二章第9話 『【刀】と【魔法柩】』
「う、ぐっ……!!」
飛び込んで床に倒れ込む女の姿は傷だらけであった。黒いローブはぼろぼろに破け、無数の穴が空いており、女の口元には舌でも噛んでしまったのか一筋の血が流れをつくっている。
深く被っていたはずのフードも、付け根の部分が半分以上ちぎれて、ぷらんと地面の方向に垂れていた。
その視線の先には、陽光の金髪を輝かせた、優しい印象の緑の目の好青年――ルシアンが静かに佇んでいる。
その手には、なんだか似合わない掃除道具であるモップ。
「あは……まさかただの掃除道具でここまでとはね。『万物は我が剣』」
「いえ、そちらも恐るべき身体能力だ。『獣人族』のそれを越えている」
「あれだけ『刀』で打ち込まれて、服も汚れなかったのにどの口が言うのかな? あは、もしかして皮肉?」
女は先程エリファと戦った時には全く見せることのなかった苦悶の表情でルシアンに賛美を送ると、それを見るからに見当違いな賛美で返される。
女は、皮肉めいたルシアンの言葉に静かな苛立ちを浮かべ、口元の血を手で拭い抗議した。
女の満身創痍な様子に対して、ルシアンの身体には傷どころか、身に纏う服にひとつの綻びさえ無い。エリファは二人の状態を一目見ただけで、その戦闘がどれほど一方的なものだったかを理解する。
『刀』を構えた女がぼろぼろで、お掃除用のモップという家庭によくある物を握った男が、傷を負っていない。
その光景の、なんと理不尽なことか。
「――ルシアン、いいわ、そのままやってしまいなさい!!」
「な、アンナ様!? どうしてここに!? メーティスに言われたはずでは!?」
そんな自分の頼れる部下の活躍を、目の前に飛び込んできた状況から感じ取ったアンナがルシアンの背中に、声援を送る。
すると、その声援を受け取ったルシアンは、悠々とした態度から一変して、勢いよくこちらに振り返り驚愕の表情と声を上げた。
「あら、なんでこの私が、こんなにも楽しそうなイベントを前に、震えて隠れてるだけだなんて思ったの? 馬鹿にしてるのかしら? ……不敬罪で首を刎ねるわよ」
「理不尽!!」
「冗談よ。それに、私、メーティスに何も言われてないわよ? まさか職務怠慢……あの子も首を刎ねようかしら」
「やめてやってください、まあ冗談でしょうが。……でも、そうですか、メーティスに何も言われてない、ですか。なるほど、それもそうですね」
アンナとの会話から何かを掴み取ったのか一人頷き、納得したような様子でブツブツと呟くルシアン。
屋敷にあまり長く関わりがないエリファには、会話の内容がよくわからなかったが、それでも目の前のアンナという人物が、恐れを知らない楽観主義者チックな変わり者だと言うことは会話の流れから把握できた。
いや、楽観主義者というよりは、自分という存在に絶対の自信を持っていると言った方がこの場合、正しいのだろうか。
「――!! 何故、あなたが生きてるの……!?」
アンナに振り回されるルシアンに続き、驚愕の声を上げたのは、床に這い蹲り、腹部を手で抑えた黒いローブの女だ。
女は、ルシアンの視線の先、領主であるアンナの隣に座るエリファをみた。本来あるはずべき死体の姿ではなく、なんの傷もない元気な生者の姿を。
「……アンナに助けてもらった」
「おうよ、俺が言うのもあれだが、ピンピンしてるぞ、コラ! ざまあねえぜ! この、あはあはうるせえサイコパス女が!」
「あは、有り得ない。だって、身体の内側からぐちゃぐちゃに壊したんだよ? あれで生きてるはずがない……!!」
静かに答えるエリファに続く、ザガの汚い罵倒。
だが、女はその罵倒に反応もせずに、ただただ黒い光のない目を見開いた。
間違いない。あのままなら確実に死んでいただろう。そう思うと、アンナの自己に対する自信には感謝しかない、そういう人物だからこそエリファの元にやってきてくれた。
「エリファ様がぐちゃぐちゃに……? アンナ様、もしかしてですが……」
「――ええ、『魔力柩』を使ったわ」
「え? ま、りょく、きゅう……!?」
ルシアンが推測の言葉を紡ぐより先に、アンナが流れるように答える。
女は、その答えに何故か、エリファの生存を確認した時よりもさらに目を開き、動揺して、掠れた声を出し、アンナの手の中に握られた小さな赤い箱を見つめ、
「あは、あはは――ついに、みつけた……!!」
「――!!」
その顔に狂乱の笑みを浮かべた次の瞬間、――漆黒の刀身の『刀』を振りかぶった女がいつの間にかアンナの目の前へと移動していた。
その刃が振り下ろされ、アンナの脳天を捉える、
――そのわずか前に、
「『禁呪:だーるまさんがこーろんだ』」
エリファの口から不思議な詠唱。
すると、女の動きは時間が停止したかのようにピタリと静止する。
「――!!」
