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君のために僕は詠う―1―

君のために僕は詠う。




君のために僕は生まれた。

君のために僕は笑う。

君のために僕は涙を流す。


君のために僕は……




















君のために僕は詠う―1―




 ――――男はソファに腰を下していた。

「答える気はないんだな?」そう言うと男は握っていた拳銃に弾を込め直した。男は立ち上がり、向かいのソファの後ろでうずくまり、ガタガタと震えている肥満体形の男の頭元に立った。

「たっ頼むっ!!命だけは助けてくれぇ!!」肥満男は、その男の足もとにしがみ付こうとした。

 その男は肥満男の顔を蹴り、肥満男は勢いよく仰向けに倒れ込んだ。

「ぐわぁっっ…!!」肥満男は、鼻と口からボタボタと血を流した。

「もう一度聞く。あの日、あの店には誰がいた?」

「…っっ…私と…○○会社の社長と……それと…本当にこの名前を言えば私はただでは済まないんだ。あいつらに殺されるかもしれないっっ!!」

 男は軽く息を吐き、肥満男の額に銃口を押しつけた。

「今、ここでその<名前>を言って助かるか、言わずにここで死ぬか、言っても言わなくてもその<あいつら>に殺されるか、決めるのはお前自身だ」

 肥満男はがっくりとうな垂れ、すすり泣き始めた。

「……もう一人は…△△省の…」

 

 ようやく喋り出した肥満男から銃口を離し、その男は何も言わずに部屋を出た。肥満男は一気に力が抜け、床にしゃがみ込んだ。

≪もう…終わりだ…≫肥満男は思った。今までやってきた<仕事>を思い返していた。≪私は、言われた通りにやっただけなのに…≫肥満男は込み上げてくる憤りを、そばにあった花瓶にぶつけた。

 

 いきなり鳴り出した電話に、肥満男は心臓が飛び出るくらいに反応した。

 恐る恐る、電話の受話器を上げた。

 受話器から聞こえてくる濁声を聞きながら、肥満男は自分の<終わり>を感じていた―――――















 ―――アキはしばらくの間、動けなかった。

 あの人達の事だ。逃げた事自体、それほど驚かなかった。

 ……しかし…まさかこんな事まで!?

 アキは怒りを通り超えて、呆れてしまった。思わず笑ってしまうくらいだった。

 まだスーツ姿が様になってない若い“回収マン”は、初めての顧客担当の仕事でいきなりつまずき、うつむいていた。

「松田さん、本当にご存じなかったんですか?」

 Tファイナンスの新人社員、高井はアキに聞いた。

「はい…まったく…」

 アキは力無く答えた。

 高井はがっくりと肩を落としているアキを見て、さすがに気の毒に思ったのか、

「社に戻って上司と相談してみます…」

 と言って、伝票を持ってレジへと歩いて行った。

 アキも慌てて高井を追いかけて行った。

「あのっっ…自分の分は払います!」

 アキはバックから財布を出しながら言った。高井は2人分のコーヒー代を払って、アキと共に喫茶店を出た。

「…コーヒー、ごちそう様でした…」

 アキはとりあえず、出来る限り笑顔でお礼を言った。

「よく、こんな時に笑ってられますね…。あなた、騙されたかもしれないんですよ!…僕はこれから上司に話さなくてはいけないのに…僕はまだ新人なのに…あの上司になんて言われるか…っっ…」

 高井は震えながら、両手で顔を覆った。

 


 松田アキは、そろそろ20歳になろうとしていた。会社の同年代の女子は成人式に着ていく着物とか美容院の予約とか、そんな話ばかりしていた。

 アキには関係のない事だった。

 アキが働いている所はオフィスではなく社員食堂で、月曜から金曜まで300人ぐらいいる社員のお腹を満たすため、中年のおばさん達と共に汗だくで働いていた。

 日々の生活で精一杯で、成人式どころではなかった。

 そんな時に、この“とんでもない問題”に直面した。

 

 

 

 

 

 

*****

 私は、ごく普通のサラリーマンの父とお喋り好きの母との間に生まれた、ごくごく普通の女の子だった。父も母もとにかく人が良く、特に父は大人しいのもあって、出世コースから完全に外れていた。母は、そんな父をパートで働きながら支えていた。

 そんなある日、父は古い友人から頼まれ、借金の連帯保証人になった。そしてその友人は自己破産し、連帯保証人である父が借金を返済する事態になった。そんな状況でも母は、『たかが100万円じゃない!家族みんなで協力すれば、すぐ返せるわよ!』と、明るく言ってパートの時間を延ばした。父も一生懸命働いた。私はまだ10歳ぐらいだったけど、家にはお金が無い事は子供ながらに理解していて、おねだりとかはしなかった。

