君のために僕は詠う―15―
君のために僕は詠う―15―
私は12歳まで父と母と3人で市営アパートに暮らしていた。真向かいには“伊藤”と言う、少し病弱そうなお母さんと、妙に大人びた11歳年上の長女と、私と同い年の長男が暮らしていた。その長男の伊藤敦啓君とは保育園も小学校も一緒で、よく遊んでいた。
伊藤君のお父さんは伊藤君が小さい時にいなくなったらしい…だから伊藤君のお母さんは細い身体で必死に働いていた。私の家も貧乏だったけど、私の母はとても伊藤君のお母さんを心配していた。得意のお菓子をたくさん作っては
『アキちゃん!これ敦啓君家に持って行って!』と私を使いに出した。
伊藤君のお母さんは少し涙ぐみながら
『いつもありがとう…』と言って、細い手で私の頭を撫ででくれた。
私や伊藤君が7歳ぐらいの時、妙に大人びた伊藤君のお姉さんがいなくなった事に気付いた。私は伊藤君に聞いてみた。
『お姉ちゃんは?』
伊藤君は首を傾げながら
『遠くに働きに行ったんだって』
『遠くってどこ?』
『…知らない』
伊藤君のお姉さんは、高校卒業後、給料の良い他県の会社に採用が決まった。それでアパートを出てその会社の寮に入ったそうだ。そこで運命的な出会いをし、まだ18歳だったお姉さんのお腹の中には赤ちゃんが出来たそうだ。最初は伊籐君のお母さんも、お姉さんの相手の両親も大反対したらしい。その反対を押し切ってお姉さんは子供を産み、相手の人はお姉さんと子供のために必死で働いたそうだ。――――5年後、その熱意がみんなに伝わり、伊藤君のお母さんもお姉さんの相手の両親もみんなでお姉さん夫婦応援したそうだ。
「…そう、伊藤君のお母さん亡くなったの…」アキはそう言うとうつむいた。
「俺が20歳の時にね。孫の顔も見れたし…心配していた息子も無事大学行ったし…安心して気が抜けたのかもな」伊藤は微笑みながら言った。「孫と一緒に昼寝してる時にそのまま逝ったから、ほとんど苦しまなかったみたいなんだ」
アキはしばらく伊藤の顔を見つめた。
「…大変だったんじゃない?」
「大変だったのは姉貴夫婦だよ。…姉貴夫婦には本当に感謝してるんだ。お袋に孫の顔見せてくれたし、俺も姉貴達がいたから大学卒業出来たんだ」
アキと伊藤が入った喫茶店には数人の客がいて、BGMが静かに流れていた。
伊藤はコーヒーを一口飲み、アキの顔を見た。
「……松田も大変だったな…ごめんな、力になれなくて。お袋も気にしてたんだよ。葬儀の後、親戚のトコに行ったって聞いてたからさ…俺も中1の時に引っ越して中学転校しちゃったからな…」
伊藤の言葉にアキは微笑んだ。
「私、今本当に幸せなの。私の事をいつも支えてくれてる人がたくさんいるのよ。こんな風に好きなお菓子作り出来るのもみんなその人達のお陰なのよ。だからもっと頑張って恩返ししないとって思ってる」
「―――松田は本当に変わらないな。昔のまんまだ」
「?何が?顔は確かに成長してないけど…」
「顔もだけど、性格もだよ。昔からそうだろ?辛い事があってもいつも笑ってただろ。俺、いつも松田の事すごいなぁって思ってたんだぜ」
伊藤は少し照れたように言った。
「伊藤君は変わったわ。昔はそんなお世辞言わなかったのに…年取ったのね…」
アキの真剣な言葉に伊藤は肩を落とした。
「人がせっかく良い事言ってやってんのに…少しは素直に喜べよ!」
「ごめん!ごめん!」アキは嬉しそうに笑った。
「あっ松田!時間いいの?家の方大丈夫か?」
伊藤は腕時計を見ながら言った。
「本当だ!もう行かないと!!」
2人は慌てて店を出て、バス停まで並んで歩いた。
「今日は誘ってくれてありがとうね。伊藤君」アキの言葉に伊藤は微笑んだ。
「せっかく会えたんだ。昔話とかしたかったしな」
「仕事忙しいでしょ?」
「うん。でも好きで入った会社だから苦にはならないよ。今年の10月に会社で試験あるんだ。受かったらヨーロッパ支店で働けるんだぜ。それが今の俺の目標!」
伊藤の言葉にアキは微笑んだ。
「松田は?忙しいだろ?あの店、会社の女子にも評判いいんだぜ」
