファの知らないエリファのことをブツブツと呟いた。
こちらを馬鹿にしたような男の態度に、エリファの後ろにいた怒りを露わにしたウィル。
そんなウィルの言葉すら下らない、といった感じで男はわざとらしく首を振って論を反する。
「じゃあ、お前は、こいつの何を知ってるって言うんだ? こいつはお前が思ってるようなやつじゃない。こいつの中身は冷たくて、得体の知れない化け物だ。お前らは皆、こいつのその化けの皮に惑わされて、騙されてるんだ」
「こいつ! 僕は――」
「……で、どうするの?」
男の淡々とした非難の声に、遂に熱が入り始めたウィルの言葉を遮り、エリファは表情を一切変えずに、問いを放つ。
「うん?」
「貴方は、この部屋にやってきた私達をどうするの?」
「ふはっ。とことん無だな、お前。さっきまでのやり取り聞いてなかったのか?」
「……興味無い」
本音だ。今のエリファにとっての目的は最高司祭の救出と『箱』の奪還、あと自分なりのケジメを付けることだ。
この男のことは、目的にもケジメを付ける対象にも入っていないし、興味がない。
だが、この男が達すべき目的を邪魔するのであれば、話は別だ。
だからエリファは問う。
敵対の意志を。
「そうかいそうかい。で、お前達を私がどうするか、だったな?」
「――――」
「ふはっ! お前を殺してしまったら、私の愛すべき人は悲しむだろうけど、しょうがないよね。お前、ここにきちゃったから。彼女に近づく虫は全部排除しないと!」
「――――」
「ああ! 明言しよう、私はお前達の敵だ。無駄な命だけどさ、せめてここで死んで、彼女の贄となってくれよ! 綺麗な死に花を咲かせてくれ!!」
言い切ると同時に、男の周囲の空気が『異質』で満ちる。何度も感じたその香りと、その気配。
そして、男はエリファの想像通り、あの言葉と共に、能力を発動する。
「――私は『熱愛』の絶望、リーベ! ……私の呼び掛けに答えよ『カーネーション』! 『熱烈な愛をもって、望みを絶つ』!!」
「エリファ、くるよ!」
「うん」
リーベと名乗った男の手の中に現れたのは一輪のピンクの花。
花弁がギザギザとしているその花は、男の手の中でみるみるうちに姿を変えていく。
有機物だったそれは、金属、すなわち無機物へと変化し、その花弁はギザギザの刃となる。
「これが私の花、カーネションだ。今の形は……わかるかな、円形ノコギリといえば」
ノコギリといえば、木を伐採する際に使用されるものだが、男――リーベが手にしたカーネーション、否、ノコギリは円形。
リーベはそれを縦にして、人差し指と中指で挟んで持っている。
なるほど、通りでこの部屋の死体は皆バラバラなのだ。亡骸によって切り離された部位は違うが、腕、足、さらには腹を切られたものは臓器をぶちまけている。この血の量も納得だ。
「さて、どこから切り刻んであげようかッ!」
「――!」
円形ノコギリを構えた男は、そう言い放つと同時に、そのノコギリをエリファを目掛けて投げつける。
エリファはそれを右に大きく飛んで回避する。
『完全幽体』を持つエリファだが、『飢餓』と『臆病』の時と同じように、『絶望』の攻撃は通ってしまう可能性が高い。故に真っ向から受けるなどということはしない。
が、しかし、そこで予想外のことが起こる。
「……まだだよ」
一度は避けたノコギリ。だが、本来ならエリファの後ろの壁へとぶつかり失敗に終わるはずだったその攻撃は、壁にぶつかる手前で突然と軌道を変え、再びエリファの方へと向かい始める。
「『咎人の剣』――!」
エリファは再度向かってきた円形ノコギリを、生成した『咎人の剣』を掴み、振り上げ、なんとか弾き飛ばす。
弾かれた円形ノコギリは天井に突き刺さり、動きを止めた。その衝撃で、天井から吊るされていた死体の一つが落ち、床の血を、べちゃっ、と跳ね上げる。
エリファは、天井の円形ノコギリが無力化したのを見て、ホッと息をつくが、そこにウィルが叫んだ。
「エリファ、もう一つくる! 『臆する病をもって、望みを絶つ』!」
「え?」
「守れ、『オシロイバナ』!!」
ウィルが叫び、オシロイバナの光の茎が噴出するのは、驚くことにエリファの身体からだった。
そして、油断したエリファの身体を分断するべく飛来していたもう一つの円形ノコギリを、エリファの腹部から噴出したオシロイバナの凄まじい熱が飲み込む。
「ふう、緊急用の種を仕込んでおいて正解だったよ。大丈夫かい? エリファ」
「う、うん。ありがとう助かった。……油断した」
全く気づかなかった。この場にウィルがいなかったら、エリファの身体は晴れてお腹から真っ二つになって、床の血の海に臓器をばらまいていた事だろう。
予想外の攻撃に、危うく死にかけ、エリファの鼓動は早まる。
「誰が一本だけだなんて言ったんだい? それに――」
「ヒィッ!」
こちらを小馬鹿にしたような笑みを浮かべるリーベ。しかも、その笑みと同じタイミングで、天井に突き刺さり無効化された筈のノコギリが再び、今度はウィルの頭上を目掛けて急降下した。
エリファは、勢いよく落ちてくるノコギリを『咎人の剣』を投げつけ、ウィルの頭への直撃を阻止する。
金属と金属がぶつかる甲高い音を出しながら、『咎人の剣』によってあらぬ方向へと飛んでいった円形ノコギリは、そのまま、リーベの手へと戻っていき、
