二章第8話 『その箱は国宝級』
――ふんふふ〜ん。ふんふ〜ん。
鼻歌は、屋敷の廊下に響き渡る。
「あぁ……ここも違う」
女はおぼつかない足取りで屋敷の中を彷徨い歩き、次々と部屋のドアをあけ、目当てであるものを探し続け、その部屋にそれが無いと分かれば、肩を落として落胆するというのを繰り返していた。
それに、この屋敷に最初潜入したときこそ、屋敷の関係者が居たものの、そいつらを斬ったあとから今までに、白黒のドレスの『姫』と呼ばれる女以外の生物に出くわしていなかった。
――やはり、さっきの『姫』と呼ばれていた子がここの領主だったのか?
だとすれば、少々面倒臭いことになってしまう。先の少女は屋敷の玄関で既に殺してしまった。
どのみち殺すことには変わりないのだが、できるだけ情報を聞き出してから殺したかったものだ。
「あは、ここもちが〜う! すんすん……人の匂いもしない」
どちらにせよ、ここまで広い屋敷の中でこうも人の気配が無いのは妙だ。気配どころか匂いまでしないとなると、何らかの術中にある可能性が高い。
だが、目撃者は全員、一人残らす消してきたはずだ、どこから漏れたのか。
「……さっきの『姫』を殺す前に痛めつけて、吐かせれば良かったかな?」
今思えば、仮に『姫』が本当の領主であったとしても、全く関係の無い部外者であったとしても、あの少女に聞くことにはあまりデメリットがないように感じる。
失態だ。あまりに、あの少女が可愛いものだから、ついつい、苦痛に歪む表情が見たくなってしまった。
しかも、少女は身体の中から直接魔力で、ぐちゃぐちゃにされたというのに、こと切れる瞬間に浮かべたその表情は、女が望んだ「死にたくない」という恐怖の、生への渇望を抱いた表情ではなかった。
なんかこう、もっと根本的に違うというか、些細な事を思い浮かべているような、そんな上手く読み取れない表情をしていた。
「あは、失敗したなあ……何も得られなかったなあ……」
欲しい表情も観させてもらえず、欲しい情報も得られなかった。あの選択は、間違いだったか。
二兎追うものは一兎も得ず。いや、この場合はそれを知った上で一兎に狙いを絞ったが、その一兎の足が速く、結局どちらも得られなかったというパターンだ。つまりは、運命の道を一つ踏み外したということだろうか。
――いつだって、運命というものは残酷だ。それを、私はよく知っている。
「せめて、一人でもいいから出てきてくれたらその人に聞くのになあ……」
女は扉を開け、部屋を覗き込み、またも何も無いことを確認すると、ため息混じりに黒のローブのフードの下から愚痴をこぼした。
だが、女はすぐに無邪気な笑みを取り戻し、鼻歌を再開して、同時に屋敷内の探索も再開する。
――ふんふふ〜ん、ふんふ〜ん。
鼻歌は、屋敷の廊下に響き渡る。
――ふんふんふふ〜ん。ふ〜んふふ〜ん。
大きな窓からの陽の光を浴びて、女はふらふらと身体の重心を揺らしながら長い廊下の先に黒く濁った視線を送り、ゆっくりと歩みを進める。
――ふんふふ〜ん。ふんふ〜ん。カツン。ふ〜ん。カツン。ふんふふ、カツン。ふ〜ん。
突として、女が響かせる不規則な鼻歌のメロディに、規則的な対照のメロディーが混ざる。
しかし、これは女が出しているのではない。その旋律は視線の先、つまりは廊下の奥、迫り来る人影の足元から鳴らされていた。
影が足に履く、茶色の硬めの革の長い靴。その底が無駄に装飾の多い屋敷の廊下の美しく、どこか冷たさを感じる純白の固い床にぶつかり発せられる高い音。
真っ直ぐとした太陽の光を思わす金髪に、大地の力を感じる緑の目、整った顔立ち。
身に纏うのは白を基調とした服で、その腕に赤の竜の紋様が描かれた腕章を着けている。
「お客様かな?」
廊下の奥から、女の目の前に現れた毅然とした態度の青年は呟いた。
※※※※※※※※※※
「あは、そうだよお! 領主様に招かれたんだ〜」
「そうですか、おかしいですね。今日は来客の予定はなかったはずですが」
