二章第39話 『vs<黒>』
王都の西――。
「セレマ、動ける?」
「うん、エリファの魔力のお陰で何とか」
頷くセレマにエリファもまた、頷く。
魔力切れを起こしていたセレマにエリファは応急処置として魔力を供給した。
あくまで、自力で移動出来る程度だが。
幸い、エリファの魔力にセレマの身体が拒絶反応を起こすことはなく、すんなりと受け入れてくれたようだ。
「ん、よいしょ……」
ゆっくりと立ち上がったセレマの、白く細い腕の中には重度の火傷を負った、背の低い少女が小さく息をしている。
ノワンブール王国、五人の姫の一人『ルキナ』。
衣服が焼け消えたのか、裸の彼女。
その肌は見るも無残に赤黒く腫れ上がっていた。
「ルキナ……」
セレマはルキナの目にかかっていた薄緑の髪を、優しく、下ろしてやる。
セレマの今にも泣きそうな表情を見たエリファは、友を安心させるために落ち着いた様子で、
「大丈夫。まだ命が消えてないから。セレマは直ぐに、その子を抱えて、城の医療班の所へ行って」
「……うん」
エリファの言葉に、セレマは少しだけ表情を明るくさせ、自分自身に言い聞かせるように大袈裟に頭を縦に振る。
それからエリファを真っ直ぐと見つめて、問う。
「エリファはどうするの? ……って聞くまでもないか」
「――私は、今すぐ魔法陣の下へ向かう」
エリファの見上げる視線の先には、東の空を覆うような巨大な魔法陣が妖しく、紫の光を揺らめかせている。
エリファは魔法陣から何か、嫌なものを感じていた。
何が起こるのかは分からないが、全身に纏わり着くようなプレッシャーが拭いきれない。
「あんな大きさの魔法陣見たことない……気をつけてね、エリー」
そう呟くセレマの表情には、不安とかそういうのは無い。
力強く、自分にとっての友であり、英雄であるエリファを信頼した眼差しを向けていた。
「うん、わかった。そっちも気をつけて」
それに頷きを返すと、エリファは目に追えない速度で、東へと駆けていく。
その背中を見送ったセレマは、重体のルキナを抱え、幾分軽い気持ちで、目的地は違うが同じ方向へと歩み始める。
「大丈夫。エリーがそう言ったんだから」
――そう。信頼だ。
エリファなら、全部何とかしてくれるという、絶対の信頼。
セレマの中でエリファが大丈夫と言ったのなら、それは大丈夫なのだ。
エリファが向かったのならば、どんなに巨大な魔法陣であっても、気にすることは無い。
何故ならセレマはその目で見たことがない。
「エリーは負けない。だってエリーはいっつも、解決してくれる」
英雄を見る観衆は、英雄の負けを知らない。
何故なら観衆はそれを見ようと、知ろうとしないからだ。
それに気付かない観衆の一人である少女の確信めいた声が、人気のない空間で響いた。
※※※※※※※※※※
灰色の空の下、魔法陣へと向かって風を切っていくエリファ。
その目に、鮮やかな赤が映り込む。
「……ライフェナ」
「む。そちらは片付いたか」
足を止め声をかけるエリファに、振り返り赤の髪を靡かせながら、同じ赤の瞳をこちらへ向けて応じるライフェナ。
その衣服には焦げた痕が無数に付いているが、不思議な事に彼女の白い肌と、燃えるような赤の髪には傷が見当たらない。
「うん。けど、『臆病の絶望』が現れて、西の陣は壊滅的で、ルキナが重症。今は、従者の子が瀕死のルキナを抱えて城に向かってるはず」
お世辞にも無事とは言えない報告に、ライフェナは少し頭を掻いてから苦笑し、
「そうか、『絶望』だったか。……ま、ルキナのことは大丈夫だ。あの子も、『王』の子だから」
「……?」
「ああ、なんでもない。気にするな。……さて」
いまいち要領を得ない返事に、エリファが首を傾げる。
