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Medicine for miracles〜<奇跡の薬>〜8

君のために僕は詠う。

Medicine for miracles

 〜<奇跡の薬>〜 8




「―――海斗?海斗?」

 薫はベッドに横たわる海斗の名前を静かに呟いた。薫の手が震えた。

「……母さん?」

 海斗は薄らと目を開けた。

 薫はホッと安心したように息を吐いた。

 薫は海斗の身体をベッドから起こし、水を飲ませた。

「ありがとう…母さん」

 海斗の言葉に、薫は微笑んだ。

 部屋の窓から夏の日差しが射し込んでいた。薫は部屋のエアコンの温度を調整した。

「…今日も良い天気だね。母さん」

「そうね…頭痛は?」

「うん…大丈夫だよ」

 海斗は微笑みながら窓の方に顔を向けた。

「松田さん、洗濯物たくさんしてるかな?」

「え?」

「松田さんが言ってたんだ。天気が良いと洗濯物が片付くって」

 海斗はそう言いながら笑った。

「松田さんは本当に“心”の綺麗な子だったよ。あんなに触れる事の出来ない“心”は今まで見た事がない。だって、“暗”の部分が無いんだ。あるのは“明”の部分と…あとは深い深い“迷い”…」

「迷い?」

 薫はベッドに近づき、海斗の横に腰を下ろした。

「そう…深い深い“迷い”があった。必死に考えてるようだった。彼のために何が出来るか……何のために生まれてきたか…」

 海斗は静かに目を閉じた。「もしかしたら…もう答えを見つけたかもしれない…」

「…そう…」薫は海斗の肩に手を置いた。

「海斗、そろそろ休まないと…」

「うん…」

 海斗は身体をベッドにゆっくり倒した。

「母さん…」

「ん?…」

「銃で撃ってごめんね…」薫はしばらく黙っていた。「…怒ってる?」

 海斗の言葉に、薫は一呼吸置いてから「怒ってないわ」と言った。

 薫は海斗の身体に布団を掛け直した。

「母さん、いつか…ケイに会う?」

「ケイに?…どうかしら…」

 会ってくれるかしら―――という言葉を薫は飲み込んだ。

「大丈夫、ケイは母さんに会ってくれるよ」

 海斗の言葉に、薫は小さく頷きながら黙っていた。

「…ケイに会ったら伝えてほしいんだ」

 海斗は微笑みながら言った。





















 僕は汗がこめかみから頬をつたっていった時、ようやく自分が長い時間その部屋にいた事に気付いた。

 清子さんの住むマンションの部屋は作りが良いせいか、朝のうちはエアコン無しでも過ごせた。でも、8月の昼間の日差しはそんなに甘くはなかったようだ。

 僕は洗面所で顔を洗って部屋を出た。

 マンションのエントランスから外に出た途端、ムッとする熱気が身体を包んだ。蝉の“音”が容赦なく頭に響いた。僕は軽く頭を振り、大きく息を吐いた。とりあえず兄さんのトコに行こうと思い、歩道へ出た。

 車道から歩道に乗り上げるように停まっている、黒光りするリムジンが目に付いた。僕はそれに背を向け、逆方向に歩き出した。

「―――ちょっと!ケイ!」

 出来る事なら聞きたくないと考えていた“声”が僕の名前を呼んだ。僕はげんなりしながら振り向いた。

「…随分、ヒドイ顔してるわね…」

 浅井という女は、リムジンの後部座席の窓から顔だけ出して、フフフっと笑った。




「傷の具合はどう?」

 女はアイスティーにレモンを浮かべ、ストローでかき混ぜながら言った。

「…うん…何ともない」

 僕は女に半ば拉致されるように連れて来られた高級ホテルのラウンジで、飲みたくもないアイスコーヒーを飲んでいた。女はアイスレモンティーを美味しそうにストローで吸って飲んでいた。

