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君のために僕は詠う―5―

君のために僕は詠う―5―




――――何なんだ、あいつら!俺の事、脅しやがって!

 G設計事務所の社長、田代はイライラしていた。

 任意の取り調べからようやく解放され、車に乗り込み、自分の事務所まで帰ろうとしていた。時間帯も悪く、渋滞に引っかかっていた。

「おい!抜け道はないのか!」田代は、運転手を怒鳴った。

「すっすいません…この状態ではもうどうしようもなくて…」運転手は、額に汗を滲ませながら青い顔で言った。

「チッ…」田代は舌打ちし、すぐ横の歩道に目をやった。

 田代は、あの検事の言葉を思い出していた。

『……一刻も早く知ってる事を話しなさい。このままではあなた自身の命が狙われるかもしれませんよ――』

 何でこの俺が<あいつら>に命を狙われないといけないんだ!

 <あいつら>が俺を殺すなんてあり得ない!

 田代は、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

「俺が喋れば、<あいつら>だって終わりなんだ…」

 ――そう…喋れば…でも、その俺の口が利けなくなったら?――

 そう思った瞬間、田代の背中を冷たい恐怖が走った。

 ガタガタと身体が震え出した。

 そうだ!俺さえいなくなれば、証拠は闇の中だ!…大変だ!!…何とかしないと…何とか…いや、駄目だ!警察で喋る訳にはいかない。すべてが水の泡になる…嫌だ!嫌だ!…

 いつも以上に様子のおかしい田代を見て、運転手は動揺していた。

「しゃ…社長…大丈夫ですか?真っ青ですよ…」運転手は恐る恐る訊いた。

「うるさい!!黙って運転してろ!!」田代は、怒鳴り散らした。


 その時、車の横を1台のバイクが通り過ぎて行った。運転手は、横目でそのバイクを見た。そのバイクは、列を作っている車の横をスイスイと追い越して行った。羨ましく思いながら、運転手はため息を吐いた―――


「ぐわぁぁぁ!!!」突然、田代が叫んだ。

「社長!?…社長!!」運転手は、後部座席に座っていた田代を見て愕然とした。田代は両手で顔を覆っていたが、その隙間から大量の血が噴き出していた。

「うっうわぁぁ!!」運転手は、った。

「鼻がぁ!!鼻がぁぁ!!」田代は、自分の<鼻>が無くなっている事に気付き、叫び続けた。

 運転手は、慌てて車内の電話のボタンを震える指で押した―――。
















 本条有治とケイは、検事長である永田の誘いで、小料理屋に来ていた。

 2人は座敷まで案内され、すでに座敷では永田が寛いでいた。

「やぁ!有治君!ケイ君!よく来たね!」永田は、かなりご機嫌な様子だった。

「昌男おじさん、もう飲んでるの?」ケイが不満げに言った。

「すまん、すまん。喉が渇いてな!――おい!どんどん料理、運んでくれ!」

 仲居は「はい、畏まりました」と、笑顔で言って足早に座敷から出て行った。

「また、随分ご機嫌ですね。おじさん」本条は笑いながら言った。

「ケイ君、今回は実に上手くやってくれたよ。田代の奴、顔に包帯グルグル巻いてなぁ、泣きながら警察へ駆け込んできたよ!」永田は、その光景を思い出したのか、大声で笑った。その様子を見て、本条は苦笑した。

