二章第3話 『経験という力』
「エリファ様すみません。アンナ様の我儘に付き合わせてしまって」
「ん、気にしてない」
練習用の木剣を振るうアンナの側付きである金色の短い髪の青年ルシアンがその騎士の制服であろう白い服についた赤い竜の姿が描かれた腕章を揺らしながら、エリファに謝る。
――王国の姫の一人であるアンナとのお茶会にて、一方的なこの屋敷に寝泊まることを決められてから数時間。
早速、広すぎる屋敷でエリファは、やることが無く、暇になってしまったので、庭でのルシアンの特訓の様子をぼうっと屋敷前の石段に座りながら眺めていた。
「ルッシーは剣を使うんだな」
「その呼び名は……いや、ええ、俺は剣士なので。とはいえ、なんでもそれなりに振れますよ――たとえば、ほら、そこの庭の手入れ用の道具とか」
ザガによってルッシーというあだ名を付けられたことに少し戸惑いながら、ルシアンが指さす先には色々なガーデニング用具が立てかけられていた。どれもこれも武器とは言い難いものが並んでいるが――、
「そこのって……もしかして鋏も?」
「ええ、俺の体質魔術に『万物は我が剣』というのがあって、なんかこう、いい感じに戦えるんですよ」
「いい感じってなんだよ、微妙にもやもやする言い方だな。主が天才じゃ、その側付きも天才か?」
「ははは……まあそれでもメインは剣なので、それが一番扱い慣れていますけどね」
当たり前ではある。魔術だけで、全部の武器でそれらを極めた者に勝てるのであれば、今している鍛錬などの努力というものが意味の無いものになってしまう。
そんなものはある意味、戦士への冒涜だ。
「そうだ、エリファ様。この後空いていますか?」
「空いてるけど……」
「むしろ、正直、手持ち無沙汰だな。ああいや、俺は姫がそこにいるだけで楽しいけどな」
「なら、エリファ様さえ良ければ、少し模擬戦でもしませんか。アンナ様からはエリファ様は相当お強いと聞いています」
木剣をくるくると宙に投げ、回しながらルシアンは提案する。
その汗をかいた顔の表情には、うっすらと楽しそうなどこか子供じみた笑みが浮かんでいる。
「おう、うちのエッちゃんは超絶可愛くて、超絶強いぜ」
「……誰がエッちゃんだ」
「アンナ様は、気に入った者は何でもかんでも受け入れますが、その求める水準が高い。だから、エリファ様はかなりの実力者のはずです。どうですか? 一戦やりませんか」
「……いいよ」
「それはよかった。模擬戦の後、町のおすすめの食べ物を紹介しますよ」
「食べ物……!」
エリファが『食べ物』という言葉に大きく反応を示し、目を輝かせる。
村で、ユウマの料理を食べてから、エリファは食事という行為に目が無い。
この町にはどんな食べ物があるのか気になっていたところだ。ぜひとも、食べ歩きと行きたいところだ。
「では、やりましょう。場所はここで良いです。武器は……どうしますか? 俺はこの木剣を使いますが」
闘志に満ちた表情で木剣をぶんぶんと振り回す、ルシアン。
先程からそうだが、ルシアンは強者と戦うことに途轍もなく興味を示していた。
もしかしたら、ルシアンは単に戦闘好きなのかもしれない。
「要らない、私は魔術メインだから」
「やはり、魔術を使うのですね! 楽しみです。いつでも力のある者との練習というのは胸が踊ります」
「……やっぱ好きなんだ戦闘」
「いえ、そこまで実戦というのは好きではないのですが、己を磨くという理由の戦いは面白いですよ。落ち着いて分析できますから」
なるほど、ルシアンという男は要するに自分の技術を磨くことに目がないということだろうか。
自分の技術を磨くために強者と戦い、その戦い方を見て分析して吸収していきたいと、そういうことだろうか。
優しくいかにも好青年という言葉が似合う爽やかな笑みを浮かべるルシアン、それに唐突に異を唱えるのはザガだ。
「――なあ、ルッシー。お前ちょっとばかし俺らのことを怪しがってるだろ。アンナっていう王国の姫に近づいた俺らを。だから、模擬戦と冠して力を測っておきたい、違うか?」
ザガが、真面目な声色で伺う。
確かにその通りである。急に現れてアンナを救って気に入られ、近づくなんて、少々都合がよすぎる。
