一章第2話 『いないいないばあ』
「……ザガ、ほんとうに大丈夫かな?」
「大丈夫だ、姫は誰がどう見ても人間の可憐な美少女だ」
――時刻は空が暗くなり始めた頃。
少し紫がかった髪のツインテールと白いフリルの着いた黒を基調としたゴシックな服をフリフリとさせ、『幽鬼の姫』と呼ばれる青い目の少女は、その身体の周りをふよふよと浮かぶザガと呼ばれた紫色の火の玉に不安の表情を見せている。
洞窟を抜け、続けざまに森を抜けた『私』とザガはその森から少し離れたところにある、小規模な村の入口の手前の岩陰から身を隠すようにして、顔を半分だけ出し、村の様子を伺っていた。
先程から『私』が不安がっているのは、人間の姿をしているがあくまで幽鬼なので、何かの拍子に怪しまれるのではないかというものだ。
幽鬼には人や魔物に迫害されてきたという歴史があり、その記憶、知識が『幽鬼の姫』である『私』の魂に刻み込まれている。
だから、少々怖い、騒ぎになればこの村に寄った目的を果たせなくなってしまう。
「まあ、でも姫さんよ、人と喋りたいんだったら名前とかは居るかもな、さすがに『私は幽鬼の姫です』なんて言えねえよな」
「……確かに」
そこは盲点だった。
このザガとかいうよく分からない従者兼案内役の紫色の火の玉はいつもは軽い調子だが、たまにこういう大事なポイントを抑えたことを言うので侮れない。
しかし、そんなことをいきなり言われたところで生憎と自分には身近な良い名前のレパートリー、持ち合わせが無い。
そもそも、『私』の持っている知識は、五百年間、森に籠っていた幽鬼達と同等なので最近の人間が、どういう名前を付けがちなのかとかそういう情報に疎い。
そこで名乗りを上げるのがザガだ、
「そうだな、幽鬼だから『ゴーちゃん』とか、あとは『ゴースちゃん』『ゴートちゃん』それから……」
「却下」
「だわな、わりいな思いつかねえ」
残念。思いつかないと言ってもさすがにその捻りの無さはどうかと思う。どこかの言語で「ヤギ」という動物を意味する言葉も聞こえた気がするし。
「……ザガの阿呆さはとりあえず放っておいて、やっぱり大丈夫じゃなさそう、これは困った」
「なんか、散々な言われようだけど、とりあえずはこっちも放っておいてやるよ。困ったな」
ともあれ見た目とかそういった問題の前に名前が立ち塞がるとは、予想外だった。
「――姫、俺から言っといてなんだが、とりあえず多分外見はオーケーだから名前を考えるのは一旦すっ飛ばして村に入ってみようぜ」
「……もし突然バレたらどうするの」
「何とかなるってこった、いざとなったら魔法か『呪い』か何かで紛らわしちまおう」
「……なるほど、その手があった」
「よっしゃ、じゃあ行こうぜ」
上手く言いくるめられた気もするが、実際のところその方法ならある程度誤魔化しが効きそうである。
ザガになだめられ、背中を押されるがままに村の入口に立つ。
村は森の木を加工したであろう木材で出来た柵で囲われている。柵の背丈はそれ程高くはなく、大体少女の姿をしている『私』の首から上が出るような高さだ。
柵越しに覗く村の中は、丸太を組み合わせた木造の家が立ち並んでいた。
「旅の方ですか?」
『私』が入口に立ったはいいが、なかなか中に入れないでいると、その様子を見ていた村の住民であろう一人の老人がしゃがれた声で『私』に話しかけてきた。
「……うん」
「では、こちらへ」
その声に頷くと、羽織りを何重にも重ねて着た優しい表情の杖をついた老人は村の中へ『私』を招き入れる。
「姫、良かったな、出会い頭に襲ってくるような野蛮な民族じゃなくて」
「ザガは、この村をどういう風に考えてたの?」
「どうしました?」
「……なんでもない」
危なかった。聞こえてなくて良かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「歓迎は致しますが、この村に暫く滞在するとなると少々問題がありましてな……」
自らを村長だと名乗ったバズラという老人は、家へと招き入れた『私』達を二対一の形で机越しに座らせてから、申し訳なさそうに話を切り出した。
「……問題?」
村の入口から、バズラの家へと至るまでに見渡した限りでは、周囲を照らす明かりも十分にあり、住民の家から聞こえる笑い声など、平和な雰囲気が漂っており、そこまで大きな課題があるようにも思えなかったが。
だが、老人は深刻な表情でその顎に生えた長い白の無精髭をシミのできた右手で上下に擦りながら続ける。
「ええ、簡潔に言いますと、失踪事件でございます。朝起きると村人が数人いなくなってる事があるのです」
「失踪とか怪奇現象じゃねえか、姫、この村俺らより不気味だな」
「……ザガ黙れ」
「……?」
なんだろうか。この紫の野郎は冗談を一定間隔で言わなければ死んでしまう病にでもかかっているのだろうか。
