二章第1話 『新たなる舞台』
村を出発してから、二日が経った。
エリファとザガは青い空の下、淡々と歩みを進めていた。爽やかな風が、頬を掠め、草木の揺れる音が聴覚を刺激する。
辺りの色は、緑で満ちており、エリファは細い、その緑を意図的に失くした道を歩いていた。
その、一応に整備された道路をずっと辿ってきたにも関わらず、今ままでに、たったの一人も、エリファとすれ違うことは無かった。
この辺りは余程、人が興味を持たないらしい。
いや、忘れられていると言った方が正しいのかもしれないが。
「人もそうだけど、魔物の一匹もいないってどういうことだよ」
宙に浮かぶザガが退屈そうにエリファの周りをくるくると延々と往復しながらボヤく。
ザガは出発してから暫くは、主であるエリファを退屈させない為か定期的に軽口を挟んでいたが、丸二日何の出会いもないとなると、流石に一人で盛り上げようとするのも疲れたのか、愚痴が大半になっていた。
先程は、魔物が出てきたら八つ当たりしてやるとか、完全にとばっちりな発言までしている。
「……でも、ほら、もうそろそろ中間地点の町に着くよ?」
そんな、もはや自らが場を盛り下げる要因となり始めているザガを見て、前方に指をさしてエリファは呟く。
村を出発する前にセレマとユウマに、王都までの道のりの途中で、王都の隣町に寄れると聞いたので、取り敢えずはそこを目指して、歩いてきた。
向かう方向に、視線を向けると、うっすらと建物の影が見えだす。多分それが、言っていた町だろう。
遠いので、あまりよく見えないが、それでもそれなりに規模の大きい街なのは、その影から伺える。
「え、何、もう町見えてんの? 俺には全く見えないんだけど」
「……え、見えないの?」
「ああ、どうも姫は視力も良いみたいだな。……そんないい所尽くしの姫が好きだぜ!」
「そんなザガにいい所は…………うん」
「おい! なんだ、その『うん』は! 俺にもいい所はあるはずだ! あるよな?」
抗議の途中で、だんだんと自信を無くすザガ。
軽口を言えるくらいには、町が近いということを聞いて、気分が回復したらしいが、このままだとどんどん調子に乗り出すので、少し毒を返しておく。
前々から思っていたことだが、エリファは感覚の類の能力が優れているらしい、いや、それがいい事なのかまだ確証はないが、今のところ敏感なことで困ったことは無い。
「ま、まあ、取り敢えず、この話題性にかける状況も終わりが見えたってこったな」
「そうだね」
町には少し立ち寄るだけではあるが、ザガは何かしら早く刺激が欲しいらしく、そわそわと落ち着かない様子で、その身体の炎を揺らしていた。
※※※※※※※※※※
「思ったよりも大きいな、この町」
町のすぐ側まで来て、ザガが感心したような声を漏らす。
町の奥の方には、大きな屋敷のような建物があり、それを中心にして、家や店が立ち並んでいる。
木よりも石で出来た建造物が多く、あの村よりも、文明の発達を感じることが出来る。
もちろん、あの村が、劣っていると言うつもりは無いが。
「……とにかく、休める宿を探すのと王都へ向かうための補給をしなきゃ」
ユウマが、日持ちする食べ物を少し持たせてくれたが、それだけでは心許無い。
一番の原因は美味しいのでついつい食べ過ぎてしまったことなのだが。
食べてしまったものはしょうが無いので、この町で出来るだけ色々な準備を整えておきたい。
「よっしゃ、そうと決まれば早速――」
――早速、町の中に入ろうぜ。と、ザガが言いかけた時だった。
「うわああああああああああああ!」
二人の背後から、甲高い悲鳴が近づいてくる。
振り返ると、二人がいる方向に向かってくる、一つの馬車、その後ろには迫る大きな影。
その大きな影は、赤い鳥の頭に、色の違う青の鳥の胴体、そして、その尾に三匹の蛇の頭を持っているという、歪な姿をしていた。
黒いくちばしから、長い舌を垂らしながら、馬車を追いかけているそれにザガは心当たりがあるらしく、
「ありゃ、『コカトリス』じゃねえか」
「……『コカトリス』?」
「ああ、あの変な見た目の通り、鳥の頭に、蛇の頭を併せ持った、意味不明な魔物だな」
ザガが呑気に、説明している間にも、馬車とそれを追う魔物は、どんどんと二人との距離を詰めてくる。
「――おい、前、前に人が!!」
馬車に乗った一人の男が前方にいるエリファに気づき、声を上げ、『コカトリス』を見ていた、馬車を操縦する御者に前を向くよう促し、御者もそれを受けエリファの姿を視認するが、――遅い。
「駄目だ、ぶつかる!避けてくれ! ああ、クソ。止まれ、止まれぇぇえええええ!!!」
『コカトリス』から逃げるため、全力で走っていた、馬車の勢いで、咄嗟に、曲げることも、止まることも叶わず、そのまま立ち尽くす少女に衝突――――、
することは『幽鬼の姫』であるエリファにはもちろんなく、霧のように、その存在を散らせ、馬車をすり抜け、そのまま『コカトリス』の前で実体化する。
「――――え?」
そして、エリファはその『コカトリス』に至近距離で、魔術を発動し、生成された質量の大きい、黒い魔力を勢いよくぶつける。
