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君のために僕は詠う―19―

君のために僕は詠う―19―












アキ…アキ…

 僕は、ただ…君を失いたくなかっただけなんだ…

 僕は…こんなに君を傷つけるつもりなんて…なかったんだ…



 …アキ……

 

 …アキ………
















「――――ケイ!!」

「…兄さん…」

 本条はケイの顔を見てギョッとした。

「…お前…大丈夫か?ケイ?」

 ケイは青ざめた顔で病院の手術室の横にある長椅子に座っていた。手術中のランプが消え、自動ドアが開いた。

「―――松田さんのご家族の方ですか?」医師は本条とケイを見て微笑んだ。「もう大丈夫ですよ。太ももの怪我がひどかったので傷が残ってしまいますが…リハビリすればすぐ歩けるようになりますよ」

 医師の言葉に本条とケイはホッと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございました…」本条は深々と頭を下げた。

「これからの事について説明したいので落ち着かれたら診察室まで来て下さい」医師はそう言うと放心状態のケイに目をやった。「君が…ケイ君か?」

 ケイは最初黙っていたが、ハッとし、慌てて頷いた。医師はそんなケイを見て微笑んだ。

「あの子が君の名前を呼んでいたよ。…もう大丈夫だから、安心しなさい」

 医師はそう言うと、診察室の方へ歩いて行った。

 ケイはそのまま動けず、立ち尽くした。


「…ケイ?ケイ!!」

「……え?」ケイは身体の力が一気に抜け、その場に倒れ込んだ。

「ケイ!大丈夫か!?」本条は苦笑しながらケイの身体を起こした。「しかし…良かった…アキちゃん、やっぱりかなり動揺してたんだな…」

「…え…?」

「アキちゃんから電話もらった時も様子がおかしかったもんな…」

 本条の言葉に、ケイは頭の中が真っ白になった。

「……兄さん…それ…何の事?…」

「…お前聞いてないのか?…」本条はケイの顔色が変わった事に気付いた。「隆一さん、亡くなったんだぞ…」

 ケイの瞳が大きく揺れた。本条は黙ってケイを見つめた。

「ケイ?…ケイ!?どうしたんだ?」

 ケイは頭を抱え込み、うずくまった。

「ケイ?……何かあったのか?…アキちゃんと何かあったのか!?」

「………兄さん…兄さん…僕……」

 小刻みに震えるケイの身体を見ながら、本条は嫌な予感を感じた。

 

 

