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複雑  作者: 酒井順
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第1話 居場所

 複雑とは、ものごとの事情や関係がこみいっていることである。また、その反対は単純である。しかし、科学で複雑性を研究する時、そこにはいくつかの定義や多様な分野が存在する。そして、その研究のほとんどは緒についたばかりであり、多くの成果を挙げていない。21世紀の科学の飛躍は複雑性の解明が必須と思われ、それが為されなければ科学の飛躍は望めないものと考えている。

 この世界が単純であったなら、わたしたちはこんなにも楽しく、苦しいであろうか。為すことの結果があらかじめわかっていたなら、なにかを為すであろうか。成功者はYESと答えるかもしれないが、全てがそうであって幸福で苦しみなどなにもないとは思えない。部分的には成功したと思っても己の人生を全体と考えた時、複雑性の関与からは逃れられないから苦しみはつきまとう。わからないからこそこの世界であり、この人生であるのだ。

 我々は複雑性を多様性とも捉えているようだ。しかしながら個人的には多様性は、要素の集合であり、複雑性はその要素の組み合わせ集合であると考える。我々は個々の要素だけを考える時、納得できる答えや説明を見つけ出せるのかもしれないが、その要素の組み合わせには答えも説明も見つけ出すことが困難である。複雑性の全てが『組み合わせ』にあるとは思えないが、組み合わせの量の膨大さにも手を拱いているのは事実である。

 わたしには複雑性を直接考えることは不可能であるから、多様性から考えて見たい。多様性を考える時、比較の問題が付きまとう。貧富の差、健常者と障害者などであるが、どちらかが優位でどちらかがそうではないと受け止められる。しかし、どちらも同じ事象ではないだろうか。1つの事象が優位であったとしても全ての事象が優位であったとしても人は全てを得ることはできない。何を得るべきなのか知らないのだから得ることはできない。優位性とは人が定めたものであり、真に得るものとは異なると考える。即ち事象の複雑性を考える時、己の優位性を誇ることも己の不幸を嘆くことも意味は無いのである。


第1話 居場所


 西暦2028年、東北の地は荒廃の極みにあった。住民の大多数は東北以南へと移住し、東北の地に残る者は僅かであった。2011年に起きた福島原発の事故は収束とメルトダウンを繰り返し、大きな爆発だけでも3度起きたのであった。日本政府のとった決断は原発を収束に向かわせることと東北の住民を安全な地へと移住させることだったのだ。

『原発事故を鋭意収束させることは日本国の第一命題である。全ての国力をもって事態の解決に臨むものであるが、その過程において不慮の事故が起こる可能性も否定できない。依って、東北の住民は全て移住することを命ずるものである』

 多くの人々にとって納得のできる政府の声明ではなかったが、ほとんど強制的に移住という名の東北住民の大移動が行われた。

 移住を強硬に拒んだ者や免れた者は少数いたのだが、その実数は誰にも把握できていない。2024年に打ち切られた住民大移動の後、東北の地には日本国からも他の国からも援助や介入は行われなくなった。領土としては日本国に属するのだが、東北の地は実質的に無法地帯となったのであった。


 星空だけが眩く輝く一面に5つの明かりが浮かんでいた。日が暮れて間もなくの時間で質素な食事の支度が終わって空腹が足りればその明かりも消される。明かりの元となっている薪も貴重な資源なのだ。明かりが消された1軒では、布団に潜りこんだ二人の学びの時間が始まろうとしていた。先生となるのは62歳になるコウであった。生徒は28歳の鎮也である。鎮也は京都大学で数学系を専攻し、システムエンジニアとして大手家電メーカーに就職した経歴があるが、勤めていたのは2年に足りず、途中で休職願いを出したのであった。その原因は上司や仲間からミスが多いと指摘されたからであるが、実際に大きなミスでプロジェクトを頓挫させたことがあった。優秀であるばかりに大事な役割を与えられて本人も希望に燃えていたが、度重なるミスで自信を喪失したのである。上司の勧めもあり医師の診断を受けた結果、アスペルガー症候群の疑いありと告げられた後、病院の門を潜ったことはなかった。一人悶々と自室の中で悩んでいたが、ある日TVから流れる東北移住船の存在を知った。TVによると乗組員の人手不足で募集をしていると言っていた。確かに東北は危険な地という印象が強く蔓延っていて、よほどの覚悟が必要であろうと思われた。これだと思った鎮也は、確信犯となった。鎮也はただ一人になりたかっただけだった。外部環境からの干渉を受けずに一人で生きていきたいと願った。その途中で死んでもかまわないとさえ思った。何年かしてこの思いが衝動的で甘い見通しであることを思い知らされるのだが、この時はそこまで考えが及ばなかった。結果として、乗組員に採用されて東北の地に赴き、行方を眩ますことになる。採用した側は事故にあったとみなし、鎮也は日本国では失踪者扱いとなった。そして、放浪の後にこの集落に辿り着きコウの弟子となったのである。