 その時は本当に幸せだった。真面目な父と明るい母と私と。貧しかったけど、笑いは絶えなかった。

 でも、その幸せは私の12歳の誕生日に、その日降り止まなかった雪の様に跡形もなく溶けて無くなった――――。

 私の誕生日プレゼントを買いに、父と母2人で乗ったバスが軽自働車を追い抜こうとしてスリップし、横転した。そのバスに、父と母以外にも何人か乗客はいたけれど、亡くなったのは私の父と母だけだった。

 父と母の葬儀は、父の会社の人とか母の友人とかがやってくれた。母の妹さんらしい夫妻も慌ただしく動き回っていた。

 遺影を持ったまま立ちすくんでいる私の所に、母の妹さんは何度も来ては『大丈夫よ、アキちゃん。おばちゃんもおじちゃんも付いとるからね』と言って抱きしめてくれた。嬉しくはあったが、そのおばさんの香水の臭いがキツクてくらくらしていた。

 父と母の葬儀も終わり、一段落ついて、私はその妹さん夫妻に預けられる事になった。父は一人っ子で年老いたおじいちゃんやおばあちゃんしかいないという事で、『アキちゃんは私達が責任を持って育てますから!』とそのおばさんは言った。その時は嬉しかった。やっぱりお母さんの妹さんなんだと感動したのだ。そう、この妹夫妻とは父と母が亡くなって初めて会ったのだ。母に妹がいる事すら知らなかったぐらいだった。

 11年間、父と母と3人で住んでいた市営アパートを出る直前、葬儀でも良くしてくれた母の友人が訪ねてきてくれた。

『何か困った事があったら、すぐにここに連絡しなさいね』そう言って自分の自宅の電話番号を書いた紙を渡してくれた。

 ――もし、この電話番号を知らなかったら、今頃私はどうなっていただろうと思う…。

 

 

 

 

 

 

 

 朝からシトシトと雨が降っていた。

 アキは仕事着から私服に着替え、更衣室を出て、従業員専用の出入り口へと急いだ。シトシトと降る雨を見て、アキは大きくため息を吐いた。

 アキは約束の時間より少し早めに“その喫茶店”に行ったのだが、この間と同じ席に高井は座っていた。アキに気付き、軽く頭を下げた。

 

「一応、上司に相談したんですが…やっぱり…このサインは松田さんのサインですからね…理由を知らされずに書いたとしても、松田さんが連帯保証人である事は変わらないそうで…」

 高井は言いにくそうに言って、コーヒーを一口飲んだ。

 アキはこうなる事は分かっていた。確かに、あの借用書に書いてあるアキの名前はアキ自身が書いたのだ。母の妹夫妻に書かされたのだ。

 アキはバックから自分の給与明細を出して、高井の前に置いた。

「私、昨日相談に行ったんです」

「はぁ?相談?弁護士に?…そんなお金あるならこっちの返済にてて下さいよ!」

 アキは少しムッとした。―――この人に怒っても仕方が無いと分かっていた。

「市の無料の行政相談に行ったんですよ。行政相談でもちゃんとこういうお金の相談もできるみたいで…結論から言いますと、私の給料じゃ、とてもこんな大金払えませんよ。それでも払えと言うなら、今度は消費者センターに相談に行きます!」

 アキはそう言った後すぐ、≪消費者センターに相談に行く!じゃなくて、訴えてやる!て言えばよかった≫と、思った。

 しかし高井には十分効いた様子で、慌てて席を立ち、携帯で上司に相談し始めた。

 

 30分ぐらいして高井の上司が店にやって来た。

「いやいや、松田さん。お仕事お忙しいのにすいませんね〜」

 高井の上司は簡単な挨拶を済ませ、自分の鞄から書類を取り出し、アキの前に並べた。

「お話はよく分かりました。確かに、松田さんのお給料では一気に返済は無理でしょうね。こちらの方も松田さんには無理なく返済して頂くために、特別に!特別に!!返済プランを考えまして―――」

 2時間ほど高井の上司は喋り続けた。その横で高井は一生懸命手帳にメモっていた。アキは恩着せがましい高井の上司の喋り方に嫌気がさしていた。

 

 

