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君のために僕は詠う―12―

君のために僕は詠う―12―




「……高井…お前、うちの会社に入って何年になる?」

「…はっはい…もうすぐ4年になります…」

 Tファイナンスの社員、高井は身体中から冷や汗が噴き出していた。

「4年もこの仕事やってて、何でこう同じ事を私から言われないといけないんだ?あ?高井!」

 オフィスが一瞬静まり返った。女子社員がひそひそと喋る声が、高井には耳障りで仕方無かった。

「聞いてるのか!!高井!!毎日毎日ボケっとしやがって!この給料泥棒が!!」Tファイナンス○○支店の支店長は、机の上にあった書類を高井に投げ付けた。「さっさっと回収行って来ないか!!馬鹿たれがぁ!!」

 高井は慌ててオフィスを飛び出した。



 町の雰囲気はクリスマス一色だった。道沿いに並ぶブティックや洋菓子店の窓際にはキレイに飾られたツリーの電球がチカチカと光っていた。

 高井は白い息を吐きながらしばらく歩いて、立ち止った。

―――この店、よく使ったな…。

 高井はアキとの待ち合わせに使っていた、喫茶店の前に立っていた。高井は吸い込まれるようにその喫茶店に入った。

 店内の隅に中ぐらいのクリスマスツリーが飾られていた。

「コーヒー…ホットで」ウェイトレスにそう言った後、高井はゆっくり店の中を見渡した。

―――1年振りぐらいかなぁ…全然変わってない。

 高井はポケットから携帯を取り出し、検索ボタンを押した。

―――この番号も変わってないのかなぁ…。

 高井は、登録したままのアキの携帯番号を見つめた。ふと、窓の外を見た高井は一瞬、自分の目を疑った。

 車道を挟んで反対側の歩道を、松田アキが歩いていた。


 高井は、慌てて店を飛び出した―――。





「兄さん!アキは!?」

「アキちゃん?アキちゃんならもう行ったよ」

 居間のソファに腰を下ろし、コーヒーをすすりながら本条は言った。

「えぇ!もう行っちゃったの?」

 ケイはがっかりしたようにソファに腰を下ろした。

「去年も朝早く出掛けてただろ?一緒に行きたかったのか?」

「うん…」本条の言葉にケイはうな垂れたように答えた。

「一緒に行こうて言わなかったのか?早めに言っとけば良かったのに…」

 新聞を広げながら本条は言った。

「言うタイミングがつかめなくて…」

「何だよそれ?」本条は苦笑した。

「ねぇ!今年はどこにした?」ケイはソファから身を乗り出して言った。

「去年はイタリアンだったから、今年は中華にしたよ。お洒落で料理も美味いよ」

「中華か…あんまり行った事ないからいいんじゃない」

「プレゼントはちゃんと買って来たんだろう?ケイ」

「もっちろん!ペンダントにしたよ」

 ケイは赤いキラキラした包装紙に包まれた長方形の包を本条に見せた。

「…自分で店に入ったのか?」本条は驚いた。

「うん。でもそこの店員の女もかなりうざかった。アキの年齢聞くなら分かるけど、体型とか仕事とか色々聞いてくるんだよ。ワケ分かんねぇ〜」

 ケイは顔を歪ませた。

「…それは、きっと個人的に聞きたかったんだろう」本条は苦笑した。

「アキ…何時頃帰って来るかなぁ…」

「昼前には帰るって言ってたけど…お前も今から行ったら?寺院の場所教えてやるから」

「うん!教えて!行ってくる!」ケイは明るく答えた。





「―――あら!松田さん!お久し振りね」

 花屋の奥さんが、アキを見て笑顔で言った。

「お久し振りです」

「そうか…もうそんな時期か…もう11年ぐらいなるんじゃない?」

「はい」アキは笑顔で答えた。

 花屋の奥さんは、“いつもの”ように花束を作ってアキに手渡した。

 店内はカントリー風の内装で、隅々まで花が並べてあった。レジの横のテーブルには作りかけのクリスマス風アレンジフラワーが置いてあった。

「わぁ!キレイ!おいくらですか?」

 花屋の奥さんは首を横に振って「いらないわ」と、言った。

「えっ!そんないいです!そんな事言わないで下さい!」

 アキは慌てて財布から1万円札を出した。

「そっちこそ!そんな事言わないで。私からの気持ちよ。受け取ってよ…お願い、松田さん」

 花屋の奥さんの言葉に、アキはお金を財布に戻した。「ありがとうございます…」アキは頭を下げた。

 花屋の奥さんはにこっと笑った。

「そしたら、松田さん、23歳になったんだ。12とか13ぐらいの松田さん知ってるからピンとこないわ」

「すいません、成長してなくて」

「松田さん、童顔だもんね。彼氏は出来た?」

「彼氏なんて出来ませんよ!」アキは頬を赤めた。

「そうなの?そしたら今年も1人で行くの?」

「はい。来週は美枝子おばさんと行きます。お花だけ今日持って行きたくて…」

「美枝子さん元気?」

「はい。年に何回かしか会えなくなっちゃいましたけど…夏に会った時は相変わらず元気でした」

「来週も店に寄ってよ。私も美枝子さんに会いたいわ」

「はい!もちろん!」アキは笑顔で答えた。

「じゃぁ、車に気を付けてね」

「はい。ありがとうございました」

 アキは花屋の奥さんに深々と頭を下げ、店を出た。


「松田さん!」花屋の奥さんはアキを呼び止めた。

「…あなた…幸せになれるわよ。お父さんとお母さんの分まで、うんと幸せになれるわ。だから…頑張ってね」

 アキは、瞳を潤ませながらもう一度頭を下げた。




 アキは住職に挨拶をした後、納骨堂に行き、掃除をして花を飾った。

 納骨堂は閑散としていて誰もおらず、線香のにおいが漂っていた。

「…お父さん、お母さん…このお花ね、花屋の奥さんからだよ。キレイだね…」

 アキはその場に座り、しばらくの間手を合わせた。


 

 アキが寺院を出てからしばらくして、アキの携帯が鳴った。

「もしもし?ケイ君?」

[ …アキ?今どの辺?]

「今?△△町の辺りよ」

[ 僕、そっちに向かってるんだ。どっかで待ち合わせしない?]