「うん。でも私も好きな仕事だから苦にはならないよ」
アキは笑いながら言った。
「そう…でも帰ったら家政婦の仕事だろ?キツくない?」
「全然!1人で暮らしてる時も自炊してたし、少し量が増えただけだもん。先生も先生の弟さんも本当に良くしてくれるの。毎日楽しいよ」
「本条先生か…すごいな…俺、本条先生の講演会出席した事あるんだぜ。あの人はすごいよ。…その弟もすごいな!T大だろ?しかも推薦入学なんて…」
伊藤の言葉にアキは少し戸惑った。
「伊藤君、私が本条先生の家で家政婦してる事、誰にも言わないでね…」
「?誰に言うんだよ」
「ほら…大学の時の友達とか…」
「言わないよ!俺そんなに口軽くないぜ!それに本条先生の弟も結構有名だったんだぜ。…本当の弟じゃないだろ?養子縁組してるんだろ?超美形で頭脳明晰、スポーツ万能だったよな…お前毎日一緒にいて何にも感じないのか?」
アキは伊藤の言葉に驚いた。
「何にも思ってないわよ!相手は大学生よ!」
アキは頬を赤くして言った。
「そんなに興奮するなよ。逆に怪しいぞ」
伊藤はケラケラ笑った。アキは口を尖らせた。
2人はバス停の前で立ち止った。そろそろ陽が暮れようとしていた。
「もういいよ、伊藤君。これからまた会社に戻るんでしょ?」
「うん。そしたら気を付けて帰れよ」
「うん。仕事頑張ってね!」
2人の間に沈黙の空気が流れた。
「……なぁ、松田…」
「…?うん?」
「今度1日仕事休める日ある?」
「?うん、1日ぐらいならあるけど…何で?」
伊藤はしばらく黙った。バスがバス停の前に停まった。バス待ちしていた人達がバスに乗り込んでいた。アキは伊藤の顔を覗き込んだ。
「?伊藤君?どうしたの?」
伊藤は意を決したように口を開いた。
「その日、俺とどっか行かないか?」
「―――アキちゃん?聞いてる?」
本条は心配そうにアキを見つめた。ケイは居間のテーブルの椅子に腰掛け、分厚い書籍のページをめくりながら2人のやり取りを見つめた。
「…え?あっはい!…すいません…もう1度いいですか?」
アキは申し訳なさそうにうつむいて言った。
「…大丈夫?店も忙しいんだろ?疲れが溜まってるんじゃないかい?」
「いえ!大丈夫です!」
アキは慌てて言った。
「帰って来てからずっとこの調子なんだよ、アキ。やっぱり変だろ?」
ケイはそう言うとアキを見つめた。
「何でもないって!すいません、ちょっと考え事してて…えっと…明日は夕飯いらないんですね?」
「…そう。で、来週は毎日帰りが9時過ぎるけど、夕飯は家で食べるから」
「先生の方こそ大丈夫ですか?」
アキの言葉に本条は微笑んだ。
「大丈夫だよ。…2人に大事な話があるんだ」本条の言葉にケイもアキも聞き入った。「来月からまたアメリカの方に行く事になったんだ。最初は3週間程で帰って来るけどまたすぐ行かないといけない。それから3か月ぐらい帰って来れないけど…アキちゃん、大丈夫?ケイと2人っきりの生活が続くけど…」
「どういう意味だよ」ケイは不満げに言った。「今までだってちょくちょく家空けてたじゃん。ちゃんと2人で慎ましく生活してきただろう?」
「今度は期間が長いから心配なんだよ」
本条はため息を吐きながら言った。
「先生、家の方は心配しないで下さい。ケイ君と2人で家守りますから…」
アキは笑いを堪えながら言った。
「麻衣子ちゃん!」
T大学1年の中島裕翔の声は、大学の講堂いっぱいに響いた。
「どうしたの?中島君」
「なぁ、午後暇?」
そう言いながら、中島は講堂にいた学生達から冷たい目で見られているのに気付き、学生達にペコペコ頭を下げた。
「うん、用はないけど…どうして?」
「…フフフ…本条の家に行こうと思ってるんだけど…麻衣子ちゃんもどう?」
中島の言葉に有尾麻衣子は驚いた。
「え?本条君、来ていいって言ったの?」
「まさか!!本条がそんなフレンドリーな事言うワケないだろ?」
中島は首を横に振りながら言った。
「押し掛けるの?駄目よ!そんな事しちゃ!本条君困っちゃうじゃない!」
「だぁってぇ〜そこまでしないと本条の奴、心開いてくれないと思うんだよ!