 ケイはいきなり立ち上がり、思い立ったようにその場から駆け出した。

「ケイ!!待て!」

 本条の叫び声はケイの耳には届かなかった。








 空港の国際線ターミナルで、伊藤はロビーの中央に並んだ椅子に腰を下ろし、缶コーヒーを飲んでいた。次の便のアナウンスが流れ、伊藤は徐に腰を上げた。

 伊藤はそこにケイが立っている事に気付いた。

「―――お前…」

 伊藤はしばらく言葉が出てこなかった。ケイは黙ったままうつむいていた。

「…お前、松田の……ケイ君だったよな?」

 伊藤の言葉にケイは頷いた。

「どうしたんだ?…なんでここにいるんだ?」

 伊藤はワケが分からない様子で言った。ケイは静かに口を開いた。

「………アキが…昨日…夜…事故にあって…」

「え!?」伊藤の顔色が変わった。

「…さっき手術が終わったんだ。命に別条はないって…でも…しばらく入院になると思う…それに…知り合いのおじさんが亡くなって…だから…」

 ケイは必死に喋った。伊藤はそんなケイを黙って見つめた。

「……そうか…なんか色々あったんだな…でも良かった。死ななくて……わざわざそれを言いに来てくれたのか?」

「………アキを待ってると思って…」

 ケイはそう言うと言葉を詰まらせた。

 伊藤も言葉を詰まらせ、しばらく黙ったままケイを見つめた。

「…何の事だ?俺は松田を待ってなんかいないよ」

 伊藤の言葉にケイは唖然とした。

「え…何言ってんだ?…」

「何って…お前何か勘違いしてないか?…もしかして…松田から何も聞いてないのか?」

 ケイはワケが分からず、呆然と立ち尽くしていた。伊藤は黙ったまま大きくため息を吐いた。

「―――俺さ、松田に振られたんだ」

 ケイは伊藤の言葉に耳を疑った。

「嘘…」

「嘘!?何で俺が嘘吐かなきゃいけないんだ!」伊藤は苦笑した。

「なっ何で…」

「何でって…理由は2つ言ってたけど…」ケイの言葉に伊藤は笑いながら答えた。「1つは今の仕事が楽しいって。もう1つは……」

 伊藤は静かにケイを見つめた。

「もう1つは、好きな男がいるって。そいつと離れたくないって。…多分この理由が1番大きいだろうな…」

 ケイはその場に立っているのがやっとだった。頭の中で色々な想いが駆け巡っていた。

「……大丈夫か?お前…」

 伊藤は眉間にしわを寄せた。ケイは黙ったままうつむいていた。

 

 伊藤の顔から笑みが消えた。

「しっかりしろよ!!」

 ケイはハッとした。伊藤は厳しい目つきでケイを睨んだ。

「……今のままじゃ…何も始まらない」

 伊藤はそう言うと鞄を持ち直し、出国ロビーへと歩いて行った。

 

 ケイはその場にしゃがみ込んだ。














 いやだ……

 いやだ…ケイ君…やめて…

『何も怖がる事なんかないよ。いずれ、こうなる運命だったんだから…』


   ――!!!やめて!ケイ君!!――



「松田さん!!」

 アキはハッとした。

「大丈夫?怖い夢でも見た?」

 看護師が微笑みながら言った。

「…あ…はい…大丈夫です」

 看護師はアキの身体をベッドから抱き起した。

「ご飯、食べれそう?」

「…はい…食べてみます」

 アキはそう言うと準備された病院のご飯を必死に食べた。しばらくしてアキはそれを全部吐いた。

「あら、あら…やっぱり今日も無理みたいね…大丈夫?」

 看護師は慌ててアキの背中をさすった。

「…ごめんなさい…ゴホッゴホッ…」

「いいのよ、無理しなくて。先生に言って点滴にしてもらうわね」

 看護師は手際よく片付けると、病室を出て行った。


 本条は病室から出て来た看護師に声を掛けた。

「……どうですか?アキちゃん…」

「…う〜ん…やっぱりまたご飯吐いちゃいました。今から点滴しますから…」

「…そうですか…先生は何て?」

「事故のショックで精神的に参ってるんじゃないかと…今も寝てる時うなされてますし…ただ、ちゃんと食べないと体力が戻らないんです。怪我の治りも遅くなりますし…どうしますか?先生と話されますか?」