「……この魔術は『呪い』の一つ。視界内の相手の動きを一定時間、妨げることが出来る。効果量が少ないから、相手が万全の状態の時に使ってもあまり意味は無いけど――今のあなたは、満身創痍」
「お、おおお……!! 流石だぜ、姫! イエス、プリティー! イエス、ビューティフォー!!」
声にならない声を発した女に向けた、エリファの解説に、ザガがその体から火花を散らしながら、よく分からないテンションの騒ぎ方をする。
見れば、『刀』の鋭い刃はアンナの純白の髪に微かに触れていた。文字通り、『危機一髪』といったところだろう。
「――アンナ様、流石に今のはヒヤッとしましたよ……」
静止した女へと近づいていったルシアンが、女の手足を拘束し、取り押さえ、その手から『刀』を奪い取り、その黒い刀身を目を細めて鑑定でもするような目つきで見つめながらアンナに語りかける。
「あら、私なら全然大丈夫だったわよ? ……『見えていた』しね」
「……はあ。そうでしょうが、少しは危機感というものをですね……」
「説教をするつもりね、いいのかしら? 首を刎ねるわよ」
「権利を乱用しないでくださいよ!!」
またも、エリファがよくわからない類の話だ。アンナの『見えていた』という発言の意味は気になるところだが、ひとまずは置いておく。
この女の目的は、行動から察するに、アンナの手に握られている赤い箱、国宝級だと言っていた『魔力柩』を手に入れることだろう。その理由までは推し量ることは出来ないが、瀕死のエリファの傷を『完全治癒』させてしまうほどの魔術が入った箱だ、その用途は多岐に渡る。
何にせよ、持っておいて何一つの損は無い代物と言っていい。
「とにかく、またエリファ様に助けられてしまいましたね。感謝を……」
「いや……助けられたのは私の方、こちらこそ……ありがとう」
「いいのよ、エリファ気にすることはないわ。私がしたくてしたんだもの」
「けど……」
エリファは現に女に敗北し死にかけていた所を、アンナによって助けられた身だ。普通なら感謝される側ではなく、感謝する側なのだ。
なのに、アンナは国宝級のアイテムを使っておいて、気にするな、と言う。
本当にアンナ達には迷惑をかけっぱなしで――、
「――これは。……この刀、『魔法道具』ですよ」
「『魔法道具』ってーと、その『魔力柩』も確かそうだって言ってたな」
自分の事を責めに入るエリファを止めるように、女から取り上げた『刀』を物色したルシアンが少し驚いたような表情でのたまう。
その『魔法道具』という言葉に、とりあえず自責をやめ、エリファは心の内で納得したように手を叩く。
女はエリファとの戦闘時も、先程と同じような目に見えない移動、『瞬間移動』みたいな妙な動きを多用していた。
だが、それを使ったのはいづれもあくまで『刀』を握っている時に限定されていた。エリファが喰らった拳の攻撃の時には、『瞬間移動』をしてこなかったのを記憶している。
つまり――、
「――ええ、あの『獣人族』にしても速すぎる移動は、この刀、つまりは『魔法道具』の効果ですね」
エリファの思考を読み取ったルシアンが拘束した女の藍色の髪の頭から生える獣耳を見つめながら、結論を語る。
『魔法道具』というものはアンナの『魔力柩』といい、女の『刀』といい、相当に便利なものであるらしい。それと同時に、厄介なものでもあるのだが、やはり、持っていて損は無いと思われる。
「『魔法道具』か……五百年前には無かった技術だな、やっぱ進化してるのな。……で? サイコパスあはあは女はそんなものを狙って何を企んでたんだ?」
「あは」
ザガは魔法技術の発達に、感慨深いといった様子で感想を漏らしてから、次にそのあはあは(?)女に向けて、その声色に怒りを混ぜながら質問を投げつける。
エリファの魔術の効果時間が終わり、声を出せるようになった女は、真顔で声だけで笑い、続けて、
「――理由を言えば、その『魔力柩』をくれるのかな?」
「それはきっと無理ね。これは国宝級の代物で、なんと言っても私のものだから。私のためにしか使わないわ」
「……」
「――でも、私はあなたのその目。嫌いじゃない、いえむしろ気に入ったわ、理由は後でちゃんと聞いてあげる」
「あは…………」
逆に、理由を述べた先の事をこちらに問うた女は、既にルシアンとの戦闘でのダメージで限界だったのだろう。
アンナのどっちつかずな答えを聞くと、女は一度微かに笑い、そのまま眠るようにして気を失った。
その女が戦闘不能状態になったのを確かめてから、アンナはエリファへと振り返り、先程のこの女が現れる前の話の続きを催促する。
「エリファ。悪いわね、さっきは途中で話が途切れてしまって。――で、町がどうしたのかしら?」
「実は町で人と人が――――」
※※※※※※※※※※
鉄の臭いで満ちた町に一人の影。
影は笑い、辺りの咀嚼音に混じりながら、声になっているのかなっていないのかわからないが、言葉を吐いた。
――美しい。