三章第4話 『厄介な追っ手』
既にノワンブールの王都から旅立って、一年が経過しようとしているが、目の前に立つ『絶望』はその一年前と、風貌が変わっていない。
気弱そうな貴族のお坊ちゃん、といった様子。
色白の肌に、真っ直ぐと伸びた薄茶の髪に、どこからか感じる女々しさのようなもの。――そして何よりも、少年の周囲にまとわりつく、『異質』な空気。
全く変わっていない。あの時と同じだ。
突如として王都へと出現し、五人の姫の一人ルキナを瀕死まで追いやり、友であるセレマを傷つけ、エリファの剣を受け入れたあの時と。
ノワンブールでの一幕が閉じた後、アンナから『憶病の絶望』の死体がない、とは聞かされていたので、死んだとは思っていなかったが、こう、実際に見ると不思議な気分である。
「まさか、この街にエリファがいたなんて、僥倖だ」
「……知らなかったの?」
エリファがこの街にいることに、心底驚いた様子の『憶病の絶望』こと、ウィル・ライストン。
そんな彼の様子に、エリファは少しだけ衝撃を受ける。
ウィルを含む、異質な存在達は皆、いつもエリファのことをすべて知り尽くしているような態度をとっていたから、この街にエリファが居ることを彼が知らないということを、少し意外に感じたのだ。
「僕も、エリファのことは全部知っておきたいんだけど……少し別のことが忙しくてね」
「……そう」
我ながら、なかなかに普通な会話ができている。
これは、明らかにノワンブールで彼と出会った時との変化である。あの時は、というよりも今までにまともに会話できた『異質』や『不自然』な存在は無に等しい。だから、こうして『絶望』と話せているのは、新鮮だ。
「……エリファ、少しノワンブールの時とは雰囲気変わったね? というより、戻った、の方が正しいのかなこの場合」
「戻った、か」
「うん、僕の知っているエリファの雰囲気に近づいた。……その証拠に、ほら、僕が現れても全く取り乱してない」
意外だと思った傍から、すぐにエリファの知らないエリファの話をし始める『憶病の絶望』。いや、知らないわけでもないか。
「……そういうあなたも変わった。普通に話せているし」
「ああ、あの時は性質が……と、そうじゃない」
「……?」
エリファに変わったと言われ、『憶病』は何か、意味ありげな言葉を呟くが、それを途中でバッサリと止めてしまう。
それから、切羽詰まったような表情を浮かべるので、全く訳が分からずエリファは頭に疑問符を浮かべる。
そして、彼はそんなエリファの両肩へと手を優しく置いて、
「僕、実は今、追われて……」
「――おいおい」
言い終わるよりも早く、夜になって静まり返った街に声が響く。
その声の主を探るべく暗闇へとエリファが意識を集中させようとすると、突如として、
「どおおうりゃあああ!!」
猛々しい咆哮とともに、二人が立っている地面が勢いよくひび割れた。
「こっち」
それにいち早く反応したエリファは、隣にいた『憶病』の軽い身体を引っ張って、ひび割れとともに地面を奔りながらやってくる大きな衝撃波を回避する。
そのままエリファ達は、衝撃波によって巻き起こった砂ぼこりに紛れて、一時凌ぎだが路地裏へと身を隠した。
「ひぃぃ、ほんと野蛮だな! ……ありがとう、助かったよエリファ」
「まだ、助かってない……来る!」
すぐさまエリファは『呪いの鎖』を、路地裏からでも見えていた街灯に生成し、そこから伸ばしてきた鎖をつかんだ。そして腕力を頼りに掴んだ鎖に引っ張ってもらい、路地裏から街灯のある広場へと、緊急脱出する。
そして、エリファ達が路地裏から飛び出た、次の瞬間。
派手な音と光を出して二人がもたれかかっていた路地裏の壁が一気に爆ぜる。
「――チッ、ちょこまかちょこまかと、お前らハエかよ。ハエが二匹に増えて鬱陶しいったらありゃしねえな」
自分で舞い上がらせた砂埃を、心底嫌そうに払って襲撃者はエリファ達が降り立った広場へと、現れる。
その姿は、女だ。
馬鹿デカい大剣を片手で担いだ、ガタイのいい筋肉質の女。頭の後ろで橙色の髪をひとつに結んだその女は、ゴツゴツとした黒い岩のような露出の多い鎧に身を包んでいる。