「一つ目の攻撃が終わったとも言ってない」
――最初の位置、人差し指と中指の間へと収まった。
「……さてウォーミングアップは終わりだ。次は、これで」
リーベが呟くと、そこに現れるのは、既に現れていた二つの円形ノコギリとは別のもう二つの『カーネーション』――円形ノコギリだった。
新しく現れた二つの円形ノコギリは、男の両手の中指と薬指の間へとそれぞれ収まる。
これで円形ノコギリは計四つ。
――この数は少々不味い。
「さあ、舞うがいい、我が花弁達よ!」
「もう一つ、『咎人の剣』!」
リーベが投げる四つの円形ノコギリは、様々な軌道を描いて、エリファの身体へと向かう。
それに対するは、既に生成されていた一本と新たに生成した一本と合わせて二本となった漆黒の刀身をもつ『咎人の剣』。
まず、エリファは二つの円形ノコギリを自由に飛ぶ『咎人の剣』で空中でそれぞれ弾いた。
次に、その二つが戻ってくるよりも先に、エリファは再び『咎人の剣』の柄を握りしめ、残りの二つを直撃スレスレのところで、弾く。
が、もう二つの円形ノコギリを弾いた時にはもう既に、最初に弾いた二つが再びエリファの身体を狙っていた。
「おいおい。そんなものか?」
「くっ――!」
入れ替わるようにして戻ってきた二つの円形ノコギリをエリファは身をひねり回転しながら、新調したばかりの服を掠める位のラインで避けてみせる。
しかし、そこにまたも、休む暇なく別の円形ノコギリの攻撃がエリファを襲う。
「ぐぅぁっ!」
「エリファ!」
ついにエリファの動作は絶え間ない円形ノコギリの攻撃に間に合わなくなり、急所は辛うじて避けたが、右肩に回転した刃を受けてしまう。
途端、走った鋭い痛みに、思わずエリファは小さく悲鳴を上げた。
ドクドクと戦闘により早まった脈を心臓が打つ度に、じわりと斬られた箇所から滲み出る血と熱。
エリファは右肩を抑え、少しでもと、止血を試みる。
「その様子だと右腕は暫く使えそうにないね? チャンスだ。一気に畳み掛けるぞ、『カーネーション』」
だが、四枚の円形ノコギリは、そうやってエリファに怯む時間さえ与えない。
痛みによって動きが鈍くなった獲物を、猛狂う獣の牙のようなそれが、見逃す筈もなく、逆に獲物が弱ったのを好機と見て、容赦なく攻撃を浴びせようとする。
――これは、マズい。
「させないよ! プランNo.128624768! 緊急用トラップその二だ!」
万事休すか、と思われたその時に、ウィルがエリファの身体に仕込んでおいた緊急用のトラップを再び発動させた。
すると、エリファの身体の周りでボンッと、中規模の爆発が起き、囲むようにして飛来していた円形ノコギリの全てを無力化することに成功。
なんとか、エリファは事なきを得る。
「チッ! お前か、『臆病者』」
「エリファ! ここは一度、撤退しよう! これは流石に分が悪すぎる! 特に僕がここにはトラップの準備をしてないから、自衛と、少しだけエリファを守ることしか出来ない!」
「ああ、なるほど、そうか」
ここで、ウィルの無限にも思えるトラップを仕掛ける能力の弱点が思わぬ形で露見する。
確かに彼の一見どの動作でもトラップが発動してしまうように思える能力は、とても強力だ。
しかし、それは彼が念入りにトラップを準備をしたからであって、こうやって初めて訪れた場所では彼の能力は、かなり制限される。
恐らく、彼の能力は今、エリファに仕掛けたトラップと、自衛用のトラップだけに絞られてしまっているはずだ。
それに加えて、エリファは右肩を負傷。ただでさえ、四つの円形ノコギリを凌ぐためには、瞬発力と手数の多さが求められる状況であるのに、そのステータスのどちらもが、今のエリファは低下している。
「幸い、通ってきた道には『種』は仕掛けてある。一度地上に戻って、作戦を練るんだ!」
「わかった。そうと決まれば、さっさと脱出しよう」
「――馬鹿が、逃がすか!」
吠える男を無視して、すぐさまこの場から撤退しようとエリファ達は、血の絨毯を踏みながら、部屋の出入口の方へと振り返り、勢いよく走り出した。
再び、飛行能力を取り戻した円形ノコギリがエリファとウィルを狙って空気を斬り回転しながら、向かってくるが、それらをなんとか凌ぎながら、出口へと向かう。
「――! エリファ、待って!」
「――――」
が、しかし、出入口へと辿り着いた所で、そこに『見慣れた』ような影が立っていることに気づいた二人は、歩みを止める。
エリファはその存在の気配と、見た目を確かめて、奥歯を噛み締め、そいつを睨みつける。
「……今。今来るのか……!!」
そこに立っているのは、エリファの目的であるケジメを付ける対象のうちの一人だった。
そいつは、一歩、この部屋へと、血海へと足を踏み入れる。
最悪だ。
このタイミングで、こいつが現れるのは。
「なん……!?」
ウィルは現れたそいつの姿を見て、驚愕する。
無理もない。
誰だってこんな場面に出くわしたら同じリアクションを取るに違いない。
なぜなら――――、
「……タイミングが悪すぎるよ、エリファ」
「それはそう、狙ったからね。気分はどう? ……『もう一人の私』」
闇から現れ、エリファ達の前に立ち塞がったのは、黒紫のツインテールに青色の瞳の少女で――――
――紛れもなく、『エリファ』だったのだから。




