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Medicine for miracles〜<奇跡の薬>〜9

君のために僕は詠う。

Medicine for miracles

 〜<奇跡の薬>〜 9




 史美


 お前に謝らないといけない 私はお前のいる所には行けそうにない 私は大変な過ちを犯してしまった  だから天国にいるお前の所には行けないのだ  私はきっと地獄に堕ちるだろう仕方の無い事なのだ  私はそれだけの事をしてしまったのだから

 私はやはり、お前の死に方に納得出来なかった  あの医者の顔を、私は忘れられない だからといって私のした事が正しかったとは思っていない 

 私は間違っていた それに気付くのが遅過ぎた 

 私のせいで有治の人生も狂わせてしまった

 私はただ、あの医者のような人間をこの世から消したかった  もっと優秀な人間を育てたかった 

 そしたらこの世は変わると信じていた。そう信じていた事が間違いだった

 

  私は神ではない

 それなのに 私は一人の人間の運命を決めてしまった  あのまだ幼い、ケイに、過酷な運命を背負わせてしまった  もう取り返しの付かない事は分かっている

 分かっている

 だから、史美  お前に頼みたい  私はお前に頼み事ばかりしてきた

 本当に申し訳なく思っている

 有治を、ケイを、見守ってやってくれ  天国で見守ってやってくれ

 2人が幸せに、幸せに生きていけるように 

 どうか、頼む


 史美、お前は私のためによくやってくれた 

 私はまだお前のために何もしてやれていない   まだ間に合うだろうか?


 まだ私にその資格があるだろうか?


                          





―――本条先生のお父様の“手帳”の最後のページは、まるで手紙のような文章で締めくくられていた。

 私がこの手帳を見付けたのは本条邸で暮らすようになってから1年後ぐらいだった。本条先生から頂いたチェストの引き出しの取っ手の裏側に薄い板が張り付けてあって、その隙間に隠してあった。そう、隠してあったのだ。

 茶色い革の長方形の薄い手帳には文字や記号のようなモノがびっしりと書き込んであった。内容のほとんどは何が書いてあるのか理解出来なかった。でも…1つの記述だけは何とか理解出来た。それはケイ君の出生についての記述だった。

 私は全身に鳥肌が立った。作り話ではないかと疑ってしまった。でも、ケイ君と毎日過ごすうちに手帳の内容が事実である事を確信した。

 手帳には読めない文字や記号以外に、所々に本条先生やケイ君に対する詫びの言葉があった。

 有治、すまない。ケイ、許してくれ。―――その言葉が私の胸に響いた。  

 本条先生のお父様は、先生を、ケイ君をそして、史美さんを…とてもとても愛していたんだ、と――――――

 私はこの手帳の事は誰にも言わずに、夜寝る前に1人でこっそり見ていた。時には怖くなって本条先生に正直に話そうか迷った時もあった。でも、話して屋敷から追い出されるのではないかと思い……結局、誰にも言わなかった。

 ケイ君に嫌われてしまう事の方が怖かった。


 私は自分に出来る事はないか考えた。先生やケイ君の役に立ちたかった。

 ケイ君の笑顔を見ていたかった。


 私は、出来る限り先生やケイ君をそばで支えようと決意した。


 でもこれは私の勝手な“言い訳”だった。

 私は、ただ単にケイ君のそばにいたかっただけなんだ。

 …そんな私の醜い心を、ケイ君に想いを寄せる彼女達は見透かしたのだ。だから彼女達は執拗に私の事を責めたのだ。

 私には彼女達に反論する資格なんて無かった。



 それからケイ君の私への想いを知って、私は嬉しい反面、言いようのない不安に襲われた。

 私はケイ君のためなら死ぬまで“陰の存在”でいるつもりだった。それなのにケイ君が私に与えてくれた場所は私が想像もしていなかった所だった。


 私は不安で不安で仕方が無かった。

 あの手帳に書いてあった、ケイ君が背負った“過酷な運命”を理解し、ケイ君を支える事が出来るのか?その資格が私なんかにあるのか?