「ケイ!酒は飲むな。何度も言ってるだろう!」冷酒に手を伸ばそうとしていたケイに本条は言った。ケイは口を尖らせた。

「いいじゃないか、有治君!ケイ君ならどんなに飲んでも、明日になったらケロっとして学校に行くよ」

「おじさん…ケイはまだ未成年ですよ!」本条は呆れ顔で言った。

 仲居が、料理を運んできた。

「さぁ、遠慮はいらない!腹いっぱい食べてくれよ!」永田は本条のコップにビールを注いだ。

 仲居の1人がケイを見て、「ジュースかウーロン茶、お持ちしましょうか?」と、満面の笑みで訊いてきた。



 本条とケイは、永田が手配したタクシーで<屋敷>へと帰った。

 本条の父親が残してくれた<屋敷>は、2人には広過ぎた。

 広い<屋敷>の1階の居間にあるソファの上が、ケイの“居場所”だった。

 本条はソファの上でじっと本を読んでいるケイの横顔を見ながら、<あの夜>の事を思い出していた。

 本条は、<あの夜>と同じ横顔のケイを見ながら、言いようのない不安に駆られていた。

「……ケイ、風呂空いたぞ」

「うん。兄さん、さっき佐々岡先生から電話あったよ」

 ○○△△著の長編歴史小説を読みながらケイは言った。

「あぁ…何か言ってた?」

「別に…いつもみたいに『困ったなぁ』て言ってたぐらい。また、後で掛けるって」

 本条はミネラルウォーターをコップに注ぎ、一気に飲み干した。

「いつアメリカ行くの?」

「…まだ何も決まってないよ。研究所の仕事も片付いていないし、大学の方もあるしな。何度か断ったんだけど…」ケイの言葉に本条は苦笑しながら言った。

「僕の事は気にしなくていいよ。ちゃんとご飯食べるから」ケイも苦笑しながら言った。

 

 2年前に、本条はアメリカの大学の研究チームのメンバーに選ばれ、1か月程アメリカに滞在する事になった。ケイも連れて行こうか迷っていた時、検事長の永田が自宅で預かると言ってきた。永田の家族とは本条自身は交流があったものの、ケイはほとんどなかった。『良い機会だから』永田夫妻の勧めもあり、本条はケイを永田に預ける事にした。

 しばらくして、永田から“悪い知らせ”が入った。ケイが永田家に帰って来ないと――――。原因は、永田の17歳の娘だった。“逆上せ上がった”永田の娘の行動は、ケイにとっては不愉快でしかなかった。それ以来、ケイが永田家に行く事はなくなった。



「その時は、お手伝いさんでも雇うか?」

 本条の言葉に、ケイは勢いよく反応した。

「あっそうだ!アキ!アキさんにお願いしようよ!」

 ケイは大きい目を輝かせながら言った。本条は吹き出した。

「あの子は駄目だよ。昼間働いているだろ。ちゃんと年配のベテラン雇うから心配しなくていいよ」と、本条はケイの“提案”をすぐ却下したが、ケイは納得していない様子だった。

