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君のために僕は詠う―8―

君のために僕は詠う―8―




 連日連夜、テレビや新聞では<タシギ事件>で大騒ぎだった。

 <タシギ>という製薬会社は謎が多かった。死んだ14名の幹部職員以外の職員全員の取り調べも行われたが、有力情報は何一つ無かった。ビルは全焼し、証拠になる物も無く、警察もお手上げ状態だった。海外のテロリストと繋がりがあったとか、殺人ウィルスを製造していたとか――様々な情報が氾濫し、社会現象にまで発展しようとしていた。

 俺の所にも毎日のようにマスコミが押し寄せ、屋敷から出られない日々が続いた。俺はケイの存在が世間に知れるのを恐れていた。俺は父さんの研究資料を探しまくった。でもケイに関する研究資料は何一つ残されていなかった。父さんは死ぬ前にすべて処分したようだった。

 永田のおじさんが裏で旨く動いてくれた。

 2か月、3か月と時が経つにつれ、人々の関心はまた違う“話題”へと向けられていった。1年もしない内に捜査は打ち切られ、人々の記憶から<タシギ事件>は消し去られた。

 しかし、ケイの“これから”の事など問題は山積みだった。

 10歳になったケイをこれからどう教育するか、悩む日々が続いた。ケイが普通の10歳の子供とは明らかに違ったからだ。頭脳も運動神経もずば抜けていたケイを普通の子供と同じように学校に通わせる事で、また新たな問題が起こるのではないか不安だった。

『――しかし、このままではいけない。義務教育は受けさせないとまた違う問題になる』永田のおじさんも頭を抱えた。

『そうですね…まず小学校の手続きしましょうか。…戸籍の方はお願いしていいですか?』

『あぁ、分かった。小学校の手続きも私がやろう。ケイ君は有治君の養子という事にしておくよ』

『…養子ですか…』俺は思わず笑った。

『身寄りのない子供を養子として育てる若い大学助教授なんて、なかなか泣ける話だよ』永田のおじさんがニヤっと笑ったので、俺は苦笑した。

 

 俺はケイにこれからの事を話した。

『…いいね、ケイ。来月から小学校に通うんだ。何も心配はいらない。他の子と同じようにしているんだ。目立つような事はしてはいけないよ』

 ケイは澄んだ瞳で俺を見つめた。

『目立つような事って何?』ケイの言葉に俺は真剣に答えた。

『決して、人を傷つけてはいけない。どういう意味か、お前なら分かるはずだ』

 ケイはしばらく黙って、コクンと頷いた。



 ケイは俺やおじさんの心配を察したらしく、実に旨く学校生活を送った。勉強も運動もそこそこにやっていた。ただ、あまり旨くやり過ぎて、担任の教師から『わざとテストで間違えているのでは?』と疑われたりもした。

 家では父さんの書籍や、俺が読んでいた書物(普通の小学生は読まない、読めない書物)をよく読んでいた。

 それに、偏食はなかなか治らず、周りの子供より小柄だった。

『ケイ、何でもっと食べない?大きくならないぞ!』そう言うとケイは

『食べない方が力が出ない』と、言い返すようになった。


 

 ある日、学校から連絡が入った。ケイが高熱を出して倒れたのだ。俺は慌てて学校に駆け付けた。

『本条さん!お仕事中に連絡しましてすいませんでした』担任が深々と頭を下げた。

『いえ…こちらこそご迷惑掛けまして…ケイは?』

『ケイ君は保健室のベッドで眠っていますよ。熱も大分下がってますよ』担任は笑顔で言った。『本条さん、少しいいですか?』

 俺は少し緊張しながら、担任と事務室の横にあった長椅子に腰を下ろした。

『ケイ君は本当に賢い子です』担任は笑いながら言った。『ケイ君、家で学校の事とか何か話しますか?』

『…いえ…。大人しい子ですから…。ケイが何かしましたか?』

『そうではないんですよ。ただ…ほとんど1人でいるようですから…何か悩み事を抱えているのではないかと思いまして…。来年は中学生ですし、このままで大丈夫かと心配で…』担任は苦笑した。

