二章第16話 『思いがけぬ邂逅』
「――大丈夫?」
簡素なベッドで身体を小刻みに震わせる少女は、苦しみ、痛みでもあるのか胸の辺りを着ている服をくしゃりと掴み、きつく目と歯を食いしばっている。
青白く、見るからに血の色が無い肌からは冷や汗のようなものが滲み、つたっていた。
エリファは、切っていないのか随分と長くボサついた茶髪が垂れた背中を静かに声を出しながら、柔らかな手つきでさすってやる。
すると、その効果があったのかなかったのかは分からないが、少女の乱れた呼吸はいくらか徐々に元のリズムを取り戻し始めた。
――取り戻し始めたところで、少女は突如、跳ねるように後ろのエリファへと振り向き驚愕の表情を浮かべ、
「――え」
短く、酷く掠れた弱々しい声で口を開ける。
そして、少女の身体はまたも震えだす。それも先程の苦痛の表情で蹲っていた時よりも、大きく震えだした。
お世辞にも、顔色が良いとは言えない少女の額に、こちらも先程よりも多くの汗が垂れる。
「……ぁ、え……なんで? 今、触って……? 扉は……」
少女の表情から、様々な疑問が彼女に襲いかかっているのが容易に理解出来た。
扉のことならエリファがもっている『体質魔術』である『完全幽体』の能力のお陰で入れたという、初見では到底予想できないものになっているので疑問を浮かべることも分からなくは無いが、身体に触れたことについてそんなに過剰に反応されては困ってしまう。
巷に聞く『潔癖症』というやつだろうか、そう思えば確かに扉に何重にも鍵をかけて、部屋に閉じこもることにも辻褄が合う。
長いこと閉じこもってるせいで体調を崩したのならば、元も子も無いが。
なんにせよ、つまりは今のエリファは人の癖を無視して勝手に入ってきた、嫌な奴である。
呻き声が聞こえたので助ける為に入ってきたという動機は立派だが、結果は結果だ。ここは素直に謝って、さっさと出ていこう。
「……ごめん、苦しんでるみたいだったから、勝手に入っちゃった。ほんとにごめん、すぐに出ていくから」
「あ、待って、ちが、違うの! あの、さっき私に触ったよね? 身体、なんともない……の?」
やらかした事を素直に反省し、ベッドから下りてそそくさと部屋から入った時と同じ『完全幽体』の応用という方法で、部屋から出ていこうとするエリファを止めたのは他でもない、その『潔癖症』の少女だった。
エリファは自分を手を伸ばしながら引き留めた少女の質問に、逆に疑問を浮かべる。
「……身体? なんともないよ? あ、もしかして、私が触れた時に『潔癖症』で鳥肌たったからその感覚が私にも無いのかってこと? なら、私は『潔癖症』じゃないからそんな感覚は味わってないよ、ごめん」
「ケ、ケッペキショー?」
「あれ、もしかして知らない? 自分の症状の名前も知らずに苦しんでいるなんて……可哀想」
「え? あれ?」
なんて可哀想な境遇の少女だろうか。自らの精神症の症状の名前がわからず、周りに上手く説明出来ずに理解されてもらえず、自室に何重にも鍵をかけて閉じこもる羽目になってしまったのだろう。
「な、何を言っているのか分からないけれど、何だか会話が噛み合ってないのは分かったよ……身体に異常がないなら良いけど……」
「……どういうこと?」
「私は病気なの」
「『潔癖症』?」
「違くて! ……簡単に言うとね『魔力核』がね、徐々に石化していく病気なの」
「……え」
どうやら盛大な早とちりアンド勘違いをしていたみたいだ。『魔力核』といえば、セレマやユウマの村を襲ったヴェルラという王国騎士と名乗った、奇妙な仮面のサーカス集団のその襲った理由だったはずだ。
たしか――、
「……命に直接関わる器官、『魔力核』」
「そう、命と結びついているのが『魔力核』。魔力を体内で生成する根源。その器官が徐々に石化していくの」
命と同等のものが石化している。つまり、この少女の身体の中では命そのものが少しずつ削られていっているといっても過言では無いだろう。
それは、エリファの想像できる範囲を超えた苦痛であるに違いない。
少女は今も苦しんでいるだろうにも関わらず、尚も黄色の瞳をエリファへ真っ直ぐと向けながら説明を続ける。
「ここからが、大事なこと。この病気は人同士で接触感染するの。だから……その……」
「ん、大丈夫。身体に異変はない」
「本当の本当に? この病は本来は、感染してから五分も経たずして『魔力核』を一気に石化させてしまうの。今までに何人も私に触れた瞬間、息を引きとったのを見てきたけど……確かにまだ症状が出てないのはこれが初めてかも……けど、私みたいに例外な症状かもしれないし……」
少女はエリファの身体にまじまじと心配そうな視線を送り、結構ショッキングなことを説明に含みながら言葉を重ねる。