≪……まずい事言ったな…≫本条は、小さな不安を感じた。






「加茂さん!!いいですよ!自分の分は払いますから!」

 アキはレジでさっさと支払いを済ませ、店員に「ごちそう様」と声を掛けて店を出た加茂夕貴の後を追った。

「いいのよ!誘ったの私なんだから。ここのパスタランチもかなりイケるでしょ?」

 ――――今日は日曜日。アキと夕貴は、仕事内容は全く違うが、同じ会社なので休みが一緒。夕貴の急な誘いで、2人は夕貴お勧めのカフェでパスタランチを食べたのだ。

「ごちそう様でした…」アキは丁寧に礼を言った。

「どう致しまして!ねぇ、まだ時間大丈夫?」夕貴は、車のキーをバックから取り出した。「帰る前にちょっと寄り道してもいい?」

 そう言いながら、夕貴は自慢の愛車のキーを回した。


 夕貴の愛車は市街地を抜け、大学や美術館が並ぶ道路へと出た。初夏の日差しが心地よく、アキは少しウトウトしていた。

 夕貴の愛車が建物の敷地内に入った。<来客用>のスペースに駐車し、2人は車を降りた。

「ここ、どこですか?」アキは、緑豊かな敷地内をグルっと見渡した。

「N研究所センターよ。家の旦那の勤め先」夕貴の言葉に、アキは驚いた。

「N研究所!?もしかして、ここの所長さんて本条先生じゃぁ…」

「え?アキちゃん、本条先生知ってんの?」夕貴は目を丸くした。


「…あぁ、君がアキちゃんか!」

 夕貴の夫、加茂昇はアキを見て、嬉しそうに笑った。

 アキは(“あの事”、喋りましたね!)と、言わんばかりに目を細くして夕貴を睨んだ。夕貴もさすがに≪まずい!!≫と思ったらしく、慌てて話題を変えようとした。

「ねぇ!あとどれくらいで帰れるの?」

「もう少し待ってくれよ。きちんと片付けないと明日怒られるだろ。それに帰る前にセンター内の見回りもしないと…」

 夕貴の夫、昇はあせあせしながら机の上に散らばった書類を片付け始めた。

 休日出勤していた昇はこんなに早く夕貴が迎えに来るとは思わず、呑気にコーヒーを飲んだりしていたのだった。

「休日出勤なんて、大変ですね」アキはそう言いながら、3人分のコーヒーの紙コップを一緒に重ねたりして、片付けの手伝いをしようとした。

「いいよ、アキちゃん。家の奥さんみたいに座ってて。ありがとう…」

 ワザと涙ぐみながら言った昇を、夕貴は睨んだ。

「月に2回ぐらい休日出勤あるんだよ。でも、俺なんてまだマシだよ。本条先生なんて大学の講義とかもあるからほとんど休み無しだからね」

「本条先生ってそんなにお忙しいんですか…」アキは呟くように言った。

「ケイ君も高校生になったから、海外の講演会とか研究会にも参加されるんじゃないかなぁ…本当にすごいよなぁ〜憧れるよ」昇は遠い眼をして言った。

「本条先生のお父さんも大学の教授だったんだよ。<あんな>亡くなり方されたけど…」と、言いかけて昇は慌てて口を閉じた。

「絶対喋るな!とか言っといて、自分で喋ってるじゃん!!」夕貴は大笑いした。「アキちゃんなら絶対誰にも喋らないわよ」

「私、別に聞かなくてもいいですけど…」アキはそう言ったが…

「本条先生のお父さん、殺されたんだよ」

 昇の言葉は、アキが想像もしていなかった言葉だった。

「結局、犯人は未だに捕まってないんだよね。先生、その時は大変だったみたいだよ。ケイ君もまだ小学生ぐらいだったろう?本当に、先生はすごいよ。ケイ君をあんな立派に育てて…」昇は、本当に目を潤ませた。