俺は本条と仲良くしたいんだよ〜!!」
「もう!中島君!」麻衣子は呆れた表情をした。
「やめとけよ、中島。あいつが家に入れるワケないだろう?」
「そうだよ!また睨まれるぞ!」
中島の話を聞いていた他の学生達が言った。
「いやいや、君達は誤解している。本条は良い奴だって!だって“あの時”俺を担いで医務室まで運んでくれたんだぞ!」
中島の言葉に数人の学生達は顔を見合わせた。
「まだ言ってんのか?お前も義理堅いね〜」
「なっ!麻衣子ちゃん、行こうよ!麻衣子ちゃんが一緒だったら本条もそんな嫌な顔しないと思うんだよ」
中島の言葉に麻衣子は首を傾げた。
「あぁ…確かに、有尾が一緒だったらいいかもな。本条の奴、有尾には優しいもんな」
「なっ何よそれ!」麻衣子は頬を赤めて言った。
「本条と同じ高校の子が言ってたもんな。有尾には優しいって…なぁ、有尾。本当は本条と付き合ってるんじゃないの?」
「付き合ってるワケないじゃない!」麻衣子は顔を真っ赤にして言った。
「まぁ、まぁ、それはいいとして…講義終わったら食堂で待ってるから!なっ!麻衣子ちゃん!絶対に一緒に行こうな!」
そう言うと中島は凄い勢いで講堂を飛び出して行った。
「…有尾、行くの?本条の家」
「……うん…中島君が一緒だから行こうかなぁ…」男子学生の言葉に、麻衣子は恥ずかしそうに答えた。
中島は屋敷の門の前で立ち尽くしていた。
「中島君!どうしたの?」
麻衣子の声に中島は我に返った。
「…でかい家だな〜なんかドラマに出てきそうな屋敷だ…」
中島の言葉に麻衣子はくすくすと笑った。
中島と麻衣子は玄関ポーチまで歩き、インターホンを押した。
[ ―――はい!どちら様ですか?]
「あのっ!ケイ君と同じ大学の者なんですが…ケイ君いますか?」
[ …すいません、ケイ君まだ帰ってませんよ]
「え!?」
中島は驚いた。麻衣子は不安げに中島の服を引っ張った。
「おかしいな…どうしよう、麻衣子ちゃん…」
「どうしようって…出直すしかないよ」
2人がボソボソ話していると玄関のドアが開いた。
アキは中島を見て、「ケイ君のお友達?」と訊いた。
「はい!!そうです!大親友です!」
中島の元気な声にアキは思わず笑った。
アキは麻衣子の存在に気付いた。麻衣子は微笑みながら頭を下げた。
「どうする?ケイ君、もうしばらくしたら帰って来ると思うけど…上がって待ってる?」
「ぜひ!」アキの言葉に中島は元気に答えた。
「ケイ君、今ジョギングに行ってるの」
アキは中島と麻衣子に紅茶を出しながら言った。
「本条君、毎日走ってるんですか?」
「毎日じゃないの。週に2〜3回ぐらいかなぁ…気が向いたらね」
「へぇ〜…」中島と麻衣子は感心したように言った。
「2人ともケイ君と同い年?」
「麻衣子ちゃんは同い年ですけど…俺は1コ上です…1回失敗したんで…」
中島は恥ずかしそうに言った。
「それでもすごいわ!T大って難しいんでしょ!2人とも優秀なのね」
アキの言葉に中島は目を潤ませた。
「俺、実家が九州のど田舎なんですよ。親父が小さな会社経営してるんですけど…俺、その会社をもっと大きく立派にしたいんですよ!で、T大で経済学学ぼうと思って…そりゃもう勉強しました!!去年落ちた時はかなりヘコみましたけど…親父がもう1年頑張れって…」
中島の言葉にアキは目を潤ませた。
「とても努力したのね!中島君!お父さんも喜ばれたでしょう?」
「はい!もう…家族には感謝してます…あっ、すいません…」
中島はアキが手渡したティッシュで目頭を押さえ、鼻をかんだ。
「もう…中島君すぐ泣いちゃうんだから…本当にすいません…」
「いいのよ!気にしないで」麻衣子の言葉にアキは微笑んだ。