 ケイが何か考えているのは分かっていた。しかし、それは俺では解決してやれない事だと思い、ケイから話すまでは敢えて聞かなかった。

 若い担任教師だったが、ケイの事きちんと見ているのだと感心した。

『ご心配掛けてすいませんでした。本人にもそれとなく聞いてみます』

 俺がそう言うと担任はほっと安堵の表情を見せた。


 ケイは保健室のベッドで眠っていた。

『熱は大分下がりましたよ。風邪でしょうね。帰りに病院に寄って下さいね』

 俺は担任と保健師に頭を下げ、ケイを車に乗せ、学校を後にした。

 

『有治兄さん…』ケイが細い声で言った。

『ケイ、大丈夫か?今から病院行くからね』

『熱はもう下がるから大丈夫だよ』ケイの言葉に俺は驚いた。

『よく熱が出るのか?』ケイはコクンと頷いた。

『今日みたいにひどくはないけど…頭は痛くなるんだ…。』

『いつも我慢していたのか?』

『…うん…そんなにひどくないから…』

『それでご飯も食べれなかったのか?』

『…どうかな…それもあるかもしれないけど…』ケイは苦笑した。


 一応病院へ行き、風邪ではないと言われた。

『まぁ、子供は突然熱を出すものですよ』医師はそう言うと解熱剤だけ出した。


 屋敷に帰って来て、薬を飲む前にケイの熱は下がった。

『ケイ、他に調子の悪い所はないか?』

『……たまに、身体が痛くなる…』

 ケイの言葉に俺はハッとした。

 ケイの細胞は常に100%の状態で動いている。しかし、その状態にまだ小さな肉体は追いついていないのではないか?このまま、ケイはどうなるのか?

 俺は不安になった。

『……あのね…兄さん、もう一つあるんだ』ケイはうつむいて言った。『おじいちゃんには誰にも言っちゃいけないって言われてたんだけど…』

『おじいちゃんて…俺の父さんの事かい?』ケイは頷いた。

『何だい?ケイ、言ってごらん?』俺はケイを見つめた。

『……僕…人の考えている事、ちょっとだけ分るんだ』

 ケイの言葉に、俺は一瞬動けなかった。

『ちょっとだけだよ。ハッキリとじゃなくて…何となく分るんだ』

『何となく?…』

『そう。今怒ってるんだな、とか…今嬉しいんだな、とか…何となく…』

 俺はしばらく考えた。ケイは少し不安げな表情で俺を見つめた。

『…いつも分るワケじゃないんだよ。今日みたいに頭が痛い時は駄目なんだ。神経を集中出来ないから…』

 ケイの言葉に俺は頷いた。

『ケイ、いつから?分るようになったんだ?』

『…ずっと前から…よく覚えていないよ』

 ケイはまだ不安げに俺を見つめた。

『そうか…。よく話してくれたね。――ケイ、その事は誰にも言ってはいけないよ。いいね?』

『昌男おじさんにも?』

『うん。昌男おじさんにも言っちゃだめだ。2人だけの秘密だ』

『分った』と、ケイは頷いた。

『また、具合が悪くなったらすぐ言うんだぞ』俺はケイの頭を撫でた。

 ケイは安心したように、居間のソファの上に座りテレビを見出した。


――超えてはならない一線を超えてしまった――

 父さんの言葉の真意が分かったような気がした。



 ケイも中学生になり、少し身長も伸びてきた。それでもまだ小柄で私服だと小学生に間違われたりした。

 勉強の方も高校進学の事もあり、普通に取り組むようになると、忽ち天才少年と騒がれ出した。

 成長するにつれて、顔立ちも一段と端整になっていった。

 大学助教授の養子である、天才美少年。近所中で評判になり、誰が推薦したのか、芸能事務所の人間がしつこくスカウトにやって来る始末だった。


 

 そんなある日の夜、ケイが珍しく上機嫌で帰って来た。

『どこまで行ってたんだ?…どうした?良い事でもあったのか?』俺が聞くと

『うん。すごく良い事あった』とケイは満面の笑みで言った。

 ケイがこんなに感情を表に出す事は滅多になく、余程嬉しい事があったのだろうと俺も嬉しくなった。

『何があったんだ?』

 ケイは、これもまた珍しく恥ずかしそうに

『…内緒だよ』とハニカミながら言ったので、俺は思わず吹き出した。

『いいじゃないか!教えてくれよ。すごく気になる』俺は本当に知りたかった。

『いずれ教えるよ。でも今はまだ駄目』ケイは笑顔で言った。

『――分かったよ。でも後で絶対教えるんだぞ、ケイ』

『はい、はい』ケイはそう言うと自分の部屋へ行こうとした。

『ケイ、今から夕飯食べに行くぞ。昌男おじさんがごちそうしてくれるそうだ』

『――そう。僕はいい。家にいるよ』

『また具合悪いのか?』心配して聞いた俺に、ケイは

『違うよ。もう食べて来たんだ』と明るく答えた。

 俺は少し面喰った。12歳の子供が言うセリフらしくなかった。

『どこで食べて来たんだ?』俺は母親みたい心境で言ってしまった。

                        
















