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Medicine for miracles〜<奇跡の薬>〜1

「大学卒業したら結婚しよう」―――ケイとアキがそう約束してから2年の月日が流れた。ケイの深い愛情に包まれながら、アキは募る不安に悩み続けていた。そんなアキに大きな試練が立ちはだかる!一方、アキの言動や行動に苛立ちや不安を隠せないケイにも最悪の事態が!!―――心優しい女性アキと、才色兼備の青年ケイの真実の愛の物語。後編スタート★

君のために僕は詠う。

Medicine for miracles

  〜<奇跡の薬>〜 1






「―――アキ…アキ…」

 ケイ君が耳元で囁いてる。それは分かってるんだけど……目があかない。眠くて眠くて仕方が無い。

「…アキ…寝ちゃうの?…明日休みだろ?」

 ケイ君が不貞腐れたように呟いた。私はなんとか起きようと頑張ったんだけど……

 

 気付いたら朝の7時だった。

 私は慌てて飛び起きた。

 私の横でケイ君が寝息を立てていた。

 私は少しホッとして、ベッドから出ようとした―――その時、ケイ君の手が私の手首を掴んだ。

「おっおはよう!…」

 私はそう言うと、ゆっくりと起き上がるケイ君を見つめた。ケイ君は1回大きな欠伸をして、苦笑いしている私を見つめた。

 ―――相変わらず、綺麗な顔だ。

 思わず見入っていた顔がいきなり近づいてきて、唇と唇が触れた…と、思ったらそのまま押し倒された。

「ちょっとっ…ケイ君!!」

 私はバタバタと抵抗した。

「…何でそんなに嫌がるんだ!アキ!」

 ケイ君は私に馬乗りになり手を押さえつけたので、私は身動きとれなくなった。

「待って!待って!…もう朝だからっ!…」

「朝だから!?アキが寝ちゃうのがいけないんだろ!?」



「―――先週の休みもそうだった」

 ケイ君はコーヒーを飲みながら、不貞腐れたように言った。

「…ごめん…」

 私は申し訳ないのと恥ずかしい思いでいっぱいいっぱいだった。ケイ君はそんな私を横目で見ながら、パンをかじった。そして、いつものように新聞を広げた。

 ―――新聞を読む姿も、相変わらず綺麗だ。

 窓から射し込んでいた朝陽がケイ君の横顔に降り注ぎ、ケイ君のキメ細かい肌がしっとりと光っていた。

 周りの女の子達が夢中になるのは当たり前だと感じた。毎日見ている私でさえケイ君の容姿を見飽きる事はない。見れば見るほどため息がもれる……。

 そんなケイ君の顔を朝一で見れる私は幸せ者だろう。

「…何?僕の顔に何か付いてる?」

 ケイ君は苦笑しながら言った。

「え?…いや…今日も綺麗だなぁ〜て思って…」

「…なんだよ、それ…」ケイ君は照れたように笑った。「アキも相変わらず可愛いよ」

 ケイ君の言葉に私は顔から火が出た。ケイ君はくすくすと笑った。




 2年前に、ケイ君と私は結婚の約束をした。

 ケイ君が大学を卒業して、その時まだ私の事を想ってくれるなら……と言う口約束をした。

 ケイ君も先月21歳になり、来年大学を卒業する。ちなみに私は27歳になってしまった…(はぁ…)

『――あと1年』ケイ君は最近そう呟く事が多くなった。私は…私も心の中で思っていた―――あと1年……

『大学卒業したらすぐ入籍しよう』そう言ってケイ君は私の誕生日にエンゲージリングをプレゼントしてくれた。

―――本当は夢でも見てるんじゃないだろうか?……私は最近真剣に考え込んでいる。本当に私みたいな地味な女がケイ君みたいな“特別”な人と結婚なんてしていいのかしら?…と不安でいっぱいになる。