「だって…家政婦さん、良い人だからつい話したくなっちゃったんだよ。…あっ…家政婦さんの名前聞いていいですか?」
「私?私は松田アキよ」
「アキさんって呼んでいいですか?」
中島の言葉にアキと麻衣子は吹き出した。
「もう!中島君!」
「いいのよ!アキって呼んで下さい」
和やかな空気が流れている事にアキは気付いていた。この2人は、今までケイの友達だと言って訪ねて来た数十人もの女の子達とは明らかに違っていた。
―――本当に良い子達ね…この麻衣子ちゃんなんて今まで来た女の子の中で1番可愛い!本当に可愛い…
「―――麻衣子ちゃんて…なんかお人形さんみたいね。可愛い…」
「え!?」アキの突然の言葉に麻衣子はパッと頬を赤めた。
「そうでしょ!こいつ大学で1番可愛いんですよ!しかもT大の学長の娘ですからね!みんな狙ってますよ!」
「学長の娘さん!?そしたら本条先生とも会った事あるんじゃない?」
「はい…本条先生のお父様が父の先輩で…」
「可愛くって頭も良くって家柄も良いなんて…神様って不公平ね!」
アキの言葉に中島は笑った。
「いやいや、アキさんもそんな悪くないですよ。」
「ん?それどう言う意味?」中島の言葉にアキは眉をひそめた。
「いやぁ…そんな事より!本条って彼女とかいないんですかね?」
「ケイ君に彼女?…どうだろう…いないと思うけど…」
アキの言葉に中島の目は輝いた。
「麻衣子ちゃん!良かったじゃん!」
「なっ中島君!!」麻衣子は顔を真っ赤にした。
アキはそんな麻衣子を見つめた。
「……麻衣子ちゃん…ケイ君の事、好き?」
アキの言葉に麻衣子は恥ずかしそうにうつむいた。
「好きもなにも…もう恋人みたいに仲良いんですよ!」
中島の言葉にアキは面食った。
「本当に!?…いや、ケイ君かなり女嫌…人見知り激しいのよ」
「でしょ!それが麻衣子ちゃんには優しいんですよ!さすがの本条もT大1のマドンナには敵わないって感じですよ!なぁ?麻衣子ちゃん!」
「…もう…やめてよ!中島君!!」麻衣子は“ゆでダコ”のように顔を真っ赤にしていた。
アキはそんな麻衣子を本気で可愛いと思っていた。
「麻衣子ちゃんも本条に一目惚れしてるんですよ!こんなに可愛いのになんか健気ですよね?どう思います?アキさん!」
「もう!中島君のお喋り!!」
「何で!?俺は麻衣子ちゃんに幸せになってほしいんだぞ。アキさん、俺、本条と麻衣子ちゃんってお似合いだと思うんですよ。麻衣子ちゃんは見ての通り健気だし、本条はあんな無愛想だけど実は優しい奴って知ってるんです。俺、大学入ったばっかりの時、具合悪くなったんですよ。トイレでうずくまってた時、本条だけ俺に気付いてくれて、俺を担いで医務室まで運んでくれたんですよ!俺、それから本条の事好きで…麻衣子ちゃんの事も好きだから絶対うまくいってほしいんですよ!どう思います?アキさん!」
あまりに熱く語る中島に、アキは言葉を詰まらせた。
「ほら!アキさん、呆れてるじゃない!アキさん、本当にごめんなさい…」
「あ…いや…なんか中島君の思いがすごく伝わってきたわ」
アキは苦笑しながら言った。恥ずかしそうにしている麻衣子を見ながらアキは胸の奥がチクンと痛むのを感じた。
玄関のドアが勢いよく開き、ケイの声が響いた。
「アキ!アキ!!ただいま…あれ?」
ケイは玄関に並んだ見慣れない靴を見た。
「よう、本条!おかえり!」
玄関ホールに立っていた中島を見てケイはギョッとした。
「何やってんだ?お前…」
「そんな冷たい事言うなよ!本条!」
「…アキ!なんでこいつがここにいるんだ!」
ケイは中島を睨みながら居間に行き、ソファに座っていた麻衣子を見て驚いた。
「……有尾…」
アキはケイの表情が変わった事に気付いた。