『コカトリス』は自身が走ってきた勢いと、エリファが放った魔力の衝突により、その身体を大きく凹ませ、後方に吹き飛んだ。
少し後で、やっと停止した馬車から、鎧を纏った数人の男と、豪華な服に身を包んだ少女がでてきて、その状況を確認し、驚きの光景に目を見開く。
そして、その中の一人の髭の生えた痩せた男が、
「……お、おい、あんた大丈夫か?」
と恐る恐る声をかける。
その声を聞いた、エリファは何も言わずに、じっと離れた位置で倒れ込んだ『コカトリス』を見つめる。
「ああ、あんたらもう少し下がってた方がいいぜ。あいつまだ生きてっから」
「……!!」
無言のエリファに代わり、その隣に浮かんでいる紫の火の玉であるザガが男に言葉を投げかける。
ザガの言う通り、『コカトリス』はその上体を何事も無かったかのように起こした。
気づけば、エリファによって放たれた一撃による傷もすっかり消えて無くなっている。
「回復した……?」
「姫。『コカトリス』は尋常じゃない自然回復能力を持ってる。だから、一発だけじゃあ、何回でも起き上がってくるぜ」
「……なるほど」
回復したとはいえ、一度、とんでもないダメージを受けた『コカトリス』は、標的を馬車から目の前のエリファに変え、その巨大で飛び出た眼で睨らみつける。
「ギエェェエエエエ!!」
奇声を上げ、興奮した様子で、胴体の青い羽をばたつかせ威嚇する。
それから突如、だらしなく舌を垂らした口を大きく開け、エリファ目掛けて炎の玉を吐き出した。
「……こいつ、魔法も使うのか」
放たれた炎の砲弾を、難なく、舞うように躱したエリファは呟く。
「そうだな、気をつけろよ、姫」
「うん」
エリファはザガに頷き、両手に魔力弾を構え、そのまま『コカトリス』の胴体に向けてそれらを投げつける。
が、『コカトリス』はその尻尾に付いた、蛇の頭の三つのうちの二つで、その魔力弾をはじき飛ばす。
魔力弾を無力化してから、直ぐに『コカトリス』は、残りの一つの蛇の頭で、エリファに斜め上から頭突きによる攻撃を行おうとする。
しかし、その攻撃は間違いだ。
「――それは効かない」
蛇の頭はエリファの身体をすり抜け、その後ろの地面を抉り、突き刺さる。
「ギエ?」
何が起こったのかわからないといった風に、妙に人間ぽく、リアクションを取る。
その隙をエリファは見逃さない。
魔術を発動させ、魔力を見た目よりも重みのある、小ぶりの剣の形へと変え、それを『コカトリス』に接近し、深々と突き立てる。
「グエッッ!!!」
『コカトリス』が潰れたような声を上げる。
そして、早くも再生しようとする様子を見て、
「一発で駄目なら何発でも」
と、無表情で同時に出せる剣は四本が限界であるため、古い剣を次々に霧散、新しい剣を次々に生成し、突き立てる。
『コカトリス』の再生が間に合わないように何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
やがて、力を失い、ぐったりと崩れ落ちる『コカトリス』に、今度こそ倒したのを確認したエリファは、「ふう」と息を吐く。
白黒のドレスの少女と異形の魔物によって繰り広げられる、凄まじい戦闘を前に、ただ呆然としていた、男達は、勝敗が決するのを見届けると、
「すげえ! あんたすげえよ!!」
と、拍手を送る。
ふと、エリファが男達の後ろを見やると、いつの間にか、この戦闘が行われていたのが町のすぐ近くだったからか、大勢のギャラリーが集まっていた。
彼らも、同様に、エリファに向けて拍手喝采を送る。
「はは、やったな姫」
「……別に。ただ、少し弱い者いじめが嫌だっただけ」
本人は気づいていないが、目覚めたばかりの頃のエリファでは、今のエリファの関係の無い他者の命を守る行動は信じられないものだ。
それだけ、セレマやユウマと出会って、受けた影響は大きいということか、とザガは心の内で思う。
従者として、基本的にザガは姫のやろうとすることに口を出したりしないが、間違った方向へと進むのならば、自分が止めてやらなければならないと感じていた。
だが、あの村での出来事は、エリファの心をいい方へと向かせたようだ。
「……ザガ?」
「ん、なんだ? 姫」
「……何か難しいことを考えてるみたいだったから」
「あ、わかる? そうそう、姫にどうやったら俺の愛が伝わるのか、真剣に考えてたんだよ」
「……心配して損した」
エリファはいつものザガのふざけた態度に、ため息を漏らす。
ザガは、誤魔化すように言葉を並べながらもこういうことに気づくところも、主の成長が感じられ、嬉しくなるが、それは秘密だ。
「――――あの」
「……?」
「私達を助けてくれてありがとう」
それまで黙っていた、豪華な純白の服を纏った少女が徐ろに手を挙げその口を開く。
その少女の声に、ざわついていた観衆たちは瞬時に静まり返り一点に注目した。
そして、少女は続ける。
「――私は、『ノワンブール王国』の姫の一人、アンナ・フラクトール・ホワイト。――屋敷まで案内します。お礼をさせてください」
アンナと名乗った少女は、その服の裾を、両手の細く綺麗な指で少したくし上げ、優雅に一礼した。