 一方、コウの経歴をよく知る者はいなかった。確かなのは、この集落の近くで産まれ幼少期まで育ったということだけであった。その後、どこで何をしていたのかコウは口を噤んで語らなかった。20年くらい前にふらりと集落に戻って来て、今に至る。その当時はコウの父母も健在であったが、今では亡くなっている。帰って来てから勤めにでることもなく、僅かな畑を耕して暮らしていた。今ではその畑と農事の知識が集落に大きく役に立っているため集落でのコウは指導者的役割を担っている。


「コウさんの楽しみは何なのですか」

鎮也はコウに尋ねた。コウさんと呼ぶのは先生とか師匠とか呼ばれることをコウが嫌っているためだった。

「自分の頭で考えることかな」

「考えることが趣味なのですか」

「趣味と楽しみは別物だね。一概には言えないが、趣味は考える楽しみの環境を整えるものかな」

「え~、趣味は楽しくないの?」

「楽しいよ。でもそれだけ。生きている実感がないのだ。わたしは生きているのだ~という感覚が本当に楽しいのだよ」

「よくわからないけど、楽しさにもレベルがあるってことかな」

「レベルかどうかわからないけど、感覚が教えてくれる。この楽しみはすぐ飽きるのだろうなって」

「僕も飽きっぽいけど、それってわかってしまうと飽きてしまうということ?」

「それもあるね。趣味の中で今も興味のあるのは囲碁かな。もはや相手をしてくれる人はいないけど。囲碁は奥が深くて強くなれなかったね。研究してみようかと思ったけど、そうすると趣味じゃなくなるから止めたのだ。でも研究してもわかった~というところまでいかなかったと思うよ」

「やはり、僕とは違うのかな~。高校の時英語の辞書を全部暗記したらどうなるのだろうと考えたことがあって、覚えてしまってもどうしたらいいかわからないから飽きちゃった。覚えて何かに活用できる人は幸せだよね。高校の数学もわかってしまったけど、これは何かが見えた気がしたな~。謎があるって気がしたの。謎にワクワクした感覚は忘れられないな」

「だから、大学で数学を専攻したのかい?」

「そうだよ。でも大学ではワクワク感は起きなかった。理由はわからなかったけど、周りの皆と同じにカリキュラムをこなす毎日だったよ。そしたらどんどん圧迫された。何が圧迫するのかわからなかったけど、一人で過ごすのが楽になって、あァ、やはり僕は一人でいるのが楽だなと思っている中に卒業しちゃった。就職した時は、緊張したけど3ヶ月もすると楽しくなった。部下が3人できて班長になって、システムの一部を任された。最初は苦労したけど、だんだんわかるようになって飽き始めた。すると今度はもっと大きいグループの責任者になってやりがい満々さ。進捗はいつも一番で僕の生きがいはこれだ~と信じていたよ。ところが、システムの最終テストになった時、システムが動かなかった。何故だとなって調べたら僕の単純ミスだった。修正して再テストしたら又動かない。やはり僕のミスだった。こんなことが何回もあって僕は自信喪失さ。皆から責められたけど上司だけは優しかった。いい精神科を紹介するから受診してきないと言われた。これが一番辛かったね。僕は普通じゃないのだ。僕の楽しいという感覚もおかしいのだ。とにかく全部がおかしいのだと思って一人になりたくて…」

 鎮也は声を出して泣き出していた。鎮也の身の上話はコウにとっては毎度のことではあったが、何もアドバイスはできなかった。コウも自分に共通するものを感じていたが、それが何かは見当もつかなかった。


 鎮也はこの世界での居場所を見つけられないのであろう。居場所の原点は住居であり、社会である。多くの場合日本では、産まれた時に住居が存在する。望むか望まないかに関わらず社会も用意される。鎮也は社会に馴染めと幼い頃教えられ、幼い頃には神童と呼ばれ多少の短所も所持した能力によって帳消しにされていた。つまり鎮也は意識して社会に馴染んでいたのではなく、能力が馴染んでいるように見せ掛けていただけであった。属する社会が大きくなって、能力の効果が薄れ短所が弱点となっていった。世は競争社会であり、人より先を歩くための最も有効な手段は競争相手の弱点を攻(責)めることである。鎮也もこのようにして競争相手に追い落とされたのであるが当の本人には知る由もない。結局鎮也がタフではなく、現在悩みを抱えているという現実だけが残ったのである。

 社会的生存権を得るためには欠点を補ってあまりあるほどの力を持つか、妥協ないしは折り合いによらねばならない。我慢するというのも1つの手段ではあるが、コウにも鎮也にも思い浮かばないであろう。社会に馴染むためには、己を変えていくことが必要となるが、変える手段を思い付かなければ孤立する運命にあるのであろう。己を変えねばならないほど属する社会に価値があるのかという議論は複雑性を増すので棚にあげておきたい。


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