そんな中、よく分からない、と言った様子でバズラは困惑していたが、直ぐに会話の筋を戻す。
「え、ええと、そういうことで、今この村に泊まることはいささか危険が伴うのです。それでも滞在されるのであればその先は自己責任でお願いすることになりま――」
「泊まる」
「へ?」
「この村に暫く泊まる、人が消えたとかは興味無いし」
「は、え? 人が消えてるんですよ? 旅の方にとっても無関係では……」
『私』が食い気味でそう答えると、呆気に取られたバズラの口から間抜けな声が漏れる。
「ま、そういうこったな爺さん俺達はこの村に宿泊させて貰うぜ、ああ、言っとくが俺は姫の意見が絶対だからこれ以上言われても何も変わんねえから諦めろ」
「ですが…………」
ザガも『私』が意見を曲げない限り、このまま押し通すようだ。
老人は目をパチクリさせ暫く押し黙ったあと、木製の机に少し身を乗り出し、
「いいでしょう、でも本当に責任は取りませんよ」
「……わかった」
相当に無理を言った感じはあるが、本当に『私』達には人が失踪してもあまり関係が無いからしょうがない。
何はともあれ村長の了承も得て、一件落着。
この村に宿泊することになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「まさか、タダで泊まれるとは……」
「ほんとラッキーだったな、一応、幽鬼達が五百年で拾った金はあったけどよ」
宿泊用の小屋のベッドに腰を下ろし、『私』は呟く。
とは言っても、幽鬼達が人目に触れないように拾ったお金は五百年という長い年月の中でも見た感じ少ない。
だから、バズラが「この村に泊まるということのリスクを考えればお代なんて取れません」という理由で無料で宿泊させてくれた事は大きい。
「それにしても、姫が村の子供達に囲まれてあたふたしてる様子は可愛かったな」
「……しょうがない、だってあんなに質問攻めされるとは思わなかった」
村長の案内を受けていた時のことだ、客が来たとこの短期間で嗅ぎつけた一部の子供達に遭遇し、そのままやんややんやと周りの家からも声を聴いた子供達が出てきてすぐに囲まれてしまった。
最初は、幽鬼だとバレたのかと思い、この村を追い出されるのではないかと危惧したが、結局のところ、子供達が興味を示していたのはこの服装と、喋る紫色の火の玉だった。
ザガの見た目の事は正直に忘れており、肝を冷やしたが、当のザガ本人の、
『あれだ、その……姫は魔法使いなんだ』
と機転を利かした返答によって、一難去った。
使い魔みたいなものとして、あやふやではあるが認知されたらしい。
服装に関しては、「お人形さんみたいで綺麗ー」とか「お姫様なの?」などと言われたが、姫なのは間違いないし、そもそも目覚めた時からこのゴシックな服を身に纏っていたからなんの為に着ているのか解らない。
自分でも分からないのに、目覚めたばかりではあるが、普段着だと言うしか説明の仕様がなかった。
「いやあ、色々とヒヤッとしたけど何とかなったな。――んでも、やっぱりこの村見れば見るほど平和そうだな、失踪とかほんとにあんのか?」
「バズラはそう言っていたけどね」
部屋の窓の前に移動したザガが、その窓から入り込む月光を浴びながら訝しげな声で囁く。
夜中になったが、今のところ村に怪しい様子は無いし、物音一つ聞こえない静寂が辺りには満ちていた。
――もう皆眠ったのか、住宅の明かりは殆ど消えていた。
失踪事件が起きているということだから、自ら夜遅くに出歩く者もあまりいないとは思うが。
「……ま、俺達ももう今日は寝るか、姫、明日は少し今の世界のことを村人から聞いてみよう。んでもって、情勢とかが分かったら――」
「もう少し大胆に行動できる」
「その通りだ」
今の時代の情報収集。それが、この村に泊まることの一番の目的だ。いきなり、人が多く集まる場所へ行っても良いのだが、自分達が持ってる情報と、今の世間の常識の差異で問題が起こらないとも限らない。
されば、この小さな村で、その差を埋めてから思いきって行動するというのもありだろう。
「んじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
照明を消し、寝具に寝転がり、ゆっくりと目を閉じる。
今まで自分達、幽鬼を迫害してきた相手と会話するのは色々と疲れる。
だから、明日への英気を養うために今夜は早く眠りにつく。
上手くいくことを願って。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして次の朝、村の子供が数人、
――――――消えた。
次回は、新しい主要キャラが出てきます。
ちなみに、序章の物語が加速するのは4話当たりかなと思っております