少女の言葉にあった例外の症状というのも気になるが、それ以上に聞きたいことが一点。
「その病気って、人以外には伝染らないの? 例えば魔物とか」
「え、あ、うん。伝染らないよ」
「ああ、なら本当に大丈夫だ」
エリファの予想外な角度からの質問を受けた少女は一瞬呆気に取られ間抜けな息を漏らすが、すぐさま端的に答えた。
その返答に心底安心したような表情を浮かべるエリファを見て、初対面であるせいか、或いは閉じこもっているせいかなんにせよエリファの出自を知らない様子の少女は疑問に眉間を寄せる。
そんな少女の様子を見て、エリファは続けて口を開き、
「……自己紹介。私は『幽鬼の姫』のエリファ。『幽鬼』つまり、魔物の一種で人間ではないからその病気は伝染らないよ」
「あ、私はステラ。こちらこそよろしくね。……って、えっ!? 『幽鬼』? 人間じゃ……ないの? いや、どっからどう見ても人間……黒紫は珍しい髪色だけど……」
ステラと名乗った白い肌の少女はおどおどと、疑問が解決されるどころか深まった様子でエリファにベッドに座って上目遣いを向けている。
無理もない、なんせ今までにエリファは自ら正体を明かすまで、幽鬼だと決めつける者はもちろん、気になった様子を見せた者すら『飢餓の絶望』――シリアル・ファングリル以外には――誰一人としていない。
『幽鬼の姫』として『幽鬼』の力を世界に知らせるという目的はいいが、その上でこの見た目があまりに人間寄りなのも問題になっているのではないかと思うこともある。エリファの見た目からは、ただでさえ影が薄い『幽鬼』、それが連想されないのだ。
「『幽鬼』って、青白い火の玉じゃなかったの? 実際に見たことないけど、本にはそうやって書いてあったよ?」
「普通は火の玉で合ってるよ。……私自身よくわかってないけど、この姿は特別みたい」
あの『幽鬼』達が逃げ込んだ森の奥の洞窟で目覚めた時を、はっきりと覚えている。何も見えない暗闇の中。自分の存在すら黒く闇に融けてなくなってしまったかの様な感覚。
あの時にザガが居てくれて助かった。目覚めた時にザガが自分に話しかけてくれなかったら、あのまま自分を失っていたかもしれない。
洞窟を抜けたところ、木漏れ日と共に宙に漂う幽鬼達も元気にしているだろうか。姫の帰りを待って心配しているだろうか。そう思うとまた今度、あの森にも一度戻らなければなるまい。
その時にはユウマやセレマにも顔を見せておこう。
そうやって、エリファがまだ短くも濃かった過ぎ去りし時間に思いを馳せていると、シワのついた白いベッドに座るステラが目を輝かせているのに気づく。
「……どうしたの?」
「ううん……こうやって、普通に人……ではないけど話せたのが本当に久しぶりで……あの、エリファ、もう少しお話してもいいかな?」
なるほど。要するに、ステラは珍しい感染する恐れのない話し相手の訪問だからこの機会を手離したくないのだ。
断る理由もない。迷惑姫探しなど、この少女に他愛ない話から、今までの濃い時間の話など色々話してやってからでもいい。ステラは外に出ないだろうから、話題はこちらが持ち込もう。
エリファは頷き、そうして『幽鬼』の少女が本を読み聞かせするように語りかけ、病気の少女が耳を傾けるという形でその貴重な時間は始まった。
※※※※※※※※※※
不思議な部屋だった。外見は普通に城下街にありふれた民家のそれだったが、玄関の扉を開けると雰囲気は一変。
四方の壁は全て黒い幕で覆われ、部屋の中心に小さいガラステーブルが一つ。そのテーブルの上には、四角い赤の布が敷かれ、その上に魔法陣が淡い光を放ちながら立体的に浮かび上がって回っていた。
そして何より不気味なのはその魔法陣を眺める一人の女。女の顔の上半分はローブに包まれ隠れており、青色の唇とほくろだけを覗かせている。
「……で、こんな所に自分を連れ込んで何の用っすか? 今、自分は尊敬するお方に頼まれた仕事中っすから、つまらない事ならただじゃおかないっすよ」
「……」
「無視っすか」
その不気味な女性に相対するのはエリファという『幽鬼の姫』を名乗る少女に助けられてからその少女に忠誠を誓い、ずっとついて来た、そしてこれからもずっとついて行くつもりである少年――ローレンス・ルラウドである。
ローレンスはその黄色い眼で鋭く黙る女を睨みつけ、右手に魔力を集中させ強く光を放つ。
どのみち、拉致の容疑でこの女は犯罪者だ、とエリファに任された仕事を邪魔された事に対する私怨も多少含めながら少し派手に懲らしめてやる為に魔法を展開しようとする。
が、
「――お待ちください。私は『情報屋』。ローレンス・ルラウドさん、貴方は資格を得ました。聞きたいことが有るのでしょう?」
女は取り乱すことも無く、静かに、知る筈がないローレンスの名前を呼び、語りかけた。