 赤ちゃんを失った時、浜田綾乃さんが亡くなった時、私は思い知らされた。

 私にそんな資格は無いと―――――。



 私を見つめる時のケイ君の寂しそうな表情。私を抱く時のケイ君の辛そうな表情。そんなケイ君の苦渋に満ちた顔を見るのは本当に辛かった。

 それでも…それでも私はケイ君のそばにいたかった。


 浅井さんの言葉を聞いて、そう想っていた事さえも私の自己満足だったのだと思い知らされた。


 どうして気付いてやれなかったのだろう?どうしてケイ君の“声”にもっと耳を傾けなかったのだろう?

 どうして私はいつも、自分の立場でしかケイ君を見つめていなかったのだろう?


 私は自分の弱さに、情けなさに、醜さにほとほと嫌気がさす。


『―――アキと普通に生きたい』

 ケイ君の言葉が私の心に響いている。

『―――僕は人を殺すために生まれて来たんじゃない』

 ケイ君の想いが私を強くする。









「――――え?…1週間?」

 清子さんの言葉に私は面喰った。

「1週間じゃ足らないだろうけど…ケイ君、それ以上もたないだろうから…」

 そう言うと清子さんは苦笑した。

「…あの…私、今から帰ります」

 私の言葉に、今度は清子さんが目を丸くした。

「え?今から?どうして?」

「私、ケイ君のそばにいます。ずっとそばにいます」

 私は身体を熱くさせながら言った。清子さんはしばらく黙っていた。

「…あんな目に遭ったのに?それでもそばにいたいの?」

「はい。」私は強く頷いた。「…それに、大怪我してると思うんです!早く帰って看病しないと…そうですよね?…すいません…なんかまだ頭の中が整理出来てなくて……」

 私は目覚めてから色々考え過ぎて、本当に頭が働いてなかった。

「…ケイ君なら大丈夫よ」

 清子さんは呆れたように笑った。

「…色々…心配してもらってごめんなさい…清子さん…」

 私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「いいのよ。それがあなたの気持ちですもの。……でも、金曜日まではここにいてね」

「…でも…」

「あのね、アキちゃん。あなた今自分が思っている以上に疲れてるはずよ。ここに来てからほとんど何も食べてないじゃない!ちゃんと眠れてもないんじゃない?」

 確かに…日曜の昼に目を覚ましてから今日まで食欲が無く、ちゃんと眠れていなかった。

「ここにいたら土曜日の朝にケイ君が迎えに来るから、それまでここでゆっくりしてよ。ね?アキちゃん」

 清子さんの笑顔に、私は目の奥が熱くなっていた。

「…ありがとう…清子さん…」

 私はかすれる声で言った。清子さんは優しく微笑んだ。

「あっ…そうそう、“Jun−Cafe”の方には私から連絡しといたから。有治君の看病って言ったら快く承知してくれたわ。店長さん」




 清子さんは「部屋にあるモノは何でも使っていいから、洋服も借りていいから、冷蔵庫のモノも勝手に食べていいから」と言って仕事に出掛けた。

 私は自分の口でも言った方が良いと思い、“Jun−Cafe”に電話を掛けた。

「アキちゃん!?大変だったわね!事情はちゃんと聞いてるから心配しなくていいわよ。でも、来週からはお願いね!!」

 と、店長の純子さんは明るく言ってくれた。

 

 私は清子さんの言葉に甘えようと、まず洋服ダンスを開けた。雪崩が起きた…かのように私の身体は洋服に埋まった。

 とりあえず、タンスにギューギュー詰めにされた洋服(ほとんどブランド物)にアイロンをかけ、畳んで…私が着れる服はないか探した。どれも手足が長くて無理だった。

 仕方無く、ブカブカのスウェットを借り、着ていた洋服を洗濯しようとドレッシングルームにある洗濯機の所へ向かった。ドレッシングルームは足の踏み場が無いほど洗濯物が散乱していた。

 仕方無く、散乱した洗濯物を下着と洋服と手洗いモノに分け、洗濯機を3回回して洗った。脱水の終わった洗濯物は、下着は乾燥機へ、他の洗濯物は天気が良かったのでバルコニーに出て物干竿に干した。