エリファ自身、ルシアンの立場であれば、真っ先にアンナを狙った役人であることを疑うだろう。
だが、二人のそんな思考をすぐさま当のルシアンは否定する。
「ふむ。鋭いですね、ですが、怪しんでいるわけではありませんよ。俺はむしろ……いえ、これ以上言うのは今は止めておきましょう」
「……?」
顎に片手を添えて、片目を瞑りながらまたも口に笑みを浮かべるルシアン。
どうにも歯切れの悪いルシアンの返答に、エリファは何が何だか、といった風に首を傾げる。
言いかけたことは気になるが、ルシアンはそのまま言葉を続けた。
「大丈夫です。アンナ様が連れてきた者を傷つけるようなことはしませんから。それに、真に主を信じるならば、そんなこと思いもしないですよ」
「……だな。そりゃそうか、ある意味、仕えるものとして、主が見定めた者に手を出すのは、無礼極まりねえよな」
確かにそうだ。主が認めて連れてきたものを、従者が疑うというのは、その従者が主の眼を信じていないということの証明になってしまう。
それでは、真の従者とは呼べない。むしろ、そういうものこそが、その座を狙って裏切るものだ。
「そういうことです。――それで、準備はいいですか?」
ルシアンが洗練された動作で木剣を構え、ゆっくりと少し腰を落とし、戦闘体勢をとる。
やはり、動作に迷いがない。これまでに多くの修羅場を潜り抜けてきたのだろうか。
いや、主がアンナという破天荒な存在自体が、嵐のような少女だ。行く先々で、死線を乗り越えてきたに違いない。
「……いつでも、手加減無しでいいよ」
「では!」
エリファの準備オーケーの合図を受けて、ルシアンが声を張った。
その声とともに、ルシアンは庭の芝生を勢いよく蹴り、弾丸のような速度でエリファに接近する。
そのまま、下に構えた木剣を力強く振り上げると、その木剣は美しい軌道を描き、エリファの身体へと直撃する。
「……避けない!?」
そのままルシアンの鍛えられた腕で振り上げられた、木剣はエリファの気体のような身体をすり抜ける。剣が放つ凄まじい風圧に周りの庭の草木が激しく揺れる。
想定外の空を切り、振った腕が上へと行き過ぎたせいでガラ空きの腹に、エリファは魔術『呪い』の効果で重みが増した拳で、真正面から一発打撃を入れる。
「ぐっ!!」
打撃の勢いで浮かんだ、ルシアンは後方に飛びながらも空中で体勢を立て直し、二本の足で庭の地面を抉りながらその衝撃を堪える。
「攻撃が、すり抜けた? これが、エリファ様の魔術……!!」
「……そうだよ」
初見殺しの力でもある、この『幽体』による完全物理耐性。
これは、本来の幽鬼には備わっていない能力だ。
普通の幽鬼は、正式には『半幽体』であり、物理攻撃のダメージを少しだけ減らすだけのものだ。
だが、『幽鬼の姫』であるエリファの身体は『完全幽体』という、通常有り得ないような状態になっている。ちなみに、何故こんなことが出来ているのかは不明だ。
「次は、こっちの番」
「姫、やってやれ!」
エリファは、いつもの様に魔力弾を生成し、ルシアンに向けて投げつける。
「凄まじい魔力。ですが――」
ルシアンはその中が渦巻く魔力弾を模擬戦用の木剣で、軽々とその中心を捉え、切り裂く。
「……!!」
「木剣で斬りやがった!?」
「俺の、『万物は我が剣』はその手にした武器を強化することができるんですよ。安心してください、本当に当てる時は、強化を消しますから――まあ、エリファ様には、そもそも当たりそうにありませんが」
「……凄い」
「では、またこちらの番です!」
※※※※※※※※※※
「はあ、はあ……物理攻撃を完全に無効化する能力も厄介ですが、それに加えて、膨大な魔力を持っている。しかし、経験が浅いのか、戦い方が少し単純ですね」
あれから何時間、模擬戦を続けているだろうか、ルシアンの木剣も色々な所が凹み、曲がっている。
ルシアンの言うことは間違いないだろう。
なんせエリファは森で目覚めてから、戦闘という戦闘を、ヴェルラという王国騎士と、『コカトリス』という魔物としかしてきていない。