「――――私もこれから講演会とかで家を空ける事が多くなるんだ」

 本条は、ゆっくりとした口調で喋り出した。アキはそれを黙って聞いていた。

 アキは本条に呼ばれ、落ち着いた雰囲気のカフェレストランに来ていた。本条はアイスコーヒーを一口飲み、唇を噛みしめたままのアキを見つめた。

「君さえ良ければ住み込みで食事の支度とかしてくれたら助かるんだ。今の仕事も続けて構わないよ。帰って来てから家の事をしてくれていい。どうだろう?引き受けてくれないかい?」

 アキは困惑した表情で本条を見た。

「先生…加茂さんから私の仕事の事、聞かれたんじゃないですか?だからそんな風に言われるんですか?」アキの言葉を本条は黙って聞いていた。

「こんな言い方は失礼かもしれないけど、今回の君の事態は私にとってはとても好都合だったんだ。アキちゃん、君にとっても悪い話じゃないだろう?」

 アキは黙ってうつむいた。本条は軽く息を吐いた。

「借金の事は…出過ぎた事をしてしまってすまなかったね。屋敷に出入りしてもらうためには“ああいう所”とは縁を切ってもらいたくてね」

「―――でも…私、家政婦やるなんてまだ言っていません」

 アキの厳しい表情を見て、本条は思わず苦笑した。

「賃金はきちんと払うよ。そこから出来る範囲でいい。少しずつ払ってくれれば…」

「……すいません…私、そんな事できません」アキは苦渋の表情で言った。「色々と心配して頂いてすいませんでした。でもお気持ちだけで十分です。借金は先生にお支払いします」アキの言葉に、本条はため息を吐いた。

「寂しい事言うんだね、アキちゃん。ケイもがっかりするよ」本条は苦笑した。

「当てはあるの?」本条の言葉に、アキは言葉を詰まらせた。

「アキちゃん、確かに君は成人してちゃんと働いているけど、まだ若い。上手くいかない現実だってたくさんあるだろう。だから、時には人に助けを求めても全然恥ずかしい事ではないんだよ。それに、こっちとしてはアキちゃんに引き受けてもらわないと困るんだよ」

 本条は少し力を入れて話した。アキの表情が少し緩んだ。

「今すぐ返事しなくていいよ。大木さんに相談したらいい」

「…はい…本当にすいません…」アキは泣きそうな表情で言った。

「さぁ、この話は一旦終わりだ。アキちゃん、甘い物でも食べないかい?」

 メニュー表を手に取り、本条は言った。アキは笑顔で

「はい!」と言った。



 

 アパートに帰ると、アパートの大家が汗を拭いながらアキの帰りを待っていた。

「松田さん、ごめんなさいね。ちょっといいかしら?」

「はい」アキは慌てて、バックからドアの鍵を探した。


「大木さんから聞いているでしょう?」大家は出された麦茶を一気に飲み干して言った。「ごめんなさいね。急にこんな事になってしまって」

「いえ…」アキは苦笑しながら言った。

「私も探してはいるんだけどね…正直、今の家賃と同じくらいの所はないのよ」

「はい…」

「今、ここで払ってる家賃もあなただけ特別なのよ」

 大家の言葉にアキは面食った。

「あなたは他の住民より1万少なく払っているのよ。その1万は大木さんが払っていたの。知らなかったでしょ?」

 大家の言葉にアキは愕然とした。

「大木さんに頼まれてね…私は損する事なかったからいいけど、大木さんは大変だったと思うわ。……本当なら2年前にこのアパート引っ越す予定だったんだから」

「どういう事ですか?」

「…やっぱり話してなかったのね。実はね、2年前に大木さんの息子さんが家族みんなで暮らせるようにって二世帯住宅建てたのよ。それなのに大木さん、このアパートの方が住みやすいからって言ってね。隆一さんなんてあっちに行った方が絶対通勤にも便利だったのに…」

