第2話 異質
第2話 異質
福島県で巡査を拝命していた武治は、理不尽なことを許せなかった。警官となったのも正義を貫く聖職で、正に自分の天職だと思っていたからである。あの大震災が起こったのは武治32歳の時で、海辺の駐在所につめていたが、震災で得たものは無力感だけで、人の役にも立たないのだから、巡査を辞めて田舎に戻ろうかと考えていたのである。周囲は悲惨な状態で役に立つことは余るほどあるのに武治は無力感だけに縛られていたのであった。
当時の駐在所は津波で破壊され今は中通り地域に駐在してから6年になる。ある日の朝、駐在所の玄関扉を開けると足元に見慣れぬ籠がおいてあった。なんだろうと覗いてみると、そこには可愛らしい顔をした赤子がニコニコと笑っていた。一目見てわかったのだが、その子は捨て子なのだ。当の本人は事情をよくわからないのかニコニコと笑っているが、明らかに捨て子だった。籠の中には1通の手紙が入っており「大輝という名前です。生後6ヵ月になりますが、よろしくお願いします」とだけ書いてあった。捨て子を扱うのは初めてだったのでどうしていいかわからない。駐在の手引き書を見てみたが、やはりわからなかったので役場に相談に行った。住民の流出と復興の忙しさで役場も人手不足であって、暫く待たされた。担当は他の部署との兼務らしく「詳しくは施設の方にご相談ください」とのことだった。紹介された施設に行くと、
「増える傾向にあるのですよ。この辺りでは生計が成り立たずにね。やむなくなのでしょうけど、悲しいことですよね。まるで大昔に時代が逆行したようですよ」
と言う施設長の説明を受けた。そして、身元のしっかりした引き受け手がいる場合、その人にお願いしていると言う。
「お願い?」
「はい。出来れば養い親になって欲しいのです。あなたは警察官だから身元も確かだ。お願いしますよ」
この施設も捨て子の増加で苦慮しているのだという。
「わたしは独身ですから子供を育てたことはありません。ミルクの飲ませ方すら知りません。そこら辺はフォローしてくれるのでしょうね」
「えぇ、えぇ、もちろんです」
期せずして父親となった武治は、毎日大輝を背負って駐在勤務に励んでいた。やがて大輝はよちよちと歩き「とさん、とさん」と話すようになった。無力感に支配されていた武治に精気が戻ってきたのは大輝のおかげだった。武治の愛情が惜しみなく大輝に注がれていった。「とさんだよ」と大輝に応えるのがたまらなく嬉しかった。
大輝がすくすくと育ち4歳になった頃、施設長が武治を訪ねてきた。
「実は預かって欲しい子供が一人いるのですが…」
施設長の様子は申し訳ないという思いとどうしようもないのだという思いを滲ませていた。
「どうされたのです?」
「どうやらいじめられているようなのです。いや、いじめられているに違いありません」
「はァ、詳しくお聞きしましょう」
武治の持ち前の正義感が首を持ち上げた。こんな話を聞くと見過ごせないのだ。
「その子の名前は道岳3歳です。道岳の左腕が原因なのです。あの子の前腕部は病気なのです。一見鰐の鱗が張りついているように見えますが、病院で検査すると皮膚だけでなく内部までも異質らしいのです。県の病院ではそれが何なのかも原因は何なのかもわからないというのです。精密検査は首都圏の大学病院で受けなさいと紹介状を貰いましたが、わたしのところの経営状態では、そこまで連れて行って治療させることは難しいのです。それはわたしの責任なのですが、問題はその腕のことを知る子供たちが大勢いて、いじめるらしいのです。道岳はいつも泣き顔ばかりで辛かろうと思います。わたしが子どもたちをいくら諭してもどうにもなりません。人の持つ本性なのでしょうか。異質なものに生理的に嫌悪感を持つようなのです。本性や本能ならばわたしの言葉は届きません。そこで武治さんに預かってもらえないかと参じたわけなのです」
「わかりました。わかりましたけど、1つだけ確認させてください。大輝がいます。大輝と仲良くできなければ、わたしのところにきても同じことです」
数日後、大輝と道岳の対面が行われた。武治は大輝に「これから会う子と仲良くできるかな?」とだけ伝えている。左腕のことを伏せていたのは、余計な先入観は与えたくなかったからである。
「僕は大輝。だいちゃんでいいよ」
「ぼ、ぼくは道岳」
「じゃあ、たけちゃんだ~」
「うん」
「左の手どうしたの?怪我?痛くない?」
道岳は左前腕部を包帯で覆っていたので、その説明を施設長が加えた。
「たけちゃんの左腕はちょっと変わっているんだよ」