 アキがアパートに帰って来た時には、すでに夜の10時を回っていた。

「疲れた…」

 誰もいない部屋でアキは呟きながらベッドに倒れ込んだ。

「毎月5万かぁ…」

 アキは頭が痛かった。アキの月給で5万の出費はかなり痛かった。でも、どうする事も出来なかった。毎月5万で6〜7年の返済なのだ。アキは気が遠くなっていた。結局、アキは、夜逃げした母の妹夫妻の借金を返済しなくてはいけなくなったのだ。

 

 ――――コンコン、とアパートのドアを叩く音が響いた。

「アキちゃん?帰って来たの?」

 アキは、重たい頭を持ち上げるようにベッドから起き上がり、ドアの前で深呼吸した。

「おばさん?待ってて。今開けるね」

 そう言ってアキはドアのチェーンを外した。









*****

 この人達は、なんでこんな事するのだろうか?

 私は閉じ込められた物置小屋で真剣に考えていた。

 最初は分からなかった。最初は…。

 母の妹夫妻の家で生活するようになって、私の心の中では疑問が募っていった。

 妹夫妻は小さな飲食店をやっていた。その店は、12歳の私から見ても心配してしまうくらい流行ってなかった。それなのに、ほぼ毎日外食だった。そうでない日も出前とか…母の妹はよく買い物に出掛けて行った。妹の旦那はパチンコや競馬三昧で…近所の人も噂しているようで、何度か呼び止められ、

『お譲ちゃん、あの夫婦の何?宝くじでも当たったん?』と訊かれた。

 嫌な予感がした。毎日モヤモヤしていた。

 私が13歳の時、妹夫妻の会話を聞いた。

『あんたがギャンブルばっかやりよっけん金の無くなったんやろうもん!』

『お前も高か買いもんばっかしよったろうが!』

 この妹夫妻は、私の父の生命保険とかバス会社からの和解金とか貯金とか、私を扶養すると言う理由で受け取り、自分達の借金返済や道楽に使っていたのだ。

 私はもの凄い怒りが込み上げ、部屋のドアを開け、驚いた表情のその夫妻に飛びかかった―――。

 もちろん、勝てる訳もなく、逆に妹の旦那から殴られた。

 その日から虐待は始まった。


毎日殴られ、ご飯も食べれなかった。事ある毎に物置小屋に閉じ込められた。最初は1日。それから3日、1週間、1か月…。さすがに近所の人が保育所や警察に通報し“骨と皮”になった私はようやく助け出された。











「おばさん!このみかん美味しい!」

 アキは亡くなった母親の友人であり、アキと同じアパートの一階に住んでいる大木美枝子が持ってきた袋一杯のみかんを口に頬張りながら言った。

 すでに5個は食べていた。

「アキちゃん、いくらなんでも食べ過ぎよ!もう遅い時間なんだから、あんまり食べるとトイレばっかり行くわよ」

 大木美枝子は笑いながら言った。

「今日、残業だったの?随分帰り遅かったわね〜…夕飯は?賄いとかは出ないの?」

「うん…出たけど、このみかん美味しくてさ!残りはまた明日食べよう!」

 アキは、Tファイナンスの事は美枝子には言わないつもりでいた。


≪もう私も20だし…おばさんに心配かけたくないし…この借金は自分で何とかしないと!≫アキは最初からそう決心していたのだ。


「それならいいけど…まぁ、アキちゃんは小さいからたくさん食べてもっと太ってもいいけどね!」

 美枝子が言うように、確かにアキは小柄だった。母親の妹夫妻からひどい虐待を受け、やせ細って以来、太れなくなったのだ。

「私のこの贅肉やれたらねぇ〜」と、自分の脇腹を指でつまみながら美枝子は言った。

「ところで、成人式はどうするの?本当に行かないつもりなの?」

「うん。行かない。私、小さいから振袖とか似合わないし…そのお金でおばさんと美味しい物食べた方がいいもん」

 アキは本気でそう思っていた。美枝子は目を潤ませた。

「やだ、おばさん!泣かないでよ!」アキは笑いながらティッシュの箱に手を伸ばした。

「だってぇ〜…アキちゃん、私が涙もろいの知ってるでしょ?」美枝子は本当に涙もろかった。情に熱い人で、いつもアキを支え続けていた。

 

 あの日、アキはあの物置小屋から助け出され、病院に運ばれた。あまりにひどい痩せ方に警察官はもちろん、医者や看護師も驚きを隠せなかった。

 言葉も話せないほど衰弱していたアキの手に握りしめられた紙切れを、看護師が気付き、警察官に渡した。警察官はその紙に書かれてあった電話番号に電話を掛け、事情を聞いた美枝子は慌てて新幹線に飛び乗り、病院に駆け付けたのだった。


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