二章第33話 『友という名の英雄』
何が起きたのか分からなかった。
いきなり身体が飛ばされたと思ったら、次に視界に入るのは背の低い少女が爆発に飲み込まれる姿だった。
何が起きたのか分からないが、反射的にセレマはその少女の名前を叫んでいた。
「ルキナぁぁあああ!!」
焼け消えた服の代わりに黒煙を纏いながら、吹き飛び、セレマの目の前に転がったルキナ。
セレマは、酷く焦げついたルキナの身体を持ち上げ、抱き締める。
まだ、息はある。だが、有り得ない程に熱くなった彼女の細く小さい身体はぐったりとしていて、今にもその命を落としてしまいそうだった。
肺の中も喉も焼けてしまったのか、その息さえも掠れていた。
「ルキナぁ、しんじゃだめぇ!」
セレマはルキナを優しく抱きながら、彼女がこのままでは死んでしまうという悲しみと、自分の愚かさへの怒りで涙を流した。
ルキナはかばったのだ。
油断しきったセレマがこの爆発に巻き込まれないように、いち早く気づいたルキナは、セレマを咄嗟に少年の元から突き飛ばして、かばったのだ。
――自分は何をしていた。
自分が早く気づいていれば、もっと警戒していればよかった、たったそれだけの事なのに。
たったそれだけが出来なかった自分は何だ。
「あああぁぁぁぁぁぁ…………!!」
「――随分と泣くものだね、君。そんなに大事だったのかい? ……まあ、それなら一緒に冥界に送ってあげるよ」
「臆病ぉおおおお!!」
何故、爆発した? 何故、あの爆発だけ威力が高かった? 何故、ルキナがボロボロでこいつは無傷なんだ?
爆煙の中から何も無かったかのように、貴族のような服装の裾を払う動作をしながら、先程までの怯えが嘘だったみたいに冷静に呟くウィル・ライストン。
その姿に、セレマは理不尽を呪うように、悲しみを吐き出すように、自分を責めるように、怒りに満ちた声を上げた。
「ひ、ひいぃぃぃ!! な、なんなんだ、君は!!」
セレマの鬼のような怒声に、血相を変え、震えて半歩後退りしながら大きく眼を剥いて、こちらに指をさし悲鳴を上げるウィル・ライストン。
そのあまりにもオーバーな反応にさえセレマの苛立ちは火に油を注がれたかのように、膨れ上がるばかりだった。
どうして、ここまで一方的にこちらを打ちのめしてなお、こいつは臆病なのか。
重体のルキナの身体を優しく、できるだけ衝撃を与えないように置いたセレマは、留まることを知らずふつふつと湧き上がる怒りに身体を任せて立ち上がる。
「――何が」
「な、なんだよ!?」
「何が、そんなに怖いんだ。……それ程の力があって、何が!! ムカつくんだよ、その態度ッ!!」
怒鳴り散らす。
「どうして、そんなに臆病になれるの! お前みたいな力があれば、私だって。私だって!! この状況で怖がっていいのは、震えていいのは、こっちだっていうのに!!」
もはや、自分でも何を言っているのかわからなかった。けど、セレマの中で生まれた制御できない激情が、勝手に口を身体を動かしている。
それでいて、脚はガクガクと震え続けていた。
セレマの口を動かしているのが怒りだとすれば、脚を動かしているのは臆病だ。
幾つもの感情が、セレマを支配している。
自分の感情が、抑えられない。
「……力がある? この程度の僕が? 確かに、僕だって準備に準備を重ねれば戦えはするよ。けど、そんな力に意味は無い。僕を蝕むこの負の感情を、『臆する病』を、こんな力ではどうすることも出来ない」
目の前の絶望は語り出す。
「君を、君達を殺す理由だって『臆病』が原因さ! 君が生きている限りは、僕にどんな影響が出るのか分からない。その『わからない』が怖いから僕は君達をここで一人余さず殺すんだ。……力? ああ力さ!! 完璧な力があれば、僕は臆病に囚われずに済む!! 僕はこの感情から、湧き続ける臆病から解放されたいんだ!!」
「あぁ、あ、ああ……」
目の前の存在が許せない。
目の前の存在が怖い。
『臆病の絶望』が腕を広げて、つらつらと熱弁している間にもその感情は、セレマの心を身体を蝕み、膨れ続ける。
「さあッ! 僕が病から救われる為の、犠牲となってくれえッ!!」
少年が、一際大きな声で、叫ぶ。
それと同時に、感情は衝動へと代わる。
――病が、セレマを飲み込んだ。
「――ぅ」
「?」
「うわぁぁあああああ!!」
