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幽鬼の姫は終焉に揺蕩う/~Ghost Princess~  作者: 花夏維苑
第二章 『灰色の王国』
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二章第7話  『殺意の鼻歌』

 


「あぁ……また増えた」



 赤い液体が付いた細長い剣のその先端をエリファ達へと向けたその女は、得体の知れない狂気を宿した眼でこちらを凝視し、うっすらと笑みを浮かべている。


 屋敷の扉を開けたエリファを迎えたのは、アンナでもルシウスでも、メーティスという学者でもなく、かといって誰もいないわけでもなく、屋敷の中央に伸びる豪華な装飾を施された階段の下を、おぼつかない足取りで彷徨う見知らぬその女ただ一人だった。



「頭に猫の耳……?」



 その姿をまじまじと確認するエリファの眼をまず釘付けにしたのは、暗い青の髪を隠すように被った、フード付きの黒いローブのそのフードの上から覗かせる、獣のような耳だ。

 物珍しいものを見る視線をエリファが放っていることに気づいた隣のザガは、片手で握っていた鎌を回しながら両手に持ち直して、あくまでも不気味な存在から目を逸らさずに、



「……こりゃ、『獣人族』だな。こいつらは身体能力が高いことに定評があるぜ」


「ピンポ~ン! 正解だよ、お・に・い・さ・ん♪」



 女はあざとく片手で自分の頬を撫で、首を傾げ、もう一方の手で凶器を乱暴にスイングしながら甘ったるい声色で、種族を言い当てられただけのことであるのに、大きくリアクションをする。


 その手の血の付いた刃物と、目元の不健康そうな黒いクマを度外視すれば、少女の子供っぽくて可愛らしい仕草に見えなくはないが、エリファの本能がこの女を目にした時から、目の前の存在は危険だと、エマージェンシーコールをガンガンとはち切れそうなほどに鳴らしていた。

 もちろん、そもそも血に濡れた凶器を何のためらいもなく笑顔で振り回している時点で、正常な精神の人がこの少女を見れば状況の異常性を否応なしに感じるはずだが。


 エリファの感じる、異様なまでの女からの『良からぬ者』のオーラは、もしかしたらエリファの感覚系の能力が通常の生物よりも敏感であることに由来するものかもしれない。



「――んでも、『獣人族』ってのはあんまし人前に出てこない種族のはずだろ。それがどうしたってこんな目立つ屋敷で凶器振り回してんだ。そこんところどうよ?」


「……お兄さん、詳しいね。博識な大人は私、好きだよ」



 怪訝な表情で、ザガが女の虚ろな瞳孔の大きい、光の無い只々黒く染まる瞳を覗き込み、疑問を提示する。

 が、しかし女はまともに取り合わず、賞賛だけを真顔でザガへと贈る。


 ザガ曰く、『獣人族』というのは実際は目立つことを好まないらしい、引っ込み思案の文化性、社会性が根付いているのか、それとも、もっと他に人に見られてはいけない理由があるのだろうか。エリファがそうやって思考にふけっていると、



「だけど――」



 と、短く女は言葉をつなぎ、



「――かわいい女の子はもっと好き」



 その声が聞こえたときにはもう、女はエリファにその吐いた息がかかる距離にまで接近している。

 エリファには、いつ移動したのか、いつその素振りを見せたのか、その女の動きを全く捉えることができなかった。



「……!」


「あはあ、この『刀』で真っ二つだね!!」



 ――予想だにしなかった、突如放たれる殺意。

 急速に変化する状況に、エリファは目の前で起ころうとしている事態に反応が遅れ、そのまま頬を赤らめ恍惚とした表情を浮かべた女が薙ぎ払う刃を、その胴体に受けてしまう。



 だが、その刃はまるで空を切るように何に遮られることもなく、ただ「ひゅうっ」という音だけを立てて、『完全幽体』の力の前に、無効化され、エリファの身体をすり抜けた。


 ちゃんと能力が発動した。そのことに、エリファは安堵する。同時に、町でエリファの首元に咬撃という物理攻撃で傷を残した女の子への疑問がより一層に深まったが、それを探る術を今のところは持っていない。


 女が当たると思って疑いもしなかった斬撃が前触れもなく無効化され、一瞬少し驚いた面を見せると、



「気安く俺の姫に、触んじゃねえよ!」


「あはっ」



 ザガが間髪入れずに、その瞬間に生まれた隙を逃さないように、握る鎌の刃を躊躇なく女の身体めがけて振り下ろす。

 しかし、すぐさまそれを察知した女は、通常あり得ない角度で上半身をよじり、ザガの攻撃に反応。して、これまた胴体を狙った刃を今度は女が刃で受け止め、耳をつんざくような金属同士のぶつかる音を鳴らす。


