黄金の河の先
久しぶりの投稿です。
お題は
「ゆず」
「蛍光灯」
「一面黄色だ…」
電車の車窓から見える景色に井ノ原結月は思わず呟いた。
見慣れた街の景色は何処へ行ったのか…結月が覗く窓の外は黄色一色の世界だ。
結月はいつのまにか寝てしまっていたようで、昼過ぎに電車に乗ったはずが、気がつくと空の端には夕月が浮かんでいた。
{まもなく"歓喜月ヶ丘センター"終点です…}
減速し始めた電車は一面黄色い広い敷地の中心にそびえ立つ大きな建物に吸い込まれるように入っていく。トンネルに入り下りながら終点の駅に向かっていく。
車内を見まわしても結月以外の人影は見当たらない。
「やっぱ来るんじゃなかったかなぁ…」
一抹の不安が結月の頭に浮かんできたところで電車のドアが開き、外にスーツ姿をした男がこちらに向かって頭を下げてきた。
「ようこそいらっしゃいました。井ノ原結月様ですね。」
「…はい。」
「私、こちら歓喜月ヶ丘センターで本日井ノ原様の案内をさせていただきます伊代 寛寿と申します。」
「はぁ…よろしくお願いします。…あの、どうして私の名前を?」
「あぁ、失礼致しました。たしか今日の昼頃に当センターの入場パスが一緒になった切符をご購入されたと思います。その時に御氏名も登録いただいておりましたのでそこから確認させていただきました。」
あぁそういえば…と結月は昼頃の記憶を引っ張り出して納得した。
ちょっと不気味に感じてしまうほど笑顔を崩さない伊代さんに連れられてセンター内を歩く中で結月の後悔の念は大きくなっていくばかりだった。
結月が"歓喜月ヶ丘センター"の存在を知ったのは今日の昼のことだ。
彼女は昨日会社をリストラされ、同棲してた彼氏に打ち明けた。幸い堅実に貯金していたため、当面の生活に不自由はしないだろうことも話し、彼氏も「そこまで焦ることない。しばらく気持ちを休めて元気になってから仕事を探せばいいよ。」と慰めてくれた。彼氏は職に就いておらず、2人の生活費は結月が工面する形になっていたが、彼氏のいつも優しく自分を受け入れてくれるところが好きで特に不満は無かった。
今日の朝起きると彼氏はいなくなっていた。
彼氏と一緒に通帳とカードと金目の物も仲良く消えていた。
残っているお金といったら鞄から散らばり落ちたいくつかの硬貨ぐらいだった。
思わず笑ってしまった。
彼の言う「好き」とは一体何に向けられた言葉だったのか。
こんな事が実際に起こるものなのか…しかも自分の身に、と。
その後は流れるように着の身着のまま家を飛び出し、駅のホームまで辿り着いていた。
飛び込めば終わるのだ。
最寄り駅はガランとしていてまるで結月の死を歓迎しているようだった。
安直過ぎるだろうか…しかし、いくつもの不幸が同じタイミングで重なった彼女が死を選ぶのは仕方の無いことなのかもしれない。
"死ぬ前にお立ち寄りください。"
特急列車が通過する直前、彼女が歩みを進める直前に、そうひとこと書かれたポスターに目がいったのは偶然だったのか…
向かいのホームの柱に貼られたポスターが何故か目に入った。
胡散臭いキャッチコピーにも、"歓喜"と頭に付いた胡散臭い謎の施設名にも普段なら目が行かなかっただろう。
入場パスと一緒になった切符も100円というふざけた値段だった。
それでも切符を買って電車に乗り込んだのは、藁にもすがる思いからだったのかもしれない。今更もう一つ不幸が増えたところで大した違いはないと思ったからなのかもしれない。
「…施設の説明は以上です。何か質問はありますか?」
思考の海を泳いでいる内に伊代さんの案内は終わってしまっていた。
「すみません、全然聞いていませんでした。」
最低な返答をしても伊代さんの笑顔が崩れることはない。
「構いませんよ。私の説明に大した意味も価値もありません。」
「じゃあなんで…なんでこんな所に連れてきて、意味のない説明をするんですか?怪しい勧誘か何かですか?無一文の私から奪えるものなんて何もありませんよ。」
自分の言葉が少し早口になっていることがわかる。
「私たちは連れてきてなんていません。井ノ原様自らが選んでここに来たのです。怪しい勧誘でもありません。あなたを絶望から救いたいのです。この施設に1度訪れると行きと帰りで見える世界が変わります。」
「何も変わりやしない!」
気づけば叫んでいた。
気づけば泣いていた。
何を怒っているのか。
何故怒っているのか。
何故怒鳴っているのか。
結月は自分でも分からなかった。
「すみません…取り乱して。」
「構いませんよ。井ノ原様、もう今日はお帰りなさい。電車までご案内します。」
そう言った伊代さんの笑顔は少し困ったような人間味のある笑顔だった。
歓喜月ヶ丘センターの駅構内はやはりガランとしており、結月と伊代さん以外の人影は無かった。
そもそもこの建物内に伊代さん以外の人の気配は無いようにさえ思えた。
「ありがとうございました。」俯いたままそうひとこと呟いて結月は電車に乗り込んだ。
電車は少しずつ加速し始め、行きと同じトンネルの中を潜っていった。
トンネルの中は真っ暗だった。
何が"あなたを救いたい"だ。
何が"行きと帰りで見える世界が変わる"だ。
綺麗事は人を傷つける。
私が抱く絶望は未だに胸の奥でどす黒く鎮座している。
私の見える世界だって何一つ…
なに…ひとつ…
瞬間、
結月の視界を黄金の光が包み込んだ。
黄金の輝きの中を、結月を乗せた電車が走っていく。
まるで銀河を走る列車のようだ。
「綺麗…。」
結月はぽつりと呟いた。
「どうです…文字通り、行きと帰りで見える世界が変わったでしょう。」
「え?」
振り向くと伊代さんが微笑みながら立っていた。
「私の説明はあまり聴いていませんでしたよね?当センターの敷地内は一面ゆずの果樹園になってるんですよ。」
…そういえば、行きの電車の中で見た一面の黄色。あれは全部ゆずだったのか。
「でもなんで…こんなにも光ってるんですか?」
「くだもの電池って知っていますか?」
結月はうっすらと聞いたことがある気がした。
「なんか学校の授業で聞いた気が…」
「そうです、それです。詳しい説明は省きますが、くだものの中には電池の様に用いることができる物があるんです。」
それとこれと、何の関係が…
「ここに実っているゆずは特殊なゆずで…皮の部分が蛍光灯のような構造になっているんです。しかも、くだもの自身の果汁と化学反応によって電気を発し、夜になるとこのように自然発光するんです…ちなみに蛍光灯のような構造になっている皮の部分は……」
正直、伊代さんの話す内容はほとんど意味が分からなかったし、彼女にとって意味のないものだった。
車窓から見える世界がただただ綺麗だった。
輝く世界を見つめる結月の瞳からは自然と涙が出て…嗚咽を漏らしながら大声で泣いた。
泣き疲れて眠ってしまっていたようで、目を覚ますと電車は最寄り駅に停車していた。
外は夜明け前。
少しずつ明るくなる世界で空を見上げると、いつもより高い空に風が走る。
思わず目を閉じてふたたび開くと、
電車も柱のポスターもなくなっていた。