先程までの少年が出していたものと同類の叫びが、セレマの喉から破裂する。
逃げ出していた。
自分を庇ったルキナを抱き上げて。
臆病が、セレマの中でいつしか育った臆病が花開いたように、何が何だかわからないまま、ただただ無我夢中で『絶望』から逃げ出していた。
未だ花の驚異に必死に抗い続けている兵士達を無視して、『王』からその死守を任された戦場から、耐えきれなくなって何もかもを放り投げて逃げ出した。
否、逃げ出そうとしたのだ。
走り出した瞬間、自分の身体の異変にようやく気がつく。
「――ぁ」
力が入らない。
思ったように下半身に力が入らずに、腰が地面へと落ち、そのまま何かに躓いたように前方へと転がってしまう。
倒れ込んだ衝撃で、抱いていたルキナの身体が僅かだが、前へと放り出された。
「ぐ、うっ!」
「ルキナぁ!」
普段、セレマは人ひとりを抱えながら走るくらい何の障害も無しにやってみせる。
なのに、何故足腰にこうも力が入らないのか。
答えは明白だ。
――タイムリミット、だ。
『無尽蔵の加速』に延々と常に使われ続けていた、セレマの体内の魔力はもう微塵も残っていなかった。
魔力が尽きてしまった人間はこうなる。
普通の行動すら思ったように力が入らず、ままならなくなるのだ。
セレマは放り出されたルキナの元へと身体をずるずると引き摺りながら寄り、その顔に触れる。
異常な程に熱かったルキナの肌は、いつの間にか異常な程に冷たくなっていた。
――不意に、後方から足音が鳴った。
その足音に、セレマはゆっくりとその音の鳴った方へと振り返り、
「――はは」
自分でも驚くほど掠れた声で笑った。
どうして、こんな状況で自分の口から笑いが出たのかは、はっきりとはしない。
自嘲なのか、はたまた他の何かか。
その笑いに眼前に立った『臆病の絶望』は、訝しげな顔をする。
「君がなんでこんな状況で笑っているのか不思議でならないな」
「……まただ、また、あの時と同じだ。私は何も、なにも変わっちゃいなかった……」
村で事件が起こった時も、私は逃げ出した。
それで、逃げることは叶わなかった。
今回も同じだ。
セレマも、何かしらこの王都に来て自分なりに成長したつもりだった。
だが実際はこんなものだ。
そんな気になっているだけで何も変わっちゃいなかったんだ。
「……追い込まれた状況で人は、解決法をチラつかせると後先考えずに食いつくものさ。そして、緊迫した状況ほど人は、相手を追い詰めた時、油断する。もちろん、爆発トラップを同じ場所に貼らなかったのは故意だよ。本来ならすぐに貼り直せばいいだけだからね」
無力だ。
迫る死に抗うことも出来ず、もはや立ち上がることも出来ない。
あまりにも無力だ。
こんなんじゃ、なんで王都に来たのかさえわからなくなる。
「――花達よ」
少年がそう呟くと、周りに生えていた茎から花が開き、無数の種が浮かび上がる。
逃げ場もなく、逃げる力もない。
あとは、ただ種に体を貫かれ、死を待つのみだ。
セレマは涙が零れる瞳を見開いて、じっとその時を待つ。
「貫け」
ウィル・ライストンが手を翳し、種が、セレマとルキナの二人へと容赦なく、豪雨のように降り注ぐ。
――次の瞬間。その種たちは、須らく唐突にセレマの視界の縁から現れた、視界の全てを覆うほどの謎の黒い物質によって食い尽くされた。
突然の事に何が起きたのか分からず、セレマも、少年も、その場の誰もが静止する。
「……間に合ってよかった」
一瞬の静寂の後発せられた、その鈴の音のような声を聞いた途端に、不思議とセレマは自身を支配していた病がすっと引いていくのを感じた。
――同じだ。
今回も同じだ。
あの時もこうやって私を助けてくれたんだ。
セレマの前に立ったのは、黒紫の髪の可愛らしい少女。
「びっくりしたよ。セレマも、王都に来てたんだね」
そう言って笑う少女は、以前より表情が豊かになったように見えた。
そして、セレマは堪えきれずに、縋るような気持ちでその少女の名前を呟く。
「エリファぁ……!」
「うん、もう大丈夫。――さて」
その呼び掛けに優しく頷き、セレマの髪を安心させるように撫でた少女は、先程から固まっている少年を睨みつけ、鋭く敵意を込めて言葉を放つ。
「……おいお前。私の友達を傷つけたな」
初めて出来た友達が。
――――英雄が、現れた。




