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君のために僕は詠う―10―

君のために僕は詠う―10―




 会員制高級クラブの個室で、NO.1ホステスが氷の入ったグラスにウイスキーをゆっくり注いだ。そのグラスを男達の前に置いた。男の1人がNO.1ホステスに目で合図した。NO.1ホステスは少し怪訝そうに個室から出て行った。

「…最近、お前も目を付けられているようだな」

 松村の言葉に、鈴木の表情は厳しくなった。

「はい…。腕の立つ人間を何人か付けているのですが…相手も随分腕が立つようで…」

「脇田会長が絶賛しとったもんな…自分専属にしたくて随分金を使って相手の素性を調べたらしいが、何一つ分からないそうだ」松村はグラスに手を伸ばし、ウイスキーを一口飲んだ。

「脇田会長とは…Mグループの脇田会長の事ですか?」

「あぁ…1度、その男に接触した事があるそうだ。随分若い男らしい」

「そうですか…」鈴木は指を膝の上でトントンと軽く動かした。

「――――松村先生、これはまだ噂の段階ですが…」

「うん?」

「検察官の中にその男と通じている者がいると…しかも、かなり上の人間らしいのです」

「本当か?」松村は身を乗り出した。

「どうですか?調べてみる価値はあると思いますが…」

「よし!早速調べるんだ。金ならいくら使ってもいい。男の素性が分かったらすぐ私に連絡するんだ」

「分りました」

「フフ…上手く行けば、脇田会長に大きな貸しが出来るゾ!!」

 松村はウイスキーの残りを一気に飲み干した。


 その高級クラブと隣接するビルの非常階段で、ケイは受信機で聞いた男達の会話をテープに録音した。ケイは軽くため息を吐きながら、受信機とテープを鞄に詰め、非常階段から飛び下り、繁華街へと駆け出した。