 さすがにお腹が空いてきたので、冷蔵庫を開けた。缶ビールが棚の大半を占め、あとは塩辛や漬物やウインナーや…酒のつまみのようなのしか無かった。ドアポケットにあった期限切れの卵と牛乳を捨てて…ちょっとだけ途方に暮れた。

 食器棚の下に大量のカップ麺を発見して、お湯を沸かし、食べた。

 キッチンの流しに目をやらないようにしていたけど…どうしても我慢出来なくて、溜まっていた食器類を食洗機に2回に分けて入れて片付けた。


 こうなると、私って駄目なのだ。

 部屋中の窓を開け、2つの洋室とリビング・ダイニングのフロアを水拭きし、掃除機をかけた。バスルームのカビ取りをして、洗面台を磨いた。

 そして夕飯の買い物に出掛けた。

 卵、牛乳、豆腐、ハムにバターとゴーヤとトマトとレタスと玉ねぎと挽き肉と……2つの買い物袋を提げて帰り、少し休んで夕飯の支度に取りかかった。



 午後8時過ぎに清子さんが帰って来た。

「いつもこんなに遅いんですか?」

 私は清子さんのグラスにビールを注ぎながら言った。清子さんは…なんだか、ボ―としながら部屋を見渡していた。

「…清子さん?…」

 私は心配になり、清子さんの顔を覗いた。

「え?…あっ大丈夫よ!…いや…しかしアキちゃんの料理は相変わらず美味しいね!」

 と言いながら、ゴーヤチャンプルーをたくさん食べてくれた。


 火曜日も清子さんと夕飯を食べ、水曜日と木曜日は1人で夕飯を食べた。なんだかとても寂しかった。

 ケイ君はちゃんと食べてるかな〜?なんて心配した。

 考えてみると、私は1人でご飯を食べた事があまりなかった。母親の妹夫妻のトコにいた時を別にして(あの時はご飯さえ食べさせてもらえなかった)…父さんや母さんが生きていた時はいつも3人で食卓を囲んだ。施設にいた時もみんなでご飯を食べた。働くようになっても夕飯だけは美枝子おばさん達と食べた。本条先生の屋敷で住み込みで家政婦をするようになってからも、いつも本条先生やケイ君と一緒だった。

 私はいつも1人ではなかった。

 まだ施設にいた時、同い年の子が泣いていた。『私にはお父さんもお母さんも友達もいない。だから寂しい』その子はそんな事を言いながら泣いていた。私はその子の横に腰を下ろして言った。

『かおりちゃんには私がいるじゃない!たけ君ものぼる君もまさちゃんもようこちゃんも…さわむら先生もやまだ先生もいるじゃない!あなたは1人じゃないよ!』

 私はその子に言いながら、自分自身にも言い聞かせていた。

 私には分かっていた。こんなにたくさんの人達から支えられても、その子が泣くワケを。心の奥に言いようのない寂しい気持ちが潜んでいる事を。


 あの日、施設の台所に立っていたケイ君の姿を思い出す。

 随分痩せていて、でもとても澄んだ瞳で…でもとても寂しそうな瞳で私を見つめていた。




 金曜日も清子さんは当直のため、1人で夕飯を食べて、お風呂に入ってベッドに横になった。

「…あ!!」

 私はいきなり思い出した。

 明日、土曜日に美枝子おばさん家に行く約束をしていたのだ。美枝子おばさんから“豆乳プリン”を作って来てと頼まれていた。私はしばらく考えて……


 明日、私がケイ君を迎えに行こうと決めた。

 朝の6時ぐらいに屋敷に帰って朝食を作って、ケイ君と一緒に食べてから1人で高速バスに乗って美枝子おばさんのトコに行こうと考えた。本当はケイ君と一緒に行きたかったけど…怪我の具合も分からないし…博一さんや諒君はガッカリするだろうけど…仕方無い。

 ケイ君と朝食―――その事を考えると、なんだか嬉しくなっていた。




 次の日の朝5時半ぐらいに起き、身支度を済ませ、清子さん宛てのメモを冷蔵庫に貼り付け、部屋を出た。マンションのエントランスを出て、バス停までしばらく歩き、バス停に貼ってあった時刻表を見た。15分後に来たバスに乗って屋敷へ行った。