「うん、いいよ。うん、分かった。じゃぁそこまで行くね」

 アキは携帯を切って、足早に歩き出した。


 大通りに出て、アキは聞き覚えのある声に呼び止められた。

「―――松田さん…お久し振りです…」

 そこに立っていたのはTファイナンスの高井だった。

「…あぁ…高井さん!?」

 アキの反応が悪くなかったので、高井はホッとしたように笑った。

「お元気でしたか?」

「はい。高井さんは?なんか少し痩せました?」

「えぇ…仕事が忙しくて、ストレス痩せです」高井は笑いながら言った。

「そうですか…大変ですね…」

「松田さんは?お仕事順調ですか?」

「えぇ…不景気で給料大分減りましたけど、なんとか働いてますよ」

 アキはこの場を早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。

 アキはこの高井が苦手だった。

「あの…良かったら、お茶しませんか?ほら、あそこの喫茶店覚えてますよね?」

 アキは面食った。

「ごっごめんなさい!私これから用があって…」

「え?そうなんですか?…そしたら、今度食事でもどうですか?まだ携帯番号変わってませんよね?」

「え!?…えぇ…いや…でも…」アキは困った。


「アキ!!」

 アキはケイの姿を見てホッと胸を撫で下ろした。

「…何?あんた」ケイは高井を睨んだ。

「え?え?…」高井は顔を青くしながら言った。

「ごめんなさい、高井さん。それじゃぁ…」

 アキはケイの手を引いて、足早にその場から立ち去った。


 高井はしばらくその場に立ち尽くした。



「―――何でアキに声掛けてくんの?もう関係ないじゃん!」

 ケイは口を尖らせて言った。

「歳も近いから変に親近感覚えてるんじゃないのかな」

 本条はそう言うと部屋の隅にいたウェイターを呼んだ。「食後に…」追加注文している本条をアキは黙って見つめていた。


―――去年はイタリアンだったわよね…今年は中華…しかもペンダントまで貰っちゃって…去年から私の誕生日ってすごい豪華になってしまった…

 アキは初めてまじかで見る、赤い回転テーブルを真剣な面持ちで見つめながら思った。


「…アキ?聞いてる?」ケイはアキの顔を覗き込んだ。アキはびっくりして飛び上った。

「え?何?」顔を真っ赤にしながらアキは言った。

「デザート、追加したいのない?」本条は笑いながら言った。



「…本当に、今日はありがとうございました。こんな豪華な誕生日、また迎えられるなんて…私、本当に幸せです」

 アキの言葉に、本条もケイも微笑んだ。

「アキ、今度お寺に行く時は僕も連れて行って」

「え?」アキは驚いてケイの顔を見た。

「駄目?」

「いや…駄目じゃないけど…そんな楽しくないよ?」

「ケイはアキちゃんと一緒なら楽しくない事ないよ。そうだろ?」

 本条の言葉に、ケイもアキも頬を赤くした。

「…じゃぁ、その時は誘うね」

「うん!」ケイは笑顔で答えた。







 いつものように、アキは仕事から帰って来て夕飯の準備をしながら洗濯機を回していた。

 アキは自分の携帯が鳴っている事に気が付いた。

 着信者を見て、アキは出るのを躊躇ためらった。しばらく携帯は鳴り続け、止まった。アキはホッとして台所に戻った。

 30分ぐらいしてまた携帯が鳴り響いた。アキは仕方無く携帯の電源ボタンを押した。

「…もしもし?」

[ …もしもし?松田さん?僕です。高井です。今、いいですか?]

 アキは小さくため息を吐いてから「はい」と、答えた。

[ この間の話の続きですけど、明日どうですか?明日の昼!昼なら空いてるんで…いいですか?]


―――なっ何言ってんのよ!この人!わざわざ時間作ってやったみたいな言い方して!!


[ …あっ…すいません、もう仕事に戻らないと!じゃぁ、明日12時にあの喫茶店で!] ―ガチャッ―

 高井は一方的に喋り、一方的に切った。

 アキは呆然とし、立ち尽くした。



 アキは込み上げる怒りを何とか抑え、12時5分前に喫茶店に着いた。店の中に入ると1年前の記憶が少し甦った。アキは小さくため息を吐いて、席に着いた。12時ぴったりに高井が店に入って来た。