そんなエリファの反応を見て、ライフェナは優しく笑ってから、体の向いている方へと視線を戻す。
その視線の先では、エリファももちろん気づいていたが、報告の遂行の為に一度無視していた存在が、此方を睨みつけている。
「――もういいか?」
やがて、こちらの話が終わることを待っていたかのように、黒の鎧に身を包んだそれは、口を開いた。
「すまないな。気を使わせてしまったようだ――なあ、『黒』」
「『黒』……!?」
ライフェナが目の前の存在を『黒』と呼ぶ。
『黒』という名称はおおまかな二つの陣営、エリファが属し、五人の姫をリーダーに王都の防衛をする『白』と、それに相対する、王都を陥落させ国を崩壊させようと目論む『黒』、この『黒』を指すものだ。
しかし、これは、あくまで陣営という団体の名称である。
つまり、一個人を指す名称として『黒』が使われる場合の意味は確定的だ。
そう、
「いかにも、俺が『黒』。『黒の王』、ガゼル・グレイドだ」
その陣営のリーダーの他にない。
「……あいつは……死んだか」
「あいつ……? ああ、機械男か。そいつなら、ついさっきな。……なんだ、怒っているのか?」
しばしの沈黙のあと、ガゼルと名乗った、黒の王は目線を融解した金属の山を見て呟く。
それにライフェナは冷めた表情で答える。
機械男とは、あの煩かった背中から触手が生えた男だろうか。
この惨状を見るに、男がライフェナの熱にやられたことは想像に難くない。
次にガゼルは首を横に振り、
「いいや、戦場に出たところで、こうなる事も覚悟の上だろう。……あいつも、俺も、な」
「ほう? 敵ながら、その心構えは良いな」
「ふっ。それに、あいつらの犠牲は無駄じゃない」
黒の王が天を仰ぐ。
それに釣られて、エリファも視線を空へと向ける。
そこにあるのは一面の灰の雲と――巨大な魔法陣。
「……この魔方陣。貴方の仕業?」
浮かぶ魔法陣を見つめたまま、エリファは問う。
その問いに、天を仰いでいた男は、エリファへと視線を移し、
「そうだ。何の魔法陣か分かるか? ……『殲滅魔術』さ」
「『殲滅魔術』……?」
「ああ、あと十分もすれば、この魔方陣は発動し、この王都へと破滅の光を放つ。……ここには何も残らない。城も、民家も、人もな」
「な……!?」
エリファの感じた、嫌な予感。
それはどうやら、最悪の形で的中してしまったようだ。
破滅の光という、やや抽象的な表現からは何が起こるのか分からないが、『殲滅』と言ったからには攻撃的な現象に違いない。
それに、『魔法』ではなく『魔術』だ。
何が起きてもおかしくはない。
愕然とするエリファとライフェナに、男は加えて言う。
「準備は整った。……もう、タイムリミットなのさ。この王都には塵も残らない」
「馬鹿な。あれだけの魔法陣を発動させる為の魔力を一体どこから――」
ライフェナの指摘は正しい。
広い王都の全範囲に効果が及ぶ程の魔術。
それを発動させるのは、元々の魔力量が人とはかけ離れているエリファでさえも難しい。
それ程の魔力を、一体どこから供給するのか、と言いかけたところでライフェナは何かに気づいた様子で、口を開けたままその場で固まった。
そして、
「――まさか」
「分かったようだな」
「……『魔力核』。機械兵達の、元々は人の、『魔力核』の空中に分散した魔力を使って……?」
「分散した魔力だけではない。機械兵達には皆、ちょっとした仕掛けをしていてな。この魔方陣に反応して、魔力を受け渡すようにしてある」
淡々と説明する男の余裕そうな態度に、ライフェナは奥歯を噛む。
それから、彼女が放ち始めた熱。