「なんだ? もう逃げるのも、隠れるのも終わりか? 確かに、鬼ごっこには飽きてきたところだけどよ」
女が二人を挑発するように笑う。笑う度に、女の口からは獰猛な牙が見え隠れしていた。
その攻撃の派手さ、その身なり、その話し方、なんともまあ、確かに、
「……野蛮」
「だろう? やっぱりエリファもそう思うよね」
「おいおい、失礼だな。こんなにも可憐で、ビューティなレディに向かって野蛮はないだろ、野蛮は」
可憐でビューティなレディなどとどの口が言うのか。そんなものはこの空間にはエリファ以外存在しない。
などと、自惚れた考えな気もするが、流石に、この女に負ける程では全くないと思う。
もう一人は女々しいが、男であるし。
「まあいい。んで、『臆病者』。どうした、さっきみたいに、ぴーぴー喚いて逃げ出さないのか?」
「ああ、もう、逃げるのも隠れるのも辞めだ。今の僕は『臆病』ではないしね」
「『臆病者』が、なあに、カッコつけてんだ、よっ!!」
「うひぁっ!」
ウィルの態度が気に食わなかったのか、女は叫び、軽々と巨大な大剣を振り下ろし、地面へと叩きつける。
荒々しく、地面へとめり込んだそれは次の瞬間には、先程と同じ、ひび割れと衝撃波を生み出した。
それをエリファとウィルは各自で大きく飛び、エリファは余裕を持って、ウィルはギリギリで回避する。
「エリファ! 巻き込んでしまって申し訳ないけど、少しだけ、そこで待っててくれるかい?」
「……いいけど、待ってるだけでいいの?」
「ああ、君はそこにいて僕を見てくれているだけでいい!」
「だから、さっきから何イチャついてんだ、くだらねえ、『臆病の絶望』! さっさと消し飛びなァ!!」
再び咆哮を上げ、エリファが目に追えないほどのスピードで、ウィルへと距離を詰める女。
獲物を見つけた野生の獣のように牙を剥き出しにしながら、本気でウィルの存在を消し飛ばそうと、女は至近距離で大剣を叩きつけようととする。
「……僕はエリファの前だけは、『臆病』な心から逃げることが出来るのさ。だから……」
「どおぉうりゃァァァァア!!」
「――『臆する病をもって、望みを絶つ』!!」
「――――ッ!!」
ウィルが叫んだ。刹那、彼の纏っていた『異質』な空気が、より一層濃くなる。
息もし辛くなる程に、濃厚で澱んだ空気。
その空気が広場を一瞬で満たすのと同時に、彼の足元の地面のヒビから、見覚えのある眩い光が放たれた。
そして――、
「……咲け! オシロイバナ!!」
――光の柱が、『花』が現出する。
正確には『花』の茎の部分。
ノワンブールで、苦しめられた覚えのある光の花。
結局、王都では、エリファとの相性の悪さや、彼自身に戦意が無かったこともあり、エリファの勝利で終わったのだが、それはエリファに限った話だ。
彼も『絶望』なのだ。常識は通用しない。
地面から突如噴き出した光の柱。
その速度に反応しきれなかった女の身体は、勢いよく空中へと舞い上がった。
「…………」
――だが、どうやら女の方も只者では無いらしい。
普通なら、身体をバラバラに四散させ、絶命していてもおかしくはない一撃。
しかし、夜空へと舞い上がった女の身体は、バラバラになるどころか、そもそもの血の一滴すら飛び散らしていない。
つまり、
「……ガッハァッ、痛ぇだろうが!」
「君、だいぶ、いや、めちゃくちゃに人間離れしてるねぇ!?」
「そりゃおめえ、実力が無けりゃ、『二級危険存在』の討伐なんて依頼されねえだろうがよォっ!!」
戦闘続行だ。
その身体の頑丈さは明らかに人間のそれではない。
あれを喰らって無傷なんてことは有り得ない。
常人離れした現象を見せた女は、またしても同じく人間の動きからは大きくかけ離れたパワーと俊敏さで、『空気を蹴り』、地上にいるウィルの場所へと急降下する。
一瞬、女が消えたかのように見えた。
それ程までに速い。
しかし、それに合わせて、大きく後ろに跳んだウィルにはその攻撃は当たらない。
「そこもだ!」
ウィルの立っていた位置に入れ替わるようにして、空中から降り立った女。その足下がまたも光り輝く。