「…すいません、松田さん!待ちました?」高井は笑顔で言った。

「いえ…そんなには…」

「じゃぁ、行きましょうか!」

「え?ここでランチするんじゃないんですか?」

「まさか!ちゃんとしたトコに行きましょう!」

 高井の言葉に、喫茶店の店長は眉間にしわを寄せた。



 アキは高井の後ろに付いて歩いた。高井は小さなカフェレストランのドアを開けた。

「―――さぁ、松田さん」

 アキはむず痒さを堪えながら、店に入った。

 2人は席に着き、それぞれ別のランチメニューを注文した。

 その店は土曜日という事もあり、若い女性やカップルで賑わっていた。

「…高井さん、今日もお仕事なんですか?」

「はい。今日は当番で…3件ほど回らないといけないトコあるんです」

 高井は出された水を一気に飲み干した。

 しばらくして、料理が運ばれて来た。高井は仕事の愚痴を喋り続けながら食べていた。アキはうんざりしながら高井の長い話を聞いていた。

「―――ところで、松田さんの話も聞かせて下さいよ!」

「はぁ?私の話ですか?」アキは面喰った。

「この間の男の子。松田さんとどういう関係?」

「…それを聞きたくて私を誘ったんですか?」アキは呆れ顔で言った。

「違いますよ!本当に松田さんと食事したかったんです。本当ですよ」

 高井の笑顔に、アキは少しゾッとした。

「もしかして、松田さんの借金返済した男性と何か関係あるんですか?」

「………」

「…冷たいなぁ〜僕と松田さんとの仲じゃないですか!」

「………」

「―――言っときますけど、喋らないと帰れませんよ」

 高井の言葉にアキは唖然とした。

「はぁ?どうしてですか?高井さん、これから仕事でしょ?」

「昼食取ってからそのまま外回りになってますから、まだ時間あるんです」

 高井の言葉に、アキはドッと疲れを感じた。

「あの男の子…まさか恋人とかじゃないですよね?」

「まさか!知りあいの息子さんです!」

 アキは顔を真っ赤にして言った。

「そんなに動揺しなくていいじゃないですか。恋人じゃないのは誰が見ても分かりますよ」高井は声を上げて笑った。

 アキは気分が悪くなってきた。

「しっかし、すごい美形でしたね!知り合いって?どういう知り合いですか?その知り合いが“あしながおじさん”だったりするんですか?…松田さん?」

「………すいません高井さん、私これから用事あるんで…」

 アキの態度に高井は目を丸くした。アキは自分の食べた分のお金を机の上に置いて、足早に店を出た。

 高井は遠い目をしたまますぐに動く事が出来なかった。


 クスクス…と笑い声が背中から聞こえ、高井はギョッとした。

「―――やだぁ〜高井さん!さっきの彼女?喧嘩でもしたんですか?」

 同じオフィスの女子社員が3人、柱に隠れた席に座っていた。高井は顔を真っ赤にした。

「彼女なんかじゃない!冗談じゃない!」

「そんなに慌てなくてもいいじゃないですか。なんか彼女、怒ってるみたいでしたね〜駄目ですよ!彼女泣かせちゃ!」

「クスクス…」

 3人の女子社員達は笑いながら店を出た。


 高井は身体を小刻みに震わせた。

―――何であんな地味な女が俺の彼女なんだよ!冗談じゃないぞ!また会社で笑い者にされる!!冗談じゃない!!

 あの女…俺に恥かかせやがって…!!






 アキは携帯を見て愕然とした。

 “あの日”以来、高井から執拗に連絡が入り、今日の着信は30件を超えていた。アキは言いようのない不安に襲われていた。


―――どうしよう…先生やケイ君に相談しようか…いや!駄目よ!絶対駄目!全部自分で蒔いた種じゃない!これ以上、先生やケイ君に迷惑掛けちゃ駄目よ!