エリファがその熱風から身体を守るように、手と腕を体の前で曲げて防いでいると、黒の王――ガゼル・グレイドは薄らと笑い、
「やるのか?」
「――燃えろッ!!」
次の瞬間、地面を抉るように蹴ったライフェナが『覇龍の大剣』を片手に、ガゼルへと飛び出る。
ゴオッという空気を燃やす音と共に、飛び出たライフェナは、炎が出した推進力に身を任せてガゼルへと大剣を叩きつける。
しかし、ガゼルはそれを半身で軽々と避けた。
唯一のストッパーである男に避けられたライフェナは勢いを殺しきれず、そのまま後ろの瓦礫の山へと派手に突っ込み、その瓦礫の山を爆発させる。
「そのまま、戦闘不能……は流石にないよね?」
演技でもないことを無意識の内呟くエリファ。
その呟きを無視したガゼルが、ライフェナの突っ込んだ瓦礫の方を見やる。
「……『炎の巫女』ともあろう者が、ぬるいな。魔力切れか」
周りに無残に溶けた姿で転がる機械兵達。
これをやったのはライフェナに間違いない。
ならば、鎧を着ただけのこの男、ガゼルを溶かすのはライフェナにとって容易なはずだ。
だが、ライフェナは確かにさっき熱を発したが、金属が溶けるほどの熱量ではなかった。
考えられる要因として、熱に巻き込む訳には行かないエリファの存在か、魔力切れ。
はたまたその両方か。
「まあいい。……ところで、お前はなんだ?」
「私? 私は――」
「いや、いい。『幽鬼の姫』だな?」
「私、いつの間にか結構有名になってる?」
答えずともわかった様子に、エリファが見当違いな喜びを感じる。
そんなエリファの姿を鼻で笑ったガゼルは、臨戦態勢をとって拳を前に出した。
「お前も、俺を止めたいのだろう。そして、俺もお前をここで倒しておきたい。……俺らには戦う理由がある。そうだろう?」
そっちが攻撃しないならこっちから行くぞ、という態度を取られ、エリファは苦い表情を浮かべる。
何を隠そう、エリファにも魔力が言う程残っていないのだ。
機械兵との戦闘、『臆病の絶望』ウィル・ライストンとの戦闘、セレマへの魔力供給を経て、今に至るのだ。
いくら、元々の魔力量が多いからといって、常に万全な状態な訳では無い。
つまるところ、
「……ジリ貧だ」
男の戦闘力は未知数だが、先程、爆発的な速度のライフェナの一閃を見切り、最低限の動作で避けていた。
その様は、ルシアンのような、戦闘経験が豊富な者が見せる、洗練された動きだ。
加えて、この男の余裕。
これが強敵に見えずしてなんと見えよう。
「……さて。どうしよう」
呟くが、何も思いつかない。
結局は、戦わなくてはならない。
アンナの為に、『幽鬼』のために。
残りの魔力を使い切るつもりで、戦う。
「はあ。望んでないけど、バトル強制スタートか……」
そう吐いて、魔力を練り始めたエリファ。
それに合わせて、ガゼルもその身に凄まじい魔力を纏わせる。
「――アタック」
先に動きだしたのはエリファだ。
右手に生成した黒の魔弾を若干な不意打ち気味に撃ち込む。
それに、しっかりとそして冷静に身体をずらして対処するガゼル。
「いきなりの先制攻撃作戦は失敗。……じゃあ、次。『咎人の剣』!」
「魔術による剣の生成か、ならば、俺も剣で応じるとしよう」
軽やかなステップで、跳ねるようにガゼルに接近したエリファは左手に握った剣を右から左へと振り切る。
だが、繰り出した斬撃は男の胴体に触れる前に、男が取り出した赤の禍々しい剣によって阻まれてしまう。
火花が飛び散り、エリファの聴覚にダメージを負わせる衝撃音。
「くっ……!!」
――ここまでは想定内だ。
エリファは耳の痛みを奥歯を噛んで堪え、空いていた右手にもう一つの『咎人の剣』を生成する。
「二本目か!」
二本目がエリファの手に握られたことに少しだが、驚きの表情を見せるガゼル。