「二回目だ、当たるかよォッ!」
先程一度、文字通り身をもって『花』の攻撃を味わったことにより、すぐさま光の柱が噴出しようとしていることを察知した女は、着地の反動をものともせず、こちらも大きく飛び、広場の中心の噴水の頂上へと着地した。
図らずもお互い距離を取ることとなった二人は戦闘を一度中断し、クールタイムに入る。
「今のが、言ってた『花』とやらか。……思ってたより厄介だな」
「驚いた、君、頭まで筋肉が詰まっているように見えたけど、ちゃんと思考するタイプなんだね」
「あ? 何言ってんだお前、きちんと考えなきゃ戦闘なんて出来ねえだろうが。感覚でやりあおうなんて甘えんだよ。殺すぞ」
「……なるほど。さっきの言葉、君にそのまま返すよ。君、――思っていたより厄介だ」
その態度、身なりからは野蛮というイメージしか湧いてこなかったこの女。
しかし実際は、しっかりと思考するタイプの人間らしい。本当に人間かどうかは怪しいが。
――間違いない、この女、戦闘のプロだ。
誇張でも何でもなく、その手のプロフェッショナル。
これは、ウィルの言った通り、厄介な相手だ。
瞬間的な判断の速度が速い者との戦闘ほど、難しいものは無い。
相手の判断速度にこちらも追いつかなければならないからだ。その相手の戦闘力が高ければ尚更だ。
こちらが判断を誤れば、その瞬間に命を持っていかれかねない。
ウィルと女、二人の戦闘を見て、女への警戒をより一層強めたエリファは、これ以上は、と、『咎人の剣』を構えようとする。
その瞬間、
「おっと、ここいらが限界か。……そっちの嬢ちゃんもやる気になったみたいだしなァ」
「……っ!」
――速い。
エリファはまだ戦闘態勢には入っていない。その戦闘態勢の前、ようやく意気込みを入れただけだ。
それなのに女はエリファの闘志を見抜いた。
『勘』、それは戦闘において最も大切であろうもの。しかもその感覚は、訓練で身につけられるようなものでは無い。
言い換えればセンスだが、これは、『死地』を何度も経験しないと磨かれないものだ。
彼女は実力をまだまだ隠している。そうとしか思えない。
「……そこの嬢ちゃんからは、『臆病』と同じ、いや、それ以上の嫌な匂いがプンプンしやがる」
「おい、僕のエリファに向かって嫌な匂いとか言うな、エリファは高貴なバラの香りだ」
「……ウィルのものでもないし、なんで私の匂い知ってるの」
「そりゃあもちろん、エリファの匂いがする物をいつも持ち歩いているから……って、エリファ、今、僕の名前……」
ああ、なるほど。
この前、寝ている間に蝶の形をした髪飾りを無くしたので、新調したのだが、無くしたのはこいつのせいか。
そんなウィルの罪の発覚に、ドン引きするが、何故か彼の方が、信じられないという顔をするのでエリファは小首を傾げる。
そんな二人のやり取りを見ていた、女は、イラついたような声で、割って入る。
「おい、イチャつくんじゃねえって言ってんだろうが。……まあ、今は引くぜ、また殺しにくるからよォ、せいぜい首洗って待ってろよ」
「……別にイチャついてない」
「そうだよ、イチャイチャどころじゃない。愛し合っているんだ」
「ウィルは黙ってて」
叱ったつもりが、何故か嬉しそうな顔をするウィル。訳が分からないが、何やらしょうもないことの予感がしたので、エリファはそれを無視する。
すると、また女が口を開いて、
「おい、言ったそばから……と、それはいい。――あたしは、ヒュリマ・アーリア! 一度狙った獲物は逃さない女だ。……また、会おうぜェ!」
そう告げると、女は立っていたその噴水を思い切りに踏みつけ、衝撃波と閃光を放ちながら、地面諸共、木っ端微塵に破壊する。
光と舞った水しぶきと砂埃で視界を奪われるエリファとウィル。
やがてそれらが収まった頃には、もう女の姿は、何処にもなかった。
「……分が悪くなったら、即撤退、か。相当に面倒臭い相手だ」
女が立ち去った後、衛兵が騒ぎを聞きつけやってくるのを物陰に隠れてやり過ごしながら、ウィルが呟いた。
エリファは、全くの同感の意を示すのだった。