 だから最近妙に夢見が悪い。仕事が忙しく、朝早くに出掛けるので睡眠時間が短いせいもあるんだろうけど…とにかく眠くて眠くて仕方が無い…


「アキは大体よく寝るよな」

 ケイ君は半分呆れたように言った。

 最近ちゃんと眠れないので、ケイ君が横にいるとすごく暖かくて気持ち良くてあっと言う間に眠ってしまうのだ。


「…ケイ君、時間大丈夫?」

「あ…もう行かないと」

 ケイ君はソファから腰を上げ、ジャケットを羽織り、玄関へ行った。

「今日は?遅くなる?」

「いや…今日は外尾先生のトコには行かないから真っ直ぐ帰って来るよ。…あぁ、でも兄さんの方が帰って来るの早いだろうな…」

 ケイ君は玄関の上り口に腰を下ろし、靴紐を結びながら言った。

「今日の夕飯、リクエストある?」

 私の言葉に、ケイ君は少し考えて「アキの作るモノならなんでも食べるよ」

 ケイ君は立ち上がりながらそう言うと、私の唇にキスをした。

「行ってきます!」

 ケイ君は爽やかに笑いながら出て行った。私は頬を赤めながら笑顔で見送った。

―――もう、十分新婚さんよね…?

 恥ずかしくてこそばゆい想いに浸りながら、私は洗濯機のある洗面所へと急いだ。





 ケイ君は今、大手製薬会社の研究所の研修研究員として週に4回程大学から通っている。

 ケイ君は大学2年生の時、ケイ君が通うT大学であったその研究所の所長、外尾謙三郎先生の講演会に出席した。ケイ君はその講演会のレポートを大学に提出し、その出来があまりに良かったので大学側が外尾先生に提出したらしい…(最初からそのつもりだったらしいけど…)そのレポートを見た外尾先生がケイ君を気に入り、研究室へ誘ったそうだ。

 最初はただの見学程度だったそうだけど、T大学の有尾大学長が『外尾先生の研究所に我が大学から研究員が出せるなんて願ってもない話だ!!』と興奮し、勝手にその製薬会社の人事部部長とか偉い人達と話を進め、ケイ君は研究所としては異例の現役大学生研修研究員となった。で、卒業したら研究所職員に内定している。

 ケイ君も外尾先生の研究所で働く事は嫌ではないみたいだった。だって、本当に嫌なら有尾大学長の頼みでも聞かないはずだから…

 しかも外尾先生と本条先生は面識があって『外尾先生のトコなら安心だ』と本条先生も嬉しそうにしていた。


 ただただ、ケイ君ってやっぱり天才なんだわと痛感した2年だった。


 私はというと…今も変わらず“Jun−Cafe”で働いている。たまに店に来るケイ君に理子ちゃんや加奈さんが興味津津で大変だ。来年ケイ君と結婚するなんてとても言える状況じゃない。…恋人同士とも言えてない有り様だ。

 この事について、ケイ君は怪訝そうに言う。

『本当に僕と結婚してくれるんだよね?』

 もちろん!ケイ君みたいな男の人と結婚なんて…父さんも母さんも隆一おじさんも天国で大喜び!美枝子おばさんも泣いて喜ぶわ!


 でも、私はまだケイ君と並んで歩く事に自信がない。私にそんな資格があるのか?―――そんな事ばかり考えている。

 こんな事ケイ君に言ったらまた怒られるから言えないけど…誰にも言えないけど…


 あの端整な顔立ちとサラサラの髪とスラッとした長い脚と、天才という言葉をほしいままにしている頭脳と…どこから見ても欠点なんてないケイ君の横に…どこから見ても平凡で地味で小柄な私がいるなんて…誰も想像つかないだろう。


 以前ケイ君に想いを寄せていたケイ君の親友麻衣子ちゃんほど可愛くなくてもいいから、本条先生の恋人で医師の清子さんほど美人で色気がなくてもいいから………

 ねぇ、神様。少しは私にも何か…何か褒められる所があってもいいんじゃないですか?