 そのぶつかり合う衝撃で、両者ともの武器は進行方向とは逆の方に跳ね返り、その時間を逃さずに女はまたも常軌を逸脱した動きで体勢を立て直し、後ろへと飛び距離をとった。



「今、姫って言った? 言ったよね? あなたがこの屋敷の主さん? だとしたらラッキー! 探す手間がはぶけちゃった、あは♪」


「……違うよ」


「ブッブ~! 外れだぜ、お・じょ・う・さ・ん♪」


「……うわザガ、きっつ」


「おおう。その言い方、姫にされると結構、俺の精神へのダメージ量がきっついな」



 『姫』という単語に、あからさまに表情を明るくさせ過剰な反応をみせるフードの女。

 探す手間が省けたといっているあたり、どうやらこの屋敷の領主であるアンナに用があるようだが、今までの女の行動から察するに、ろくなことではないのは想像に難くない。

 それこそ、アンナの暗殺のための使者とかだったらと思うと、この女は見逃せない。


 ザガの先程の女の発言を真似したかのような言い方に、エリファは冷めたリアクションを取りながら、女についての思考を巡らせていると、



「――でもま、毒を返せるくらいには落ち着いたみたいだな」


「…………うん、ありがとう」



 そういえばそうだ、町を離れ捕食者を見なくなったからか、首元の痛みはいまだ健在だが、いくらか冷静になれたらしい。


 エリファ自身、痛みによってあそこまで自分が取り乱すとは思ってもみなかった。生まれて初めての、命にかかわるような痛みは、簡単にエリファの理性を奪ってみせた。

 いや、単に痛みだけというわけではなく、本来『完全幽体』の効果で喰らうはずのない物理攻撃によって傷をつけられたという事実の衝撃が相まって、錯乱状態へとエリファを陥れたのかもしれない。


 その点、今回は冷静なザガのお陰で、あの場面を切り抜けられたから彼には感謝は尽きない。

 ちなみに、どちらが本来の姿かはわからないが人型へと変身できることに最初は驚いたが、現に幽鬼であるエリファが人の形をしているのだから、出来ても不思議ではないと納得した。



「なあんだ違うのかあ、残念。まあ、どのみち目撃者は全員殺すけどね。ふんふんふ~ん♪」


「……一体、何が目的だ?」


「――教えるわけないじゃん。目撃者殺すって言ったんだよ?」



 目撃者を全員殺す、と鼻歌交じりに答える女に、ザガは領主であるアンナの命を脅かす存在であると確信したのか、その女にアンナを狙う理由を問う。

 すると、愉快そうな鼻歌をぴたりと止め、ゾッとするほどに急に無表情となり、背筋が凍るほどの冷たい声で女はそれに答えた。



「名前は?」


「それも教えな~い」


「――じゃあ、町で起きてることとの関係は……?」


「……町? 私の用があるのはこの屋敷だけだよ? だから町で何か起きてるんだったら、私は無関係だよ、あは」



 ザガに続き、エリファが質問を重ねる。

 最も気になっていた事項、今の狂った町の状況とこの女の関係性。だが、これはあっさりと本人の口から否定されてしまう。

 一瞬、疑ってかかろうとしたが何故だか淡々と述べる女の表情が嘘を言ってるようには見えなくて、エリファはどうせ後でわかることだから、とひとまず今だけは保留にする。


 今は女の発言の真偽を問うのではなく、どのみちアンナに手を出そうとしている女を見逃すこともできないから、それを問うのは女を無力化してからだとエリファは心の中で戦う意思を育てる。



「あは、そろそろ、コ・ロ・シ・ア・イ。再開しよっかあ」



 女は再び『刀』と呼ばれたそれを構え、にったりと笑いながらその狂気の籠った黒い視線を、エリファ達へと向ける。

 ザガは、その視線を遮るように、一歩エリファの前へと立ちふさがり、



「姫、下がってろ。こいつはおれ、が――」



 こいつは俺が相手をする、とでも言いたかったのだろうが、ザガの身体は言葉の途中で、突如として眩い光を放ち始めた。それが、ザガの言葉を止め――、



 光が収まるとエリファの目の前、ザガが立っていた位置に、紫の火の玉がふよふよと浮き、漂っている。



「ああ、くそ! もう時間切れか!」



 間も無くして、火の玉から声が発せられる。その正面で起こった一連の流れは、ザガの一度に人型の姿として活動できる時間の限界を超えたことを示していた。


 もともとザガはエリファの魔力を借りるときに、今のエリファの状態では短い時間になると言っていた。

 その発言の中の「今のエリファの状態」というのが、どのようなものを指すのかは曖昧であるが、とにかく最初から限られた時間の中での変身だったはずだ、唐突にそのモードが終わっても何ら不思議ではなかった。



「あらら? あは、お兄さんの出番はもしかしてもう終わり?」


「どうやらそうらしいな。再度変身するためには、『魔力核』の冷却が必要だからな。正直屋敷についたら、もう安全だと思ってたぜ」


「……しょうがないよ。ザガ、ありがとう。ここからは私が何とかするから」


「姫のお礼はこれ以上なく嬉しいけどよ……」



 そう、言い残し、ザガはエリファの首元の宝石のペンダントの中へと徐々に吸い込まれるようにして姿を消していく。


 ザガの変身にはエリファの特殊な濃度の濃い魔力を、一部使っているし、再使用までにクールタイムが必要だ。と、それほどまでに人型への変身は『魔力核』を酷使する技なのだろう。

