二章第36話 『目には目を歯には歯を、花には花を』
「ぐ、がはぁ!」
エリファの放った『黒の薔薇』の一撃によって、鮮血を散らしながら空へと舞うウィル・ライストン。
そんな中、エリファは手応えの薄さを感じていた。
「……浅い」
ぼそっと漏れた声に反応してか、地面へと落ち、暫く地を這っていた少年は、ゆっくりと起き上がる。
「……まさか、今の君がここまでとは正直、思ってなかったよ。……本当に予測不可能だ。さてと、こうなってくるともう手詰まりなんだけど、どうしたものか」
「なら負けを認めて素直にやられて」
「はは、負けは認めてもいいけど死にたくはないなぁ、ああ――――君なら僕のこと分かってくれると思っていたのに」
「……!」
――悪寒がした。
エリファは背筋が凍える感触に、身を固くして警戒を強める。
その原因は目の前の少年。
それも、少年を取り巻く不気味なオーラが一回り濃くなったような感覚を覚えたからだ。
世界そのものとのズレ。
そのズレは爆発的に大きくなり、やがて空間全てを飲み込み始める。
「いや、前の君なら僕を、私達を理解してくれていた。それなのにどうだ、今の君は。今の君は僕の愛した君じゃない。君達じゃない。それどころか、僕の道を阻む、ただの化け物だ」
徐々に早口になり、捲し立てる少年。その目は取れてしまいそうな程に大きく開かれ、眉間には皺が寄り、涙が流れ、
「かつての君なら、僕に悪影響を及ぼすことはなかった。なのに、今の君は僕の邪魔をする。このインフルエンサーめ。君は私達の愛した君ではない! 混ざりすぎたんだ、あいつら『輪』のせいだ。僕達がいっその事、出会わなければよかったんだ! 怖い、怖い、君が怖い! 君を愛しているはずだったのに、今はとてつもなく、僕に悪影響を及ぼす君がこわい!! のこわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわい!!」
それはそれは、もう――たいそう『絶望』の表情をしていた。
豹変した少年の態度にエリファは少なくない恐怖を覚える。もはや、まともに会話すら出来そうにない。
視点はあらぬ方向へと曲がり、口元からは涎が垂れ、明らかに正気ではない。
「こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい…………」
暫くしてそんな少年の言葉が、動作が、ピタリと止まる。
それから、少年の合わなくなっていた焦点が、エリファを突如として捉えた。
そしてゆっくりと、希望に縋るように、神にでも祈るかのように、泣きながら口元に笑みを作ってぽつりと呟く。
「――――あ。そうか、殺せばいいんだ」
「異質というより異常……?」
「だまれええぇぇぇぇええ!!」
少年が絶叫の声を上げると、何が条件を満たしたのか、辺りの地面から何本もの『茎』がこれでもかと続け様に噴出する。
エリファは『絶望』の声に顔を顰めながらも、噴出する『茎』をしっかりと避ける。
その様子を見た少年は舌打ちをし、
「くそっ! これならどうだ!」
「何度やっても無駄。数がどんなに増えてもそれは変わらない」
少年が手を振り翳すと『茎』の噴出と共に『種』が間髪入れずにエリファへと降り注ぐが、その種の全てを黒の茨が弾き、主の身体を守る。
さらに守るだけに留まらず、茨は自由な軌道を描き、行く手を阻むトラップの間を縫って少年めがけて伸びていく。
「うわぁあああ、ごぴゅあっ!!!」
伸びていく無数の茨は少年の身を守る爆発すら貫き、先程より大きく少年を突き飛ばした。
茨から伝わる手応えに、エリファは確かなものを感じる。
突き飛ばされた衝撃でウィル・ライストンは瓦礫が積もった地面を無様に転がり、その先でうつ伏せになってピクリとも動かなくなった。
「……今回は、深い」
異様なプレッシャーを放った割には呆気ない。
本人が言った通り本当に手詰まりだったのだろう。
何せ、エリファの能力とウィル・ライストンの能力、相性が悪すぎる。
もちろん、エリファでなければ先程のトラップの一斉発動は地獄以外の何物でもない。
「あーあ、やっぱり駄目か。無理矢理、『絶望』の力を引き出してみたんだけど、意味無かったね」
エリファが少年に近づくと、突然少年はうつ伏せの状態から仰向けの状態になり、さっきとは打って変わって、また優しい笑みを浮かべて呟いた。
ウィル・ライストンが力尽きたからかトラップが発動する気配はない。周りに生えていた『茎』もいつの間にか消失している。
「まあ、君が『花』を使えると分かった時点で、こうなるとは思っていたけど」
「案外、潔いね。あんなにも固執していた目標が果たせなくなったのに」
エリファが訝しげにへばった少年を見下ろしながら呟くと、その少年は声を出して笑い、
「ははは、なんとか君を怖がってみようとかしたけど、どうにも、君への愛が消えてくれなくてね。君の事を想うと僕も目的なんかどうでも良くなってしまった」
「――――っ!」
どうしてか少年の態度に、言葉にできない類のはっきりとしない感情が込み上げてくる。
エリファはそれらを胸の奥へと押し殺すように『咎人の剣』の切っ先を向けた。
「ああ、混ざっていても君はやはり君だ」
少年の声は慈しむかのような声色だった。
それは、エリファの瞳から漏れ出た、殺しきれなかった感情を見たからであった。
だが、エリファはそれを無視して、冷たく呟く。
「……これが、貴方への、『罰』」
「おいで。言ったろう? 君の攻撃なら受けてもいいって」
「――そう」
なおも笑みを浮かべるウィル・ライストンに短く返し、少年に迎え入れられるままに、振り下ろされた漆黒の刀身はその細い身体を深々と貫く。
「おやすみ、ウィル・ライストン」
呟いたその言葉に返事はない。
辺りに満ちた静寂は、一つの『絶望』に打ち勝った事を示していた。
冷たい刀身に、冷たくなった少年の身体。それに、冷え切った心。
全てが冷たく凍てついている筈なのに、頬を伝うそれだけがただただ熱い。
自分がなぜ泣いているのか、それはまたしても分からない。
「――エリファ! 見て!」
「……?」
不意に、友の声が耳に届く。
その声は明らかに焦りを帯びていて、
「あっちって兵舎がある方だったよね!?」
その友が指さす先、ライフェナを残してきた東の方角の空を見てエリファは目を見開いた。
反対側の西に居るエリファ達の目で視認できるほどの大きさの円が宙に淡く光を放ち浮かんでいるのだ。
「凄く大きい魔法陣!!」
「…………!」
突如、曇天に現れたその魔法陣は確かに、この事件に一つの終着点をもたらそうとしているのだった。
――頬に伝う不思議な熱を置き去りにして。




