ガンプラ魔改録
「ぐぎゃ~! 腕が折れた~!」
聖痕十文字学園中等部二年、冥条琉詩葉の悲痛な叫びが屋敷中に響き渡った。
夏休みも始まって間もない、蒸し暑い夜のことだ。
「琉詩葉! どうした!」
琉詩葉の悲鳴を聞きつけた祖父の獄閻斎が大邸宅、冥条屋敷の廊下を走って琉詩葉の寝室に駆けつける。
ガラリ。血相を変えた獄閻斎が孫娘の寝室『猖獗の間』の襖を開けて見たものは……
「お祖父ちゃん……腕が~~」
爪切り片手に床に散乱した色とりどりのランナーからパーツをもぎ取りながら、ロボットアニメのプラモデルを組み立てている最中の琉詩葉だった。
涙目の琉詩葉の左手には、肘関節でぽっきり折れて下腕をプラプラさせた霊長ロボ『炎上神』の右腕があった。
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「まったく……! 何かと思えばプラモデルか……人騒がせな!」
「てへへ……すんませんお祖父ちゃん……」
紅髪を揺らして照れ笑いを浮かべる琉詩葉を脇に、獄閻斎は床に散らばったランナーに目を遣った。
「だが琉詩葉、どうしていきなりプラモなんぞを?」
老人は首を傾げた。
きっかけは、雑誌の特集だった。
ローティーン向けファッション雑誌『テスラ』の正気を疑うような巻頭企画「今日からなれる! オタモテ女神!」の一文「オタモテ女子はプラモがたしなみ!」を真に受けたらしい。
どうせ組み立てるなら、お気に入りのアニメキャラ『ハルタン』の乗ってるあいつを……
ということで、先頃まで放映されていたロボットアニメ『維新メカ☆ヴルヴルヴァルヴ』の主役ロボ『炎上神』のプラスチック・モデルキットをジャングルで取り寄せたのだ。
(余談になるが、このアニメのシーズン1を孫娘と一緒に流し見していた獄閻斎は、目からポロポロと鱗が落ちる思いだった。あまりにも目茶苦茶な展開。それでも続きを見たくなるよくわからないテンション。キャッチーな台詞のつるべ打ち。とりあえず面白ければ、話の整合性なんかどうでもよいと悟ったのだ。)
だがプラモ初心者の琉詩葉には、上級者向けキット『炎上神』の組み立ては、いささか手に余ったらしい。
爪切りを使ったパーツの切り出しも雑だし、合わせ目もガタガタ。はめ込む時に力が余って、繊細な肘関節のパーツを折ってしまったのだ。
「しかしまあ、なっとらんのぉ琉詩葉。どうじゃ、わしが手伝ってやろうか?」
拙い出来栄えの右腕を拾い上げてあきれ顔の獄閻斎が琉詩葉に言った。
「お祖父ちゃんが?」
訝しげに祖父を見上げる孫娘に、獄閻斎は自信たっぷりにニカリと笑った。
「なになに安心せい琉詩葉。これでもな、腕に覚えありじゃ!」
若い頃は『ジオラマの凛ちゃん』なる異名で、雑誌『電撃模型日本』の読者投稿欄を大いに盛り上げた凄腕モデラーの獄閻斎だ。
なに、たかだかガンプラの類、赤子の手を捻る様なものだ。そう高を括っていた獄閻斎であったが……!