「急だったからじゃないかな? あは」
ルシアンの声に、見るからに不健康そうな目の女は、少女のように無邪気な声と甘えるような仕草で答える。
そんな女の態度にルシアンは、疑問をさらに提示する。
お客様とか云々を言う前に、もともと今日は領主であるアンナから全くをもって、客が来るなどとは聞いていない。
「ふむ……そういえば先程、玄関の方から爆発音が聞こえた気がしたのですが、知りませんか」
「あ〜確かに聞こえた気がするよ〜、なんだったんだろうね?」
続けられるルシアンからの問いかけに、女は人差し指を頬にあて、瞳を斜め上にして考えるような素振りを見せた。
「ええ、恐ろしいですね。……この屋敷の者も、一刀両断。斬られていたそうです――そう貴方のような黒いローブを着た人物に」
「あは。……なんで知ってるのかな?」
「おや、やはり、貴女の仕業でしたか」
「……!!」
ルシアンはこの女がクロであるということは、状況からほぼ間違いないと思っていたが、一応は試すような物言いをしてみた。
ルシアンの仕掛けたハッタリに引っかかり、まんまと自分が起こした事件だと自白してしまった女はその表情に焦りと驚きを仄めかせる。
「となると、俺以外に人が居ないのはメーティスの仕業ですかね。どうやら他の者は避難させ、俺だけを残したらしい。なるほど、期待が重い」
「……私もおにいさんのこと知ってるよ? というよりわかったよ? ……太陽の金髪に、緑の目、そして、何より私みたいな危険人物を捜してる筈なのに、手ぶら」
女はその顔に薄らと汗を伝わせ、喉奥で一度飲み込み、続け――、
「――ここの領主、五人の姫の一人、アンナ・フラクトール・ホワイトの一番騎士で魔術『万物は我が剣』の使い手……ルシアン・グレイシャルでしょ?」
「……『獣人族』にまで名が伝わってるとは光栄だよ」
女の焦りを含んだ声に、ルシアンは淡々と、顔に微笑を携え、答えてみせる。
まさか、人里とは離れて暮らしていると聞いている『獣人族』にまで、自分の名前が知られているとは、その事に少し嬉しく感じる。
主であるアンナに振り回され続けながら、常識では有り得ないような無茶ぶりに応えているうちに、ルシアンの名前は自分が思っていたよりも広まっているらしい。
「あは、私の中で一番会いたくなかった人だけど、領主の次に一番私が欲しい物の在り処を知ってそうな人でもあるね、お兄さんは」
「欲しい物……?」
「――『魔力柩』だよ、ま・りょ・く・きゅ・う♪ この屋敷のどこかにあるでしょ?」
「……無いと言ったら?」
「――どのみち殺すよ? あは、目撃者は残さないがモットーなんだ」
はぐらかすような答えに、女はフードの下の光の無い漆黒の瞳を覗かせて、空間そのものの温度が下がったかのように錯覚するほどの冷たく、鋭利な殺気を放った。
※※※※※※※※※※
――これは忘れられたいつかの記憶。
断片的な優しくて厳しい『時』のひとかけら。
少女は言う。
「エリー。今日はこんなところにいたのね! あなたってほんとに目を離すと直ぐにどこかに行っちゃうんだから」
もう一人の少女は何も答えない。
「ほら、行くよ。皆心配してるんだから!」
いつも私のことを気にかけてくれる、あの子は――、
※※※※※※※※※※
「――め! 姫!」
「ぁ、ザ……ガ?」
「そうだ、俺だ! 良かった目が覚めたか!!」
「私は……?」
――そうだ。町での異変をアンナ達に伝えようとして、屋敷に戻ったらそこに侵入者がいて、その侵入者の女に身体を内側から破壊され――、
そこまで思考して、エリファは急激に意識を覚醒させ、跳ね上がるように上体を起こして、視線を自分の身体へと向ける。
脚の先から上半身まで、じっくりと角度を変えながら何度も見て、掌を何度も握って、という動作を繰り返すと、その自分の身に起きている不可思議に気づく、いや、確証を得た。