「ほっ本当か!?」

 検事長、永田昌男の声が検事長室いっぱいに響いた。

「うん。それって昌男おじさんの事だよね?」

 ケイの言葉に永田は一気に顔を青くした。

「それと、その検察官は金に弱いから金で釣ればすぐに何でも話すだろうって言ってた」

 ケイの言葉に永田の顔はみるみる赤くなった。

「なっ…何だと!?馬鹿にしやがって!!私を誰だと思ってるんだ!そんな手には乗らんぞ!」

 ケイはチラッと本条を見て、舌を出した。本条は笑うのを堪えた。

「―――まぁ、そう言う事だからおじさんも気を付けて。特に尾行とか盗聴とか気を張ってないと困った事になるよ」

「そっそうだな…」永田は厳しい表情で言った。

「じゃぁ、おじさん。もう行くよ」本条はソファから腰を上げた。

「あぁ…有治君、講演会はいつだったかな?」

「来月です。来月の12日に行きます。日曜の夜には帰って来ますよ」

「そうだったね。今は安心して行けるだろう?」

「はい。ケイの食事の心配しなくていいので助かります」本条は笑顔で言った。

「あぁ、そうか、そうか。随分料理上手みたいだな、若い家政婦さんは。ケイ君。また少し背伸びたか?肉付きも良くなったんじゃないか?」

 永田は笑いながらケイを見た。

「うん。少し太った」ケイはハニカみながら言った。

「アキちゃんの料理は良く食べるんですよ。前があんまり食べてなかったからこれが本当なんですけどね」本条は苦笑した。

「それは良い事だ。ケイ君は痩せ過ぎてたもんな。今の体格は実に素晴しい!また女の子が寄って来るよ」

 永田は笑いながら言ったが、ケイはほとんど笑っていなかった。






「――おかえりなさい!」アキは笑顔で出迎えた。

「ただいま!」ケイは嬉しそうに答えた。「アキ!今日のご飯は何?」

「今日はね…肉じゃがと焼き魚と…」

 本条は2人を笑顔で見つめた。

「ケイ、早く走って来い。夕飯遅くなるだろう」

「どうしようかなぁ〜何かお腹空いてきた」ケイはダルそうに言った。

「え?ケイ君ジョギング行かないの?昨日行ってないから今日は絶対行くと思って着替え準備してるのに…」アキが寂しそうに言ったのでケイは

「じゃぁ、軽く走って来るよ」と苦笑しながら言った。



「前は毎日走ってたのに、アキちゃんが来てから家に居る時間が長くなったもんな…ケイの奴」本条は新聞に目を通し、苦笑しながら言った。

「す…すいません…私、何かしましたか?」アキは不安そうに言った。

「ごめん、ごめん。そう言う意味じゃないよ。アキちゃんが家にいるからって事だよ」本条の言葉にアキは頬を赤くした。

「…先生、今日女の子が門の前に立っていたんです」

「女の子?」本条は読んでいた新聞から目を離した。

「ケイ君の彼女でしょうか?」

――――それは絶対無いな。と、本条は思った。

「何か言ってた?」

「いえ…声掛けたんですけど、走って行っちゃって…。可愛らしい子でしたよ」

「その事はケイには言わないで。もう少し様子を見ようか」

「…分りました」アキは少し迷いながら答えた。

「ケイは女嫌いだからその子のためにも言わないでいた方がいいよ」

 本条の言葉にアキは首を傾げた。

「…先生、私も女なんですけど…」

 本条はしばらく黙って

「アキちゃんはきっと別格なんだよ」と言った。

 アキは複雑な表情をした。






「アキちゃん!」

 会社の食堂で加茂夕貴がアキに声を掛けた。

「どう?有料になってから何か変わった?」

「やっぱり暇になりました」アキは苦笑しながら言った。

 アキや夕貴が勤める会社の経費削減のための決定事項の一つで、今まで半額だった社内食堂の食事が全額個人負担になり、女性社員は弁当を持参するようになった。

「まぁ、よその会社はほとんど給料天引きだからね。うちの会社は甘すぎだったのよ」夕貴はコップに水を注ぎながら言った。

「でも、社員さんは大変ですね。特に男性は生活があるでしょうから…」

「何言ってんのよ!アキちゃんの方が大変でしょう?」

……本当に一言多いよな…。アキは苦笑した。

「生活の方は大丈夫なの?」

「…はい…なんとか…」

「ここ4時ぐらいで上がるんでしょ?全然給料少ないわよ!」

「まぁ、なんとかやってますんで…」アキは苦笑いしながら言った。

「何?バイトでもやってるの?」夕貴の目が光った。「何のバイト?」

「…いやぁ…ちょっとしたバイトですよ…」

 アキは本条邸で家政婦をしている事を、会社の誰にも言っていなかった。特に夕貴には言うまいと決めていた。万が一、梅原美香の耳に入ったら面倒だと考えていた。

「何?何?教えてよ!」夕貴の目はランランとしてきた。

 アキは軽く息を吐いた。「ヘルパーみたいな仕事ですよ…」

「ヘルパー!?またそんなキツイ仕事して!」夕貴は心配そうに言った。


「ちょっと!この急須のお茶、出涸らしじゃない!ちゃんと取り替えてよ!」

 眉間にしわを寄せた梅原美香は、急須をアキの前に乱暴に置いた。

「お茶っ葉ぐらい自分で替えなさいよ」夕貴は呆れ顔で言った。

「嫌です。それはその人の仕事でしょ?私の仕事ではありません」