「アキちゃんは元気?」

 僕は動揺を隠すため、うつむいたまま女のこの質問に答えなかった。女はしばらく僕を見つめていた。

「――――海斗が死んだの」

 女は呟くように言った。僕は静かに顔を上げ、女を見た。

「…いつ?」

「3日前よ」

「…そう…」

 僕は言葉が見つからず、黙っていた。

「…海斗は、きっとあなたに殺してもらいたかったのよ」

 女はそう言いながら、アイスレモンティーを飲んだ。

 僕は黙っていた。

「私が海斗を監禁したのは、“能力”を使わせないため。“能力”を使ってしまうとそのエネルギーで癌細胞が成長してしまうの。だから長い間海斗を監禁したの」

「…その事、海斗には話した?」

「話してないわ。話さなくても分かってたはずよ」

 女は微笑んだ。そしてテラス席の方を眺めた。テラス席のパラソルの下で、何組かの客が暑そうな顔で座っていた。女はしばらくその光景を眺めていた。

「…海斗はあんたに認めてもらいたかったんだよ…」

 僕の言葉に、女は黙って僕を見つめた。

「…そうね…きっとそうね」

 女はそう言うとまた笑った。その瞳が微かに揺れたように見えた。

「…1つ、聞いてもいい?」

「何かしら?」

 女はそう言うと微笑んだ。

「…あんたは…僕の事、恨んでないの?」

「私が?あなたを?…どうして?」

 女のあっけらかんとした口調に、僕は少し戸惑った。

「僕はあんたの旦那を殺したんだよね?」

「…あぁ…」女はそう言うと、クスクスと小さく笑った。「浅井との間には愛情なんて最初から無かったからね…逆に殺してくれて感謝してるのよ」

 そう言いながら、妙に清々(すがすが)しい表情をした女に、僕は思わず苦笑していた。

「…あんたって、やっぱり強いな」

「そうよ!女は男が思っている以上に強いのよ」

 女は強い口調で言った。

「あの子も…松田アキも強い女だわ」

 また、いきなりアキの名前が出てきて、僕の心臓が強く打った。これから先ずっとこんな感じで僕はいちいち“アキ”という言葉に反応し続けるのかと思うと、もうすでに疲れを感じていた。

「ハッキリ言って、あなたと松田アキは真逆なのね」

 僕の今の心境を絶対分かってて、女はお構い無しに喋り続けた。

「…あなたは、あの子のために死ねないでしょ?」

 僕は、黙ったままうつむいていた。

「あなたにとってあの子はすべてだから、常に一緒にいないと気が済まない。万が一、あなたが死んであの子の横に違う男が付いたら…そんな事絶対に耐えられない―――だからあなたは迷わずあの子を殺して自分も死ぬ…か、自分とあの子以外の人間を殺すか…そうでしょ?ケイ?」