痛みや、動かないといった身体の不具合が全く感じられないのだ。むしろ、目立った傷すらほとんどが無くなっている。
「え……、なんで……?」
身に起きている謎の現象、『完全治癒』とでも言うべきか、そのような事をなせる魔術はエリファは残念ながら持っていない。せいぜい、その身に宿る膨大な魔力による、数の暴力戦法で、簡単な応急処置レベルの治癒魔法を何度も重ねがけ出来るくらいだ。
ただし、エリファは治癒魔法を上手く扱えないため、その効果量はいくら重ねがけしたとしてもたかが知れている。
ゆえに、この状態は有り得ないのだ。
だが、エリファはこの現象についての解は、いくら思考しても得られなかったが、起こしたであろう張本人は案外直ぐに予想が立てられた。
――そう、目の前にいる少女。
「エリファ、無事に目覚めたわね」
「アンナ……」
その元気な姿をみて、その人物が無事だったということにエリファは安堵する。
そう、目の前の白髪に純白の裾の長い服を纏った少女、アンナがこの現象を起こした張本人だろうと、エリファは目星を付けた。
ザガは、変身時の『魔力核』のオーバーヒートで、冷却が必要であるし、何より、ザガがこれ程までに治癒魔法、いや魔術に匹敵するようなことが出来るとは思えない。
「これは……アンナが?」
「ええ、厳密にはこれのおかげね」
そう言って、エリファに見せるのはその色白の手に握られていた、鳥のような紋様が描かれた、紅い箱のようなもの。
「この箱は、魔術を閉じ込めておける『魔力柩』と呼ばれる、特殊なアイテムよ。この『魔力柩』には、全ての傷を癒す魔術が入っているわ。ただし、回数制限があって、これは三回が限度。昔に一度使ったから、これで二回目。残りはあと一回ね」
「……『魔力柩』」
その箱は『魔力柩』と呼ばれた。見た目は片手で持てるほどの小ささの箱なのだが、その中に、エリファが受けたあれだけのダメージを『完全治癒』させる程の魔術が三回分も入っているというのか。
「ほんと、マジ助かったぜ。アンナがここに来てくれなきゃ、かなりやばかった」
「ええ、感謝しなさい。爆発音が聞こえたから、来てみれば、私のお気に入りが瀕死なんだもの、あの時は本当にびっくりしたわ。ちなみに、この『魔力柩』は国宝級の『魔法道具』よ」
「ありがとう……。国宝級……か」
既にペンダントからは姿を出せるようになったのか、紫の火の玉の状態であるザガはエリファの頬にすり寄って深刻そうな低い声を出す。
するとそれにアンナは、胸に手を当て、片眼を閉じウインクをしながら自慢げに答えた。
「国宝級」、その言葉の響きに、この魔術を使うことの価値の高さをひしひしと感じたエリファは、喉奥をゴクリと鳴らし、いつもより若干目を大きく開く。
そんな国の宝を客人である自分に使うなんて馬鹿げてるとも思うが、こちらは命を助けてもらった側であるので、そんな野暮なことは口には出さない。
そんなことよりも、アンナに伝えなければならないことがある。
むしろ、もともとはこの屋敷に戻ってきたのも、エリファが落ち着くための時間を作るという目的もあったが、その町の異変をアンナに伝えるという目的も真に大事な事柄である。
「エリファ? 何か言いたげね、思ったことは遠慮なく言いなさい」
「……うん」
じっと、エリファに見つめられていることに気づいたアンナは、そのエリファの態度から何かを伝えようとしていることを察し、促した。
そのアンナの言葉に頷き、エリファにとっては恐怖の出来事に他ならない、おどろおどろしい町の映像を思い出しながら、絞り出すように勝手に震え始めた声を出す。
「……アンナ、聞いて欲しい、実は町で異変が」
「町で異変……? 詳しく聞かせなさい、エリ――」
アンナが、エリファに詳しい説明を、望もうとした、その時。
――凄まじい爆発音が鳴り響き、ぼろぼろに破けた黒いローブの女が、軽いボールのように、着地した地面で転がり、エリファ達の視界に驚異的なスピードで地面に臥し飛び込んだ。