 ザガの戦闘能力にその変身が大きく作用してるのは、今までのザガを見れば容易にわかる。


 ザガは、この場で戦闘が出来ないことに、悔しげだが、何はともあれ、出来ないものは出来ないのだから、ここはエリファが自力で切り抜けるしかない。



「ふーん。使い魔かな? なら、その主を殺せば、同時に消えるね、あは♪」


「……死なないし、死ぬつもりもない。こんな所では」


「――ああ、そう」



 エリファを殺す、と、にやけ顔で簡単に言う女に、反論すると、その反論に全く興味を持たないような様子の声が――、


 届くと同時に、女はやはり先程と同じように、気づけばエリファの眼前まで迫っている。エリファが、別に女から目を離したとか、気を散らしたとか、そういうのではない。そういうのではないのだが、ただただこの女の動きを捉えられない。



 だが、捉えられないのは、『刀』をエリファの頭から一直線に地面へと振り下ろした女の方もそうだった。物理攻撃では、エリファの『完全幽体』の能力によって実体を捉えられない。



「あは、あは、あは、あはあは!!」



『刀』でエリファの身体に何度も何度も切り込むが、その刀身が切るのは空だけで、他に何かを切ることは叶わない。

 エリファはその女が刀を振り切った後にできる隙を狙い蹴りを入れようとするが、女は人の域を超越した素早い動きで上半身を反らして、横から飛来する脚の一撃を避けてみせる。


 埒が明かないとでも思ったのか、再び距離をとり、斬撃の手を止めた女は、フードの下から死んだ魚の目のような生気の感じられない瞳を覗かせる。



「『魔術』かな? その霧みたいな身体。あは、気体みたいなものだよね? だったらこれで――」



 そう言って、女は両手で持っていた『刀』を片手に持ち直し、空いた方の片手にエネルギーを集中させ、赤い炎を宿し、



「――空気なら爆発すれば無事では済まないよね、あは♪」



 そのとてもじゃないが健康そうには見えない、やせ細った身体に、巨大な目の下のクマとは不釣り合いな程に無邪気な子どもの様な笑顔で、炎を、いや爆弾をエリファへと投げつけた。



「……ふんふふ〜ん、避けたね。正解かな? それとも、『魔法』が効くのかな? お・ひ・め・さ・ま♪」



 爆煙から両腕で身を守りながら飛び出るエリファを視認して、女は鼻歌交じりの甘い声で楽しそうにこちらをはかるように窺う。


 着地した足に力を入れ踏ん張り、爆風の威力による転倒を防いだエリファはその女の発言に、ピクリと身体を目には見えない程度で震わした。


 驚いたのは正しい解答が含まれていたからではなく、与えられている情報が少ないにも拘らず、エリファの『完全幽体』の仕組みに辿り着いたという、その女の思考力に対してだった。女には、エリファが『幽鬼』であることも伝えていないのに――、



「――目が泳いだ。後者がビンゴかな。あは、なら、これは要らないね」



 エリファの心の中に隠したつもりだった動揺をその目の動きから感じ取った女は、確信したような口ぶりで左手の乾いた血がこびりついた『刀』の刀身を黒いローブの下、腰の僅かに下辺りに隠してあった鞘にしまう。

 当たり前の行動だ、対戦相手に物理攻撃が効かないと分かれば『刀』という凶器は、戦いにおいて手を塞いでしまう、単に邪魔なだけの代物である。


 そう、理にかなっている。


 ――だからこそ、エリファには女の次にとった行動の意味が、全く不明であった。



 女は、魔力も何も帯びていない拳を振りかぶりながら、走って接近してきたのだ。それも、今回の動きは目で追える。つまりは、あの摩訶不思議な移動技を使っていないのだ。

 しかも、先程、女はエリファの『完全幽体』の弱点を見抜いたはずなのに、それを踏まえた上で、思いっきり的外れな「拳」という考えるまでもなく効き目の無い物理攻撃だ。



「……物理?」


「あっは!」



 そして女のか細い腕の先の拳は、エリファの身体に触れる。



 触れた瞬間、突如として女から膨大な量の魔力が、その腕を通り、拳を介して、一気にエリファの体内へとなだれ込む。

 なだれ込んだ魔力の奔流はエリファの体内を瞬く間に駆け巡り、その体の隅々までいきわたり、すべてを悉く破壊していった。



「がっ、あ!!」


「――物理だと思って油断したね、お・ひ・め・さ・ま♪」



 これが、エリファの戦闘の経験が浅くなければ、この一撃を怪しんでまともに喰らうなんてことにはならなかったのかもしれない。エリファには生まれてからの時間が足りなさ過ぎたのだ。


 首元の傷の痛みが霞むほどの、体の芯が張り裂けるような痛覚が、エリファの意識をたちまちのうちに、虚無の黒へと誘う。



 身体がぐらりと崩れ落ち、少女の鼻歌とともに急速に落下する意識が、途絶えてしまう瞬間に、エリファは無意識のうちにこんなことを思った。







 ――ああ、()()()()()()()()

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