「何じゃ……! パーツが……! 見えん!」
ランナーの中身を検めた獄閻斎の顔が、みるみる蒼ざめていった。
世界に冠たるキャラクター模型の雄、アダタラ・ホビー事業部の放った新ブランド『リアリティグレード』。
この上級者向けグレードのフォーマットで発売された『炎上神』の組み立て難度は、老人の想像を遥かに上回るものだったのだ。
1/144スケール、13センチ足らずのボディの内側にビッチリと完全再現された内部フレーム。パーツ数はこのサイズにして800を超え、五指の指先までがフル可動。
外部装甲を覆う微細なレリーフや光彩エフェクトまでが設定色ごとに別パーツ化され、1パーツの大きさは、まるでゴマ粒と見紛うばかりだった。
「ぐお~! 目が、目が~!」
老眼を酷使しすぎて、早くもダメージを受けまくる獄閻斎。
じーー……! 琉詩葉の猜疑の視線が老人の背中に鋭く突き刺さった。
「お祖父ちゃん、ほんとに大丈夫なの?」
疑わしげに獄閻斎を見る孫娘に、
「ぐぐぐ……! 舐めるな琉詩葉ぁ! こんなキット、三日もあれば余裕じゃ~!」
着流しの老人は大見栄を切ってそう叫んだ。
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それから三日間。邸内のガレージに引き籠った獄閻斎は、不眠不休で難敵『炎上神』と対峙した。
まずは、道具だ。得物も持たずに戦場に向かうなど愚の骨頂。爪切りなどは言語道断だ。
シニアモデラーには必須の模型用ルーペ。
医療用と比較しても遜色ないTAMIYA製精密ピンセットとニッパー。切っ先鋭いデザインナイフ。
通常色、金属色、クリアカラー、ウェザリングカラー、各種の模型用ラッカー塗料と稀釈用シンナー。
通常塗装、メタリック塗装、汚し塗装、それぞれ専用のダブルアクション・エアブラシが計三つ。
七十二時間の連続使用にも耐えるハイエンド・エア・コンプレッサー。
遅硬、即硬、用途に応じて種類を使い分けるエポキシパテ。ポリエステルパテ。
何処から手に入れたのか? 御禁制のMrマスキングゾル・ファーストエディション。
ジャングルから発送されたプラモデル制作のための様々な器具と材料が獄閻斎のガレージに集まって来た。
さらにはパーツ紛失時のリペア用に用意された『炎上神』の積みプラ三箱。
作業机に並んだツールの数々。予備パーツも十分。準備は万端。久々に蘇ったモデラーの血が滾ったか、獄閻斎は不敵に笑った。
ニッパーで慎重にパーツを切りだしてナイフでバリ取り、組み立て、サンドペーパーで表面処理を行い、下地塗装、本塗装、ウェザリング……
これらの工程が八十個以上にブロック化された各体位に慎重に施されて行く。
ガレージに灯ったあかりは、三日三晩、ついに消える事は無かった。
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そして四日目。
「ぐははー! 出来たぞ琉詩葉ーーー!」
ガレージから意気揚々と姿を現した獄閻斎。
「やったー! ありがとうお祖父ちゃん!」
期待で目を輝かせる琉詩葉に、
「見てみぃ! 完璧な仕上がりじゃ!」
どどーん!
「こ……、これは!」
琉詩葉は息を飲んだ。
琉詩葉の目の前に老人が得意気に取り出したのは……!?
ベージュとサンドブラウンの砂漠迷彩。全身の外装にエポキシパテで入念に施されたツィンメリット・コーティング。
装甲を煌びやかに覆うはずだった透明エフェクトパーツはフラットカーキで入念に塗りつぶされている。
キットを三個イチした執念の六本足『シュピナー・バイン』。同じくサンコイチによる六本腕『アシュラ・ファウスト』etc...
冥条獄閻斎大佐専用ヴルヴルヴァルヴ、『禍蜘蛛・砂漠戦仕様』の異容であった。
「うぎゃ~! こんなのヤダーー! 『炎上神』じゃないじゃんーーー!」
顔を真っ赤にして獄閻斎に喰ってかかる琉詩葉に、
「えーい! うるさい! これがリアリティと言うものじゃ!」
リアル系アニメロボの模型的表現の概念が三十年前で停止しているこの老人は、孫娘に傲然とそう言い放った。
「そんなの知らないし! 元に戻してよー! 『ハルタン』の乗ってる奴がいいの!」
憤懣やるかたない琉詩葉を尻目に、やりきった漢の顔で自分の書斎に向かおうした獄閻斎だったが……!
「あれ……何だか……気分が……?」
老人の眼前の景色が、グニャリと歪んだ。
「どぎゃ~! お祖父ちゃんーー!」
琉詩葉の目の前でドサリと地面に倒れる獄閻斎。卒倒した老人の身体に押しつぶされて、出来たばかりの『禍蜘蛛』は粉々に砕け散った。
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「う~ん……気持ち悪い~頭が~」
布団の上でうわごとを言いながらメイドさんに看病される獄閻斎。
締め切ったガレージに充満した有機溶剤の成分に完全に脳をヤられたのだ。
室内で塗装する時は、マジ換気には気をつけよう!
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「あーめんどくさかった! やっぱもう、プラモはいいや!」
そう呟いて自室でプレステを始めた琉詩葉。
机の上には、三日前にジャングルから取り寄せた完成品トイ『ロボットスピリット・1/144炎上神』が飾られていた。