「本条!今帰り?」ケイの親友、中島裕翔が言った。「なぁ!今日バイト休みなんだ!飲みに行かねぇ?」

「断る」

 ケイがあまりにあっさり言ったので、中島は肩を落とした。

「相変わらず付き合い悪いよな、お前!」

「……ここんトコ帰り遅かったから今日は早く帰りたいんだ」

「あぁ!そうか!お前今研修研究員だもんな。そうだよな…たまには早く帰ってアキさんとイチャイチャしたいもんな〜…いいなぁ…」

 ケイはニヤニヤしながら喋る中島を睨んだ。


 ケイと中島は第一校舎を出て、正門まで続く並木道を歩いた。満開だった桜の木からハラハラと花びらが舞い、青い葉の間からもれる夕日が暖かな光の線となって地面と繋がっていた。

「―――早いな…」中島が呟くように言った。「もう4年だぞ、俺達。来年卒業だ!」

「……あぁ」

 ケイは短く返事した。

「すごいよな、本条って!この時期に就職内定してんのお前ぐらいじゃないか?」

「他にも何人かいるだろ?お前だってそうじゃん」

 ケイの言葉に中島は苦笑した。

「親父の会社継ぐのが?…そしたら生まれた時から内定してた事になるな」

「…ちゃんと卒業しろよ」

「っ失礼な!俺だって頑張ってんだぞ!」中島はムキになって言い返した。「…まぁ、どんなに頑張っても本条には敵わないけどな」

 そう言う中島を横目で見ながら、ケイはフッと笑った。

 ケイの横顔に西陽が注ぎ、黄金色とケイの肌色が混ざり合うのを見つめながら、中島はため息を吐いた。

「―――本条さ…本当に美人だよな」

「は?」

 ケイは眉間にしわを寄せた。

「もとから美人だったけど最近さらに男の色気を感じるって周りの女子が言ってたぞ。男の俺でもそう思うし…」

 中島の言葉にケイはしばらく黙っていた。

「――そんな気色悪い事言わなくていいから、早く言えよ。もう正門だぞ」

「へ?」

 ケイの言葉に中島は面食った。

「何か言いたい事あるんだろ?」

「…え…」中島はもぞもぞと口を動かしながらうつむいた。

 ケイはやれやれと小さくため息を吐いた。

「有尾はどうするんだ?」

 ケイの言葉に中島は驚いたように目を大きくした。

「…どうするって…?麻衣子ちゃんは今教員になるための勉強中でそろそろ実習も始まるみたいで……なんかすごく忙しいみたいで…」

 もぞもぞと喋る中島を見ながら、ケイはイライラしていた。

「…そう、有尾は教員になるのか。似合ってるな」

「そっそうだよな!麻衣子ちゃん優しくて可愛いからすぐ生徒から好かれる先生になるよな!」

 中島は頬を紅潮させて言った。

「…うん…じゃぁ、僕もう行くから」

 背を向けて行こうとするケイの腕を、中島は慌てて掴んだ。

「まっ待って!本条!!」

「なんだよ…早く帰りたいんだ」ケイはうんざり顔で言った。「有尾も連れて行けばいいだろ?お前の実家の周辺の学校の採用試験受ければいいんじゃないか?」

「…っはぁぁ!?」

 ケイの言葉に中島は驚きの声を上げた。

「なっなにそんな簡単に言ってるんだよ!そんな事出来るワケないだろ!」

「何で?」

「何でって…そんな…結婚するワケじゃないのに…」

 中島は顔を赤くして言った。

「結婚すればいいじゃん」

「…え?」ケイの言葉に中島は一瞬固まった。「え!?何!本条何言ってるんだ!そんなっ…そんな事出来るワケないだろ!!」

「…何で?有尾の事好きじゃないのか?」

 ケイが真顔で言うので、中島は戸惑った。

「何でって…そんな簡単に結婚なんて…そりゃぁ…麻衣子ちゃんとそんな風になれたらどんなに良いかっては考えてるけど…それは俺が勝手に思ってるだけだから…」

「…お前にその気があるなら有尾にそう言えばいいじゃないか」

 ケイはイライラしながら言った。

「そんな簡単じゃないだろ!?お互い一生の問題なんだぞ!そりゃ!本条みたいな男なら女も喜んでついて来るだろうけどさ!俺は違うんだよ!」

 ケイはムッとした表情をし、中島は興奮のあまり息を乱した。

 正門の前で今にも取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな2人を他の学生達がちらちらと見ていた。