 美香はアキを睨みながら言った。

「すいません、すぐ替えます」アキは急いで急須を流しに持っていった。

「感じワルっ!」夕貴は口を尖らせた。






 アキはその日もいつものようにスーパーで買い物し、家路を急いだ。

 前日降り積もった雪が道路の所々に残っていた。アキは白い息を吐きながら屋敷の門に目をやった。

 ケイと同じ高校の制服を着たその子は門の前に立っていた。

「―――何か、ご用ですか?」

 アキはその子に声を掛けた。その女の子の目線は、アキの頭から足の先に移動して、またアキの顔を見つめた。

「…あなたは?」その女の子から聞き返され、アキは少し戸惑った。

「私は…この家の家政婦よ。あなたは?ケイ君のお友達?」

 笑顔で言うアキに、その女の子は怪訝そうな表情をした。

「私…平川恵美と言います。本条君と同じクラスです」

 平川恵美は丁寧に答えた。寒そうに頬と鼻の頭を赤くしていた。

「そう…ケイ君、まだ帰ってないと思うの。どうする?」

 アキは≪家に上がる?≫と言ってやりたかったが堪えた。

「本条君が帰ってない事は知ってます。ここに立ってれば本条君に会えると思って…でもいいです。もう帰ります」

 平川恵美はそう言うと、アキに軽く頭を下げ、駆けて行った。

 アキは、平川恵美が見えなくなるまでその場に立ち尽くした。






「じゃぁ、アキちゃん。家の事よろしくね」本条は笑顔で言った。

「兄さん、お土産忘れないで!」

 ケイの言葉に本条は「はい、はい」と苦笑しながら言った。

 アキとケイは本条の乗ったハイヤーを見送った。

「さっ!ケイ君、遅刻するわよ!」

「は〜い」ケイは背伸びをしながら鞄を取りに玄関へ戻った。

「アキ!途中まで一緒に行こう!」

 ケイは笑顔で言った。


 2人はバス停まで並んで歩いた。

 アキは少し見上げるようにケイの横顔を見た。朝陽が端整な横顔にやわらかく降り注ぎ、ケイの肌がしっとりと光っていた。

 アキはケイに見惚れている自分に気付き、慌てた。

「…ケイ君、本当に背伸びたね。今何センチ?」

「168ぐらいかなぁ…そんなに違う?」

「…うん。会社の食堂で見た時より…なんか男っぽくなった…」

 アキの言葉にケイは苦笑した。

「僕ってそんなに貧弱に見えてたの?」

「…そうじゃなくて、なんか細くて…まぁあれからそろそろ1年になるからね。ケイ君はまだまだ伸びるよ」アキは笑いながら言った。

「…アキは背高い男の方がいい?」

 ケイの質問にアキは一瞬、黙った。

「?…うん。私、小さいからね。背の高い人の方がいいかなぁ…そしたら子供も少しは背が高く…」アキは余計な事を話している事に気付き、黙った。

「そう。じゃぁ、もっとカルシュウム取らないとね」

 ケイの言葉にアキは少し混乱した。

≪――――私にカルシュウム取れって事?…≫




 その日の夕方、また門の前に平川恵美が立っていた。

「こんにちは」アキは笑顔で恵美に声を掛けた。

 恵美は黙って頭を下げ、そのままうつむいた。

「今日もまだケイ君帰ってないよ…」アキの言葉に恵美は顔を上げた。

「…今日はあなたにお話があって…」

「…え?私に?」

 恵美はコクンと頷いた。しばらく沈黙があって、アキが口を開いた。

「…家に上がる?」

 アキの言葉に恵美は頷いた。


 アキの入れたミルクティーを恵美はゆっくり飲んでいた。アキはそんな恵美を見つめていた。

≪本当に可愛い子だなぁ……肌もキレイだし…いいなぁ…≫

 恵美は白く細い手で、ティーカップを覆うように握りしめた。

「寒い?暖房強めようか?」アキは恵美に聞いた。

「…いえ…」恵美は首を横に振った。

「―――― ケイ君と同じクラスなんだよね?そしたら特進クラスなんだ!勉強出来るんだね〜」アキは笑いながら言った。

「…そんな事ないです。特進と言っても他のクラスより少しレベルが高いだけで大して変わんないし…本条君は別ですけど…」

 そう言うと恵美はまたうつむいた。

「…ケイ君、そろそろ帰って来るよ。私に聞きたい事あるんじゃないの?」

「…はい…。あの…」恵美は言いにくそうにしていた。「…私…本条君の事が好きなんです…」恵美は頬を赤めて言った。

「うん。…ケイ君には?告白したの?」

「…はっきりとは言ってないけど…友達が言ってくれて…でも全然相手にしてもらえなくて…2年になったらクラス変わっちゃうかもしれないし…そしたらますます話せなくなっちゃうし…」恵美は瞳を潤ませた。アキは恵美がいじらしく思えた。

「私に何か出来る事ある?」アキは微笑みながら言った。

「あの…本条君の事、何でもいいんで教えてほしいんです。好きな食べ物とか…よく見るテレビとか…本とか…」恵美は必死に訊いてきた。

「…本人に訊いた方が…話題にもなるんじゃない?」

「私が話し掛けても駄目なんです。無視されちゃうんです。…私だけじゃない。本条君好きな子たくさんいて、何人も告白したんだけどみんな駄目だったんです。冷たくあしらわれちゃって…本条君て、女の子嫌いなんですか?」