 僕はゆっくり顔を上げ、女を睨んだ。女はムカつくほど得意げに微笑んでいた。

「随分、分かったような口振りだな。何が言いたいワケ?」

 僕はザワザワと震え出した怒りを抑えながら言った。

「…松田アキは、きっとあなたのためなら迷わず死を選ぶでしょうね」

 僕は面食らった。

 確かに、アキは呆れるほど優しい。でも……

 僕はしばらくの間、言葉を失った。そして、自分でも嫌になるくらい…女の言葉に納得してしまっていた。

 アキなら間違いなく、愛情に関係無く誰かのために自分を犠牲に出来るだろう…まして、それが僕のためなら…兄さんのためなら…大木さんのためなら…

 アキにとって僕は大事な家族の1人で、愛する男ではなかったのだろう。

 そんな事、身に沁みて分かっていても…改めて考えると思わず泣きそうになる。

「―――大丈夫?ケイ?」

 女は苦笑しながら言った。

 散々僕の傷心をズタズタに切り裂いといて、『大丈夫?』もクソも無いだろう!―――と憤慨しながらも、僕は黙っていた。

 口を開けば声が震えてしまいそうで、何も言えなかった。

 女も黙ったまま、僕を見つめていた。僕は奥歯を強く噛んだまま、立ち上がろうとした。

「―――足らないモノはお互い補い合えばいいのよ。そのために男と女がいるんだから…」

 僕の驚いた表情に、女は笑っていた。その笑顔が妙にやわらかかった。


「―――奥様、そろそろ…」

 大神が僕達に近付き、そう言った。

「そうね…ケイ、最後に一言いいかしら?」女はそう言うと、僕を見た。「海斗からあなたへ伝言」

「は?」

 女はフフフっと笑った。

「『君には彼女はもったいない』て」

 僕はまた一気に現実に引き戻されてしまったように、イライラしてきた。僕の心境を知ってか知らずか……女は席を立ち、

「また、逢いましょう」

 と言って、腰を振りながらラウンジから出て行った。

 大神が机の上にあった伝票を掴んだ。

「いいよ、自分で払う」

 僕は言った。

「いや、それは出来ない。奥様に叱られる」

 大神はそう言って、ニッと笑った。








 女と大神がいなくなった後、僕はしばらくの間ラウンジに残り、アイスコーヒーを飲み干した。

 外に出ると、また強烈な熱気が僕の身体を襲ってきた。僕はイライラしながら小走りで病院へと急いだ。


 午後1時前に兄さんが入院する病院に着いた。

 病室のベッドの上で、兄さんは身体を半分起こし、本を読んでいた。僕を見て少し驚いた顔をしていた。

「…何?何でそんなに驚くの?」

「…いや…」

 兄さんは何か言おうとして…言わなかった。僕は首を傾げながらベッドの横にある丸椅子に腰を下ろした。

「…ひどい顔してるな…」

「…うん…」

 僕は兄さんに何から話そうか…考えた。まず、アキはもういないという事を言わないといけない。…それから…それから…何か言う事あったかな?…

 僕はだんだん頭が混乱してきた。

 兄さんは読んでいた本を閉じ、ゆっくり僕の顔を見つめた。

「…さっきアキちゃんがここに来たんだ」

 また…僕の心臓が1回ドクンと、強く打った。僕はうつむいたまましばらく黙っていた。

「……お別れでも言いに来た?」

 僕の言葉に、兄さんは微笑んだ。

「違うよ」

 僕は顔を上げ、兄さんを見た。兄さんはいつもと同じように穏やかに微笑んでいた。

「お見舞いに来てくれたんだ。作りたての“豆乳プリン”を持って来てくれたよ」

 兄さんはそう言うと、ベッドの横にある机の上に置かれた白い箱を指差した。

 僕は―――余計に頭が混乱していた。

「…そんな顔で俺を見るなよ」

 兄さんは苦笑しながら机の上に手を伸ばし、机の上にあった茶色い長方形の手帳を取り、僕に手渡した。

「アキちゃんが持って来てくれた。読んでみろ」

 僕は兄さんに言われるがまま、その色褪せた薄い手帳を開いた―――――僕は…その手帳の内容を読んで愕然とした。

「…なっ何だ?これは…」

 兄さんは軽く息を吐いた。

「俺の父さんの手帳だ」

「…え?…」

「父さんは死ぬ直前まで精神的に不安定だったからな。だから最後のページの文章はおかしい」

 兄さんは笑いながら言った。

「…でも何で…アキがこれを持っているんだ?」

「…うん…屋敷に来てから1年後ぐらいに部屋で見付けたそうだ。ほら、アキちゃんに俺の母さんが使ってたチェストあげただろ?そのチェストの取っ手の部分に薄い板が打ち付けてあってその間に挟んであったそうだ」

「え?…え?…」

 僕はワケが分からなくなっていた。そんなに前からアキは僕の<秘密>を知っていた。なのに何故?何も言わなかったんだ?