 ケイと中島はとりあえず息を吐いた。

「…まぁな、お前と俺とじゃ立場が違うか…悪かったな、変な事相談して」

 中島は恥ずかしそうにしながらポリポリと頬を掻いた。

 そんな中島をケイは黙って見つめた。

「…僕だってそんな何でもうまくいってるワケじゃないんだ…」

 ポツリと呟くようにケイが言ったので、中島は驚いた。

「言ったら駄目になるし、言わなかったら何も変わらないし…どっちにしても辛くなるから…言って駄目でもうまくいくまで諦めない事にした方が少しはマシかもしれない」

 中島はケイの言葉を黙って聞いていた。

「……これは僕のやり方だから別にお前にそうしろって言うつもりはないから。あくまで参考として聞き流してくれ」

 そう言うとケイは苦笑した。中島は黙ったままケイを見つめた。

「―――本条、やっぱり飲みに行こうぜ」

 2人の間に沈黙の空気が流れた。そしてケイが先に口を開いた。

「行かない」

 2人の間にまた沈黙の空気が流れた。









「アキちゃん、なんか太った?」

 2か月振りに会った小学校からの親友にそんな失礼な事を言うのは三井翔子ちゃん。翔子ちゃんとは、私の両親が他界し、母の妹夫妻の所に行くため小学校を転校して、色々あって両親と暮らしていた町の近くに戻って来ても会う事はなく、2〜3年程前に幼馴染の伊藤敦啓君の声で開かれたプチ同窓会で久し振りに再会した。それから2か月に1〜2回は会って食事をしたり映画を観に行ったりしている。

 翔子ちゃんとまたこんな風に遊べる事が私は本当に嬉しい。小学生の頃から本当に仲が良かった。何をするにも一緒だった。伊藤君と2人で翔子ちゃん家によく泊まりに行った。私達3人は本当に仲良しだった。

 今、伊藤君は勤めている会社のフランス支店で頑張っている。翔子ちゃんは大手食品会社でOLをしている。なかなか3人が揃う事は出来なくなったけど……それは仕方の無い事。私達は大人なのだから。

「…そお?そんなに太ったように見える?」

 私は結構ショックを受けながら翔子ちゃんに聞いた。

「少しよ!少し丸くなったかなぁ〜って思っただけ!良いじゃない!元が痩せ過ぎてたんだから、丁度いいんじゃない?」

「…そうかなぁ…」

 確かに、私は小柄だ。身長153cmで体重40kgぐらいだ。前は40kg切ってたから…やっぱし太ったのだ。何で胸は太らなくて顔に出るんだろう?ただでさえも丸顔で童顔なのに…

「…ところで、相談て何?翔子ちゃん。」

 私の言葉に翔子ちゃんは少しうつむいた。翔子ちゃんは、きたばかりのウィンナーコーヒーを一口、ゆっくり飲んだ。口の端にクリームが付いて、それをナプキンで拭った。私はカフェオレの入ったカップを口に運びながら、そんな翔子ちゃんを見つめた。

「…あのね…アキちゃん…」

「うん?…」

 しばらく言いにくそうにしていた翔子ちゃんを私は黙って待った。

「ごめん…私、喋っちゃったの…」

「え?…何を?」

 また翔子ちゃんはもじもじし出した。私はワケが分からず

「何を喋ったの?」と尋ねた。

「…うん……ケイ君の事」

 翔子ちゃんの言葉に私はしばらく黙ってしまった。

 ケイ君との関係が落ち着き、私は少し安心してしまい、翔子ちゃんにだけ(あと、伊藤君も知ってるけど)本条家で家政婦として住み込みで働かせてもらっていると話した。とは言っても、『〜色々あって本条先生に助けてもらったの』ぐらいしか話していない。伊藤君との事も話していない。ケイ君と婚約している事ももちろん話していない。