「…ケっケイ君、2人ともケイ君の事待っててくれたんだよ。」
アキは慌てて言った。
「はぁ?何?何か用?」
「ケイ君、せっかく来てくれたのにそんな言い方しちゃ駄目よ」
「いやいや、アキさん気にしないで下さい。もう慣れてますから」
中島の言葉にケイはムッとした表情をした。
「何?用があるならさっさと言えよ」
ケイの言葉を聞き、中島はいきなりケイの前で土下座した。アキと麻衣子はいきなりの事に唖然とした。
「頼む!本条!サークルの親睦会来てくれ!!」
中島の言葉にアキと麻衣子は絶句した。
「…お前…まさかそれだけを言いに家に上がり込んだのか…?」
「…いやっ…それだけじゃないけど…頼む!本当に頼む!今回だけでいいから!な!本条〜!!」
ケイは呆れた様子で、ため息を吐いた。「絶対、いやだ。もう帰れ」
「本条〜!!」
「アキ!!今度からこいつ家に上げるな!」
「本条〜!!!頼むよ!!」
「うるさい!」
アキと麻衣子は顔を見合わせ、吹き出した。
「いいじゃない、ケイ君。親睦会行ってあげなさいよ」
アキの言葉にケイは言葉を詰まらせた。
「え?…アキ…何でそんな事言うの?」
「だって…中島君、こんなに頼んでるじゃない。1回だけならいいんじゃない?あっ…でもケイ君はお酒飲んじゃ駄目よ」
アキの言葉に中島は目を潤ませた。
「やっぱり…アキさんは良く分かってる!さすがアキさん!」
「アキさんって…お前は何でそんなに馴れ馴れしいんだ!」
「なぁ、本条!1回だけでいいから!頼むよ!」
ケイはアキの顔を見た。アキは微笑みながら頷いた。
「……1回だけだぞ…」ケイは力無く言った。
「本当か!?…やった…ありがとう!本条!ありがとう、アキさん!」
アキの手を握って喜ぶ中島の頭を、ケイは殴った。麻衣子はクスクス笑っていた。
「2人とも、夕飯食べて行く?」
アキの言葉に中島と麻衣子は喜んで頷いた。ケイは不貞腐れた表情をした。
「―――何で夕飯まで食べさせるんだよ…アキ」
「いいじゃない、本条先生もいないし、2人で食べるより賑やかで楽しいでしょ?ね?麻衣子ちゃん!」
「えっ…はい…」麻衣子は頬を赤めた。
ケイは怪訝な表情をした。
「本当にごちそう様でした。アキさんがあの“Jun−Cafe”で働いてるなんて…もう感動です!」麻衣子は興奮気味に言った。
「本当!料理もかなり美味かったです!」中島も感動したように言った。
「そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいよ」アキは笑顔で答えた。「中島君、麻衣子ちゃんの事ちゃんと送ってあげてね」
「大丈夫ですって!…でも俺でいいの?本条の方がいいんじゃない?麻衣子ちゃん」麻衣子は中島の腕をつねった。
「お前が連れて来たんだから、お前が連れて帰れよ」
ケイは面倒臭そうに言った。
「またそんな言い方して…2人とも、また来てね」
「アキ!そんな事言うなよ!」
「いや!ぜひまたすぐ来ます!」
そう言うと2人は帰って行った。
「―――アキ…もう誰も家に上げるなよ…」
ケイは口を尖らせて言った。
「どうして?2人とも良い子じゃない。麻衣子ちゃんなんてお人形さんみたいに可愛いね。死ぬほど可愛いってあんな子の事言うんだろうね…」
アキはそう言うと台所の方へ向かった。
ケイはアキの後ろ姿を見つめながら、軽くため息を吐いた。
「…ねぇ!アキ、今度の土曜日、映画観に行こうよ!この間行けなかっただろ。今度の土曜日は大丈夫だよね?」
「…土曜日は…ごめん、もう約束があるの」
「えぇ!?この間は仕事で駄目で、今度は約束!?」
ケイは怪訝な表情で言った。
「ごめんね…」
――――麻衣子ちゃん誘ったら? アキはその言葉を言うのを堪えた。