 午前6時半少し前に屋敷に着いて、真っ直ぐケイ君の部屋へ行った。

 部屋にはケイ君はいなかった。屋敷のどこにもいなかった。

 私は拍子抜けしてしまい、しばらく動けなかった。

 私はハッとして、とりあえず洋服を着替えてから“豆乳プリン”の材料を買いに朝早くから開店している近所のスーパーへ出掛けた。


 なんだか散らかった居間を片付け、簡単に朝食を済ませて、“豆乳プリン”を作り始めた。そうしてたらケイ君も帰って来るだろうと考えた。

 午前10時になってもケイ君は帰って来なかった。私は不安になり、ケイ君の携帯に電話を掛けた。ケイ君の携帯の着信音が居間中に鳴り響いた。

 ソファの下に落ちていたケイ君の携帯を眺めながら、私はしばらく固まっていた。



 午前11時前に、本条先生の入院している病院に行った。頭に包帯を巻いたまま、先生は本を読んでいた。横に白衣姿の清子さんもいた。

「え?アキちゃん!?どうしたの!?」

 本条先生はかなり驚いた表情をしていた。私は今までの経緯を説明した。

 先生は大声で笑い出した。私は先生のそんな笑い方は見た事が無く、かなり驚いた。

「…いや…いや…ごめん、ごめん!それは大変だったね。ケイも馬鹿だな。今頃フラフラしながら彷徨ってるかもね」

「笑い事じゃないわよ!死んじゃうかもしれないじゃない!」

 2人の言葉に、私は青ざめた。

「大丈夫だよ、アキちゃん。ケイは死ぬ前に必ず俺に会いに来るから…来たら伝えておくから心配しなくていいよ」

 本条先生の言葉に、私はクラクラしていた。

「…先生…なんとかケイ君と連絡取る方法ないですか?」

「ん〜…難しいね。まぁ、今日中にはここに来ると思うから。とりあえず、大木さんには連絡しといた方がいいね」

 本条先生は苦笑しながら言った。

「さっき連絡したら、遅くなってもいいから〜て言われて…」

「そうか…どちらにしてもケイがここに来ないとどうしようもないんだ。…そうだ、清子、ケイがここに来たら車を貸してやってくれないか?」

 本条先生の言葉に、私は少し面食った。

「先生…ケイ君、運転大丈夫なんですか?」

「え?…あぁ、怪我の事心配してるのかい?それなら大丈夫だよ。ケイは超人だから」

 本条先生はサラッと言った。

「もう、アキちゃん!大丈夫って言ったでしょ。私が傷の手当てしたのよ!問題なんかないわよ。それよりまだ生きてるかどうかの方が心配よ」

 清子さんもサラっと言った。

「まぁ、とりあえずケイ君がいつ来てもいいように車、動かしてくるわ」

 清子さんはそう言うと、病室を出て行った。

 本条先生は笑顔でその姿を見つめていた。


「―――先生…」

「うん?」

 私の言葉に本条先生が私の顔を見ながら言った。

「…私、先生やケイ君に言わないといけない事があるんです」

 さっきまで笑っていた本条先生の顔が少しだけ硬くなったように見えた。

「…うん、何だい?」

 私はバックの中からあの“手帳”を出して、本条先生に手渡した。本条先生はその手帳を受け取り「見てもいいのかい?」と言った。

 私が頷くと、本条先生は色褪せた茶色い手帳を開き、読み始めた。

 時間が経つにつれ、本条先生の表情が無くなっていった。

「……アキちゃん…これ…」

 驚きを隠し切れない様子で、本条先生が私を見つめた。

「…先生、ごめんなさい。…ずっと隠してて…」

 私は本条先生に頭を下げた。

「いや…謝らなくていいんだ…ただ…何故?」

 

 私の話を聞いて、本条先生は少しうつむいたまま黙ってしまった。私はだんだん不安になっていた。やっぱり…とんでもなく大切な“手帳”だったのだろうか?本当ならすぐに先生に見せなくてはいけなかったのだろうか?