 ただ、『あんまり他の人には喋らないでね』とお願いしていただけだ。

「…誰に喋ったの?」

「…うん…比奈ちゃん…」

 比奈ちゃん―――また比奈子ちゃんか…

 私はなんだか寂しいような悲しいような気持ちになった。

 比奈子ちゃんとも小学校からの親友で…とは言っても比奈子ちゃんは途中から転校して来たし、違うグループの子達(可愛い系の子達)と一緒にいたから私や翔子ちゃんはあんまり一緒には遊ばなかった。どちらかと言えば、翔子ちゃんは比奈子ちゃんの事、苦手だったのだ。

 比奈子ちゃんは小学生の頃からその存在感は圧倒的だった。真っ直ぐのサラサラのロングヘアーが色白で大きな瞳の顔をさらに小顔に見せた。丈の短いワンピースからのぞく枝のように細い足を私は未だに覚えている。

 中学生の時にスカウトされ、モデルになった比奈子ちゃんは今やどの雑誌にも載っている売れっ子カリスマモデルだ。

 高校も一緒だった比奈子ちゃんと自然と話すうちに仲良くなったのだと翔子ちゃんは言っていた。

 翔子ちゃんと比奈子ちゃんが仲が良いのはとても良い事だ。たまに私と翔子ちゃんと比奈子ちゃんと3人でご飯を食べる事もある。その時の翔子ちゃんは――――なんだかよそよそしい。気のせいかもしれないけど…なんかものすごく比奈子ちゃんに気を遣っているみたいなのだ。

「今ね、比奈ちゃん新しい女性雑誌作ってるんだって」

「比奈子ちゃんが!?モデルさんなのに?」

「なんかね、人気女性雑誌の特別号をモデルのHINAKOとコラボして作るっていう企画なんだって」

 翔子ちゃんの話を私は感心しながら聞いた。

「でね、その雑誌の特別号の特集に大手企業の男性新入社員特集をする事になったんだって」

「男性新入社員?…」

 私はだんだん嫌な予感がしてきた。

「スタッフの人が○○製薬研究所の研修研究員にかなりのイケメンがいるって誰かに聞いたらしくてさ、みんなでその研究所に取材交渉に行ったんだって。とにかくすごい美形でなんとか頼み込んだそうなんだけど…会社の人は宣伝になるからOKだったんだけど、そのイケメン君が拒否しちゃったんだって。で、その子の名前聞いたら“本条ケイ”って言うじゃない!私、驚いちゃってさ!だってアキちゃんの雇い主の息子さんでしょ?私ね…つい…比奈ちゃんに言っちゃったのよ…アキちゃんの家政婦の話…」