「そうなんだ。見せて。見せて。いい?」
「いいけど嫌いにならない?いじめない?」
「嫌いになんかならないよ~」
道岳は包帯を解き始めたのだが、武治は「大輝が本能的な嫌悪感を理性で抑えられるかが問題だ」と思っていた。しかし4歳の子供に理性を求めるのは無茶というものであった。
「ほんとだ~。僕の手と違う~」
どういうことだ。異質なものを違うものと言い切った大輝に大人二人は驚いていた。大輝の感性は大人の予想を遥かに越えていたのである。
「嫌いにならない?」
「どうして?皆違う顔しているでしょ。手が違っていたっておかしくないよ」
このようにして二人の絆は始まったのである。
大震災から12年が経過して西暦2023年を迎えていた。武治は44歳になり、大輝は7歳、道岳は6歳に育った。ある夜のこと、駐在所に不審な人が街をうろついていると通報があった。実は不審な人は事件と関わりがなかったのだが、武治が巡回に向かったのが運命を大きく変えることになる。
自転車に乗って巡回していたのだが、不審な人どころか猫の子一匹いなかった。見慣れた建物の前を通った時、夜の10時を過ぎているというのに明かりが点いていた。いつもなら明かりは消えているはずだと思いながらも、深夜というわけではないのだからそんな時もあるかと考えた。そう考えたのだが、胸騒ぎがしたのだろうか、玄関を開けて呼ばわっていた。
「施設長さ~ん。施設長さ~ん。武治です。異常はありませんか~」
なにやら部屋の奥の方がざわめいているなと思った時、血まみれとなった施設長が飛び出してきた。
「この子を頼む。夢を頼む。早く逃げるのじゃ」
その言葉を待っていたように全身黒ずくめの人間が数人追いかけてきたのだ。思わず武治は施設長から夢を受け取り、外に出た。外の自転車に跨り無我夢中で駐在所へと向かっていた。駐在所は住居兼用なので大輝と道岳もいた。夢を抱いたまま4人は駐在所からも逃げ出していた。何故逃げ出したのか武治は覚えていない。在ったのは、異質の恐怖とそれに対する衝動だけであった。足が竦んで動けなくならなかったのは幸運なのかもしれないが、4人だから自転車は使えず徒歩となる。どっちに向かって逃げていいのかもわからなかったが、それでも先を急いだ。武治は路上に駐車している自動車をみつけて乗り込もうとした。明らかに車泥棒であるが、武治にはそんなことを考える余裕はなかった。
「駄目だよ。それ直ぐに止まるから」
夢がそう言ったように聞こえた。聞こえたが、4人は車に乗って発進したのであった。ところが3分もしないうちに車が動かなくなったのだ。いくらキーを廻してもエンジンはかからない。よくみるとガソリンがなかった。
「夢は知っていたの?」
「ううん。でも止まるのは知っていたよ」
こんなところで問い質している暇はないので武治が前に進もうとすると、
「そっちは駄目。こっちよ」
夢の指さす方向は今通ってきた道で後戻りになってしまう。それでも武治は後ろに進んだのであった。
その頃、黒ずくめの集団が2組に分かれていた。1組は施設の子供たちを連れ去って行った。1組は武治らの捜索に向かったのだが、みつけることができないでいた。リーダーらしき者が呟いた。
「これはあの少女の能力か」
捜索作戦は変更され、この街を包囲することにした。もう1組に応援を求めて包囲を縮めていくことにしたのだ。夜が明ける前に作戦を完遂せねばならずリーダーに焦りが出ていた。
「我らの存在を世に知られてはならぬ。絶対にあの少女と連れ去った男を捕まえるのだ」
武治はとにかく逃げた。力の尽きるまで逃げるのだ、この子たちを逃がすのだと思っていた。ところが少女が諦めた。
「もう駄目よ。逃げられないわ」
「疲れたのかい?」
「ううん。違うの。違うけど逃げられないの」
武治を恐怖が襲った。足が竦んで動けない。今までの気力が一瞬で潰えたようであった。3人の子供たちを抱きすくめて震えているのが精一杯であった。その頃黒ずくめの集団は包囲の輪を縮めていた。
「いたぞ。みつけたぞ。集合させろ」
武治たちは捕まる運命にあったのだ。
と、その時一人の青年が忽然と現われた。
「僕に摑まって」
その言葉に従って青年にしがみついた4人は、やはり忽然と消えた。
一瞬のことであったが、武治たちは見知らぬ場所に移動していた。武治に向かって青年は言った。
「北に向かいなさい。何があっても南に向かってはいけません」
そう言うと青年はやはり忽然と消えた。
青年の言葉に従って北上した武治たちは長い間の野宿を繰り返して、コウたちの集落に落ち着いたのであった。