二章第11話 『終焉に揺蕩う』
「――愚か者ね。逃がすわけないでしょう」
その声に振り返る『飢餓の絶望』は、振り返った直後こそ、呆けた面をしていたが、すぐさま八重歯を見せ、吹き出す。
「ふふふっ、あはははははは! 『逃がす』かあ。逆だよお? 私が見逃すんだよお? ……でも、そうだね。じゃあ、『逃げる』とするかな」
「その『逃げる』をさせないと言っているのだけれど? 言葉も理解できないほどに馬鹿なのかしら。……そんな奴にしてやられたと思うと、余計に腹立たしいわね」
「ふふふ、その見下したような態度、嫌いじゃないよ」
「――アンナ様! この者は!?」
アンナが挑発するが、『飢餓の絶望』はまともに取り合わない。
多分だがアンナは『飢餓の絶望』、つまりこの異変の首謀者を逃がさないために、敢えて怒りを湧かさせるような言葉を並べているのだろうが、相手もそれを理解しているからか軽くあしらうだけである。
その会話を遮る声は、『捕食者』と化した人々の沈静化を命じられていた、こちらへと走ってくる金の髪を揺らすルシアンだ。
「あら、ルシアンもう終わったのかしら? 流石ね」
「お褒めにお預かり光栄です。して、この少女は? 見るからに危険な感じが溢れ出ているのですが」
「ええ、こいつがこの異変を起こした『飢餓の絶望』? シリアルとかいう奴よ」
「やはりですか」
任務を終えて、やってきたであろうルシアンにアンナが労いの言葉をかけ、ルシアンはそれを素直に受け取る。
その次に、目の前の脅威の説明をしたのだが、その説明に不満げなのは、当の本人である『飢餓の絶望』――シリアル・ファングリル。
「ちょっとお。女の子に向かって危険な感じっていうのは失礼だよお? こんなにも美少女なのに」
「面白い冗談ね。お前が美少女だったら、私は何なのかしら? 女神かしら? ふむ……あながち間違いではないわね。ね、ルシアン?」
「そうですね。アンナ様はいつもお美しいです」
「お、じゃあこっちの姫だって負けちゃいねえぞ? なんてったってうちの姫は『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』だからな! ……殆ど実物見たことねえけど」
「見たことないのに言ったの……?」
「だって、伝説上の花だぜ? そもそもその実物が存在するかも怪しくない?」
アンナを褒めるルシアンに対抗して、ザガが自分の主であるエリファを讃えるが、その内容が些か適当であるために、エリファは訝しげな表情をする。
ともかく、アンナはこの少女、『飢餓の絶望』を逃がさない、とそう言ったのだ。もとよりエリファも逃がすつもりは無いのだが、ともすれば、この少女の実力がどうであれやることはただ一つ、つまりは――、
「――先手必勝。『呪いの鎖』!」
「うわっ! 足が……」
不意打ち上等といった感じで、エリファは魔術『呪い』を発動させ、『飢餓の絶望』の足元に鎖を生成した。
その黒い、微かに紫の光を放つ鎖はシリアルの足に絡まり、動きを封じる。
目立った抵抗をしなかったということは、実は異変を起こした術者自体はそんなに強くないとかそういうパターンなのかもしれない。
「やったか!?」
「……もお、びっくしたよお。いきなりなんて、お茶目なんだねエリファ」
「――ッ!!」
エリファを向いて、首を傾げてその紅の髪と黒い花の髪飾りを揺らすシリアル。
その途端、その足は縛り付けていた重い鎖を純粋な蹴りの力だけで引きちぎって粉砕し、自由を得る。その超常的な行動とは裏腹に、『飢餓の絶望』の声色は日常的である。
前言撤回。『捕食者』を生み出した術者自体は弱いとかそんなことは一切無く、普通に強い。いやむしろ術者自体が思いっきり最強格だ。
『呪い』によって作られた鎖は、尋常ではない重さと硬度を持っているはずなのに、それを軽々と、踏ん張る素振りもなく粉々に粉砕するなど、それこそ尋常ではない。
それこそ『飢餓の絶望』は鎖の動きを見切れなかったから避けれなかったのではなく、避ける必要が無いから避けなかったのだろう。
「ほんとおにそろそろ、怒られちゃうから帰るね」
「ルシアン」