「あぁ…」

 私は小さくため息を吐いた。翔子ちゃんは申し訳なさそうに私の顔を見つめた。

「ごめんね、アキちゃん。比奈ちゃん本当に困ってるのよ」

「うん…」

 翔子ちゃんが言おうとしている事は大体分かってきた。私からケイ君に頼んでくれるように話してと比奈子ちゃんから言われたのだろう。

「比奈ちゃんそこに来てるの。だから比奈ちゃんの話聞いてあげてくれない?」

「へ?」予想外の言葉に私は驚いた。

 店の自動ドアが開き、客や店員が一斉にそこに注目した。

 カツカツカツとパンプスのヒールの音がして、私の真後ろで止まった。と、同時にフワッと可憐なお花のような香りが私の顔を覆った。

 私はおずおずと振り向いた。

 そこには比奈子ちゃんが立っていた。スッピンに近いナチュラルメイクなのに、雑誌で見るよりずっと大人しい感じなのに…それでも見惚れてしまうほどの美人だった。

「アキちゃん、久し振り!」

 比奈子ちゃんは優しく微笑んだ。

 その可憐な微笑みに、私や翔子ちゃんや店にいた客や店員…全員がとろけそうだった。



「ねぇ!店出ない?」来たそうそうに比奈子ちゃんは言った。「ここじゃぁ、ゆっくり話出来ないし…」

 確かに、と私も思った。奥の席にいた3人組の女子学生が私達の所へ来ようとしていた(正確には比奈子ちゃんの所に)。私と翔子ちゃんは慌てて席を立ち、レジへと急いだ。

「…あの…モデルのHINAKOさんですよね?」

 私が支払いをしている時、3人組の女子学生の1人が瞳を輝かせながら比奈子ちゃんに言った。比奈子ちゃんは微笑んだ。

「あの!ファンなんです!!サインして下さい!!」

 3人の女子学生は興奮気味に鞄からノートを出した。店内がざわつき出した。比奈子ちゃんは笑顔で女子学生達のノートにサインをし、私と翔子ちゃんの方を見た。翔子ちゃんは慌てて私の腕を掴んで引っ張った。

「行こう!アキちゃん!」

 私は言われるがままに店を出た。翔子ちゃんは店のすぐ前に停めてあった赤いBMWの所までズンズン歩いて行った。

「これ、比奈ちゃんの車」

 BMWの横で立ち止った翔子ちゃんは言った。

 それからすぐに比奈子ちゃんが店から出て来た。翔子ちゃんは私を後部座席に乗るように指示し、運転席に回り、エンジンを掛けた。

 比奈子ちゃんは足早に後部座席の私の隣に乗り込み、ドアを閉めた。

 店にいた客の何人かが比奈子ちゃんを追い掛けて来た。

「翔ちゃん!行って!」

 比奈子ちゃんの声に翔子ちゃんは素早く車を出した。


「あぁ!もう!ドキドキしたぁ!」翔子ちゃんは運転しながら叫んだ。「もう!車で待ってるって言ってなかった?比奈ちゃん!」

「ごめん!ごめん!」

 比奈子ちゃんは笑いながら言った。

 私は何が何だか分からず、ポカンとしていた。

「ごめんね、アキちゃん。今から時間いい?」

「え?」比奈子ちゃんの言葉に私は面食った。

 ワケも分からず車に乗せられて『今から時間いい?』って言われても…どうしようもないんだけど…

 そんな私の心境を知ってか知らずか…比奈子ちゃんは私から目を逸らし

「翔ちゃん、私のマンションね」と、言った。



 翔子ちゃんの運転するBMWは市街地を抜け、高級住宅街に入った。豪邸が並ぶ住宅街の中で、一際目立つ高級マンションの駐車場へ入った。

 比奈子ちゃんは車から降りるとすぐにエレベーターの方へと歩き出した。翔子ちゃんもすぐに後に続き、私は慌てて2人を追い掛けた。

 私はオートロックのマンションに来るのは初めてではなかった。そろそろ第1子出産予定の友人、加茂夕貴さんのマンションによく遊びに行っていたから慣れてはいたんだけど…

 このマンションは別格だった。

 そう―――まるで高級ホテルのような雰囲気が漂っていた。(高級ホテルには行った事無いけど…)


「どうぞ、上がって」

 比奈子ちゃんに促され、私は部屋に入った。段差の無い玄関ホールから真っ直ぐ続くピカピカの廊下を歩き、最初に入ったリビングダイニングの広さに驚いた。広々としたリビングの中央にはクリーム色の革張りのソファとガラスのテーブルが置かれていた。窓際には超薄型液晶テレビと青々としたベンジャミン。ダイニングにはブラウンのシンプルなテーブルセット。それからホワイトで統一されたシステムキッチン。