 私の心臓がドクドクと鳴り出した。

「―――君はこの手帳を読んでも、屋敷から出て行かなかったんだね…」

 本条先生は呟くように言った。

「…俺の父さんは本当に優秀な科学者だったんだ。その父さんがすべてを賭けて研究に取り組んだ。その集大成がケイだ」

 本条先生はそう言って私を見つめた。

「君には本当に辛い思いをさせてしまったと思ってる。本当にすまないと思っている…」

「そんな…先生。そんな事言わないで下さい」

 私は笑顔で言った。

「私…先生やケイ君に出会えて良かったって心からそう思っているんです。だって、私本当に幸せなんです。こんなに幸せでいいのかなぁ〜て心配になるぐらい…」

「…アキちゃん…」

 私は込み上げる涙を堪えながら笑った。

「…私なんかが何か出来るワケないけど…私、頑張ります!ケイ君が笑っていられるように…」

 私の言葉に、本条先生はゆっくり首を横に振った。

「アキちゃん、君はケイの運命を変えたんだ。いや、ケイだけじゃない。俺の運命も、大木さんの運命も…君に触れ合った人達全員の運命を変えたんだよ。君はそういう大きな存在なんだ」

 本条先生はそう言うと、優しく微笑んだ。

「…私が?…そんな…」

「そうなんだよ。もしケイが君に出会っていなければ、ケイは父さんが心配したような…過酷な運命を背負っていたかもしれない。だからアキちゃん、もっと自信を持って。自分の存在価値に気付いて」

「…存在価値?」

 私は揺れる目で本条先生の顔を見つめた。

「そうだよ。みんな存在する価値があるから生まれてくるんだ」

「…死んじゃった赤ちゃんは?…」

 私は震える声で言った。

「もちろん!その子にも価値があるんだ。だからまた君のお腹の中で誕生するよ」

「…私には…私にはケイ君の子供を産む資格なんて…」

 本条先生は私の頭を優しく撫でた。

「君しかケイの子供は産めないよ。君じゃないと駄目なんだよ」

 堪えていた涙が一気に溢れた。

 ケイ君や赤ちゃんに対する罪悪感や、自分自身に対する失望感がス―と和らぐようだった。

「…ちょっと…喋り過ぎたな」本条先生が苦笑しながら頭を掻いた。「本来ならケイが言わないといけないセリフだった」

 本条先生の言葉に、私は吹き出した。




 気持ちが落ち着くまで病室にいて、私は屋敷へ戻った。午後12時を少し過ぎていた。

 私はケイ君のためにサンドウィッチと鶏のから揚げを作って容器に詰めた。アイスコーヒーも作ってタンブラーに注いだ。ケイ君がここに帰って来たらすぐ出掛けられるように、“豆乳プリン”の入った容器を紙袋に入れてから冷蔵庫に戻した。

 居間のソファに腰を下ろし、しばらく天井を見つめた。


 初めて抱き合った時のケイ君の恥ずかしそうな顔を思い出す。

 手探りでお互いを確認し、お互いの身体に身を沈め、また確認し、身を沈め…そんな事を夜が明けても繰り返し続けた。今まで止まっていた時間がいきなり動き出したような気がした。戸惑いと喜びが同時に込み上げ、息が詰まりそうだった。その状態に、私は何度もつまずきそうになった。その度に、ケイ君は私の前に手を差し伸べた。何度も、何度も…私を立ち上がらせようとしていた。

 もう、大丈夫だよ。私はもう自分で立ち上がれる。

 

 早く、ケイ君の顔を…あの端整な顔を見たい。

 私にだけ見せてくれるあの綺麗な笑顔を見たい。


 私は目を閉じて、大きく息を吐いた。そしてケイ君の顔を思い浮かべた。

 私の前にいるケイ君の顔はやっぱり綺麗だった。でも…何故かその大きな瞳が揺れていた。とても、とても揺れていた―――


「―――アキ…」

 今度はケイ君の声が聞こえてきた。

「…アキ…」

 よく見ると、ケイ君の綺麗な顔が…傷だらけだ……

 え?何で?


 私は慌てて目を開いた。












★次回 最終話★


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