だから、ルシアンのような、生粋の戦士、しかも、戦闘好きの者との経験の差は歴然だ。
ルシアンは早い段階で、魔法攻撃が効くということも見抜いた。
それでも、一つ攻撃の手段を奪えたのは大きいが、今その物理攻撃耐性が無ければ、エリファはとっくにルシアンに負けていることだろう。
その当人にエリファの経験の浅さを見破られたのが、一番にそれを物語っている。
「ルッシーお前、まじで強えな……」
「いえ、エリファ様にもっと実戦経験があったとしたら、俺に勝ち目なんて全くありませんよ」
そう、それは逆に、エリファが経験を積めばもっと強くなれることを同時に示している。
そう思うと、この模擬戦はエリファに取ってかなりの有意義な時間であると言えた。
ゴオオン……ゴオオン……
時刻を知らせるものだろうか。
突如として鐘のような音が屋敷、いや町中に鳴り響いた。
「――もうこんな時間ですか」
その鐘の音を聞いたルシアンは木剣の構えを解き、空へと視線を移し呟く。
気づけば、空は赤みがかって、今まさに街の住宅街の影へと日は落ちようとしていた。
「戦闘は終わりにしましょう。エリファ様、楽しかったです。また機会があれば」
「……うん」
「では、約束通り、町に食べ歩きでも、しに行きましょうか」
結局、模擬戦の勝敗はつかなかったが、エリファは心の中で負けを認めていた。
――こんなものでは、幽鬼の力を、世界に認めさせることなんて出来ない。もっともっと強くなるための時間が必要だ。
「――姫? 行くぞ?」
「…………うん」
なにはともあれ、模擬戦が終わったら町でルシアンがおすすめの飲食店を紹介してくれるという約束をしている。
この事は食事の後でじっくりと考えることにしようか。
※※※※※※※※※※
「今日は、並んでいる客が一段と多いですね」
「なんだ? 珍しいのか?」
「ええ、確かに人気店ではあるのですが、ここまでは」
ルシアンの紹介してくれた店の前には、その大勢の客達によって長蛇の列が形成されていた。
夜の街。篝火が、ゆったりと辺りを照らす。
だが、その静かな雰囲気に似合わず、街の飲食店はどこも人で賑わいを見せている。
「あっ、おーいみんな、ルシアンさんだ! 開けろ開けろ!」
後ろの方に並んでいた客のうちの一人が、ルシアンの姿に気づき、他の客に、順番を譲るように、前へと呼びかける。
すると、その声を聞いた客達は皆歓声をあげながら、一つの文句を述べることなく、ルシアン達を列の先頭へと案内してくれる。
「民に慕われてんのな」
「優しい方ばかりで嬉しい限りです。……皆さん、ありがとうございます」
ルシアンは、その人柄の良さからか人々にも信頼されているようだった。
何よりも人々がルシアンに向けるその視線は力強い信頼と尊敬の念を感じる熱っぽいものであった。
「……なんか、いいねこういうの」
「お、ルッシーが羨ましいのか? 安心しろ、俺は、姫のこと慕ってるぜ。てか、もう愛してるぜ。それはもう、世界中の愛を集めても足りないくらいにな!」
「……ザガ、黙れ」
「お、久々に聞いた気がするぜその返し」
ザガの軽口に呆れながらも、エリファはルシアンから渡された、赤く小さい果物がたっぷりと入った、サクサクとしたパンを口に入れ、広がる甘酸っぱさを堪能する。
「美味しいでしょう、この地域で採れる『プレストロベリー』という果物を使った、この街の名物なんですよ、自分の大好物でもあるのですが」
「……うん、甘くて美味し――――ッ!」
甘味に対する感想を述べようとして、突如、エリファは振り返った。
生者の気配に敏感なエリファは、その『生体センサー』に一瞬、何か不気味な気配を感じ取ったのだ。とてもとても、恐ろしい異質な何かの気配を。
だが、それはすぐ大数の人の生気と夜の闇に溶け込んで消えてしまう。
「…………気のせい?」
「どうした? 姫」
「お口に合わなかったですか?」
「……いや、なんでもない。これは美味しい」
「それなら良いのですが……」
それから、何も感じることは無かったので、再び、口の中の赤い甘味に意識を向ける。
だが、確かに、エリファはその心の中で一人、夜風に混じる不穏な風を感じ取っていた。