「御意」
アンナに名を呼ばれ、ルシアンは僅かに顎を引き短く答える。
答えたルシアンは徐ろに腰に差してある、細長い刀身に錆びた血が付いた黒の剣を取り出した。そうそれは屋敷に侵入した女が持っていた――、
「……『刀』?」
「うげえ、ルッシーまさかとは思ってたけどよ、ほんとにそれ使うのか?」
「ええ、俺の剣は今、事情があって手元にありませんので。ですから使えるものは使います、それが先の敵のものでもあっても。……とはいえ、『刀』なんて武器を使うのは初めてですので、魔術に頼りきりになりそうですが」
魔術とはこの前に体質魔術と言っていた、『万物は我が剣』のことだろう。確かに、この魔術があれば使ったことの無い武器でも使える。
むしろそこが『万物は我が剣』の一番の利点だ。その場にある物全てがルシアンの手に持たれた瞬間、それは紛うことなき武器となる。
だがそれでも、先程まで戦ってきた相手の武器を握るということに、何だかエリファは微妙なイヤらしさを感じてしまう。ルシアンにとって、あれが戦いと言えるかどうかはわからないが。
「では、参ります。……でやあっ!!」
「わっ!」
ルシアンが告げた。その時には、もうルシアンの姿は今までの場所にはなく、次に声が聞こえたのは『飢餓の絶望』がいる方。
つまりは、目に見えない内にルシアンは『飢餓の絶望』の目の前へと移動したのだ。
その移動法は間違いなく、先の戦闘でフード被った『獣人族』の女がエリファや、アンナに向けて使った移動法そのものだった。
『飢餓の絶望』は驚き声を上げながらも、すぐさま、こちらも見えない程のスピードで後方に飛び、次にくる胴を狙った横薙ぎの斬撃を避けた。
「おいおい、前に言ってたいい感じに戦えるってのは、その武器の魔法もかよ!?」
「いい感じ、でしょう? ……せやあっ!!」
ザガが武器そのものだけでなく、それに付けられた特殊な魔法さえも扱ってしまうルシアンに大声で嘆ずる。
どうやら、『万物は我が剣』は手にした武器を理解し、上手く使えるようになるだけではなく、『魔法道具』の魔法、あるいは魔術も制御できるようになるらしい。
つくづく便利な魔術だ。
しかし、そうやって、ルシアンが武器、『刀』が持つ特殊能力までもを引き出して何度も斬りつけようとするが、『飢餓の絶望』は全くその刃を身体に受ける様子がない。
エリファといいルシアンといい、こちらは魔術まで使っているのにも関わらず紅髪の少女は魔術どころか魔法さえ使っている雰囲気はパッと見、無い。
つまるところ、もしそうならば、この猛攻を自前の身体能力だけで避けているということになる。それは恐ろしいことだ。仮に、この少女も魔法や魔術を使えるのだとしたら、『飢餓の絶望』はまだ本気を出していない。
「……凄いけどお、それまでだね。決定打になってないよお?」
「いえ、ここまでやれば充分でしょう」
「……?」
ルシアンの斬撃を尽く躱し、一切のダメージを食らうことなく笑う少女。
その少女の余裕に、何故だか満足げな表情を浮かべたルシアン。それを見て、『飢餓の絶望』は怪訝な表情へと笑みを変化させる。
変化させた数秒後、その表情はまたも変わる。次の表情は僅かな驚き。その視線は、ルシアンに向いてはおらず、その奥のアンナへと向けられていた。
突如として、辺りを包む眩いばかりの白い閃光。
その光に、エリファがアンナの方を腕で影を作りながら見やると、その手には光の原因、かつてエリファが見たことのないほどの高濃度の激しい魔力の奔流。
「よくやったわ、ルシアン」
「ッ!! 大規模な魔術を発動させるための時間稼ぎだったってことお!?」
「――言ったでしょう。逃がさない、と」
次の瞬間、アンナの前にかざした手から少女目掛けて迷うことなく真っ直ぐ、一直線に放たれる全てを飲み込まんとする魔力の、否、光の渦。
その荒れ狂う渦が『飢餓の絶望』を捉え、身体を、存在そのものを切り刻み、消し飛ばそうとする直前。
「――残念だけどお。待ってたのはあなただけじゃないのお」
「……ぇ」
呟いた『飢餓の絶望』その少女の背後に黒い穴。
それは壁も何も無い空間自体をこじ開けるように突如現れ、拡大する。