「…えぇ…」本条は頷いた。

「…それと…本条さん…」看護師は言いにくそうに言った。「…息子さん…今日も朝からいらっしゃってますけど…」

「…そうですか…」本条は小さくため息を吐いた。

「病室に入ったらって言っても…“あそこ”から動こうとしないんです。具合悪そうだから心配で…」

「…すいません、迷惑掛けてしまって。ケイの事は放っておいていいですよ」

「でも…」

「そうして下さい。本人が好きでやってる事ですから…」

「……そうですか…?」

 看護師は納得いかない様子で言った。



 ケイは、アキの病室から少し離れた待合室の前の長椅子に座っていた。本条は痩せたケイの横顔を見つめた。

「…ケイ」

「……兄さん…」

「またここにいたのか…大学は?」

 本条の言葉にケイはうつむいた。

「…アキちゃん、まだ食事出来ないみたいだ」

「…え…」ケイの表情が曇った。「…僕のせいだね……」

「……そうだな」本条はケイの横に腰を下ろした。「…ケイ。とりあえず、大学に行け」

 ケイは首を横に振った。

「お前がここにいてもどうしようもないだろう?…逆にアキちゃん、気にするだろう…」

「…アキ、僕がいるの知ってるの?」

「あぁ、看護師が言ったみたいだ」

 ケイは黙り込んだ。本条は大きくため息を吐いた。

「明日、大木さんのトコ行って来るから…法要に出て来る。アキちゃんにも頼まれてるんだ」

「……そう…ねぇ、兄さん…」

「ん?…」

「…アキ…僕の事、何か言ってた?…」

 本条はしばらくケイを見つめた。不安でいっぱいのケイの瞳が微かに動いていた。

「…何も言わないよ…」

 本条の言葉にケイは黙った。








「―――まぁ!本条先生!お忙しいのに…ありがとうございます」

 大木美枝子は笑顔で本条を出迎えた。

「すいません、遅くなりまして…」

「いえ、いえ。来て頂けただけで主人も喜びますよ。百合子さん、あのお茶菓子もね…」

 美枝子の息子の博一の嫁、百合子は笑顔で頷いた。百合子は本条に緑茶とお菓子を出した。

「百合子さん、博一も呼んで来て」

「はい、分かりました」

 百合子が部屋を出て行った後、本条は緑茶をゆっくりすすった。

「先生…アキちゃんどうですか?」

 美枝子は不安げに訊いた。

「大丈夫ですよ。少し痩せてしまったんですけど…もう少し体力が戻ったら退院していいそうです」

「そうですか…良かった」美枝子は安堵の表情をした。「主人が亡くなった事、余程ショックだったんでしょうね…でも、良かった…きっとあの人が守ってくれたんだわ…」

 美枝子はハンカチで目頭を押さえながら言った。

「アキちゃんもとても美枝子さんの事、気にしてました。怪我が治ったらすぐ来るからって…」

「…先生、その事なんですけど…とりあえず法要も終わったし…私、アキちゃんに会いに行こうと思うんですけど…ご一緒してもいいですか?」

「え?今日ですか?」

「はい…いいでしょうか?」

 本条は美枝子の言葉に面食った。

「…でも…美枝子さんは大丈夫なんですか?まだ日も浅いですし…」

「大丈夫です。…あの人は亡くなる直前までアキちゃんの事気にしてたから…その事アキちゃんに直接話したいんです。ご迷惑でしょうか?」

「いえ!そんな事ありませんよ」本条は笑顔で言った。


「先生!わざわざすいませんでした!」

 博一が元気に部屋に入って来た。

「博一、お母さん今から先生とアキちゃんトコ行って来るから…」

「え?今から?」

「そうよ。―――先生、支度してきますからちょっと待ってて下さい」

「分りました」本条は微笑んだ。

「母さん、帰りどうすんの?」

 博一の言葉に美枝子は固まった。

「…博一、あんたも車で付いて来なさい」

「え?俺も?……そうだな…あっ、そしたら百合子も行くか?諒も連れて行くか?」

 大木家が一気に騒がしくなった。






「美枝子おばさん!!」アキは驚きの声を上げた。

「アキちゃん!!まぁ!そんなに痩せ細って!…」

 そう言うと美枝子はハラハラと涙を零した。

「…おばさん、ごめんね!こんな大変な時に怪我なんかして…」

 アキも泣き出した。2人は必死と抱き合った。

「…アキ姉ちゃん?怪我しちゃったの?」

 博一と百合子の息子、諒は包帯でぐるぐる巻きにされたアキの足を見て不思議そうに言った。

「諒君!?また大きくなった!?」

 アキは嬉しそうに諒の頭を撫でた。

「アキちゃん、大変だったね…どう?具合は?」

「もう大丈夫ですよ!」博一や百合子の言葉にアキは明るく答えた。

 本条は静かに病室を後にした。本条はケイがいつも座っていた待合室の前の長椅子の所に行った。 ――――ケイの姿はなかった。

 本条は長椅子に腰を下ろし、しばらく天井を見つめた。




 しばらくして美枝子が本条の所にやって来た。

「先生!ここにいらしたんですね!」

「あぁ…すいません。アキちゃんと話せましたか?アキちゃん嬉しそうでしたね」

「……あの…先生…ちょっといいですか?」

「…はい?何でしょう?」

 美枝子は本条の横に腰を下ろした。

「……先生、申し訳ないんですが…アキちゃん連れて帰ってもいいですか?」

 美枝子の言葉に本条は驚いた。

「…どうしてですか?」

 美枝子は少し躊躇ためらって、意を決したように口を開いた。

「……先生は気付いてらっしゃるでしょ?…アキちゃん…様子が変です。きっと色々あって疲れてるんだと思うんですけど…なんだか…胸騒ぎがして…このままこっちにいたら…アキちゃん…壊れてしまいそうな気がするんです…」