 恵美の言葉にアキは驚いていた。家ではあんなに明るいのに、学校ではそんなに周りに冷たく接しているのだろうか…とアキは思った。

――――ケイは女嫌いだから…。アキは本条の言葉を思い出した。

「……ごめんね…私もそんなに詳しくケイ君の事知らないのよ。…よく難しそうな本を読んでるぐらいしか…」

 アキの言葉に恵美はうな垂れるように肩を落とした。今にも泣き出してしまいそうな恵美を見て、アキは居た堪れない気持ちになっていた。

「ねぇ、平川さん。一生懸命気持ち伝えたらきっとケイ君にも伝わるわ」

 恵美はアキを見つめた。アキは微笑んで

「ケイ君って結構甘いお菓子とか好きみたいなのよ。ほら、明後日バレンタインじゃない!手作りのお菓子プレゼントしたらケイ君絶対喜ぶわよ!」

 アキの言葉に恵美の表情は少し明るくなった。

「でも…私、お弁当作ったけど食べてもらえなかったんです…」

 アキは少し面食った。

「…その時はお腹空いてなかったのかもよ。バレンタインは別よ!ね!」

「そうでしょうか…」恵美は複雑な表情をした。「それに私…お菓子上手に作れないんです。バレンタインまで全然時間無いし…」

「そしたら簡単に美味しく作れるお菓子のレシピ教えるわよ!私、お菓子作りは得意なの!」アキはノートを持って来て、レシピをいくつか書いた。

「ハンドミキサー家にある?」

「はい!」

「じゃぁ、大丈夫!頑張って作ってみて!」

 恵美は嬉しそうにノートを受け取ると、「色々ありがとうございました」と言って帰って行った。

――――なんだか…健気で可愛い…。アキはホッとため息を吐いてから、夕飯の支度に取り掛かった。

 

 

 ケイは、平川恵美の姿が見えなくなるのを確認してから玄関のドアを開けた。

「あら!ケイ君、おかえりなさい!」

 平川恵美と入れ違いで帰って来たケイにアキは少し驚いた。

「さっきね…」と言い掛けて慌てて口を閉じた。ニヤっとしながらケイを見て「卵、卵…」と言いながら台所へと行った。

 ケイはアキを見つめながら、胸がチクンと痛むのを感じた。




 

 

 恵美は大きく深呼吸した。鞄の中には、昨日アキのレシピを見ながら作ったお菓子がキレイにラッピングされて入っていた。

 終礼のチャイムが鳴り、学生達は教室から出て行った。

 ケイも教室を出て行き、恵美はケイの後を追った。途中、何人か女子生徒がケイに話し掛けようとしたが、ケイは見向きもしなかった。

 

 下駄箱の所で恵美の足が止まった。

 ケイが恵美の方を向いて立っていた。

 恵美は一瞬、時間が止まったような感覚に襲われた。

「―――あんたに、言いたい事あるんだけど」ケイは無表情で言った。

 恵美は頭の中が混乱していたが、ケイの言葉になんとか

「うん…」と答えた。

――――きっと、あの家政婦さんが本条君に言ってくれたんだ!

 恵美は頬を赤め、鞄からキレイにラッピングされたお菓子を取り出した。

「…本条君…これ…今日バレンタインでしょ?」

 恵美が差し出したお菓子を見ながらケイは言った。

「何のつもりだよ」

 恵美は最初、ケイが何を言ったか分からなかった。

「人の家まで来て、何のつもりだ。あんた」

 ケイの表情があまりに冷たく、恵美は言葉が出ないでいた。

「迷惑なんだよ。二度と話し掛けるな」

 ケイはそう言うと下駄箱から靴を出し、上履きから履き替えて外へ出て行った。


 恵美は立ちすくみ、声も涙も出てこなかった。




 

 

 アキは口をポカンと開け、立ち尽くした。そんなアキを見てケイは苦笑した。

「なんだよ!なんでそんな顔するんだよ…」

「だって…ケイ君、今日バレンタインよ!何で1個も持って帰って来てないの?」

「1個ももらってないからだよ」そう言うと、ケイはため息を吐いた。

「嘘!絶対嘘よ!」アキは平川恵美の事を考えていた。「まさか…断ったの?」

 ケイはアキの顔をじっと見つめた。アキはそのケイの表情に少し戸惑った。

「アキのは?チョコないの?」ケイはにこっと笑って言った。アキは少し拍子抜けしてしまった。

「え?…あぁ、もちろんあるわよ!」アキは準備しておいたチョコをケイに手渡した。

「そっちのは?そっちのも僕のじゃないの?」ケイはもう1個の包を指差して言った。

「こっちのは本条先生のよ!」アキは笑いながら言った。

 ケイはチョコの入った包を見つめた。

「これ…本命?」

 ケイの言葉にアキはしばらく考えた。

「うん!そうよ!本命!本条先生のも本命!愛情たっぷりよ!」

 アキの言葉にケイは笑った。


……あの子、大丈夫かなぁ…。

 アキは平川恵美の事を考えた。そして胸が痛んだ。


 アキは、その時ケイが寂しそうに自分を見つめている事に気付かなかった。



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