 アキは胸をえぐられるような感覚に襲われた。大家はそんなアキの心境を気付かない様子で喋り続けた。

「分るでしょ?あなたが心配だったから大木さん、息子さんの所に行けなかったのよ。ねぇ、松田さん。隆一さんも美枝子さんももう歳よ。あなたもちゃんと働いてるんだから自分の事は自分でしないと駄目よ」

 アキは黙って頷いた。

「…私、何も知らなくて…」今にも泣き出しそうなアキに、大家は驚き

「まぁ、それでね…ここより少し高くなるけど、2軒ほど良い物件あるのよ」と言いながら、慌ててバックからチラシを出した。



 大家が帰った後、アキの胸には言いようのない怒りが込み上げてきた。

 それは、自分自身に対する嫌悪感に近い感情だった。


――――私…なんで、こんなに人に迷惑掛けているんだろう…。

 おじさんにもおばさにも、実の親子のように可愛がってもらった。

 私は?おじさん達に何をした?


 アキの瞳から涙が零れた。

 アキは大家が置いて行ったアパートのチラシに目をやった。






 アキの部屋のドアがドンドンと勢いよく叩かれた。

「アキちゃん!私よ!開けてちょうだい!」

 美枝子の声が響いた。あきは慌ててドアのチェーンを外した。

「おばさん!どうしたの?」出勤前に美枝子が訪ねて来るのは珍しい事ではなかったのだが、美枝子の勢いにアキは驚いた。

「どうしたのじゃないわよ!大家さんから何か言われたんでしょう!」

 アキは言葉を詰まらせた。

「だからあんな家賃の高いトコに決めたんでしょ!駄目よ!あんな物騒なトコ!絶対駄目!」美枝子は興奮気味に言った。

「おばさん、落ち着いてよ。大丈夫よ、あそこなら近くに交番あるし…それにあそこが一番家賃安かったのよ」アキは苦笑しながら言った。

「それだけじゃないわ!仕事の事、なんで言ってくれなかったの!」

 アキは面食った。

「何で知ってるの!?」

「沢村先生から連絡あったのよ。覚えてるでしょ?夜間高校の担任の…」

 アキは頭がクラクラしてきた。

「アキちゃん…あなたまだ21じゃないの。なんで私達に相談しなかったの?…いくら成人してるからって出来ない事はまだまだたくさんあるのよ…大家さんはアキちゃんの事ちゃんと知らないからあんな事言えるのよ!…アキちゃん、そんなに私達頼りない?…」

 ついに美枝子はハラハラと泣き出した。

「やっやだぁ!おばさん、泣かないでっ!お願いだから!」

 アキも瞳を潤ませた。

「アキちゃんも一緒に私の息子のトコ行きましょう!ね!!」

「おばさん!そんな事出来ないわよ!」

「大丈夫よ!息子にはもう言ってあるから!」

「えぇ!」

「大家さんの方は心配いらないわ。もう断ったから。まだ契約書にサインしてなかったから良かったわ!」

 アキは次の言葉が出でこなくなった。



 その時、運よく(?)新たな威勢のいい声が響いた。

「アキさん!」

 アキは立ちすくんだ。

 ケイが、これもまたもの凄い勢いでアパートの階段を駆け上がってきた。

「もう1週間だよ!何で返事くれないの?」

「…ケイ君…何で君までここにいるの?学校は?」アキは本当に倒れそうになった。

「何で家に来てくれないの!?」ケイは泣きそうな顔で言った。

「何の事?ケイ君?」美枝子は瞳を輝かせた。

「おばさん!いいの!ケイ君の事は気にしないで!さぁ!ケイ君も学校に行かなくっちゃ!」

 アキは必死で言ったが、ケイの口を止める事は出来なかった。

「アキさんに住み込みの家政婦頼んだのに、来てくれないんだ」

「住み込みって…誰の家で?」美枝子はケイの細い肩を掴んで訊いた。

「…僕の家…有治兄さんがお願いしたんだけど…」ケイの顔が引きつった。

 アキは、がっくりとその場にしゃがみ込みたいぐらい、立っているのがやっとだった。

 美枝子はゆっくりアキの方を見て

「アキちゃん……どういう事か、説明してくれるわよね?」と言った。


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