 本条は息を呑んだ。

―――これが、親同然にアキちゃんを見守ってきた人の言葉なんだ……

「先生…すいません。わがままばっかり言ってしまって…」

「いえ…こちらの方こそ…こんな事になってしまって…申し訳ありません…」

「そんな!先生は謝らないで下さい!!」

 頭を下げる本条に、美枝子は慌てて言った。

「アキちゃんには?」

「先生がよろしければ…今から話そうかと…」

 本条は笑顔で頷いた。

「よかったら、私も一緒に話していいですか?私の方からも言った方がアキちゃんそちらに行きやすいでしょうから…」

 本条の言葉に美枝子は微笑んだ。






「ゲェホッ…ゴホッ…」

 ケイはトイレの水を流し、なんとか立ち上がった。本条はケイの身体を抱えた。

「…兄さん…」

 ケイは倒れ込むように居間のソファに座った。

「大丈夫か?…悪かったな、ケイ。そんなにひどくなってるなんて思わなかった…。しばらく大学休むか?」

 本条の言葉にケイは少し考え、首を横に振った。

「少し横になれば治まるよ」

「そうか……」

 本条もソファに腰を下ろした。

「…ケイ…アキちゃんの事だけど…」

「え…?」

「大木さんの家にしばらくの間、帰す事にしたよ」

 ケイの表情が強張った事に本条は気付いた。

「…なっ何で!?」

「…大木さんが心配してるんだ」

「だっ駄目だよ!そんな事したらアキずっと帰って来なくなるよ!!」

「…少し落ち着けよ。落ち着いたらちゃんと帰って来るよ」

 ケイはがっくりとうな垂れた。

「……ケイ…。アキちゃんに時間をやらないと駄目だ。それにお前も…これからの事をちゃんと考えた方がいい…」

「……考えるって…何を?…」

 ケイの言葉に、本条は言葉を詰まらせた。

「…考える事なんて…もう出来ないよ…」

 ケイはそう言うとゆっくり立ち上がり、2階へと上がって行った。

 本条は両手で顔を覆い、大きくため息を吐いた。








「――先生…本当にすいません…」

 アキは申し訳なさそうに言った。

 車で屋敷まで迎えに来た博一は、アキの荷物を車に積んでいた。

 ケイは大学に行き、本条だけがアキを見送るため仕事の時間をずらした。

「そんなに気にしなくていいよ!大木さんの所でゆっくり羽伸ばしておいで。そして元気になって帰っておいでよ、アキちゃん。純子さんもそう言ってたよ。店の方は気にしなくていいからゆっくり休養して、元気になったらまたたくさん働いてねって」

 本条の言葉にアキは微笑んだ。

「先生!病院の方色々手続きして頂いて、ありがとうございました!」

 美枝子は本条に深々と頭を下げた。

「いいんですよ。この紹介状、あっちの担当の先生に渡して下さい。アキちゃん、リハビリ頑張るんだよ」

「はい…」

 アキは笑顔で言った。


「おい!もう行くぞ!」

 博一の声を聞いて、美枝子は本条にもう1度頭を下げ、車の方へと足早に行った。

「……先生…あの…」

 アキはそう言いながら厚みのある封筒を本条に差し出した。

「ん?何だい?」本条はその封筒を受け取り、中身を見て眉間にしわを寄せた。「アキちゃん…」

「あのっ…どれぐらい美枝子おばさんのトコにお世話になるかまだ分からないんで…とりあえず…」

「アキちゃん、このお金は受け取れないよ」

 そう言うと本条は封筒をアキの手の中に返した。

「そんな!先生、受け取って下さい!借金の返済はきちんと済ませたいんです!お願いします!家政婦の仕事も出来ないし、病院代も払ってもらってるのに…私、これ以上甘える事なんて出来ません!」

 アキは必死に喋った。それでも本条は首を横に振った。

「アキちゃんは―――また、帰って来てくれるんだよね?このまま、戻って来ないなんて事ないよね?」

 アキの困惑した表情を、本条は見つめた。

「…私…」

「アキちゃん…俺は君の事を家族だと思ってるよ。借金だってもうほとんど返してくれたじゃないか。もう君からは一銭も受け取らないよ」

「でも…先生…」

 本条は大きくため息を吐いた。

「アキちゃん、君には辛い思いをさせてしまって本当にすまないと思ってる。どんなに時間かかってもいいから、気持ちが落ち着いたら帰って来てほしいんだよ。…何も心配いらないから、ゆっくりしておいで」

 アキは潤んだ瞳で本条を見た。本条は優しく微笑んだ。

「…はい…」

 アキは込み上げる涙を堪え、車に乗り込んだ。



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