少女はその背中に出現した虚無の黒に、倒れるように体を預けて落ちていき、アンナの魔法が直撃する前に、
「――運命は大きな波。『幽鬼の姫』、あなたはもう逃れられない」
という何やら意味深な言葉を残して穴とともに――消えた。
※※※※※※※※※※
少女が消え、結局当たることのなかった魔力の渦が空へと散ってから、暫く広場を静寂が満たしていた。
その静寂を破るのは、アンナの怒声。
「――くっ! ふざけないで!! この町は、私の物よ! それを傷つけておいて、逃げ切れると思うわないことね!! 地の果てまで追い詰めて、その首を刎ねてやるわ!!」
その口調は、いつもの高貴で丁寧な口調からは想像もできないほどに乱暴で、アンナは何度も何度も胸を満たす怒りに任せて、地面を踏みつける。
そうやって踏みつける度に、アンナの足元は陥没し、どんどんとひび割れていく。
エリファはその振動を、怒りの振動を静かに足から感じ取っていた。
「アンナ様、お辞め下さい! 綺麗な足が飛んだ破片で傷ついてしまいます!」
「――ッ!!」
ルシアンがアンナの身を案じて、傍へと駆け寄り焦りながら声を張り上げる。
その声にアンナは、はっと、顔を上げ辺りを見渡す。
見渡すと。ルシアン含め周りの兵達全員が、その行為を見てられないといった表情を浮かべていることに気づき、アンナは深く、深く息を吐き、
「……ごめんなさい、取り乱したわ。上に立つものとして情けない姿この上ないわね」
「いえ、アンナ様は悪くありません」
自分に仕える者達に、醜い行為を見せたと反省し、謝るアンナ。
そのアンナにルシアンは諭すように言って、周りの兵達も「そうだそうだ」と同調する。
この場にいる兵達が皆、仕える主が感情を露わにして、身を傷つける行為を見て、そのフォローに回るのだからやはり、アンナは下の者に好かれ慕われている。
「……エリファ。私はいずれ、ノワンブールの王になる女よ」
「……アンナ?」
アンナはエリファと目を合わせ、決意した表情で語り始める。
「私は、憎たらしい他の残りの姫を蹴落として、王になる」
「お、おい……アンナ、お前、前に五人の姫は仲良いって……」
「あんなもの、皮肉に決まっているでしょう。超絶に仲が悪いわよ」
ザガの質問に、アンナは「はん」と鼻を鳴らして答える。
やはり、前にザガが言った通りに五人の姫の内情はドロドロとしているらしい。
エリファが、王国の黒そうな身分争いの様子を頭浮かべていると、アンナは続ける。
「王なんかには留まらないわ。いつの日か世界さえも私の下へと下らせてみせる」
今も、ノワンブール王国には王がいるはずだ。その座を狙う、つまりは王国の転覆をすると、しかも、それは通過点だとアンナは言う。最終的には世界の頂上へと上り詰めると。
エリファは、アンナの力強い続きの言葉を、静かに聞く。アンナは一泊置いてから、息を吸い込んで、
「――だから、エリファ。あなた、私の物になりなさい」
「……」
「あなたは『幽鬼の姫』として、その力を世界に示したいのでしょう? なら、私に付いてきなさい。さっきの少女を追い詰めて、国を転覆して、世界さえも飲み込む、その旅路に付いてきなさい!」
それは、野望だ。アンナは世界にすら及ぶ野望を述べる。
「私は、必ず望みを叶える! あなたの名前とその力は、この私が世界中に伝えてやるわ! ――だから、私のものになりなさい!! エリファ!!
空を覆っていた雲から、一筋の光が降り注ぐ。
『捕食者』と化した人々の大半が死に、屋敷への襲撃事件もあり、『飢餓の絶望』も消え、全てが終わった場所に揺蕩い、
その絶望を絶つために、国の王へと成り上がるために、世界さえも追い越すために、全てが始まる場所に揺蕩う。
終焉に揺蕩い、起源に揺蕩う『幽鬼の姫』。
エリファはゆっくりとアンナへと歩みを進める。
そして、意志を宿した瞳で、野望に燃える瞳を覗き込み、差し出された手を握り返した。
――物語はここから始まる。
チュートリアル終わりました。
二章はまだ続きます。
が、
物語が本格的に動き出すのは、三章からです。
それまで、もう暫くお付き合い下さい。