「はっ!」
エリファはそのまま右手に握った剣を、左手を引っ込めると同時に、身を半回転させ、上から下にガゼルの肩へと、短く息を吐いて振り下ろした。
「甘い!! そんな小細工で俺を取れると思うな!!」
だがしかし、驚異的な反応速度で腕を振り上げたガゼルの剣は、その二本目の斬撃すら弾いてみせる。
両手の手加減なしの斬撃を防がれたエリファの身体は一瞬無防備になってしまった。
戦闘経験豊富であろう黒の王はその一瞬の隙を逃さない。
「胴体がガラ空きだぞ、『幽鬼の姫』!!」
言葉通り、ガゼルは防御の術を失ったエリファの胴体に思い切りの横薙ぎを喰らわせる。
ほんの一瞬。一秒にも満たない隙だ。
その僅かな隙は、強者との戦いではすなわち、敗北を意味する。
「もらった!!」
――それは、勿論。エリファの身体の前では意味を成さないが。
「……な!?」
隙を捉えたかのように見えた、その斬撃は、ただただエリファの体質魔術『完全幽体』によって無力化され、空だけを捉える。
そして前述の通り、一瞬の隙は、敗北を意味する。
ルシアンとの戦闘訓練で磨いたエリファのセンスはその隙を逃さない。
「――『咎人の剣』」
「馬鹿な、宙に三本目だと!?」
「……私は二本が限界だとも、空中で操作できないとも言ってないよ」
煽り文句を添えて、霧状になって空いた身体の穴の向こうから容赦なくエリファは三本目の『咎人の剣』を射出する。
驚愕したガゼルの、エリファと入れ替わるように無防備になった胴体へと突き刺さる『咎人の剣』の黒い刀身。
「……」
が、エリファはそこで違和感に気づく。
――いや、明らかにおかしいのだ。
エリファは『咎人の剣』を文字通り、躊躇無く放った筈だ。
それこそ、貫通させてやろうという心持ちで。
しかし、ガゼルの胴体へとぶつかった『咎人の剣』は鈍い音こそ発したはいいが、それ以上進むことは無かった。
暫くして、倒した筈の、否、倒す筈だった『黒』は不敵に笑い、
「……俺の鎧が魔法道具ではないとも言っていないだろう?」
――次の瞬間。
エリファの身体が、まるでゴムのように弾き出され、吹き飛んだ。
魔力切れを起こしたエリファの身体は『完全幽体』を発動出来ずに、瓦礫へと血を散らしながら激突する。
大きな衝撃によって朦朧とする意識。
舞い上がった砂埃に噎せて、肺から登った鮮血が口から「ごぽ」という間抜けな音と共に漏れる。
「ま……だ……」
ゆっくりと近づいてくる足音。
霞む視界でその発信源である『黒』を見つめ、脱力した身体を無理矢理起こして、立ち上がるエリファ。
このままでは、終われない。
その燃える闘志とは裏腹に、魔力の残っていない身体はふらつき、言うことを聞きそうにない。
万事休すか。
――そう思った時だった。
「――あっれぇ? もしかして結構ピンチぃ?」
「そのようですね。私達、かなり良いタイミングでの登場のようですよ?」
響いた、あざとくて軽い感じの声とゆったりと落ち着いた様子の声。
振り返ると、そこには変わった服装の水色の髪の少女が一人と、金の髪を後ろで纏めたおっとりとした雰囲気の少女が一人。
パッと見ただけなのに、二人から感じる、アンナに似た、独特な人を引きつける様な気配に、エリファは戸惑う。
そんなエリファの内心に気づいてか、気づかずか、突然現れた二人の少女は、
「ノワンブール王家、四女。レヴィアナ・フラクトール・ホワイト」
「同じく、ノワンブール王家、次女。リアリナ・フラクトール・ホワイト」
なんとも頼りになる家名で名乗りを上げ、
「……応援に来たよぉ?」
「……助太刀に参りました」
高らかに、二人の『姫』は参戦の意を表した。