「…アキちゃん、その最後のページを読んで自分もその通りにしようって決めたそうなんだ。その手帳に書いてあるように、どんな事があってもお前のそばにいようって思ったそうだ」

 僕の身体が小さく震え出した。

「お前が幸せでいられるように、お前を幸せにしてくれる人を支えようと思ってたそうなんだ。…本当にアキちゃんらしいな…」

 兄さんはそう言うと、静かに笑った。

「…でもなかなか思うようにはいかなかったそうだ」


『…だって私、その子達に対して嫉妬してたんですよ。本当に私って馬鹿ですよね!』


「―――アキちゃんはそう言いながら笑っていたよ」

 僕は言葉を失っていた。胸の奥が熱くて熱くて仕方無かった。

 兄さんは僕の手から手帳を取り上げた。

「ケイ、アキちゃん屋敷で待ってるよ」

「…え?」

「今日、大木さんとお参りに行く約束をしていたそうだ。それを昨日の夜に思い出して…今日の朝早くに屋敷に帰ってもお前はいないし、携帯はソファの下に落ちてたから連絡はつかないしで…困った顔していたよ」

 僕は慌てて腰を上げた。

「なっ何で早く言わないんだ!!」

「だって先に言ったら俺の話なんか聞かずに飛び出して行っただろ?」

「…っそうだけど…くっ車!!兄さん、車は!?」

 その時―――病室のドアが開き、清子さんが入ってきた。

「あら!?ケイ君!!良かった、生きてたね!」

 僕の顔を見るなり、清子さんが叫んだ。

「清子、車いいか?」

「えぇ、患者さん用の駐車場に停め直して来たからすぐ分るよ」

 清子さんはそう言いながら、車のキーを僕の前に差し出した。僕はそのキーを奪うようにして取り上げ、病室を飛び出した。

「ケイ!安全運転な!」

「私の車で事故らないでよ!!」

 と言う2人の言葉を背に受けながら、駐車場まで急いだ。




「――――本当に…ケイ君って子供みたいね」

 清子は呆れたように言った。

「あ〜あ…やっぱりアキちゃん、ケイ君のトコ帰っちゃうんだね…この1週間とっても快適な生活だったのに…残念!!」

 清子は大きくため息を吐きながら微笑んだ。

 本条は苦笑しながら、手に持っていた色褪せた手帳を見つめた。

「…清子、俺思うんだよ」

「うん?」

「父さんは、誰かにこの手帳を読んでもらいたくてあんなトコに隠したんじゃないのかな?」

「…読んでもらいたくて隠すの?」

 清子は首を傾げた。

「そう…俺やケイを一番近くで支えてくれる人間に読んでもらうために隠したのかもしれない」

 本条の言葉に、清子はしばらく黙っていた。本条はその色褪せた手帳を、清子の前に差し出した。

「―――よかったら、君も読んでくれるかい?」

 そう言うと、本条は穏やかに笑った。

 清子は少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「…喜んで」











 僕は、車を屋敷の玄関ポーチの前に停め急いで下り、玄関のドアノブに手を掛けた。しばらくそのまま動く事が出来ず、立ち尽くした。

 呼吸を整えて、ゆっくりノブを引き、玄関のドアを開けた。

 見慣れた玄関ホールが、階段が、天井が、廊下が……何故か違う空間に思えた。

 僕は靴を脱ぎ、居間へ入った。

 居間のソファの上で、アキが座ったまま静かに眠っていた。僕はアキのそばに近寄り、アキの前に膝を付いた。

―――もしかしたら…アキによく似た人形かもしれない。

 なんて馬鹿な事を考えながら、僕はアキの頬を指で触った。

 いつも触れていたアキの肌だった。

 気が狂うほど、愛しくて愛しくて仕方無かったアキが、今、目の前にいた。


「……ン…う…」

 アキの身体動いた。

「…アキ…」

 僕の声に、アキはゆっくり目を開けた。



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