 アキは意を決し、高井の携帯番号を押した。





「―――あれ?アキは?まだ帰ってないの?」

 ケイは屋敷に帰宅してすぐに、本条に尋ねた。

「うん。昼間、アキちゃんから携帯に連絡入ったんだ。用事があって帰るの少し遅くなりますって…夕飯準備してるって言ってたけど…」

 本条は居間のソファに腰を下ろしたまま、考えるようにして口に手をやった。

「…どうした?兄さん…」

「…少し…様子がおかしかったからね。気になったんだけど…」

 本条の言葉に、ケイの表情は険しくなった。





「――――ごめんね、たくさん電話掛けちゃって!松田さん、全然出てくれないからさぁ〜ねぇ!今日どこ行く?先に夕飯食べる?」

 高井は異常なテンションで喋り続けた。

「高井さん!車を停めて下さい!!」アキは必死に言った。

「何?その言い方!松田さん、自分で乗ったじゃないか」

 高井は苦笑いしながら、アキを横目で見た。

「た…高井さん…私は、高井さんとはもう会うのはやめようと思って、それを言いたくて連絡したんですよ…」

 高井の顔からスゥ―と笑みが消え、アキはゾッとした。

「…あっここで食事しましょう!ね、松田さん!」

 そう言うと高井は、その店の駐車場に入り、一番奥に車を停めた。

「――さぁ、松田さん」高井は助手席のドアを開けた。

 その時、アキの携帯が鳴った。

 アキは急いで携帯に出ようとした。高井はアキから携帯を奪おうとして、アキを車から引きずり出した。

「はっ放して!!誰か!!助け…」

 高井はアキの頬を殴り、アキの口を片手で押さえ、そのまま車に押し倒した。

 アキはそのまま気が遠くなるのを感じていた。

―――駄目だ…!!この人絶対おかしくなってる!何とかしないと……


 ぐったりとしたアキを、高井は助手席に“きちん”と座らせ、アキが握り締めていた携帯を取り上げた。

「クソっ…騒ぎやがって…」高井はアキの携帯が“通話中”になっているのに気付き、慌てて携帯を地面に投げ付けた。

 高井は大きく息を吐いてから、車に乗り込んだ。





 アキは朦朧のうろうとする意識の中で、チカチカと点滅している明かりを見ていた。

―――ここどこ?…私…どうなったの?…

 アキは重い頭を右に傾けた。横には高井がいた。

 アキは一気に血の気が引いた。

「…あっ気付きました?ごめんね、殴っちゃって…痛かったでしょう?」

 高井は薄らと笑った。

「…た…高井さん…」

「もう少し、休んだ方がいいだろう?どこに入る?」

 アキは愕然とした。すぐに言葉が出てこなかった。

「…ここにしよう」

 そう言うと高井は車のまま“暖簾”のようなシートを潜り、ラブホテルの駐車場に入った。高井は車を降り、助手席に回った。

「…松田さん、降りて」

「いっ嫌です…高井さん、何考えてるんですか!?こんな事していいと思ってるんですか!!」

 アキの顔は真青になっていた。高井はアキの腕を掴み、車から引きずり出した。アキは地面に倒れ込んだ。

「何だよ、あんた!こっちは同情してやってるのに…偉そうに…あんた何様だよ!その顔で何気取ってんだよ!」

 高井はアキの胸倉を掴んだ。

「俺はあんたのためにわざわざ時間作ってやったんだよ?あんたが一生経験無しじゃ可哀想だと思ってここに連れて来てやったんだよ?分ってんの?」