「キレイに片付いてる…」

 私は、思わずため息のような言葉をもらした。

「プロにそう言ってもらうとかなり嬉しいね」比奈子ちゃんは微笑んだ。「私、シンプルなのが好きなの」


 私と翔子ちゃんは、比奈子ちゃんがお茶の準備している間、革張りのソファに腰を下ろした。

「翔子ちゃんはよく来てるの?」

「え?ここに?」

「うん。車の運転も慣れてたみたいだし」

 私の言葉に翔子ちゃんの表情が少し曇った―――ように見えた。

「うん…。よく来るよ。車もたまに運転する。BMWなんて運転する機会なかなか無いしね」

 そう言うと翔子ちゃんは笑った。


「おまたせ!アキちゃんには及ばないけど、この店の苺ショートなかなか美味しいよ。コーヒーちょっと濃い目だから」

 そう言いながら比奈子ちゃんは私達の前にHERMESのお皿を並べた。


「早速だけど―――」

 ブラックコーヒーを飲みながら比奈子ちゃんは徐にガラスのテーブルの上に書類のようなモノと雑誌を並べた。

「これね、今作ってる雑誌の企画書」

 比奈子ちゃんは私に簡単に新しい雑誌のコンセプトとかを説明してくれた。

「特別号で今年の新入社員を特集するんだけどね、この企画はその企業の紹介も兼ねてるの。食品会社なら春から夏の新商品を宣伝して、その宣伝マンを今年の新入社員にやってもらうって事なんだ」

「新入社員?ケイ君はまだ大学生よ」

 私の言葉に比奈子ちゃんは微笑んだ。

「もう内定もらってるんでしょ?なら問題ないわ」

 そんなもんか?と、私は内心思った。 

「○○製薬の広報部の人も本条ケイ君でって言ってるのよ!これは会社命令でもあるんだよね。だからケイ君が断るのはおかしいのよ。そう思わない?」

 私に言われても…と、私は内心思っていたが「…そうね」と答えてみた。

「まぁね、これをアキちゃんに言っても仕方無いんだけど…」

 そう言うと、比奈子ちゃんはコーヒーを一口飲んだ。

「でも、本人がそんなに嫌がってるんなら無理は言えないんじゃない?」

 翔子ちゃんの言葉に比奈子ちゃんの表情が一瞬無くなったように感じた。翔子ちゃんもそう感じたようで、口を閉じたままうつむいていた。

「確かに、広報部の人もお手上げ状態で違う新入社員でって言って来てるけど…私は嫌なの。絶対本条ケイ君がいいの。だって、あんな綺麗な子見た事ないもん!せっかくあんな完璧な容姿で生まれて来たんだから、うんっと注目浴びるべきよ!今しか出来ない事は何が何でも今やるべきよ!」  

 女性らしいキレイな容姿が凛々しくなった。そんな比奈子ちゃんを私は素敵だと思った。

―――本当に一生懸命なんだ。

「分った!比奈子ちゃん、私からケイ君に話してみるから」

 私は力強く言った。同じ女性として比奈子ちゃんのたくましさに感動した。

≪ありがとう!!アキちゃん!!≫と言う言葉が返ってくると私は思っていた。

 でも、違った。比奈子ちゃんは怪訝そうに首を傾げた。

「…え?アキちゃんが?…無理じゃない?だってアキちゃん家政婦さんでしょ?そんな事言って家追い出されちゃったら大変じゃない。第一、広報部の部長が言っても駄目だったのよ。うちの編集長が頼んでも駄目だったのよ。アキちゃんじゃ無理よ」

 私はワケが分からず、呆気に取られた。私はここに連れて来られた意味が何だったのか分らなくなっていた。そんな私の心境が分からないままの比奈子ちゃんはにっこり微笑んで言った。

「アキちゃんは心配しなくていいのよ。ただ、ケイ君と1対1で話したいの」


 私はようやく気付いた。比奈子ちゃんが私に頼みたかった事―――きっと製薬会社の人もプライバシーの問題だから〜…とか言って比奈子ちゃん達に教えてくれなかったのだろう。

「今から本条家に行きたいの。いいでしょ?アキちゃん」

 比奈子ちゃんは微笑みながら言った。

「今から!?」

「そう。ケイ君、まだ大学から帰って来てないよね?その前に家に上がらせてほしいの」

 比奈子ちゃんの自信に満ちたその表情に、私は言いようのない胸騒ぎを感じていた。



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