「ケイ君てそんなにすごいの?」夕貴が訊いてきたので、昇は少し間を置いて

「ありゃ、天才だね」と言い切った。

「そのケイ君がアキちゃんに会いに来た時も、そりゃ大騒ぎだったのよ。私は見てないけど…」悔しそうに夕貴は言った。

「たまにここにも来るけど、すごいよ!女性陣!仕事手に付かなくなるもんなぁ…まぁ、あんだけ美形ならねぇ…俺でも見惚れる」

 昇が真顔で言ったので、アキと夕貴は笑い出した。

「アキちゃん、ケイ君ってどんな話するの?」と、興味津々で昇が言いかけた時、研究室のドアが勢いよく開き、3人は飛び上った。

「あっごめん、ごめん!まだいたんだね、加茂君。……アキちゃん!?」

 本条有治は、いつもはそこにいるはずのないアキの姿に驚いた。

「本条先生!どうしたんですか?」

「忘れ物を取りに寄ったんだよ。それより、どうしてアキちゃんが?」と、言いながら本条はアキの額の絆創膏に目をやった。

「アキちゃん、どうしたの?おでこ」

 本条の“その言葉”に敏感に反応したのは、夕貴だった。

 アキの額の絆創膏の原因からアキがこの場所にいる理由まで、まるでバズーカ砲のように夕貴は喋り出した。

 アキは何とか言葉を遮ろうとしたが、無駄だった。昇は最初から無駄だと分かっていたので、何もしなかった。

「――――そうか…それは悪かったね、アキちゃん」本条は眉をひそめて言った。

「気にしないで下さい!全然大した事ないですから」アキは慌てて言った。

 さすがに喋り疲れた風の夕貴と、そんな夕貴に水を飲ませようとしている昇を見ながら、アキは誓った。

――この2人には、大事な話は絶対するまい!――



「見回りは私がして帰るから、加茂君はもう帰りなさい」本条は笑顔で言った

「いえ!僕がして帰ります!先生は早く帰って休んで下さいよ!」

「いいんだよ。その代り、明日少し早く来て、このレポートまとめといてくれないか?」本条はそのレポートを昇に渡した。

「…分かりました。それじゃぁ、すいません。お先に失礼します!」

「アキちゃん、帰ろうか」夕貴はアキの方を見て言った。

「方向が逆だろ?アキちゃんは私が送るから2人で帰ったらいいよ」

 思いもしなかった本条の言葉に、3人は驚いた。

「そんなに驚かなくてもいいだろう?」本条は苦笑した。

「いいです!私…電車で帰りますから!!」アキは慌てて言った。

「何言ってんのよ!駅までどんだけ距離あると思ってんの!私が送るわよ!先生、私が連れて来たんで私が送ります!」

 本条は2人の言葉に、堪らず吹き出した。

「襲ったりしないから大丈夫だよ。ちゃんと無事に送り届けるよ。新婚なんだから2人で食事でもして帰ったらいい」

 本条の言葉に、アキと夕貴(と昇)の頬は赤くなった。




「遅くなってごめんね。行こうか」

 センター内の見回りを終え、戻って来た本条は研究室で待っていたアキに言った。アキは、本条の車の助手席に乗り、車は滑らかに走り出した。


 空にはオレンジ色の夕日が浮かび、学校帰りの学生達が何か騒ぎながら歩道を歩いていた。アキはそんな光景を微笑ましく見つめた。

「大学の先生って大変ですね〜」

「そうだね…昔よりは大分楽になったんだよ。加茂君達がよくやってくれるしね。お喋りだけどね」本条の言葉にアキは思わず笑った。

「そうだ、アキちゃん。これからケイと夕飯食べに行くけど、一緒にどう?」

 本条の誘いに、アキは戸惑っていた。

 この2人は、決してアキを馬鹿にしたような態度は取らない。良い人達だというのは分かっていた。しかし…あまりに自分の事を知っているこの2人に、少しだけ…<不安>を感じていた。アキは、母親の妹夫妻に騙された事もあり、少しは疑う心を持たないといけないと考えるようになっていた。

「……悪かったね、君の事色々調べたりして…」

 その言葉に、アキは驚いた。

「え…何で?…」―――分かったんですか?と、言いそうになるくらいアキは動揺した。そんなアキの心情を察したように本条は、

「前から謝ろうと思ってたんだ。言い訳にもならないけど…君の居場所を知りたくて、知り合いに頼んだんだよ。そしたら“色々”調べててね…」

 アキはうつむいた。借金の事も知ってるんだ、と思った。

「アキちゃん、これだけは信じてほしい。ケイは本当に君に会いたくて仕方無かったんだよ。私も、ケイに君を会わせたくて、それに私自身もお礼が言いたくて君の事を調べたんだ。それだけなんだよ」

 アキは、運転している本条の横顔を見た。本条もチラッとアキを見て微笑んだ。―――アキは本条の言葉を信じようと思った。

「すいません…色々あって…ちょっとだけ人間不信みたいになっちゃってて…」

 アキは苦笑いした。

「色々あれば、誰でもそうなるよ」本条は言った。

「あの…先生…梅原さんの事は…誰にも言わないで下さい。その…梅原さんのお父さんにも…ケイ君にも…」アキの言葉に、本条は苦笑した。

「…実は、私の方からお願いしようと思ってたんだよ。美香君の事はケイには言わないでほしいって――――。ありがとう。気を遣わせたね。…君は本当に優しい子だね。関心するよ」本条の言葉に、アキは頬を赤くした。

「ケイは、小さい頃から人付き合いが苦手でね。でもあの容姿だからすぐ女の子が寄って来てしまうんだ…その子達には悪いけど、ケイも困っていてね…」

 ――――梅原美香だけではないんだ、とアキは感じ取った。

「顔が良いのも色々大変なんですね」アキが感慨深げに言ったので、本条は笑い出した。

「そうなんだ。“周りの人間”にもとばっちりが来て大変だよ」

 2人は同時に笑い出した。



 

 車は、アキのアパートの前に停まった。

「本当に、ありがとうございました」そう言うと、アキは車から降りた。

「待って、アキちゃん」本条は上着のポケットから名刺入れを取り出し、

「はい。何かあったらいつでも連絡していいから。いいね?」

 本条の差し出した名刺を、アキは素直に受け取った。

「よかったら、アキちゃんのも教えてくれないかい?」

 ポカンとしていたアキはハッとし、慌ててバックからメモ紙を取り出し、自分の携帯番号を書いて、本条に渡した。

「ありがとう…アキちゃん、この番号、ケイにも教えていいかい?」

「え?…あっはい!どうぞ!」

「ありがとう。私だけ知ってたらケイに文句言われるだけじゃ済まないからね」本条は笑いながら言った。

「近いうちにまた3人で食事でもしよう。連絡するよ。いや…連絡はケイがしたがるな、多分…」

「はい!宜しくお願いします!」アキは嬉しそうに答えた。


 


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