 アキは高井の頬を力いっぱい殴った。高井は少しよろけ、険しい目つきでアキを睨んだ。

「この野郎っ…!!」高井は手を上げ、その手を振り下ろした。


「何してんだよ!お前!!」

 その声に振り向いた高井の身体が、鈍い音とともに宙を舞った。高井は地面に叩きつけられた。

 アキは自分の目の前に立っているのがケイだと気付いた。

「ケ…ケイ君!?」

 ケイはアキを見て、微笑んだ。しかし、アキの口元に滲んだ血を見てケイの表情は強張った。

「―――お前…アキを殴ったのか?」そう言うとケイは高井の胸倉を掴み、殴った。

「ぐわぁっ…」高井は血を吐きながら倒れた。

 ケイは高井に馬乗りになり、高井の顔を殴り続けた。

 アキはハッとして「ケイ君!もうやめて!」と、ケイの腕を掴んだ。「もういいわ!気絶してるわ、この人…」アキは、白目をむいた高井を見て言った。

「え…気絶してるだけじゃん」ケイは不満そうに言った。

「…もう十分よ、ケイ君」アキは思わず苦笑した。

「お前達!何しとるんだ!!」ホテルの従業員が怒鳴った。

「ケイ君!行こう!」アキはケイの手を引き、慌てて駐車場から駆け出した。

 

 

 2人はしばらく走り続けた。

 アキは息が上がり、足がもつれた。

 ぜぇぜぇと呼吸が乱れ出したアキの身体を抱えたまま、ケイは辺りを見渡した。そして閑散とした住宅地の児童公園に入り、アキをベンチに座らせた。

「…アキ…大丈夫?」ケイは心配そうにアキの顔を覗き込んだ。

「…うん…こんなに走ったの久し振りで…」アキは全く息が乱れてないケイを見て言った。「やっぱり…ケイ君すごいね!若い!」

 アキが笑顔で言ったので、ケイは安心したように微笑んだ。

「やだ!ケイ君。手に血が付いてる!」

 アキは、公園の中央にある水飲み場でケイの手を洗った。

「…ケイ君、なんで私の事分かったの?」

「―――携帯に掛けたら声がして…」

「…そう…で、なんで私の居場所分ったの?」

 アキの質問に、ケイはしばらく黙って

「アキの声が聞こえた」と真顔で答えた。

 アキはじっとケイを見つめ、吹き出した。

「何で笑うの?」ケイは口を尖らせた。

「ごめん、ごめん。なんかケイ君すごいなぁって思って…」

 笑っていたアキの瞳から涙が一粒零れた。

「…あ…あははっごめん!なんか安心しちゃったからさ…」

 アキは涙で言葉を詰まらせた。

「―――アキ…」

「…ありがとう…ケイ君…本当に…ごめんね」アキは肩を震わせながら必死に泣くのを堪えた。「…危うく大事な操を奪われるトコだったわっ…」

 ケイはアキを強く抱きしめた。

「…アキ、泣いてもいいよ」

「…ケイ君…」

「僕の胸で泣いていいよ。…兄さんほど広くはないけど、無いよりマシだろ?」

 そう言って、ケイはアキの小さな身体を抱く腕に力を込めた。アキは自分の心臓の鼓動を聞きながら、頬が熱くなるのを感じた。スベスベとしたケイの頬の感触に、アキは静かに目を閉じた。

 ……そしてアキは、プッと吹き出した。

「何でまた笑うの!」

「ごめんっごめんっ…」

 アキは泣きながら笑っていた。


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