第3話 成長
第3話 成長
武治は記憶にある風景を目にした時、気が付いた。現在位置は福島県中通り地域のかなり北部であった。しっかりと整備された道路を歩いて北上すればよいのだが、武治はその行為が危険だと感じていた。追手が待ち伏せていないとは限らないのである。夢も山道を歩くことに同意しているようで不満を漏らすことはなかった。夢と出会ってから数日で武治は夢の不思議な力に気が付いた。(夢は獣並みの危険察知能力を備えているのだろうか?)的外れな見解ではなかったが、それを信じているために危険な道中を歩まなくとも済んだのは幸いであった。夢は道案内人となったのである。
夢の能力はそれだけではなく、動物に軽い暗示をかけることができた。武治はおかしなその現象を幾度となく見ているが、それが夢の仕業だとは思っていない。作物を栽培しているわけでもなく、街の人たちに食糧を分けて貰えるわけではないから必然と狩りが食糧獲得の手段となった。武治はサバイバルの知識をもっておらず、アウトドアの体験も乏しかったから魚を獲ることも獣を獲ることも困難であった。川に潜って見ても鳥に石を投げてみても食糧は手に入らなかったのである。武治が途方に暮れていると夢の呼ぶ声がした。
「とうさん、こっちにきて」
夢は大輝や道岳のまねをしているのか「とうさん」と呼んでくれた。それは嬉しかったが、この子たちに食事をやれないことは辛かった。食糧を得ることができず疲労感だけが募っていたが、何なのかなと思って夢のところへ赴いた。
「うさぎさんが寝ているよ」
病気で死んでいるうさぎなら食べることはできないと思った武治であったが、どうやらそうではないらしい。武治が手を伸ばすとうさぎは勢いよく逃げ出そうとした。慌てた武治はようやくのことでうさぎの耳を掴み取ったのである。火をおこすことは武治にもできたので食事ができることとなった。何故あそこでうさぎが寝ていたのかという疑問が頭を掠めたが、空腹には勝てなかったようである。実は夢が自分の能力を知ってか知らずかうさぎに暗示をかけて眠らせたのであった。このようなことの繰り返しの道中だから北上は遅々として進まず、急ぐ旅でもないのだから一日一日が食べられるのなら、それでもいいかと思うようになった。というより一日一日の食事の確保が最大の難儀事だったのである。何度かここに定住しようかと思う手頃な場所があって、武治が「ここに住もうか?」と子供たちに切り出すと、決まって夢が「駄目よ」と反対した。武治は夢の能力を信じていたから夢の反対は絶対であった。夢が意図したものではなかったが、武治も暗示にかかっていた。夢は自分の能力を知ることも制御することも未だできていなかったのである。
雪がちらつき、降り積もってきた時に山小屋を見つけて飛び込んだ。次の日には雪が溶けるだろうと思いながら何日経っても雪は深くなりこそすれ溶ける気配は見えなかった。最初の何日かは山小屋の近くでうさぎなどを獲って飢えを凌いでいたが、このままではいずれ飢えを凌げなくなる。山小屋からの強行脱出を決行しようかと考えている時に、あの時の青年が忽然と現われた。
「食糧を持ってきました。この冬はここにいるのがいいでしょう。食糧は足りなくなれば持ってきます。春になれば街の人々は減っていくでしょう。そうなれば旅も楽になるはずです」
武治にはこの青年が何者で、どうやってここにきたのか、何故自分たちを助けてくれるのかわからなかったが、味方であることは確信できた。
「わたしたちの目的地は何処なのですか?」
「それは僕にはわかりません。誰にもわからないでしょう。わかるとしたらこの少女だけですが、今はわからないでしょう。それでも武治さん、この子たちを頼みます」
それだけ言って、青年は去った。(武治と名前で呼ぶからには、わたしたちのことを全て知っているのだろうが、わたしは、あの青年に心当たりはない。それでも信用できるのはそれしか生きる術はないからなのだろう)
山小屋に閉じ込められて武治は身体が鈍ってしまうといけないと思って、武道の鍛練を始めた。警察官であったから武道に通じていて、特に空手は県で3位になったこともある。すると道岳が興味を示して教えて欲しいという。大輝も最初は一緒に稽古していたのだが、僕には合わないから止めると言って、夢と一緒に遊んでいる。道岳の筋はよく、武治が驚くほどの身体能力を備えていた。危なかったのは、道岳の左前腕部であった。空手の型を教えていた時、軽く擦れ合っただけなのに武治の右腕が裂傷を負ってしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。僕の左手が…」
「大丈夫だよ。かすり傷だよ」
右腕からは血が滴り落ちていた。病院に行ったら20針くらい縫われたかもしれないが、武治は包帯をきつく縛って稽古を続けた。道岳が自分のせいでとうさんに傷を負わせたと思って欲しくなかったのだ。
それ以来武治は道岳の左腕に触れないように気をつけていたのだが、それ以上に気を使っていたのは道岳だった。立ち会い稽古の時に左腕を使わなくなり、右腕だけの攻防となっていた。それでは稽古にならないと武治は思ったのだが、右手1本の道岳に武治の受けの余裕がなくなっていった。武治は両腕をつかっているのだが、それでも右手1本の攻撃を受けとめたり避けたりするのが精一杯となったのである。この一冬で武治は稽古相手としては役に立たなくなり、道岳のコーチ専任となっていく。武治は道岳の武技の上達方法を考える立場となっていった。
やがて春が来て、北上の旅の季節がやってきた。最初はあの青年の言ったような街の人口の減少は感じられなかったが、数ヶ月もするとはっきりと感じてきていた。どうして人口が減って行くのかわからなかったが、自分たちとは直接関係のないことだと思っていた。やがて、人が一人も見当たらない街を見つけてしまった。この街は自分たちにとって安全なのだとは思わなかった。ただ虚しく、寂しさだけが湧いてくるようだった。人がいなくなっていく理由を知りたかったが、それは叶わなかった。一度あの青年に尋ねて見たことがあるが、
「その時が来れば、わかりますよ」
と答えるだけだった。尋ねた時は、こんなにも人がいなくなるとは予想していなかったので、そんなにしつこく尋ねなかった。今度会ったら、問い質してやろうと思うのであった。
2度目の冬は、ゴーストタウンと化した街に寝泊まりすることになった。食糧も毛布もあり余るほど残されていて去年より快適だったが、何処に行くのか何を為すべきなのかわからない武治は不安が募っていくばかりであった。子供たちは環境に適応するのが早いのか、何を為すべきなのか知っているのか自分を成長させることが目標となっているようだった。
何年かが経ち、人と出会うこともなくなったが、子供たちは成長していた。武治は49歳になり成長していないのは自分だけなのかと思っていた。それほど子供たちの成長は目覚ましかった。大輝(12歳)は、観察力や判断力に優れ分析力も備わっているようだった。今では武治よりもリーダーとしての資質が備わっているようであった。道岳(11歳)は逞しくなり身長は170cmを越えているようだった。空手の腕がどれほど上がったのか測りようもないが、右手だけで木刀を持ち、剣道の腕も武治を越えるようになっていた。夢(9歳)は、己の暗示能力に気が付いて抑制できるようになっていた。動物を食料としてだけではなく愛でる心も併せ持つ優しい少女に育ったのである。時々神がかり的に予知能力を発揮するが、これは自分ではどうにもならないらしい。
その日は快晴で、直ぐ向こうの山から煙が昇っていた。
「人だ。人がいるぞ」
「ここよ。わたしたちはここに来たのよ」
これが武治ら4人がコウたちの集落に落ち着いた理由であった。